27. 2015年1月08日 16:21:04
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火薬庫を炎上させたプーチンの反米政権凶悪テロを呼び込む「イスラム国」の存在 最悪の世界同時紛争アナリシス ウクライナ、パレスチナ、イラク、シリアそして北アフリカ各地・・・。冷戦後最悪のペースで地域紛争が同時進行していて、しかも解決の目処はいずれも全く立っていない。 2014年、世界各地で紛争が激化している。 ウクライナ東部では、政府軍と、ロシアの支援を受ける親露派民兵が戦い、その過程でマレーシア航空機撃墜事件が発生した。 パレスチナでは、ガザ地区にイスラエル軍が地上部隊を投入し、大規模な攻撃を行った。ハマスなどのパレスチナ側組織もロケット弾などで応酬しているが、戦力はイスラエル軍のほうが強力であり、ガザ市民の被害は拡大の一途を辿っている。 また、イラクではイスラム過激派組織「イスラム国」が大攻勢に出て、今や北西部地域を広く掌握している。イスラム国は隣国シリアでも大きな存在となっており、2014年8月には日本人拘束事件も起こしている。 なお、このシリアでは2011年から継続中の内戦がますます激化しており、政府軍、反政府各派が入り乱れての攻防が継続。特に政府軍の航空機による市街地への大規模な樽爆弾攻撃で、市民の被害が広がっている。 中東ではその他にも、リビアが再び半ば内戦化しつつあり、首都トリポリ中心部にまで戦闘が広がっている。 このように、2014年に入ってウクライナと中東地域を中心に、新たな戦線が一斉に火を噴いた。 冷戦からイスラム・テロへ 20世紀末期からの世界の「紛争」の流れを振り返ると、米ソ角逐の冷戦が1990年代にはイラクとパレスチナを中心とした中東の紛争、バルカン半島などの民族紛争、ソマリアやルワンダなどアフリカの部族紛争等、世界各地で民族紛争の嵐が吹き荒れた。 こうした民族紛争は一時下火に向かうが、同時に、紛争の火種はイスラム過激派に移っていき、2001年の9・11テロを皮切りに、2000年代はイスラム・テロとアメリカの戦いの時代となった。同時にアメリカは、1990年代初頭の湾岸戦争から積み残した課題だったイラクのサダム・フセイン政権も倒したが、それもアメリカとイスラム過激派の戦いの火に油を注いだ。 イスラム・テロとの戦いは、2000年代終盤までに、アメリカ優勢で推移した。アメリカはアフガニスタンでは苦戦したが、イラクではスンニ派過激派をかなり弱体化させることに成功。後、米軍はイラクから撤退、アフガニスタンからも順次縮小・撤退のプロセスを進めた。その過程で、2011年には米軍がパキスタン潜伏中のオサマ・ビンラディンを殺害している。 ところが、中東ではそれとほぼ同時に、新たな紛争が持ち上がった。各国の長期独裁政権に対する民主化要求からの政変、すなわち「アラブの春」である。2010年末にチュニジアで始まった「アラブの春」では、同国とエジプトの独裁政権があっけなく打倒されたが、イエメン、リビア、シリアでは独裁者の強硬姿勢によって、激しい内戦に突入した。 結果、イエメンは各派が割拠するアナーキーな状況となり、一部には過激なイスラム組織が根を張ることになった。 リビアでは、欧米の介入によってカダフィ政権は打倒されたが、新政権は安定せず、再び内戦化した。 最も酷い状況なのは、シリアである。民主化を要求する人々を、アサド政権が徹底的に弾圧した結果、激しい内戦に突入。人口2200万人の国でこれまで死者が17万人。避難民が900万人という地獄のような状況になっている。 こうした中東地域の混乱は、一時は下火だったイスラム過激派に復活の機会をもたらした。リビア内戦によって、大量の武器が北アフリカや中東一帯に流失したため、例えばマリやナイジェリアなどでイスラム過激派が台頭する結果になった。 また、シリア内戦では、世界各地からイスラム義勇兵が参入。中でもイラクのイスラム過激派がシリア内戦に参加して力をつけ、その勢いで本拠地であるイラクでの一斉攻勢に繋がった。こうしてイラクとシリアにまたがる広い地域を現在占領しているイスラム過激派「イスラム国」は、現在では突出したイスラム過激派組織へと成長しており、今後も中東地域の紛争の主役となっていくものと思われる。 ウクライナ危機 ウクライナのケースはロシアのプーチン政権がアメリカ中心だった国際秩序に挑戦し始めたことと連動している。 そもそも冷戦終結後、国力が低下したロシアは世界中で発生する紛争に介入する余力がなくなり実質的に発言力も失った。1990年代以降そうした国際紛争に介入するのは、事実上残った超大国アメリカだけとなった。 この時、アメリカは海外の紛争に介入するにあたり、国連安保理決議を錦の御旗として使うようになった。もともと冷戦時代には、安保理で拒否権を持つアメリカとソ連が対立していたことから、紛争の処理は米ソの駆け引き中心で行われており、国連安保理の役割はさほど大きくなかった。 ところが、冷戦終結後にアメリカが「安保理決議に基づく多国籍軍による介入」という手順を慣習化したことで、国連安保理決議が極めて重要になった。もちろんいくつか例外はあったが、主なケースでは、まず武力行使を容認する安保理決議が可決され、それに基づいて米軍中心の多国籍軍が編成された。ロシアも拒否権を出すことは控え、気に入らない場合でも棄権に回るだけに留めることが多かった。 ところが、2000年代に入り、ロシアは石油価格の高騰もあって、国力を大きく復活させた。かつてアメリカと世界を二分していた時代ほどの存在感はまだないが、もはや1990年代の後進国扱いされた頃とは違い、政治的にも大きな影響力を持つ存在になってきた。 こうしたことを背景に、プーチン大統領が「強いロシア」を前面に出した対外政策に乗り出したのは、2011年のシリア紛争においてである。その直前、リビア内戦においては、欧米主導の軍事介入を容認する安保理決議でロシアは棄権に回り、欧米がカダフィ政権を打倒するのを、遠くから見ていることしかできなかったが、シリア内戦に対しては、プーチン政権は最初から徹底してアサド独裁政権を擁護し、アサド政権を非難する安保理決議を拒否権乱発でことごとく葬り去った。 この背景には、ロシアとアサド政権が冷戦時代からの長年の実質的な同盟国だったということもあるが、ロシアがアメリカ主導の国際秩序に反旗を翻したということでは画期的な転換点となった。 ウクライナ危機もその延長にある。もともと冷戦終結後、NATOが東欧諸国に拡大し、ロシアからすれば安全保障上の脅威が生まれつつあった。そんな中、ロシアと長い国境を接する隣国のウクライナで政変が起こり、EUとの接近を掲げる新政権が誕生した。 これは、ウクライナ南部のクリミア半島に、主要艦隊の1つである黒海艦隊を配置しているロシアにとって、実に由々しき事態であった。 また、ウクライナ新政権の中枢には、いわゆるネオ・ナチ的な偏狭な極右民族主義勢力がいた。彼らは自国内のロシア系住民を敵視しており、そのため、クリミア半島やウクライナ東部に多く居住するロシア系住民に危機感が広がった。 ロシア国内では、そんなウクライナのロシア系住民を保護すべきというロシア民族主義が高まっていたが、その旗振り役こそ、プーチン大統領自身だった。プーチン政権は、ロシアの安全保障上の脅威と、ロシア民族主義に基づく隣国のロシア系住民保護という主に2つの理由から、ウクライナへの介入を決断する。それは当然、アメリカをはじめとする旧西側諸国との対決を意味するものだったが、プーチン大統領は一歩も引かずに強硬な姿勢を貫き、アメリカと対立する姿勢を鮮明にした。 そして、プーチン政権は、まずはクリミア半島に秘密裏に軍を投入してウクライナ支配を終了させると、住民投票のプロセスを経てクリミアをウクライナから分離・独立させ、クリミア新政府の要請というタテマエでロシアに編入した。 さらに、ウクライナ東部でも、親露派が武装蜂起し、半ば内戦状態に陥ったが、そんな親露派民兵組織の背後には、ロシアの軍や情報機関がいた。ロシア軍は非公式に、親露派民兵組織に地対空ミサイルや戦車などの重装備の供与を含む軍事支援を行った。 ちなみに、そんなプーチン政権の対外強硬姿勢は、ロシア国内では大きな支持を集めている。 現在、世界各地で起きている紛争のいくつかは、それぞれ密接に連動していることが分かる。 特に、ロシアがアメリカとの対立を厭わなくなったことは、シリアのアサド政権を決定的に有利にする作用をもたらしたし、あるいは、そのシリアでの内戦の激化が、イラクのイスラム過激派の台頭に繋がったりもしている。リビアの内戦によって大量の武器が流出したことが、周辺地域の安定を脅かす要因となっていることもある。 しかし、だからといって、外部要因が地域紛争の全ての理由というわけではない。各地域の紛争のほとんどでは、それぞれ個別の紛争の原因があり、むしろそちらが主な要因となって紛争が発生・激化していることは留意すべきだろう。 従って、それぞれの地域紛争については、それぞれの現地の事情を細かく見ていく必要がある。 ウクライナ ウクライナ危機の発端は、2014年2月、首都キエフでの反政府デモが拡大し、親ロシア系のヤヌコビッチ政権が打倒され、親欧米派の新政権が誕生したことにある。これに危機感を持ったロシアのプーチン政権は、同月中に隠密部隊を「自警団」と称してクリミアに展開させ、クリミア半島全土を瞬時に、無血占領した。 翌3月にはクリミアで住民投票が実施され、それに基づき、ウクライナからの分離独立とロシア編入が決まった。もちろん国際社会からは非難を受けたが、ウクライナにはそれを覆す実力はなく、ロシアのクリミア併合は既成事実として定着した。 しかし、その後、ウクライナ東部で危機が発生する。4月、ロシア系住民が多く居住するウクライナ東部の3つの州(ハリコフ州、ドネツク州、ルガンスク州)で、ロシア系住民の一部が政府庁舎などを占拠するなどの実力行使に出た。特にドネツク州とルガンスク州では親ロシア派がそれぞれドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を名乗り、武装民兵化し、ウクライナ政府軍と対決する。 しかも、その民兵部隊の上層部にはロシア軍情報部の将校などが参加しているほか、民兵にもロシアからの義勇兵が多数参加していた。武器もロシアから極秘裏に供与されていることから、親ロシア派の武装蜂起の背後にロシアの特殊部隊や情報機関が暗躍していたことは確実である。 その後、ウクライナ政府軍も本格的に制圧作戦を開始したことから、5月頃から状況は急速に内戦化に向かった。ウクライナ軍は攻撃機なども投入。対する親ロシア派も6月にはロシアから戦車や多連装ロケット砲、地対空ミサイルなどを入手して反撃した。 これに対し、ウクライナ政府軍は7月より大規模な制圧作戦を開始。その後、各地で親ロシア派部隊を撃ち破った。親ロシア派は拠点を次々と失い、主力部隊はドネツク市とルガンスク市の中心部に籠城を余儀なくされた。 そんな中、7月17日に発生したのがマレーシア機撃墜事件だ。ウクライナ側と親ロシア派およびロシアがともに相手方の犯行だと主張しているが、諸々の状況証拠からは、親ロシア派がロシアから供与されたブーク地対空ミサイルによって、ウクライナ軍用機と誤認して撃墜したものとみていいだろう。 こうした事件の後も、激しい武力衝突は続いている。8月現在、ウクライナ政府軍の優勢は圧倒的である。親ロシア派の地対空ミサイルによってウクライナ空軍の軍用機の撃墜が続いているが、地上戦ではルガンスク人市がほぼ陥落し、主な戦場は残るドネツク市中心部の攻防戦となっている。 イラク イラクでイスラム過激派組織「イスラム国」の活動がいきなり活発化したのは、2014年1月のこと(当時は「イラクとシャームのイスラム国」)。2013年夏頃から隣国シリアで勢力を伸ばしていたイスラム国が、その勢いに乗ってイラク西部で蜂起し、シリアとの国境地帯を制圧した。 これにより、すでにシリア東部を広く制圧していたイスラム国は、シリアとイラクに繋がる支配地域を確立した。それでもイラク全体でみれば、イスラム国はまだまだ辺境の一部を占領したに過ぎなかった。 ところが、2014年6月、イスラム国はイラク北部のスンニ派居住地域で一斉蜂起し、スンニ派三角地帯と呼ばれる広いエリアを瞬く間に制圧する。この時、地下に潜伏していた旧サダム・フセイン政権残党や、シーア派のマリキ政権に弾圧されていたスンニ派勢力がイスラム国の蜂起を支援している。 捕虜や敵対勢力に対しては斬首などの処刑を常套手段とするイスラム国の攻勢に恐れをなし、イラク政府軍では、武器を捨てて逃走する部隊・兵士が続出。イスラム国はイラク政府軍の武器を多数手に入れ、戦力を一気に強化した。 また、イスラム国はイラク第2の都市モスルを占領したが、それによって現地の銀行から多額の現金を獲得。資金力も格段に高めることに成功する。 イスラム国は組織名をそれまでの「イラクとシャームのイスラム国」から「イスラム国」に改称。トップのアブ・バクル・バグダディをカリフ(イスラム指導者)として、イスラム法に基づくカリフ制国家を宣言した。 このカリフ宣言にに対しては、アルカイダはじめ世界のイスラム過激派はほぼ反発もしくは黙殺しており、世界中のイスラム過激派がバグダディの下に結集するような流れにはなっていないが、イラクとシリアにまたがる広範囲の占領地をイスラム過激派が掌握するというのは異例のことであり、イスラム国が、大言壮語のこれまでのイスラム過激派とは違い、実態としてこれまでで最も成功したイスラム過激派になったということは言える。 イスラム国は首都バグダッドから約70kmほどまで迫り、首都攻略をうかがうほどの進撃を見せたが、イラン革命防衛隊の支援を受けるイラク政府軍が、首都をかろうじて死守している。 また、イスラム国は2014年8月、北部のクルド人自治区に向けて進撃。特にクルド系少数宗派「ヤジディ教徒」の村も襲撃。多数の避難民が山岳地帯に取り残されたことから、彼らの救出とクルド人民兵「ペシュメルガ」の支援に英米軍が出動した。 特に米軍はイスラム国の部隊に対して激しい空爆に踏み切り、ペシュメルガの地上作戦を支援することで、イスラム国の進撃を食い止めている。 シリア シリアで独裁政権に反対する民衆蜂起が始まって3年半以上、反体制派による武装抵抗が始まってからも3年以上が経過した。現在も激しい戦闘は続いており、犠牲者は17万人を超えている。 2013年9月、政府軍の化学兵器使用から、アメリカが軍事介入に動いたものの、ロシアが間に入って化学兵器遺棄の話にすり替えられてしまい、それ以降、国際社会の介入は事実上全くなくなった状態にあった。アサド政権はその後も、主に航空機からの樽爆弾投下で反体制派支配地域を徹底的に攻撃。一般市民を含む多数の犠牲者を生み続けている。 アサド政権軍には、レバノンのシーア派組織「ヒズボラ」とイラン革命防衛隊、それにイラクのシーア派義勇兵部隊が参加し、政府軍の兵力不足を補っているが、その主力だったヒズボラは、人的被害が大きいことと、レバノン国内に紛争が飛び火したこともあって、一部をレバノン国内に撤退させたほか、シリア残留部隊でもさすがに士気が低下している模様だ。 他方、反体制派では、もともと主流派だった自由シリア軍が勢力を減退させ、代わりに非・自由シリア軍系の部隊の勢力が強くなっている。 シリア反政府軍は大別してサラフィー(イスラム復興主義)系と世俗主義系があり、士気に勝るサラフィー系の勢力が徐々に強まっている。このサラフィー系の2大勢力が「ヌスラ戦線」と「イスラム国」だが、このうちイスラム国が他の反体制派とも戦っている。 イスラム国はもともとイラクを拠点とするイスラム過激派だったが、2013年前半頃からシリアで活動を活発化させ、独自の勢力を広げた。当初は他の反体制派とも共存していたが、非常に独善的な組織で、極端に狂信的で残虐な行いから、ヌスラ戦線を含む他の反体制派と対立。2013年夏頃からは明確に他の反体制派と交戦するようになった。そのため、現在のシリアは、大雑把に言えば政府軍、反体制派(ヌスラ戦線を含む)、イスラム国の3つ巴の戦いになっている。 イスラム国を除いた反体制派を大きく分けると、ヌスラ戦線及びその系列、クルド勢力、その他の反体制派となるが、現在、どれかが主流というわけでもない。「その他の反体制派」は、主に地元有志単位で編成された非サラフィー系の武装グループで、それこそ無数の部隊が並存している。系列として「自由シリア軍」「イスラム戦線」「ムジャヒディン軍」などに分かれているが、厳格な組織体系になっているわけではなく、末端では共闘関係にあることも多い。系列全体でみれば、現在は自由シリア軍よりイスラム戦線の方が主流派ではあるようだ。 シリア内戦の戦局は、大局的には膠着状態にある。首都ダマスカスなどの中心部の主要都市の多くはアサド政権軍が掌握し、周辺部の反体制派と熾烈な戦いを続けている。自由シリア軍などの非サラフィー系反体制派は南部やダマスカス郊外などを掌握。北部は政府軍と反体制派各派が入り乱れての戦いとなっている。特に北西部のイドリブ県や北部の第2の都市アレッポでは激戦が続いている。 やはり最近もっとも注目されるのがイスラム国の動向だ。イスラム国は北東部のラッカを拠点とし、東部のデリゾールなどにも勢力を広げているが、一時はアレッポやトルコ国境エリアまで進出していた。その後、反体制派の攻撃を受けて主力はラッカ付近まで後退していたが、再びアレッポ方面まで進撃してきた。 2014年8月、日本人がアレッポ郊外でイスラム国に拘束されるという事件が発生したが、それはこうした状況の中で発生した事案である。 ガザ地区(パレスチナ) 今も流血の惨事が続いている紛争に、パレスチナのガザ地区の紛争がある。 イスラエルとパレスチナは常に紛争状態にあるが、中でもイスラエル色の強いハマスやイスラム聖戦の牙城であるガザ地区は、定期的に戦いが発生している。 2014年の軍事衝突のきっかけとなったのは、直接的には2014年6月、イスラエルの少年3人が殺害されたことだった。イスラエル当局はハマスの犯行と断定し、多数のパレスチナ人を逮捕した(ただし、同事件の真相はいまだ不明)。それに対して、ハマス側はガザ地区からイスラエルにロケット弾を発射するなどし、緊張が急速に高まっていった。 翌7月、今度は逆にパレスチナ人の少年がイスラエル人入植者グループに殺害されるという事件が発生する。パレスチナではそれに対する抗議デモが拡大、さらにハマスがロケット弾発射を続けたため、イスラエル軍は本格的なガザ空爆に踏み切り、さらに地上部隊を侵攻させるなど、大規模な攻撃に出た。 今回のイスラエル軍の攻撃は徹底したもので、ハマスやイスラム聖戦の関係する拠点は徹底的に破壊された。その過程では一般市民の多くの住居も巻き添えで破壊され、多くの犠牲者が出た。国連機関運営の学校が戦車砲の砲撃を受け、避難していた子供ら16人が死亡するという悲劇も起きている。 ハマス側も徹底抗戦の構えを崩さず、ロケット弾をイスラエル側に撃ち込み続けたが、ハマスとイスラエル軍では戦力に圧倒的な差があり、戦局は一方的なものとなった。 イスラエル軍がここまで徹底した攻撃に出た背景には、ハマスやイスラム聖戦の保有するロケット砲の射程が延びたことがある。今やハマス側のロケット砲の射程はイスラエル主要部を射程に収めるレベルに達しているが、それをイスラエル側は大変な脅威と見なしている。 そのため、イスラエル軍の地上部隊は、ハマスやイスラム聖戦のロケット弾製造・保管・運用拠点を徹底的に破壊することを目指し、実際に多くの拠点を破壊した。また、こうした軍事物資の密輸ルートとなっている地下トンネルの破壊にも全力を注いだ。 2014年8月、イスラエル軍は地上部隊をガザから撤収させたが、その後もハマス側の砲撃とイスラエル側の空爆は続いている。停戦交渉が続けられているが、双方の要求の隔たりは大きく、一時的な停戦以上の完全な停戦は、合意されていない。 なお、2014年8月までのガザ地区での死者は1800人以上。その多くは民間人である。ちなみに、同時期のイスラエル側の死者は約70人。うち民間人は3人である。 リビア 2011年にカダフィ政権が打倒されたリビアだが、その後、新政権は機能せず、民兵組織が跋扈する半ば内戦状態に陥っている。特に最近は、戦闘が首都トリポリにまで及んでおり、国家崩壊の危機といっていい状況になっている。 現在、カダフィ打倒で中核を担った勢力同士が、政治的主導権をめぐって対立を激化させている。中でも世俗派系の民兵グループと、イスラム系の民兵グループが対立し、各地で抗争が勃発。そこに部族、出身地による対立が絡んで、まるで群雄割拠のような状態だ。中でも対立が激しいのは西部の世俗派系のジンタン出身の民兵グループと、イスラム色の強いミスラタ出身の民兵グループである。 両者はトリポリの主導権をめぐって対立。特に2014年7月からは、トリポリ国際空港周辺で激しい戦闘状態に入っており、現在も戦闘は続いている。 エジプト 紛争とは言えないが、今後の火種になりそうなのが、エジプトである。 エジプトでは「アラブの春」でムバラク独裁政権が打倒された後、選挙によってモスレム同胞団のモルシ政権が誕生したが、やはりイスラム勢力重視の失政によって国民の反発が高まり、混乱を招いた。 それを軍が事実上のクーデターで政権を転覆したが、シーン軍事政権は反対派を徹底弾圧する強権支配を行っている。国民の間に広がる不満を力で押さえている形だが、今後、反政府運動が再燃すれば、さらなる流血の事態に陥る可能性があると言える。 アフガニスタン NATO管轄の国際治安支援部隊(ISAF)は2014年末までに撤収することになっており、戦闘はかなり沈静化しているが、必ずしも平穏になったわけではなく、散発的な戦闘は継続している。特にタリバンの勢いは増しており、アフガニスタン国軍や警察への襲撃がしばしば発生している。 そんな中、2014年8月、首都カブール近郊の陸軍士官学校で、ISAF副司令官の米陸軍将校が現地兵士に射殺された。これはベトナム戦争以降、殺害された最高位の米軍人である。 ナイジェリア北東部 アルカイダ系のイスラム過激派「ボコ・ハラム」のテロが激化している。ボコ・ハラムはここ数年、同国北東部で特にキリスト教徒の村を襲撃し、住民虐殺を繰り返しているほか、政府軍に対する自爆テロも行っている。支配地域では極端な独裁統治を行い、イスラム法の施行と称して恐怖支配を徹底させている。特に2014年は活動を活発化させており、2014年8月までに2000人以上を殺害している。 2014年4月には、学生寮を襲撃して女子生徒240人を拉致し、「奴隷として売り飛ばす」と宣言して注目された。 マリ北部 マリ北部は2012年にイスラム過激派が制圧したが、2013年、フランス軍が介入し、撃退した。しかし、その後も、地元のトゥアレグ人の民兵組織「アザワド解放国民運動」などが政府軍と戦闘を継続。特に2014年5月から戦闘が激化した。 2014年7月、両者は停戦に合意したが、まだ今後の予断は許さない状況である。 南スーダン 現在、自衛隊が国連PKOで派遣されている南スーダンだが、従来の反政府民兵組織による住民襲撃に加え、2013年からは大統領支持派と前大統領支持派の対立が激化し、武力衝突の事態に陥っている。 2014年5月には停戦が成立したが、現在も戦闘が時折発生している。 イスラム・テロ復活か 以上が2014年8月現在、特に注目すべき紛争の現状だが、やはりウクライナ紛争と、超狂信的イスラム過激派「イスラム国」をめぐるイラクやシリアの紛争が最大の焦点ということになるだろう。 この2つの戦線の今後の展開を考えると、まずウクライナでは、親ロシア派はもはや風前の灯の状況で、彼ら自身の戦力だけではもう反撃する力は残っていないように見える。そんな親ロシア派に対し、ロシアは今も軍事支援を続けているが、今後親ロシア派が巻き返すとすれば、ロシア軍が直接軍事介入するしかあるまい。 ロシアは現在、ウクライナ東部への人道支援に動いているが、それをきっかけに何らかの介入を画策している可能性がある。例えば、人道支援コンボイが襲撃されたとして、平和維持部隊を侵入させるとか、あるいはクリミアで行ったように、身元を偽装した部隊をあくまで自警団と称して展開することも考えられる。 いずれにせよ、ウクライナの紛争の今後を決めるのは、プーチン大統領の決断ということになりそうだ。 他方、イラク=シリア情勢では、とにかくイスラム国の勢力が今後、どうなっていくかが状況を大きく左右するだろう。 現在、米軍がイラクでイスラム国を空爆しているため、クルド人部隊はかろうじてイスラム国を押し返すことに成功しているが、オバマ政権はこの地域での軍事介入は限定的に留める方針で、このまま一気にイスラム国が打倒されるというような状況にはない。 2014年8月、イスラム国に拘束されていたアメリカ人ジャーナリストが斬首処刑されるというショッキングな事件が発生したため、アメリカ世論はイスラム国への反感を高めているが、オバマ政権がそれで軍事介入を強化する兆候は今のところは見られない。 http://www.liveleak.com/view?i=bc1_1408481278 イラクでのイスラム国への攻撃が限定的に留まるなら、シリアでの軍事介入はさらに可能性が低くなる。シリアは完全に膠着状態のまま、住民の犠牲が増え続けるという最悪の状況にあるが、実際のところ、アメリカの介入なしに状況が改善する見込みはないだろう。 ただ、イスラム国をこのまま野放しにするということは、イスラム・テロリストを生み出し続けるということも意味する。欧米やアラブ諸国を含め、世界中から過激派がイスラム国に合流しつつあるからだ。 これまでイスラム国の活動範囲は地域に限定されており、アルカイダのような世界展開の対米テロなどはやってこなかったが、今回の空爆でアメリカはイスラム国の復讐対象となっており、欧米国籍のイスラム国の戦闘員が今後、対米テロを行う可能性はある。 いずれにせよイスラム国の存在は、世界規模でのイスラム・テロの復活に直結するだろう。
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