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以下は (新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々 からの転載。
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フランスにいる、年上の友人からのメール 7通目をご紹介いたします。
件名:フランスの3・9集会に参加して
滋賀県でも3・9集会成功したようですね。さっそく「オオナマズの日々」で、集会の動画を拝見しました。40分あった井戸謙一弁護士の基調報告、圧巻でした。
さて、私はフランスでの3・9集会に参加しました。フランスはこのところ、春先と言う感じが連続していまして、この日も朝から好天気でした。
私たちは、午前6時15分にナシオンという場所に集合し、総勢53人でバスに乗り込みました。そのうち「よそ者ネット」と称してがんばっておられる在仏日本人が6名、それに私と(妻は娘の看病のため急遽欠席に)、日本からの留学生1人、さらに日本の大手新聞社の記者の9人でした。他は「グリーンピース」に所属する人を中心にフランス人です。
東京電力福島第1原発事故から3年を控えた9日、ドイツ・フランスの国境付近の九つの橋で、約9000人が脱原発を訴え「人間の鎖」をつくった。写真はフランス東部エルスタンのゲルストハイム橋=9日
目的地は2つあって、ストラスブルグとフッセンハイムです。
ストラスブルグにはライン川が流れていて、川の真ん中がドイツとフランスの国境になっています。第一次世界大戦、第二次世界大戦では仏独両軍が激戦を交わしたところです。このうち7つの橋でヒューマンチェーンをして、フランスとドイツの国民が共同して、反原発の意思を表明しようというものです。かつて戦いを交わした両国国民が、今は共通の目的に従って腕を組む、歴史の流れを感じるものでした。私たちは、7つの橋のうちの3番めの橋で行動しました。そこで道行く人や、自動車・自転車の運転手にビラを配り、全体が集まったところでヒューマンチェーンを組みました。見事に成功しました。そのあと風船を橋の上から放ちました。これは一旦、大気に放出された放射能は、誰も制御不能であることを示すとともに、一つひとつの風船に葉書がつけられており、落下地点で風船を拾った人は連絡してほしいと言うものでした。日本のよそ者ネットの人も、日本の現状について報告しました。フランス人は、「ヨーロッパの日本がフランスだ」(次に事故が起こるのはフランス原発だと言う意味)と述べていました。われわれの橋では500人が結集し、全体で確か7800人と発表されていたように思います(この点、少し自信がありません)。
フランス国内で稼働中の原子力発電所の中で最も古い、アルザス唯一の原子力発電所。2012年9月5日に小規模の水蒸気爆発。
その後、フッセンハイムに移動しました。ここにはフランスで一番古い原発が動いており、その稼動を止めろという意思を表明するため、各橋の上に集まった人たちが再結集したものです。われわれが行ったときには集会が始まっていました。そして福島から来た人が訴えておられました。聞けたのは最後のくだりだけですが「フッセンハイムに来るまでに、大きく豊かな農場を見てきました。原発事故は、それらを一気になくしてしまうのです。廃炉以外にそれを阻止する道はありません」という趣旨のことを述べられ、大きな拍手を受けていました。確かにフランスは農業大国で、高速道路を走れども走れども、なだらかな大農場地が限りなく続いています。
40年を超えたフッセンハイムの原子炉は、オランドの選挙政策でも「2016年廃炉」だったということです。選挙後、オランドはフッセンハイムの原子炉を視察したそうですが、労働者が「われわれの職を奪うな」と抗議の声を上げたようです。オランドに動揺的動きも見られないこともないようですが、われわれの集会はオランドが動揺せずに政策を実施せよと言うことを迫るものでもありました(一緒に参加した日本人男性の話によると、オランドは高額所得者の所得税の引き上げを公約し、実際年収100万ユーロを超える人には70%の税率をかけることにするなど一定がんばっているとのことです)。
集会は最後に、壇上に上がった10人足らずの人々が、突然、日本語で「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」と歌い出したのには驚きました。先ほどの日本人の訴えも胸に迫って思い出され、思わず涙を流しました。
バスのなかでは署名運動への協力を求められました。「グリーンピース」の方々のものですが、内容を聞くと「フランスでは今すぐに全炉を廃炉にするのは無理だが、2017年から2027年までに建設後40年をたったものは廃炉にすることを求める。こうすればフランスの80%の原子炉が廃炉になる」「さらに特に危険な4つの原発はただちに廃炉にする」ことを求めるものと言うことでした。私は一外国人ですが、多分日本の憲法のように「何人も平穏のうちに請願する権利を有する」国だから、私の署名も認めるだろうと思って署名しておきました。
ナシオンに舞い戻ったのは午前0時20分、強行軍の一日でした。
* ソースには写真は含まれていません。
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