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「孤育て」の限界 被曝避け移住後、戻ってくる母子も〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140318-00000010-sasahi-soci
AERA 2014年3月17日号より抜粋
子どもの被曝を少しでも避けたいと、沖縄や九州へ。遠方で暮らす福島の母たちには、3年という時間が重くのしかかる。関東から逃れて移住先を転々とした末に、戻る決断をした母もいた。
さいたま市の佐和さん(仮名、36 )は、当初1年間は、2人の娘を連れて沖縄に母子避難していた。
見知らぬ地のワンルームで、乳飲み子を含む2人を身内の援護なく育てる「孤育て」には、すぐに限界がきた。
沖縄の地元の人は親切にしてくれたが、結局、<避難者>としてしか生活できない現実に気づいた。車もなく移動する足もない。遊びに来てもらうには狭すぎる家。極端に環境が違う生活だけに、遊びに誘う側も誘われる側も気を使った。
父親が不在の分、子どもたちにはなるべく楽しい思いをと、ゴールデンウイークに連日海へ、地元の祭りへ、バスを乗り継ぎ「頑張って」連れ歩いた。その無理がたたり、母親である自分の精神も体も壊れかけた。長女も突然泣きじゃくったり、不安定になった。2012年5月末に、さいたま市に戻った。
それでも放射能の不安はぬぐえなかった。「父親が週末ごとに娘に会いに来られるぎりぎりラインで値が低めなところ」として、山梨県の甲府へ再移住した。
沖縄の反省もあり、中古車を人から譲ってもらい、人を呼べる広さの3DKのアパートを借りた。幼稚園のママ友もでき、子どもの友だちもでき、一時期は「このまま甲府に住んじゃおうかな」と思うほどだった。父親も週末ごとに顔を見せるため、娘たちも少し元気になった。
甲府で2年暮らすうちに、別の疑問もわいてきた。子どもの幼稚園には、同様に関東から避難してきた母親たちが多くいて、ある意味「濃い」つながりができていた。放射能を警戒する母親たちには、もともと自然食にこだわる人や、子どもはワイルドに、自然あふれる環境で子育てしたい、と考える人が多い。自分と考え方も似ている。けれど、あまりに似すぎて濃縮した人間関係は、果たして子どもにとって「自然」なのかと……。
そばにいつも父親の気配があって、親戚がいて、地域のいろいろな考え方の人がいて。そういう普通の暮らしが、今、目の前にいる娘たちには必要なんじゃないか。そんな考えに立ち、上の子の小学校入学を機に、この4月、埼玉に戻ると決めた。
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