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不調の立ち退き問題に憤るタイアン村の農家・グォーさん
ベトナムで亡霊の如く漂う「原発安全神話」 日本に絶大な信頼を寄せるベトナムの人々
http://toyokeizai.net/articles/-/32545
2014年03月25日 木村 聡 :写真家/フォトジャーナリスト 東洋経済
逼迫する電力需給に原発導入を決めたベトナム。それは東南アジア初にして、日本が初めて輸出する原発だ。
当初の予定では今年(2014年)中にも第1原発の建設はスタート。しかし、1月にベトナムのズン首相が突如「着工の延期」に言及し、原発計画は大幅にずれ込む可能性が出てきている。安全性への危惧か、計画の見直しか。ベトナム原発の現場では何が起きているのか。日本が建設する予定地の村を訪れ、原発開発をめぐる人々の様子をレポートする。
※(その1) “原発輸出”最前線のベトナムの村を歩く
http://toyokeizai.net/articles/-/32444
■まるで進展のない立ち退き問題
「市場で魚を値切ってるんじゃないんだから、もうやめてほしいよ」
タイアン村で農業を営むグォー・カック・カーンさんは、ちょっと怒っていた。怒りの矛先は国だ。原発建設に伴う移転保証金のあまりの安さと、理不尽な提示額を変えようとしない当局の姿勢に、たまった不満を語り続ける。
「地価の相場より低くすぎて話にならない。市場価格なら同意するが、われわれもそれなりのものをもらわないと生活できない。今は国家が強権を使う時代じゃない」
タイアン村は約700世帯、1500人ほどが住む半農半漁の小さな集落だ。日本がベトナムに造る第2原発は、この村の土地に、全住民を立ち退かせて建設を行う。集団移住地は2キロメートルほど先で、代替え農地も用意されているはずだった。
しかし、原発建設の前提となるこの村民の立ち退きが、現在、「いっさいまとまってはいない」状態だという。
グォーさんを訪ねるのは2度目。初めて会った2年前の時点では、すぐにでも立ち退き料の交渉が始まり、ほどなく移転が決まるだろう話していた。再訪した今回、すでに村を離れる準備が完了しているものと思ったが、グォーさんの暮らしぶりどころか、ほかのほとんどすべての村の様子に変化はなかった。
グォー家を訪れて前回と違ったのは、ホーチミン市の専門学校に行っていた末娘が戻っていたことである。卒業はしたものの、いまだ就職先がない。専攻は建築。地元にできる原発で働けるのではと水を向けると、
「2020年だもの。そんなに先じゃねえ……」
数日前に出たばかりの着工延期の情報は、すでに地元に伝わっているようだ。グォーさんも言う。
「ニュースで見て知ってるよ。きっとカネがないんだろう。ほかの人の話じゃ、ロシアの工事が2017年に始まるらしい」
原発の建設開始が延びれば、移転交渉はさらに時間がかかりそうな気配だ。彼の口ぶりには嫌気と停滞感が漂う。
■タイアン村の生業
タイアン村を含むニントアン省は、南北に細長いベトナム国土のやや南寄りに位置する。省都ファンランはベトナム最大都市ホーチミン市の北、約300キロメートルの距離にあり、車で飛ばしても8〜10時間ほどかかる。
ニントアン省など中南部各省は人口密度が低く、工業化もあまり進んではいない。「人の少ない、都市部から離れた場所」。地元の関係者によれば、それがまずは原発立地の優先条件だったという。
開発が進んでいない代わりに、タイアン村周辺は豊かな自然が残されている。すぐ沖合は良好な漁場で、砂浜は貴重なアオウミガメの産卵場所だ。眼前のきれいな海の水を利用して、ベトナム随一と称される塩作りも行われている。気候は穏やか。だが、雨は少ない。稲作には適さず、にんにくや唐辛子の栽培などがよく行われている。
そんなタイアン村で、グォーさんはブドウ生産などで生計を立てる農家だ。“海”ではなく、果物のブドウは昔からの地域の特産品である。
彼は年間、2000平方メートルのブドウ畑から1億8000万ドン(約90万円)、1000平方メートルのにんにく畑から1億ドン(約50万円)、合わせて2億8000万ドンほどの稼ぎがあるという。これに対しての移転賠償金は3億ドンあまり。彼の1年間の収入とほぼ変わらない額でしかない。
「ただ土地をもらうだけで、畑を作ったり、家を建てる資金は含まれない。苦労して作ったブドウ畑だからね。村を離れるのは仕方ないとしても、喜んで畑を手放す人なんていないさ」
現在、国が村民に示した農地への保証金は1000平方メートル当たり、ブドウ畑が1億2000万ドン、にんにくなどその他の畑は8000万ドンだという。グォーさんたちの要求は1000平方メートル当たりそれぞれ2億ドン。隔たりは少なくない。
計画が持ち上がってから、村内には原発建設地の地図と、移住先の村の完成図が大看板にして建てられている。整備された港、モダンな住宅や商業施設。そこには今のベトナムのどこにもない夢のような未来都市が描かれていた。
建設決定から3年余り。見ればその看板はもうすっかりすすけ、どこに原発が建つのかもはっきりわからなくなっていた。
■亡霊のように漂う“安全神話”
「でも、この村で原発に反対している人はいない。問題なのは賠償金だけであって、原発の安全は心配していない」
最初に会ったときからグォーさんは、自分の村にできる原発の安全性について不安を見せることがなかった。今でもそこに変わりはない。
彼だけではない。ほかの村人からも同様の声を聞く。村の真ん中にある市場で野菜を売る女性も、学校帰りの小学生たちも、原発の計画看板前に住む男性も、原発への不信感などまるで見せない。
もっと言えば、タイアン村の人たちに感じるのは、原発自体への非常に薄い関心である。
関心のなさのゆえんは、圧倒的な情報不足にある。原発とはどんなもので、日本では震災後になにが起こり、「福島」がどう変わり、原発事故によって周辺住民たちがどう苦しんでいるのか。タイアン村の多くの人は、直接、説明される機会をほぼ得ていない。ほとんどが限られたテレビニュースで伝え聞くのみ。原発建設の渦中にある村民たちが見せるのは、驚くほど何も知りえない姿であり、何より彼らに情報不足という認識さえない。グォーさんは言う。
「ベトナム人じゃなくて日本人が原発を造るのだから、まったく心配はしていない。安心だよ」
ここまで原発に危機感を持たず、否定的でない人たちや場所は、今の日本ではそうそう見かけない。
ただ、タイアン村の人たちが原発の安全性を積極的に支持しているかと言えば、そこは明らかに異なる。日本の現状も、原発が来る経緯も、今回の着工延期も、新聞やテレビで間接的に知るしかない閉ざされた原発情報。少なくとも知らされる話題の中に、強く反対すべき理由が見当たらないだけである。
さらに面はゆいが、日本人の高い技術力と国民性に寄せる信頼感が絶大だということだ。原発が安全だとする住民意識の形成には、「日本」という存在が大きく起因しているようにも見える。
まさにそれは“安全神話”だった。すでに日本では瓦解した「原発は絶対に安全」「決して原発事故は起きない」などという実態なき妄信である。タイアン村にはそれがまるで亡霊のように人々の間を漂っていた。
■日本に行った村人たち
グォーさんは日本を訪れたことがあるという。
東日本大震災前の2010年夏、「日本の電力会社」の招きで、稼働中の原発を見学しに行ったという。彼によれば、東京にある電力会社と3つの原発を視察し、そこに「福島」も含まれたいたらしい。
タイアン村からは村長と、村の老人会代表であるグォーさんの2人が参加した。まだタイアン村は原発建設地のひとつとして検討されている段階だったが、ほかの候補地の住民とともに日本での原発視察は行われた。ちなみに、ロシアと日本が受注を争っていた第1原発についても、建設予定だったニントアン省のフックジン村周辺からはグォーさん同様に数人が日本に招かれている。
当時、立地の可能性のあった地域の住民は、こぞって日本の原発視察に呼ばれていたのかもしれない。
いずれの場所でも原発の安全性が日本側から喧伝された。ベトナムに帰ってからそれを伝えることもお願いされたという。
かつて日本の原発予定地域では、まず地元議員や有力者を国内外の原発に連れていく「先進地視察」が盛んに行われていた。実際は電源立地交付金などを使った無料の観光旅行で、「買収ツアー」などと批判の声もあった。日本の原発建設の現場で続けられてきたこの常套手法は、どうやらベトナムでも踏襲されていたようだ。
「日本で印象的だったのは、原発の近くに住む人から聞かされた話だ。その人は、原発には小さなトラブルはあっても大きな事故はないと言っていた。とても安心したよ」(グォーさん)
その後に起きた震災と原発事故。村長のところにはすぐ日本人が来て、なにも問題がないと説明したという。グォーさんの元にも心配になった村人が訪ねて来たが
「みんなに言ってやるのさ。私は日本に行って、日本の技術の確かさを知っている。事故の経験を踏まえた日本が新しく造るから大丈夫、ここの原発は絶対に安全だってね」
この村で原発の安全性に不安の声が少ないのは、意外でも偶然のことでもなかったようだ。来たるべき原発建設を前に、住民世論を有利に導く準備は着々と進められていたのである。
日本からは原発プラントだけではなく、原発の“安全神話”の作り方までもしっかりとベトナムに輸出されていた。
※ その3に続く
(撮影:木村聡)
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