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西岡昌紀「ここが変だよホルミシス論争」(月刊ウィル・2012年11月号増刊)その7
(コピペによる拡散を歓迎します)
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(続きです)
『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(広瀬隆著・文藝春秋社・一九八二年)という本があります。ハリウッドの大スター、ジョン・ウェイン(一九〇七─一九七九)は肺癌と胃癌を発症し、一九七九年に他界しています。
ところが、ハリウッドの大スターたちの死因を調べると、このジョン・ウェインのみならず、癌による死亡が目立つということに注目した驚くべき本です。
広瀬氏は、この問題を追跡したアメリカのジャーナリスト、ポール・ジェイコブス氏らの調査に注目し、一九五四年にユタ州の小都市セント・ジョージ郊外でロケが行われた映画『征服者』の撮影に際して、そのユタ州でのロケに参加た二百二十人のうち何と九十一人が、一九八二年までに癌を発症していたという事実を指摘します。
そして、ネバダ州に隣接するユタ州のこの小都師セント・ジョージで行われた映画『征服者』(ジンギスカンを描いた映画)のロケに参加したことが、ジョン・ウェインを含めたハリウッド関係者の発癌に関係があったのではないか? と推論します。
広瀬氏は、『征服者』のロケが行われた時期に、ユタ州の隣りの州であるネバダ州で核実験が行われていたことに注目します。そして、詳細な検討を加えて、この核実験による放射性降下物が、ジョン・ウェインを含めたロケ参加者たち二百二十人中九十一人がのちに癌が発生した原因であろう、と結論づけているのです。
この本について、「放射線ホルミシス効果」に注目する論者の一人である前出の近藤宗平氏は、その著書『改訂新版・人は放射線になぜ弱いか』(講談社ブルーバックス・一九九一年版)において、こう述べておられます。
「ジョン・ウェインのがんの原因は、一九五四年にユタ州セント・ジョージ町へ彼がロケに行ったとき死の灰(放射能をもった降下物質)≠かぶったからだ、という作業仮説は興味深い。彼が死の灰を浴びたことを示唆する状況証拠も、説得力がある。
しかし、ジョン・ウェインのがんは、ロケの十年後におこった肺がんである。肺がんならばタバコの影響を無視できない。俳優でタバコをすわない人は少ないから、肺がん死の原因を全て放射能におしつけるのには問題がある。しかし、だからといって、ネバダの核実験による死の灰≠ェ、俳優やユタ州の住民や実験参加の軍人の発がんの原因の一つになっていないということはできない。最近の州裁判所の判決では、訴えた住民側の言い分が認められている。
事実、ネバダの核爆発テスト停止後の十年間に発生した小児の白血病が、ユタ州の死の灰#ばく地域で他の地域の二倍になっていたことが最近はっきりした。そうして、約二十年前に、すでに同じような報告がなされていたのに、当時の米国原子力委員会が、にぎりつぶしていたことがわかって、大きなさわぎになった。
政府のにぎりつぶしがなければ、死の灰≠ェ原因かどうかもう少し冷静な判断が下され、これほどの大さわぎにはならなかったろうというのが大かたの意見である」 (近藤宗平著『改訂新版・人は放射線になぜ弱いか』講談社ブルーバックス・一九九一年版、四十八ページ)
私は、近藤氏は低線量放射線の照射には生体にとって有益な側面もあることを、実はラッキー教授よりもはるかに早く指摘していた研究者だと思っていますが、それはともかくとして、近藤氏がここで述べている広瀬隆氏の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか?』に関する論評は、おおむね妥当な論評だと思います。
広瀬氏の結論は、おそらく正しいだろうと思います。しかし広瀬氏が、喫煙率をはじめとするハリウッドの大スターたちが持っていたであろう他の危険因子を十分検討していないことは事実です。ですから、喫煙の有無にも着目するべきであったとする近藤宗平氏の指摘は、たしかに当たっています。
すなわち、近藤氏のこの指摘が語るように、疫学研究においては、論者が注目する危険因子だけではなく、他の危険因子にも注目して解析しなければ仮説は証明されないのです。ところが、皮肉なことに最近、書店に並んでいる「放射線ホルミシス」派の本には、近藤宗平氏が広瀬隆氏の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』について加えたこの批判がまさに当てはまる内容が見られるのです。
ひとつだけ、その例を挙げます。「放射線ホルミシス」派の本で良く挙げられている事例の一つに、台湾でコバルト60に汚染した建材で建てられてしまったマンションがあり、そのマンションに入居した住民を追跡調査したところ、そのマンションに入居した住民のほうが、台湾の一般住民よりも癌による死亡率が低かったとする事例がそれです。
この事例で私が分からないのはまず、なぜ癌の発生率ではなく、死亡率に注目するのだろうか? という疑問です。癌の発生率に注目するのなら分かります。しかし死亡率となったら、癌になったあと、受けられる医療のレベルによって経過は大きく異なりますから、これは最早、低線量放射線の生物学的効果とは別の因子が大きく影響する数字になってしまいます。
特に住民の経済力はこの時代、日本のような保険医療制度がなかった台湾では、受けられる医療の質に大きく影響したはずです。他の環境因子の影響は
ですから、そのマンションの住民と他の台湾住民の間にある収入や地位による医療へのアクセスの差がなかったかどうかを論じずに、癌による死亡率だけを較べて「低線量放射線は体にいい」等というのは滅茶苦茶な論法です(こんなことは医学生でも分かります)。
また、私が注目するのは、そのマンションの水道の問題です。皆さんは、「ピロリ菌」と呼ばれている細菌ヘリコバクター・ピロリが、胃癌や大腸癌を発生させる因子として注目されていることを御存知のことと思います。ところが、このヘリコバクター・ピロリ菌は、井戸水を飲んで生活した人に保菌者が多いのです。
ですから、そのマンションの水回りがどのようなものか私は知りませんが、台湾で井戸水を飲んで生活している住民とそのマンションの住民の間に飲料水の質の違いがなかっただろうか? と疑問を持たずにはいられません。
さらに、都市住民と地方住民の間には食習慣の違いも予想されますから、塩分摂取量や脂肪摂取量などにおいて、そのマンションの住民と他の台湾住民の間に違いはなかったか? も重要な視点です。
さらには台湾の場合、本省人と外省人の間で遺伝的背景の違いもあるかもしれませんし、喫煙率や職業が何であるのか? といった因子ももちろん、発癌率に影響することが予想されます。年齢や性別の偏りがなかったかも重要な視点であることは言うまでもありません。
このように、疫学においては論者が注目する因子(この場合は、コバルト60による低線量放射線)に注目するだけでは駄目で、他の色々な因子に注目しなければならないのです。お気付きでしょうか。
これは皮肉にも、「放射線ホルミシス効果」派の長老である近藤宗平氏が自著のなかで指摘した、広瀬隆氏の『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』の弱点と同じ弱点に他なりません。さらに、自然放射線が高い地域における住民の健康に関する議論にも同様の問題があるのですが、紙面の理由から割愛します。
冒頭でお話しした「マクベス」の魔女たちの言葉(「きれいはきたない、きたないはきれい」)に戻りましょう。
生命現象には、この「マクベス」の魔女たちの言葉のように、同一の現象が生体にとって良い面と悪い面を同時に持つ場合があります。
文中で述べた細胞の増殖が高まるという現象がまさにその一つですし、その他、「ホルミシス理論」を信奉する論者が挙げる現象の多くは、このマクベスの魔女たちの言葉のように、相反する側面を同時に含んでいます。
福島での植物の変化などについても同じことが言えます。福島で観察されたという植物の変化についてはまず、それが統計学的に本当に有意な頻度を持って起きているのかが検証されなければなりませんが、仮に真実、統計学的に有意な現象であったとして、その変化が植物にとって「良い」変化なのか、「悪い」変化なのかは、簡単に論じられません。
動物であれ植物であれ、多細胞生物の場合、細胞の増殖が高まることが「良い」効果となるか、「悪い」効果となるかは簡単に言えないからです。
このように、生命現象というものは多面的であり、「群盲象をなでる」という言葉のように、生命現象が持つ多面的な性格を度外視して、つい一面からのみ考察してしまうのは、人間の知性の持つ陥穽なのかもしれません。
だからマクベスは、魔女の予言の本当の意味が分からなかったのではないでしょうか? 私には、「放射線ホルミシス理論」を信奉する人々は魔女の予言を正しく理解できず、魔女の予言を一面的にしか理解できなかったマクベスのように見えてなりません。
低線量放射線の医学生物学的効果の問題は、非常に深いテーマです。繰り返しますが、私自身は低線量放射線が、生体にとって有害な影響だけではなく、有益な影響をも与える場合はたしかにあるのだろうと考える一人です。
「ホルミシス効果」という命名が適切かどうかはともかく、低線量放射線が、条件に依っては人体や他の動植物にとって有益な作用を及ぼす場合自体はあるのだろう、と私は考えています。しかし、その同じ低線量放射線が、生体に有害な作用を及ぼす場合もあるだろうと私は考えます。
低線量放射線の生物学的作用は、線量以外の因子によって影響を受ける部分が相当あり、それが相反する報告が為されてきた理由であろう、と私は考えています。
こうした複雑な問題である低線量放射線が人体に与える影響については、政治的思惑を離れて、冷静で慎重な議論を基礎医学、臨床医学、双方の視点から重ねていくべきです。
ところがいま、書店に並ぶ「放射線ホルミシス効果」に関する本は、近藤宗平氏の本を除けば、どれも自分たちの主張に不都合な事実や問題点に言及せず、答えるべき論点に答えていない本ばかりです。それどころか、マラーの実験の意味を、近年のDNA研究の動向を無視する形で拡大解釈したり、広島、長崎の疫学研究を都合のいいように解釈して飛躍した論理展開を行っています。
これはなぜなのでしょうか? その理由は、著者たちの医学・生物学に関する理解の深さの問題もさることながら、これらの本が、福島第一原発事故の処理や原子力発電をどうするべきか、といった政治的問題を意識し過ぎた本ばかりだからではないか? と私は思います。
言うだけ野暮ですが、福島第一原発事故後に出版された「放射線ホルミシス効果」に関する本は、「原子力村」に近い人々による本です。私はそのことを、彼らの本の至るところで感じます。
自分たちの理論に不完全な部分が多々あるのに、そうした不完全な部分がないかのように「低線量放射線の有益さ」を強調したり、その一方で、私のような一介の内科医でも気が付くような論理の不完全さをスルーするやり方は到底、感心できるものではありません。
その一方で、インターネットなどで読むと、「反原発派」と思われる人々がこうした「放射線ホルミシス」派の主張を検討もせずに、ただ「放射線ホルミシス」派の論者たちを「御用学者」と呼んだりしているのを目にします。私は、こうしたレッテル貼りにも感心しません。
また、「それなら自分が福島に住めばいい」といった書き込みを目にしますが、これは反論になっていません。科学の議論は科学の言葉で行われるべきです。「反原発派」の人々も、レッテル貼りの代わりに科学の言葉で反論し、せめて、私がここで述べたくらいの批判はするべきではないでしょうか。
どちらの人々も、低線量放射線の医学生物学的影響に関する議論を原発問題に絡め過ぎています。
この問題が原発の是非を巡る議論に関係するのはもちろん、良く理解できます。しかし、この問題はイデオロギーの問題ではなく、科学の問題です。また、この問題は「原発」という政治的問題とは別に、癌発生のメカニズムの解明や生命の起源に関する議論にも繫がる科学の深いテーマでもあります。
科学の議論は「政治主導」になってはいけないのであって、そうでないと、かつてのルイセンコ学説のような迷路に科学は迷い込んでしまうことを、私たちは想起するべきだと思います。
(この記事で述べられた私の見解は全て、私個人の見解であり、いかなる団体、組織の見解とも無関係なものです)
にしおか まさのり
一九五六年、東京生まれ。北里大学医学部卒、神経内科医。科学史とクラシック音楽に関心がある。近著は、『ムラヴィンスキー・楽屋の素顔』(リベルタ出版・二〇〇三年)。
(西岡昌紀「ここが変だよホルミシス論争」(月刊ウィル・2012年11月号増刊228〜252ページ)246〜252ページ)
http://www.amazon.co.jp/WiLL-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-2012%E5%B9%B4-11%E6%9C%88%E5%8F%B7/dp/B009ISQ6FI/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1356954666&sr=8-1
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