20. 2015年1月09日 22:20:10
: xi8U0YAD76
イスラムとは何か?イスラムとの接点が少ない日本社会では、例えば「イスラム国はなぜあのように残虐なのか?」といったことが分かりづらいようだ。 日本では、そもそも日本人イスラム教徒の数が少ないし、イスラムについて論ずるイスラム学者や中東学者の数も少ない。その少ない発信者がそれぞれ自分流の解釈を主張し、狭い言論空間で論戦しているのが現状である。 イスラムについての考えは、専門家といえども自分流の解釈なのだなということをいたく実感した次第だが、それは例えば、昨今の飲食業界の流行語でいえば、まさに「俺のイスラム」が林立した状態のようでもある。 そこでここでは、私論を提示しておきたい。私の立場は、紛争地取材の中で現地でイスラムに出会い、個人的にイスラム社会と関係を持ち、テロリズム研究の中でイスラム社会について考察してきた。 宗教学とは一線を画し、一歩引いた、どちらかというと社会学的な視点であり、むろん立場によっては異論・反論もあるだろう。しかし、日本の中東学の界隈がこの問題を無難にスルーしているように感じるので、あえてここに私流の「俺のイスラム」を記しておきたいと思う。 まず、イスラム社会について論じる前に、大前提として指摘しておきたいのは、イスラムに限らず、宗教とは本来、社会的にはラジカルなものだということだ。 およそ宗教である以上、その教義は下界のどんなルールよりも、信者にとっては優先されるのが、筋である。なにせ神や仏といった現世を超越した絶対的存在を信仰するなら、その教えは絶対的なものであるのが当然だ。信仰心は個人的なものであり、他人が同じでなくても構わないというのは、人間社会の智恵としては重要だが、突き詰めれば欺瞞である。具体的に個別に書くと各方面から怒りの声が殺到しそうなので、ここでは言及を避けるが、宗教を信じるということは、自分の宗教が唯一正しいということになるわけなので、他の宗教は否定するのがむしろ論理的である。 イスラムに関しても同様で、本来、信者であれば誰しも、イスラムだけが正しいと内心では思っている。信者でない人というのは、真実を知らない可哀想な人たちということになる。 そこでイスラムとは何かといえば、それは基本的には至ってシンプルである。アッラー(神)を唯一神だと信じること。預言者ムハンマドは神の使いであると信じること。この2点だ。 「アッラーの他に神はなし。ムハンマドは神の使徒である」 この一節を唱えることをシャハーダ(信仰告白)というが、それを行うことによって、現世の人間は誰でもイスラム教徒、すなわちイスラム共同体(ウンマ)の一員となることができる。 その教えの中身といえば、何といっても神の言葉に従うことに尽きる。神の言葉をムハンマドが預かり、彼が話した神の言葉が後に書き残されたものが、聖典「コーラン」だ。したがって、コーランは神の言葉そのもであり、それがイスラムではもちろん絶対視されている。 また、その他にも、ムハンマドの生前の言行も、神の預言者の言行ということで絶対視される。ムハンマドの言行はスンナと呼ばれ、コーランと並んでイスラム法(シャリーア)の絶対的な法源とされる。スンナは文章化されていないものだが、それを書き記したものをハディースという。ただし、確実に文章化されたコーランと違い、後の伝聞であることから確実に文章として規定されなかったスンナやハディースに関しては、宗派やイスラム学派によって微妙な違いがあることもある。 イスラム法の起源としては、それ以外にもいくつかあるが、優先順位としては圧倒的にコーランが第一であり、続いてスンナが重視される。いずれにせよ、コーランやスンナは絶対的なものであるから、社会はそれらに基づくイスラム法によって統治されるべきというのが、本来のイスラム社会の姿である。 ただし、コーランやスンナは、人間社会の全てに関して規定しているわけではない。そこで重要になるのが「解釈」だ。例えばイスラム教徒やアラブ研究者以外でコーランを最後まで読んだ人は少ないと思うが、コーランの中身は、今でいう刑法や民法のような社会のルールを規定した文章と、極めて宗教的な文章とが混在している。しかも、その文言は微妙に曖昧で、かなり難解なものだ。 イスラムにおいては、コーランは神の言葉を預かったものだから、信者が個人的に恣意的に解釈はできない。しかし、難解で曖昧であるからこそ解釈は必要で、そこを深い宗教的知識を持ち、イスラムの教義に習熟した高位のイスラム法学者が担っている。 ここで留意すべきは、イスラムが誕生したのは、7世紀のアラビア半島であるということだ、。コーランもスンナも当時のアラビア半島の社会を背景に誕生したものであり、その教えは現代の人間社会を全て具体的にカバーしたものではない。したがって、ここでもやはりその後の時代に対応した解釈が必要になる。人間社会の全てのことが具体的に言及されているわけではないが、コーランのこの言葉は、「こういうことを意味している」と読み解くわけだ。 コーランの解釈は、なかなか難しいもので、人間が行う以上、やはりそこに差は生じる。こうした解釈の違い、あるいはムハンマドの後継者の系譜などをめぐってイスラム社会は内部抗争を繰り返しており、それが同じイスラム社会の中の宗派対立に繋がっている。 解釈をめぐる議論は昔からいくつもある。例えば、「イスラムは寛容か否か」という問題などは、昔から最も議論されてきたテーマの1つだ。 例えばコーランでは、イスラム教以外の宗教を信じることも認められている。しかし、無神論者や異教徒に対しては、差別的で抑圧的・攻撃的な言い回しもある。ただし、それが嫌なら、誰でもイスラム教徒に改宗できる自由が保証されている。 イスラムは7世紀に誕生したと前述したが、当時のアラビア半島は多神教が主流の闘争社会だった。そんな中、イスラムは後発の宗教で、闘争社会で戦う軍団の支柱だった。ムハンマドは共同体のリーダーであり、かつイスラム軍団の司令官でもあった。 また、当時のアラビア半島は、人権意識ももちろん現代社会のレベルと同じではなかった。現代社会に比べれば、これは当たり前のことだが、イスラム社会は当時の他の社会と同じ程度に、厳しいものだった。 現代の世界で、イスラム過激派と分類される勢力の主流派は、この7世紀の初期イスラムを規範とすべしという考えである。いわゆるイスラム回帰主義、もしくはイスラム復興主義(サラフィー)である。 サラフィーの中で、コーランの一部にある異教徒への攻撃的な文言を重視し、初期イスラムの戦闘集団的な性質を模倣するのが、イスラム国をはじめとする過激派だ。彼らは、彼ら独自の解釈による正しきイスラム共同体の実現のために戦うことをジハードと考え、行動する。ちなみに、ジハードの本来の意味は「正しいイスラムのために努力すること」である。 もっとも、こうした戦闘的な姿勢では、その後の時代にそぐわないことも出てくる。そこで、後世のイスラム法学者たちは、平和な世とするために、解釈によって正しい人の道を示すものとしてきた。実際、例えばコーランにもスンナにも、無実の人間を殺していいというような教えはない。こうしてそれぞれの時代に合うように解釈の努力を続けてきたことは、私なりの「俺のイスラム」で言わせてもらえば、人間の大いなる智恵だったと思う。 そして、現在の世界で現実社会を生きるイスラム教徒の大多数は、イスラムの教えが、異教徒や自分たちが異端とする人々を随意に殺してもいいとしているとは考えていない。彼らは、サラフィー・ジハード主義の過激派のことを、正統なイスラム解釈を逸脱した者たちと認識している。 例えば、2014年9月19日に、イスラム国に反対する世界中の高位イスラム法学者が連名で、イスラム国の最高指導者であるアブバクル・バグダディに公開書簡を出したが、そこでは次のような文言がある。 「コーランやハディースがその問題に関して教えることの全体を見ずに、判断を引き出すために、コーランの一節、あるいはその中の一文だけを引用してはならない」 つまり、イスラム法学者たちはコーランの一部に攻撃的な文言があることを認めているわけだが、そこだけを都合よく引用するのではなく、コーランやハディースの全体を通じて解釈し、残虐な行為をやめよということである。 このように、現代のイスラム社会というものは、一言で割り切れない曖昧さの上に成り立っている。「イスラムは危険な宗教だ」と決め付けるのは論外だが、かといって「イスラムは平和な宗教だ」と単純に言い切れない部分もまた、現実にある。 実際、イスラム社会の人々には、サラフィー的な感覚に共感する人は珍しくない。ただ、そこから飛躍して、殺人やり放題のような考えには、もちろんほとんどの人が反対している。 しかし、そうした曖昧さから、過激派の主張はいくらかの求心力を維持するだろうし、イスラム国に参加するような過激な若者も、多数派ではないものの、これからも生まれてくるだろう。しかも、イラクでは残虐なシーア派政権と、シリアではアサド独裁政権と戦うという大義もある。 それだけではない。現在のイスラム社会全体に、やはりライバル宗教であるキリスト教が主流の欧米社会から「支配されている」という実感もある。また、国や地方によっては、イスラム社会内部にはいまだ前近代的な闘争社会的な要素も残されており、その対立軸は往々にして宗派間の反目となっている。このように、宗教的な背景を下地に、社会的な要素が加わることで、過激派の予備軍は誕生していくように思う。 イスラム国は、シリアやイラクの混乱に乗じて勢力を拡大した、そうした少数の過激派の受け皿となっている。彼らは独自の解釈により、自分たちこそ正統派のイスラム教徒であり、神の教えを忠実に実行していると認識している。そして、絶対的な存在である自分たちが異端者と見なす者たちの生殺与奪の権が与えられていると考えているのだ。 アラブ社会には、かつてのイラクのサダム・フセイン政権や、現在のシリアのアサド政権のように、自分たちに逆らう者は皆殺しにしてしまう残虐な独裁政権が珍しくない。彼らは「殺さなければ、いつ自分たちが殺されるかもしれない」との猜疑心からそうした暴虐を行うが、自分たちが悪事をしているという意識が心の奥にあるから、悪事は隠そうとする。 しかし、イスラム国の戦闘員にはそうした意識は全くない。彼らの残虐行為は必ずしも宗教的な動機に限らず、実際には戦闘員個人の勇猛さのアピールや、復讐心や、単なる欲望の発露や、あるいは単なる群集心理などであることも少なくないと思われるが、自分たちは絶対的な存在だという理屈から、逃げも隠れもせず堂々と大量処刑し、女性を凌辱したり奴隷として売り飛ばしたりする。むしろそれらを誇示すらしているのだ。 イスラム国の指導部はこうした兵士たちの熱狂を、自分たちの軍団の戦闘力に利用すると同時に、敵や支配地の住民に恐怖を与える効果としても利用している。 なお、イスラム国の現在の兵力は3万数千人とみられるが、その半数の15,000人程度が外国人である。ただし、外国人といっても、その圧倒的多数は周辺アラブ諸国のスンニ派であり、次いで北アフリカやチェチェンなどからの義勇兵が多い。 外国人兵士は80カ国以上の国から来ている。国籍の内訳は、チュニジアが約3000人、サウジアラビアが約2500人、モロッコが約1500人、ロシア(主にチェチェン)が約800人、フランスが約700人、イギリスが約500人、トルコが約400人、ドイツが約300人、アメリカが100人以上とみられる。他にもごく少数ながら、インドネシア人や中国人(ウイグル族)などもいる模様だ。 欧米からの義勇兵は合計3000人程度と思われるが、その大多数は欧米国籍でもイスラム系移民の子弟である。ただし、中には少数ながらキリスト教徒などからの改宗者もいる。ちなみに、組織の中核であるイラク人のスンニ派には、旧サダム・フセイン政権時代の政府・軍の幹部が多数参加している。 イスラム国に関しては、欧米国籍の外国人兵士の存在が国際メディアでも注目を集めている。彼らがイスラム国に参加する理由は個人ごとに千差万別で、一概には言えないが、最も多いのは、欧米社会の生活の中でイスラム過激思想に目覚めたパターンだろう。知人・友人のネットワークで誘われる場合もあるが、自ら個人的に地元の過激なイスラム主義者が集う寺院などに出入りしていることが多いようだ。 また、イスラム国はこうした外国人兵士を募集するため、ネットを通じた広報にも力を入れている。ハリウッド映画の予告編や高予算で制作されたCM映像のような、ハイセンスな広報映像を配信しているほか、ツイッターなどを通じて、支持者とコンタクトをしている。 動機としてよくあるケースとしては、自分自身や社会に対して閉塞感を感じ、違う世界に出て行きたいと考える若者像だ。ただし、必ずしも貧困層や低学歴者ということではなく、「貧困や格差、差別からテロに走る若者が生まれる」という俗説は正しくない。 筋金入りのイスラム過激派 イスラム国の最高指導者であるアブバクル・バグダディについても、その人物像を紹介しておきたい。 本名はイブラヒム・アワド・イブラヒム・アリ・ムハンマド・アルドバリ・アルサマライという。1971年にイラクのサマラで生まれ、バグダッド・イスラム大学でイスラム学を修めた。年齢は現在42歳か43歳である。 元々はサマラのモスクの聖職者だったが、2003年のイラク戦争後、スンニ派民兵組織「スンナ・ジャマア軍団」(JJASJ)に加わり、組織のイスラム法委員長となった。 2006年に「ムジャヒディン評議会」(MRC)に参加し、イスラム法委員に就任。同組織は同年中に「イラク・イスラム国」(ISI)と改名したが、バグダディはそのイスラム法委員長兼最高指導評議会委員に就任した。ちなみに、当時の同組織はアルカイダの傘下を表明していた。 2010年5月、前任者のアブ・オマル・バグダディの死去を受けて、イラク・イスラム国の最高指導者に就任すると、自ら指揮をとって、シーア派政府やシーア派住民に対するテロを激化させた。 2013年に入って同組織は隣国シリアでも活動拠点を広げ、同年8月に「イラクとシャームのイスラム国」(ISIS)と改名。バグダディは引き続き最高指導者となった。 バグダディ指揮下のISISは、シリア内戦で他の反政府軍を襲撃したり、過激な処刑を行ったりと行状がエスカレート。さらには元々同じグループだった「ヌスラ戦線」と敵対し、アルカイダから破門される。 2014年6月、同組織は「イスラム国」(IS)と改名。バグダディは、預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を自称するようになった。カリフは、世界のイスラム共同体の全体の最高指導者ということでもある。 バグダディの思想は完全にサラフィー(イスラム回帰主義・イスラム復興主義)であり、初期イスラム社会の時代と同様の厳格なイスラム法による統治を掲げている。 なお、バグダディは2011年10月から、アメリカ国務省が1000万ドルの賞金をかけて特別国際手配テロリストに認定している。 バグダディはこのように、恐らく死ぬまでカリフ制国家建設の戦いを止めないだろう。そして、そんな人物が全権を握って君臨するカルド教軍団・イスラム国は、仮に米軍が本格参戦したとしても、簡単には降伏するまい。その間、また新たな兵士が参入するに違いない。 世界中のイスラム教徒の大多数から否定されても、熱狂的な少数の信奉者を根絶することは困難だ。狂信者軍団との戦いは、まだまだ長く続きそうだ。
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