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「そこに還れ」−被曝させようとする人々の論理
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2014.02.17 カレイドスコープ
この記事はメルマガ対象ですが、人の命・健康(放射能、地震、食品、その他いろいろ)に関することは、すべて無料公開を原則にしていますので、全面公開いたします。
メルマガをご購読のみなさんのご理解をいただきたいと思います。
なお、この記事を書くに当たっては、「放射線はなぜわかりにくいのか―放射線の健康への影響、わかっていること、わからないこと」(名取春彦 著)を参考にさせていただきました。
この本は放射線を中立の立場で捉えている非常に優れた良書ですが、ある程度、放射線についての予備知識がないと、やや難しい本です。書評は別の機会に記事にしたいと思います。(それだけ価値のある本)
「そこに還れ」−被曝させようとする人々の論理
2011年5月11日、神奈川県足柄市で収穫された「足柄茶」の一番茶(生葉)から、国の暫定規制値の500ベクレル/kgを超える放射性セシウムが検出されました。
その値は、550〜570/kgベクレルでした。
県はただちに、他の生産者に対して出荷自粛を促し、すでに市場に出回っている分については自主回収を要請しました。このときの神奈川県の対応は素早いものでした。
これは茶葉農家が自主的に検査したことによって分かったことで、そうでなければ、多くの人たちがさらに不要な内部被曝をしてしまったでしょう。
「規制値以下で人体にとって安全である」という考え方は、そもそもが人道的ではありません。
このマヤカシを誰でも知っているはずなのに、食品の安全性を論じるときは、そうではないのです。
だから、人体への外部被曝に関しても、平常時は1mSvまでと決められているのに、非常時は20ミリシーベルトが妥当と平気で言えるのです。
そもそも放射能にとっては、平常時も非常時も関係がないのです。強いか弱いか、多いか少ないかの違いだけ。
つまり、世界で採用されているICRPのリスクモデルは、人間がガンや白血病になるかどうかなど無視しているのです。
本来が、つじつま合わせのために、マヤカシの数字を寄せ集めているだけの、何の意味もないガラクタなのです。
外部被曝が年間で100mSvまでなら健康にさしたる影響がないし、ガンや白血病を発症するリスクもほとんどないと言い切る専門家がいます。
それに対して、「少しの放射線被曝でも危険だ」という人がいます。
いわゆる「直線しきい値なしの仮説」、LNT仮説(下)を採用しているかいないのかの違いが鮮明に出ていると言えるでしょう。
ICRPの防護体系は、このLNT仮説に依拠しています。
しかし、もともとLNT仮説に科学的根拠があるなどと、ICRP自身も言っていませんし、それははっきり言明しています。
だから、LNT仮説を引用してICRPリスクモデルの正当性を言っている人は初歩的なトリックを使っているに過ぎないのです。
むしろ、それをやるごとにLNT仮説が政治的背景から出てきたものであることが露呈されてしまって、ICRPが幻想の上に築いてきた信頼性が揺るがされることになるのです。
一方で、「しきい値あり仮説」を唱える人たちは、まるでシャッターを下ろすように100mSv以下では放射線の影響はない、と考えています。
そのうちの一人は、3.11直後、原子力推進の立場を取っているテレビ局のワイドショーに連日、出演して「ホウレンソウなど、どんどん食べてください」と視聴者を安心させて大勢の国民を内部被曝させた学者です。
その近畿大学教授(放射線生物学)は、さらに、生放送中、こう繰り返したのです。
「100ミリシーベルト以下では健康に重大な被害を及ぼさない」と。
しかし、その教授は、「暫定基準値とは何か」という他のコメンテーターの問いに、「私もよくわからない」と自分で安全だと力説しておきながら堂々と答えています。
彼は「暫定基準値が、どのような基準で決められたか」知らなかったのです。
また、その教授は「ICRPが、そう言っているから」と、行き詰ると今度はICRPのリスクモデルを引き合いに出して解説するも、ICRPは100mSvのしきい値を設けていないことさえ知らないことが分かってしまったのです。
このように、ICRPの放射線防護の理念を盲信している政府の、科学的とはおよそかけ離れた見解を広め、「学者先生」という肩書を使ってさらに補強してこそ原子力村では出世できるのです。
足柄市の茶葉の問題も、実はここに本質があるのです。
「500ベクレルを超えていたから、黙っていたら罪になるかも知れない」ので、自主的に世間に公表したのです。
確かに、この生産者は、それでも勇気がありました。
では、今の100ベクレルの現行の基準値の下ではどうでしょう。
仮に110ベクレルが生の茶葉か検出された場合でも、この足柄の真面目で勇気ある生産者は同じことをするでしょう。
しかし、以前は500ベクレルだったのです。
そのとき、当然ながら、この生産者は届け出なかったでしょう。
日本の食を預かる生産者としての矜持は、この数字のトリックによって剥奪されているといってもいいでょう。
その他、「ホルミシス仮説」では、適度の放射線はむしろ人間の健康には有益である、とさえ言いきっています。
また、「超線形仮説」では、ICRPが採用している「直線しきい値なしの仮説」=LNT仮説よりも、さらに放射線の影響は重大で、低線量の被曝の危険性をクローズアップしています。
それぞれが、すべて「仮説」なのです。
では、こうしたさまざまな仮説が生まれる背景は何でしょう。
「超線形仮説」は、どうであれ用心深い人。一般的には、人の健康と生命を第一に考える人といえましょう。
「ホルミシス仮説」の場合は、よく放射線に関係するビジネスを展開しようとしている人に採用されます。これは一面だけを取り上げていることは否めませんが、事実です。
つまり、そのときどきの本人たちの利害や「ご都合主義」によって、さまざまなリスクモデルが採用されているのが現状です。
それを決めているのは人間です。科学ではありません。
それは何のために…究極にまで遡っていくと「金のため」という結論に突き当たるのです。
足柄の生産者は人道的立場からものを言うし、近畿大学の「ほうれんそう食べろ」の学者は、経済的立場からものを言っているし、そして、マスメディアから、 それらの情報を受け取っている消費者である私たちは、憲法で保証されている「健康的な暮らしを送る権利」という観点から言っているのです。
最初から、人の命と経済を天秤にかけて話している御用学者と、同じステージで放射能を論じること自体が間違いなのです。
にも関わらず、トークバラエティー番組は、玉石混交の議論をさせています。
司会者は、締めにこう言います。
「どこまでいっても結論は出ないようです」。
だから、結局、その司会者は、こう言っているのです。
「仕方がないから我慢して被曝しろ」。
「被曝させられる対価」を受け取るのは誰か
日本人の自然放射線の被曝量は、世界に比べて低いと言われています。
確かに自然放射線からの被曝量だけなら年間で1.5mSv前後です。
しかし、レントゲン検査やCT検査などから受ける医療被曝の平均2.3mSvを加えると、日本人の平均被曝量は3.8mSvとなり、高いと言われている世界平均の2.8mSvより多くなるのです。
日本の医療被曝は、海外に比べて並外れて高いのです。
海外の専門家たちは、日本の医療被曝の実態について、発ガンのリスクが高まると警告までしているのです。
しかし、マスコミも含め、専門医は何も言いません。
日本の病院の診療報酬制度が、「出来高払い」によってが成り立っている以上、検査漬け、薬漬けの悪弊はなかなか退治できそうもありません。
だから、現場で医療に当たっている放射線医師でさえも、このことからどうしても遠ざかってしまいます。
自分が妊娠していることを知らずにX線を使ったガン検診を受けた女性に対して、医師はこう言います。
「心配ないですよ」。
「必要以上に心配すると、それがストレスとなってかえって良くない」という方便を自分たちの免罪符代わりに使っているのです。
しかし、その同じ医師が、家族や友人には「あそこの米は放射能汚染されているのだから、買うな、食べるな」と言います。
いったい、この医師は分裂症なのでしょうか
この医師は分裂症ではありません。
「ある基準」に沿えば、両方とも正しいことを言っているのです。
つまり、「受益者が別人である」ということです。
この場合、「受益者」とは、自分が妊娠していることを知らなかった女性です。
この女性の場合は、日本の医療(インフォームド・コンセントがいきわたらない)では不可抗力ということになるのでしょうけれど、将来の先天性異常児を産む確率を多少高くしても、ガンの早期発見という利益を優先したのです。(知らずにさせられたとも言えるが)
彼女が引き受けたリスク、そして受けた受益は天秤計りで比較することはできません。
それを金(経済合理性)で換算しようというのがICRPのリスクモデルの基本的な考え方です。だから、矛盾が噴出するだけでなく、いつまで経っても平行線のままなのです。
原子力推進側は、それを狙っていると言ってもいいでしょう。「ファジーなままにしておけ」と。
実験原子炉で働く研究者は、毎日、微量とはいえ被曝しています。
彼らは放射線の専門家ですから、許容されている被曝上限値を超えてしまいそうになれば、実験場に入るのを控えることが自由意思によってできる人たちです。
彼らの年俸を決める物差しのひとつが、年間被曝量です。
この場合も、被曝の受益者は研究者本人ですから、誰も文句は言わないでしょう。
しかし、原発事故が起きたときに、毎時数百マイクロシーベルトという致死的な高線量下で作業しなければならない原発作業員は、そうではありません。彼らは、被曝線量に見合う報酬どころか、まともな健康管理体制の下にさえ置かれていないからです。
そして、法定被曝上限値に達したところで、仕事を失うのです。
さらに、彼らには実験原子炉の研究者のように、自分で被曝量をコントロールすることが許されていません。
「被曝損の病気儲け」です。
ここにICRPの「現代における奴隷制度」を見ることができるのです。
では、彼らが本来受け取るはずである利益は、誰の手に「移動」していったのでしょう。
放射能を論じる時には、「損害を受ける人」と「利益を受ける人」が同一であるかどうかを考えれば簡単に整理整頓ができるのです。
民主党政権の時、高木文科大臣が、福島の児童に年間20mSvなど絶対に許されないという国際世論の猛攻撃にあって、「可能な限り1mSvに下げる努力をする」と言いました。
彼は、リップサービスだけを残して日本の原子力行政のトップの座から降りていきました。
年間20mSvがいかに非人道的で許されない残虐な行為であるかを訴えたのは、東京大学大学院教授の小佐古敏荘元内閣参与でした。
「この数値(校庭利用基準の年間20ミリシーベルト)を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・・・私は受け入れることができません」と涙ながらに怒りを込めて記者会見で語ったのです。
原子力行政の重鎮であり、推進派として知られていた小佐古敏荘氏をして、「ICRPの防護基準には科学的根拠はない。これは政治的判断に過ぎない」と言わしめたです。
つまり、原発推進派の学者でさえ、ICRPのリスクモデルは虚構であり、人の命を金で買う、という発想から出てきているものであることを公の場で訴えたのです。
ICRPの「人々を被曝させる行為の正当化」と「防護の最適化」とは、「被曝環境に置いている人々を、過大な経済的損失無しに取り扱う」ことを前提としているのです。
そこには、人を安全な場所に移すことより、「経済的なダメージを伴わない程度に、ほどほどに放射線防護対策を講じること」を優先しますよ、という本音が隠れているのです。
つまり、「騒ぎ出さないように、ほどほどに」ということです。
民主党の岡田克也議員は、2011年12月29日、文化放送「くにまるジャパン」の生放送に出演して、このように語っています。
「福島に私も何回も足を運んでますが、そこで一番こたえるのは、あの小さな赤ちゃんを抱えたお母さんやお父さんが『子供たちは本当に大丈夫ですか』と、これ一番こたえますよね。
やはり東京に戻ってからもズ―ンとそのことは響いてますから、何とかしたいと思うのは当然なんですね。
その為に今政府も全力で対応しています。簡単じゃありませんが、しっかりと。
そのために相当の時間とお金はかかりますが、そのことは誠意を持ってやっている、というふうに思います」。
彼もまた、高木文科大臣と同じく、リップサービスを残したまま去っていきました。
ICRPとは、機関の体裁を持っていないただの民間の委員会に過ぎない
福島の現状は、今も改善されていません。
つまり、「お金と人の命が秤にかけられたままである」ということです。
なんとしてでも福島に帰還させたい、あるいは住まわせたいと思っている専門家は、そこでICRP111を持ち出してきて、説得を始めました。
しかし、ICRP自身が「人の命ではなく経済性をより重要に考える」と国際的に公言しているのですから、こうしたことをやればやるほど、彼らが「福島の人々の健康や命をモノとして扱っている人々である」ことを自ら証明していることになるのです。
すでに福島では甲状腺ガンの疑いのある人が74人になりました。
まだ、3.11から3年も経っていません。
国や自治体がいくら正確な情報を出し渋っても、これから甲状腺ガンだけでなく、白血病を発症する人たちが有意の差で出てくることは間違いないでしょう。チェルノブリでは、こうした症状を訴える人が事故から4〜5年経ってから爆発的に増えたことは世界周知なのですから。
それでも、原子力マネーで飯を食っている御用学者たちは、こういうのです。
「そんなこと言うなら、ICRPに言いつけてやるんだい!」。
最近、出てきたのが御用学者を地を這うようにして支援している「御用市民」です。
彼らには放射線に関する知識はありません。それどころか、反原発を攻撃することに生きがいを感じているような人々です。
しかし、御用市民の「受益」は、御用学者と違って、何もありません。ゼロなのです。
5年後、いや早ければ2年後には、彼らの社会的評価は180度変わっているでしょう。
彼らは、ICRPという組織が何かを知りません。
ICRPの実態とは、機関というより国際委員会というほうが正しいのです。
専門の研究所を持ているわけでもなく、専任の研究員がいるわけでもないのです。一つの委員会と5つの専門委員会で構成されているに過ぎないのです。
運営費については、利益相反の原子力関係団体、関連学術団体などから寄せられる寄付金を原資にしています。
純然たる「委員会」に過ぎないのです。
政府系でもなく、ただの民間団体であるICRPのモデルが世界各国の放射防護体系を形作っているのは、原子力を導入している国が人道主義を優先してしまえば、原発など導入できなくなることを知っているからです。
だから、ICRPの「行為の正当化」とは、「多少は被曝しても原子力のためなら我慢しろ」と言っているのです。
最後に、この答えが出ました。
彼らが本来受け取るはずである受益は、誰の手に「移動」していったのでしょう。
放射能事故の被災者にさらに被曝の上塗りをさせても、原子力を推進することから利益を得ることができる人々に「移動」していくのです。
彼らもまた、ICRPのマインド・コントロールにかけられた犠牲者であると言えるでしょう。
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