http://www.asyura2.com/14/genpatu36/msg/544.html
Tweet |
イチエフの中央制御室公開でわかったTEPCOに毒されるマスコミ
http://www.imanishinoriyuki.jp/archives/37361080.html
2014年02月28日 今西憲之 商売繁盛で笹もってこい!
まいど、いまにしです。
2月26日にTEPCOは事故った、イチエフの中央制御室を公開。
http://www.47news.jp/47topics/e/250755.php
あちこちで、そのニュースが流れてる。
読売新聞はこない伝えている。
<事故直後には約20人の作業員がここに詰め、原子炉への注水を試みるなど
事故対応の最前線となった>
<津波で電源を失った状況を再現するため、東電の担当者が室内の明かりを消した。
真っ暗で距離の感覚がつかめず、隣の記者とぶつかった。計器が並ぶ制御盤を懐中電灯で照らすと、
「21時40分 プラス50センチ」という内容の文字が浮かび上がる。
刻々と変化する原子炉の水位を、作業員が計器の横に書き殴った跡だ。
緊迫した状況の中で、必死に対応した当直員たちの様子を今に伝えていた>
いかに、TEPCOがよう頑張ったかといわんばかりの記事。
テレビ朝日のニュースでは、
<事故があったと信じられんほど中央制御室はきれい>
そんなもんマスコミ来るから、きれいにしてみせてるねんって。それが原子力ムラやがな。
事実、2011年3月に事故って、3か月ほどしたとき。当時、与党だった民主党の衆院議員が
収束の前線、Jヴィレッジにやってきた。
その数日前まで、ホテル棟はロビーに段ボールを敷き詰め、大勢の作業員が寝ていた。
まさに、戦場。
それが、民主党議員が来る数日前から片付けられ、ピッカピカ。
ある作業員は言うとる。
「イチエフにマスコミや政府のえらいひと、来ないでほしい。その1週間ほど前から、掃除ばかっりやらされる」
そして、国営、NHKの夜9時からニュースでは、事故当時いた
TEPCOの社員のコメントとして、キャスターが
「あと20年が原発はつかえた」
「津波でこんなことになって、悔しい」
ととんでもない話し、紹介している。
事故は津波のせいで、TEPCOは悪くないという宣伝に使われとるがな。
原発が古すぎ、耐えれなかったとイチエフのえらいひと、わしにいうとる。
それは、最高幹部の独白 でわしは書いた。
そないにまで、TEPCOに恩を売って、宣伝したいんか?
原子力ムラに、媚び売りたいんか?
TEPCOの言いなり報道せんと、ちょっとは、原発被災者の目線で
報じてみろよ。
聞いてみたら、あんたらの報道の仕方にめちゃ、怒ってるで。
そういえば、テレビ朝日のニュースでも
「事故当時の停電時再現。掌も見えない暗さ。TEPCOはようやった」
と持ち上げるように、いうとる。
もう完全にTEPCOの描いたストーリ通り、乗っかてるやんか。
こうして、マスコミは原子力ムラの手に落ちてゆくんやな。
◇
暗闇の中央制御室再現 東電、事故3年で公開 / 制御盤に残る苦闘の跡
http://www.47news.jp/47topics/e/250755.php
福島第1原発事故発生時の最前線となった1、2号機の中央制御室=26日、福島県大熊町(代表撮影)
東京電力は26日、福島第1原発事故から間もなく3年を迎えるのを前に、事故発生当時の事故対応の最前線となった1、2号機の中央制御室を報道機関に公開した。この日の公開では制御室内の照明を落とし、全電源を喪失した当時の状況を再現した。
制御室は原子炉やタービンなどの運転をコントロールする部屋。1、2号機の原子炉建屋の間の建物内にあり、一つの制御室で両方の原子炉を監視、制御する。現在は無人で、原子炉への注水の管理や、温度の監視は免震重要棟で行っている。
1、2号機は2011年3月11日の東日本大震災の津波で全ての電源を失い、制御室での機器操作や監視ができなくなった上、照明も落ちた。事故の進展に伴い室内の放射線量が上昇し、運転員たちは全面マスクを着用。格納容器から蒸気を放出するベントなどの作業に当たった。
公開された制御室内は、事故当時に使ったホワイトボードや机、散乱していたメモなどが片付けられ閑散としていた。1号機の制御盤にある原子炉水位計の横には、運転員が当時、水位と時間を書き取った痕跡が残っていた。
制御室には窓がなく、当時を再現するため天井の照明が消されると真っ暗になった。東電の担当者がペンライトで制御盤を照らし、直径30センチほどの範囲がようやく読み取れる状況だった。事故発生翌日の未明には室内で毎時千マイクロシーベルトほどの放射線量が計測されたが、26日の公開時は最高で毎時9マイクロシーベルトだった。
東電は、5号機原子炉建屋地下の圧力抑制室周辺や、地上タンクの建設現場なども公開した。
公開後、第1原発の 小野明 (おの・あきら) 所長は、タンクの高濃度汚染水漏れや、4号機使用済み核燃料プールの冷却停止など相次ぐトラブルについて謝罪し「事前の準備が十分できていなかった。しっかりやりたい」と述べた。
■制御盤に残る苦闘の跡 最前線だった中央制御室
福島第1原発1、2号機の中央制御室。制御盤には事故当時の原子炉水位と時間が手書きで記されていた(左)=26日、福島県大熊町(代表撮影)
東京電力福島第1原発1、2号機の中央制御室は3年前、全電源喪失と炉心溶融による放射線量上昇の中、運転員たちが必死に対応した“最前線”だった。1号機の制御盤には、刻々と変わる原子炉水位を運転員が水位計の脇に直接書き込んでいった痕跡が残り、当時の苦闘を物語っていた。
制御室に向かうための入り口となるサービス建屋1階を入ると、事故後に敷設されたケーブルやがれきが目に入った。サービス建屋1階は海抜10メートルで津波に直撃された場所だ。
ケーブルをまたぎながら2階に上がり、狭い廊下を抜けると教室2〜3個分ほどの広さの1、2号機制御室に出た。
「16時50分マイナス120センチ」「16時55分マイナス130センチ」。1号機の制御盤には事故直後、かろうじて読み取れた原子炉水位計の数値を記録しようと、運転員が制御盤に直に書き込んだ生々しい跡が残る。
当直責任者の座っていた席は残っており、免震重要棟の対策本部とやりとりしたホットライン(専用電話)が今も卓上にあった。
2011年3月11日の地震発生時、1、2号機の制御室には当直の運転員14人がおり、原子炉スクラム(緊急停止)の確認や非常用冷却装置の操作をした。応援の運転員も含め、多い時は数十人が詰めた。
津波でタービン建屋地下の非常用ディーゼル発電機が浸水し、1、2号機は電源を喪失。制御室内は非常灯を残して照明や計器の表示が消え、原子炉水位や圧力、冷却装置の運転状況も不明となった。
計器を生かすため、免震重要棟にいた作業員たちが発電所内の車のバッテリーをかき集め、制御室に持ち込んだ。作業員たちは小型発電機でつけた蛍光灯の明かりで図面を確認し、制御盤裏側の狭いスペースで計器の端子に直接バッテリーをつないでいった。
12日未明には1号機格納容器の圧力が上昇、原子炉建屋に隣接する制御室は放射線量が急激に上がった。運転員たちは線量が比較的低い2号機側に身を寄せ、過剰な被ばくを避けた。
1号機格納容器の損傷を防ぐため、蒸気を放出するベント作業に向かったのもこの部屋からだ。空気ボンベを背負った作業員は2人一組で原子炉建屋に突入していった。
現在、1号機の原子炉建屋爆発で壊れた天井パネルは外され、床や机は汚染防止のシートで覆われていた。
2014/02/27 12:01
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素36掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。