http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/111.html
Tweet |
福島原発事故から3年・飯舘村ルポ
http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/502-5c08.html
2014年3月22日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ
福島原発事故で大量の放射性物質が降り注いだ福島県飯舘村。「こちら特報部」は今月中旬、昨年に続いて京都大原子炉実験所の今中哲二助教ら「飯舘村放射能エコロジー研究会」による放射線量測定調査に同行した。公開されるモニタリングポストの線量データはさほど高くない。だが、雪深い現地に入ると、それがうわべの数字であることに気付かされた。(榊原崇仁)
◆進まぬ除染 遠い日常
飯舘村には、まだ50センチほどの雪が残っていた。
村は2月上旬から中旬にかけて「半世紀ぶり」ともいわれる大雪に見舞われ、積雪は一時、1メートルを超えたという。今月に入っても朝の最低気温が氷点下5度前後の日が続き、雪解けが遅れているようだ。
全村避難している飯舘村だが、大半は立ち入り自由の居住制限区域や避難指示解除準備区域だ。両地区の主要な道路は除雪され、トラックや乗用車とすれ違うことも少なくない。
ただ、民家まで続く道路や店舗の駐車場、墓地などの多くは1カ月前の雪がどかされずに残っており、生活の営みが少しも戻ってないことを実感する。
気になるのは放射線量だ。原子力規制委員会のホームページで閲覧できるモニタリングポストのデータによると、村内の立ち入り自由区域ではおおむね毎時1マイクロシーベルト未満だった。
車で移動中に手持ちの線量計に目をやると、1マイクロシーベルトを下回る場所が大半。除染の長期目標は年間1ミリシーベルト以下で、毎時に換算すると0.23マイクロシーベルト以下になる。これよりは高めだが、除染の効果などにより、帰還基準とされる年間20ミリシーベルト以下になったということか。
車は村内唯一の帰還困難区域、長泥地区に着く。通行止め用のゲートを警備員に開けてもらい、地区内に入る。車を降り、固い雪で覆われた田んぼの上で今中助教らとともに線量を測った。毎時2マイクロシーベルト。年間10ミリシーベルト弱相当だ。
ただ、スコップで雪を掘って少し地面が見えるようにしただけで、線量計が示す数値は2.5倍の毎時5マイクロシーベルトまで跳ね上がった。帰還困難区域外でも雪をどかして計測すると、同じような傾向が見られた。
今中助教は「地面の放射性物質が出す放射線が雪で遮られるのが現在の状況。線量が低く見えるのは除染がどうこうということじゃない」と言い切った。
◆予想超す廃棄物 行き場なく
そもそも飯舘村では除染が進んでいない。
当初の計画では今月末で長泥を除く全地区の除染が終わる予定だったが、仮置き場の確保が難航したほか、廃棄物の量が予想を大幅に上回り、宅地の実施率は予定分の9%、農地や森林は5%前後、道路は1%弱にとどまり、除染終了のめどは生活圏が2014年内、残りは16年内に先送りされた。長泥地区に至っては除染をどう進めるか見通しが立っていない。
車に同乗してくれた村の男性は「今年は雪があっても除染作業をやっている。去年と違う。行政は焦ってるんだろう」と話した。
今中助教らは避難指示解除準備区域の佐須地区にある山津見神社で再び車を降りた。昨春に焼失した社殿跡で線量を測ると、毎時1.5マイクロシーベルトを記録した。
ここは除染未着手地区だが、今中助教は「社殿の下は事故直後、放射性物質が付着してないはず。建物があったわけだから。それでもこの線量になるのは周辺の山林から放射線が飛んできているから。除染で線量を下げるには山林までしっかりやらないといけないが、膨大な費用と時間がかかってしまう」と指摘した。
そんな状況に置かれながらも村は今月4日、長泥以外の地区について避難指示解除目標を16年3月とする復興計画を示した。
ただ、早期帰村に積極的な菅野典雄村長と村民の思いは一致していない。
1月末に公表された村民意向調査によると「現時点で村に戻りたいと考えている」は60代以上でも3割にとどまり、30代以下では「現時点で戻らないと決めた」が6割を超えた。
伊達市の仮設住宅で暮らす男性(45)は「国も村も東京電力もウソばかり。放射線による健康影響が考えにくい、何年後に帰れるなんて言われても信じられない。原発事故は母親の生きがいだった畑仕事を奪った。飯舘じゃもう、野菜つくるのは無理。何のために帰還するのか」と語る。
今冬の雪も帰還を滞らせる原因になりかねない。
村を巡ると、雪の重みで押しつぶされた民家の納屋や駐車場の屋根、ビニールハウスがあちこちで見られた。家々は雨漏りやネズミのふん尿に悩まされているのに修繕の負担がさらに増えてしまった。ある村民は「除染が終わった場所でも、山からの雪解け水で放射性物質が流れてこないか」と不安を訴えた。
伊達市の仮設住宅の女性(75)は吐き捨てるように言った。「お先真っ暗。帰村のことを考えると、精神的に参ってしまうからもう考えないようにしている」
[福島県飯舘村]
東京電力福島第一原発の北西28キロに位置する。事故前は1700世帯、6200人が居住した。2011年4月に計画的避難区域となり、12年7月に放射線量に応じて避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域に再編された。
[デスクメモ]
昨年、この調査に同行した。放射線量の経年変化から、初期被ばく量を逆算するのが調査の目的である。今中先生ら研究会に集う人たちは惑わされず、淡々と仕事をこなしていく。その姿はまるで求道者だ。記者は現場では役立たずだ。せめて貴重な仕事の断片を伝えるくらいはお手伝いさせていただきたい。(牧)
2014年3月22日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014032202000136.html
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素37掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。