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『電力と震災 東北「復興」電力物語』(日経BP社刊)
東京電力福島原発と東北電力女川原発の差はなぜ起きたのか?原発問題はいまこそ事業者の資質の検証を!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38544
2014年03月04日(火) 町田 徹 現代ビジネス
福島第一原発の事故以来、電力会社と原発にはすっかり悪役のイメージが定着してしまった。政府が2月25日に公表したエネルギー基本計画の目玉である「原発の再稼働」という国策の実現を阻みかねない危機的な状況と言わざるを得ないだろう。
しかし、本当にどの電力会社も、どの原発も東京電力や福島原発と同じなのか。福島原発が深刻な事故を招いたのに、震災でも安全な原発があったのは偶然なのか。
東日本大震災から3年にわたって取材を続ける中で、この疑問は、ずっと筆者を悩ませてきた。いや、筆者に限らず、東京電力、福島第一原発叩きに燃え上がったマスメディアが、検証を避けてきたテーマといってもよいだろう。
筆者の近著『電力と震災 東北「復興」電力物語』(日経BP社刊)は、その実態の解明にチャレンジしたノンフィクションだ。取材の背景と内容の一端を紹介してみたい。
■なぜ東北電力はコストを度外視して安全対策に取り組んできたのか
本書の出発点になったのは、何度か本コラムでもリポートしたファクトだ。東北電力の女川原発が、福島第一原発より震源の近くにありながら、深刻な事故を起こさなかったばかりか、3カ月あまりにわたって300人を超す周辺住民の避難所の役割を果たしたというファクトである。
筆者は、その裏に、福島第一原発と違う秘密があるはずだと考えた。そして、その理由を解き明かそうと、震災から1年を経た2012年3月、女川原発の現地取材に向かった。
技術的な意味で言えば、すぐに解明できた秘密はいくつもあった。第一に、設計段階で巨大津波を想定して女川原発の立地を高台にしたことや、2号機、3号機と増設のたびに慎重に調査を繰り返し、最新の知見を取り入れて津波対策を強化してきたことがあげられる。
第二に、中越、中越沖地震といった他の地域を襲った地震の経験を疎かにせず、想定を超える揺れに備えて6000カ所に及ぶ補強をしていたことだ。さらには、聞くだけでうんざりするほどの防災訓練を日頃から繰り返してきたことがあげられる。
だが、それらは、ひとことで言えば、「考えられる限りの対策を打っていた」と集約できるものだ。筆者は、むしろ、会社経営では無視できないはずのコストを度外視してまで、なぜ、それほど誠実に安全対策に取り組んできたのか、その背景を知りたいと感じた。
この段階で、2つの方向の取材が必要になった。
一つは、東北電力副社長で退社を余儀なくされながら、後に女川原発の立地決定に関わり、時を超えて原発事故を防ぐ功労者になった平井弥之助という人物だ。その意思決定プロセスを探るために、平井の人柄、足跡、女川原発との関わりなどを辿らなければならなかった。
もう一つは、平井の主張を積極的に採用した東北電力という会社の体質、社風、企業カルチャーを浮き彫りにする取材である。
■東京電力と対極の行動を繰り返した東北電力
いざ取材を始めると、東北電力の企業体質は次々に明らかになってきた。
この会社は、乱暴な計画停電によって首都圏のくらしと経済を混乱に突き落としながら、率先して電気料金の引き上げを行ったうえ、人類史上最悪の原子力事故を起こして国策救済を受けた東京電力とは対極の行動を繰り返していたのである。
例えば、比較的被害の少なかった新潟支店管内の営業所は、仙台地区の停電の早期解消のため、被災から1時間も経たない段階で、数百人規模の復旧支援部隊を送り出していた。そうした努力は枚挙に暇がなく、東北電力は、東京電力管内を上回る466万件もの停電に直面しながら、わずか3日間で8割を解消してみせた。
また、カネに糸目を付けず、老朽化のため廃止処分にしていた火力発電所を再稼働させたり、世界中から売却先の決まっていたガスタービン発電機(緊急電源)を買い集めたり、大手メーカーの東北地区の工場から大量に電気を買い付けるなどの努力を重ねて、ついに1度も計画停電を実施しなかった。
カネに糸目をつけないという点では、既存の火力発電所の修復も同じだった。原町発電所(同社最大の石炭火力発電所)は「再建は絶望。新たに作った方が安上がり」(経済産業省幹部)と宣告されていたにもかかわらず、最短でも8年以上の歳月が必要な新設では電力の安定供給が覚束ないと、修復の道を選んだのである。
その一方で、どんなに理不尽でも、政府の方針に口を挟むことはなかった。被災していない関西電力が供給力に不安があると主張して大飯原発の再稼働に漕ぎ着けたのに対し、被災地で電力供給が綱渡り状態の東北電力が無傷で震災を切り抜けた東通原発の再稼働を要求しなかったのだ。
結果として、東北電力の台所は火の車になった。それでも、最後まで値上げを回避しようとした。会社として、被災した人々のくらしや経済の復旧・復興の足かせになりたくなかったからだ。最終的に値上げに踏み切ったのは、大手で最後、東京電力の値上げから2年遅れてのことだった。
一連の動きは、水道、ガス、通信、鉄道などライフライン(命綱)をつかさどる公益企業の中でも、東北電力がずば抜けて強い使命感や特別な矜持をもっていることを如実に物語っていた。
■創業メンバーには「白洲次郎」の名も
こうした東北電力と東京電力の違いは、どこで生じたのだろうか。さらに取材を進めると、重要な鍵として浮かび上がってきたのが、東北電力という会社の生い立ちと創業の理念だった。
実は、この会社の源流は、戊辰戦争以来、みちのくの殖産興業を後回しにしてきた政府が、昭和のクーデター2・26事件を機に罪滅ぼしのために創設した「東北振興電力」という国策会社にある。当時の定款は、東北振興電力に、貧しい東北の振興の礎になることを義務付けていた。この会社に、東北の人々との共存共栄を最優先するよう運命づけていたのだ。
日中戦争から太平洋戦争に続く時代、経済の軍事統制によって東北振興電力はいったん消滅したものの、戦後の電力再編で東北電力と社名を変えて復活した。
この戦後の創業メンバーたちが身をもって「東北の礎」「共存共栄」を会社のDNA(遺伝子)として確立したことも見逃せない。メンバーの中には、「マッカ―サー元帥と闘った男」として知られる初代貿易庁(現経済産業省)長官の白洲次郎(会長)、東北の労働争議を鎮めた「和の経営者」内ケ崎贇五郎(社長)、そして時を超えて女川原発の事故回避の功労者となる平井弥之助(初代常務取締役建設局長兼土木部長)らがずらりと名前を連ねていた。
創業メンバーたちは、東北の戦後復興に不可欠だった水力発電所の建設用地を求めて、東京電力と法廷闘争を繰り広げた。そして、福島県民のサポートによって勝利を収めた。この過程で、「東北の礎」「共存共栄」という会社のDNAは動かし難いものになっていたのである。
詳細を記す紙幅はないが、平井弥之助が、女川原発の安全に尽力したのも、地元との共存共栄が社是の会社にとって、事故を起こして地元に迷惑をかけるということは論外の許されざる話だったからである。
そして、平井の安全思想は、脈々と現在まで受け継がれてきた。自社の営業エリアの外に、原発を取得している東京電力との安全に関する対照的なスタンスは、こうしたDNAの違いから生じたと断じてよい。
■ヒューマンファクターを無視すべきではない
話は拙著から離れるが、共同通信がこのほど、全国の原発の半径30q圏内にある156の自治体をアンケート調査したところ、原子力規制委員会の新規制基準に基づく審査にパスすれば原発再稼働を「容認する」と答えた自治体は、約2割の37団体にとどまったという。これは、政府が先月25日に公表したエネルギー基本計画で満を持して打ち出した「原発再稼働」という国策の実現を危うくする状況と言わざるを得ない。
筆者は原発即時ゼロ論者ではない。が、30q圏内の住民の避難計画の策定が義務付けられていないことや、いざ原子力事故が起きた場合の損害賠償の枠組みの不備が改善されていないこと、原発依存度引き下げの明確なめどがないこと、そして廃炉と使用済み核燃料の処分の道筋がついていないことなど、必要な措置で手当てされていないものは多い。
これでは、多くの自治体や人々が、原発再稼働を時期尚早と考えるのは無理からぬことである。
話を戻すと、拙著では、自動車の運転免許には実技や健康チエックがあり運転者の資質が問われるように、原発を運転させるなら、電力会社の資質を個別に検証すべきだと問題を提起した。筆者は、ある全国紙の論説委員に「業界トップ(東電)があれなのだから、2位以下は推して知るべし。杜撰に決まっている」と言われた経験がある。
そうしたステレオタイプの決め付けは無責任かつ危険である。きちんとした取材に基づいていないのならば、ジャーナリストにあるまじき偏見だ。
通常、行政は、ヒューマンファクターに関する審査を、その難しさを理由に避けたがる傾向が強い。代わりに、原子力規制委員会の新規制基準のような数量的な基準に依存したがるのだ。
しかし、今回のように、同じ震災に遭遇しながら、大事故を起こした原発と、被災者の避難所になった原発に明暗が大きく分かれたのだから、これ以上、事業者のヒューマンファクターを無視し続けるべきではないだろう。拙著はその検証の一助になると信じている。
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