19. 母系社会 2015年1月15日 06:27:32
: Xfgr7Fh//h.LU
: lf2RmqOA66
●今回の事件の背景には、明らかにイスラエル建国等で、欧米諸国がイスラム 世界を蹂躙してきた歴史の問題や、現在もフランスがイスラム国を爆撃したり、 マリに派兵して、イスラム教徒と戦闘している問題があり、こうした背景を無視 して、「表現の自由」という政治的理念と、イスラム原理主義教徒の宗教的理念(教義)との理念的対立の問題と捉えるのは、誤りである。これは、仮に欧米諸国とイスラム世界とが非常に友好的な関係だったとしたら、 イスラム世界やパリの現地で、この週刊紙を批判する大規模デモぐらいは起きた としても、このような襲撃事件などは起きなかった可能性が高いからである。 とは言え、この問題には、「表現の自由」という政治的理念と、現在のイスラム 教の宗教的理念(教義)との対立の問題という側面もあるので、欧米社会では、 イスラム世界への欧米の干渉問題を無視し、この理念上の対立の問題として、 事態を矮小化する世論誘導が行われている。 ●しかし、このような絶対的に正しいとされる理念同士の対立の場合は、自派の 主張が正しいとする根拠を主張しても、かつて、天動説論者が地動説論者を批判 した時のように、論理的には循環論法的、同義反復的に、自説が正しいという 前提で相手が間違いと述べているに過ぎないから、このような批判の仕方では、 イスラム教徒以外の賛同は得られても、肝心のイスラム教徒を説得する力が無く、 賛同は得られないので無効である。 つまり、このような理念的な対立は、パラダイム同士の対立と同じなので、自説 を主張するのではなく、相手が正しいと認める論理を使って、相手の主張には 矛盾がある等の指摘をすることで、相手側の主張を自滅に追い込むことでしか、 説得する方法は無い。 今回の場合なら、イスラム教の第一聖典である「クルアーン」(コーラン)や、 第二聖典「ハディース」(ムハンマドの言行録)に書かれている記述内容を精査 することで、「クルアーン」や「ハディース」の記述自体で、何とか「表現の自由」 を正当化する論理を見つけ出すしかないのである。 もちろん、これらは1000年以上も前に記述されたものなので、「表現の自由」 という理念自体がストレートに書かれている可能性は無い。だから、間接的にで あれ、この「表現の自由」を正当化する論理を見つけることでしか説得できない。 (地動説論者が天動説論者を批判する場合は、天動説自体に矛盾を探し出して、 指摘するしかない。太陽が東から上がり西に沈むことなどを指摘しても、この 観測的事実は、天動説論者にとっては天動説を実証する観測的事実でもあるので 無効。 誰もが真だと認めざるを得ない観測的事実や実験的事実もあるが、観測とか再現 実験での実証も万能ではない。なぜなら、そもそも観測や実験での証明は、 帰納法的証明だからである。また、認定=認識には必ず<解釈>という次元が あるのでパラダイムが異なる人々の場合には、同じ「事象」でも、<解釈>の 違いが生じる場合がある。 つまり、観測や実験の結果についての意見が一致するとは限らないから。ある 集団が、一致して観測や実験で実証されたと認定する場合は、その集団の パラダイムが一致しているからである。 また、地動説論者が天動説自体の矛盾を指摘して、天動説論者が納得しても、 天動説が自滅しただけであり、地動説が論証されたことにはならない。単に、 片方の理論が破綻して消滅した結果、地動説だけが残存しただけなので。) ★欧米諸国は、イスラム教徒の足を踏みつけながら、偉そうに「表現の自由」 とやらを説教しようとしているのである。(日本と同様に、欧米のマスゴミも 支配層にコントロールされているので、欧米の「表現の自由」も形式だけ) 欧米諸国が自説を聞いてもらいたいなら、まずは、イスラム教徒を踏みつけて いる足をどかさなければならない。 循環論法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%AB%96%E6%B3%95
|