11. 母系社会 2014年10月03日 17:07:08
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●現在の世界は、@「内政不干渉」、「領土保全」などの「国家主権」を尊重する原則、A「人道的介入」の容認、国家には自国民だけでなく、他国民も保護する責任あるとして他国の内政に介入する権限を認める「保護する責任」、「人民の自決権」(民族の自決権)の尊重などの「国家主権」を制限する原則という2つの相互に矛盾する国際法上の2原則により、国際関係は調整されている。だから、国際関係の問題は常に、この矛盾する2つの原則のどちらをより重視するかで、正当性を巡る戦いが起こる。 ●●北海道大学スラブ研究センター教授の伊東孝之氏は、冷戦終結の契機となった「ベルリンの壁」の崩壊が、どちらかと言えば、Aの「人民の自決権」原則の実現だったように、東欧では概ね後者Aが前者@よりも優位な原則として秩序形成ー維持が図られ、制御不可能な大混乱が起こるのを防いできたと指摘している。 そして、Aの優位だけだと統御不能となる可能性があるので紛争は平和的に解決するとし、Aは平和的に行使される限りで承認されるという「ヘルシンキ宣言」が東西で合意されたと指摘し、実際にも、チェコとスロバキアの分離のように、自決権による分離が平和裏に行われた例もある。 だが、西側のドイツはユーゴスラビアの内紛の時、「クロアチア共和国」の独立派へ武器援助して蜂起させ、ユーゴスラビアに独立の連鎖反応を起し、血で血を洗うような最悪の内戦を引き起こして、このAの平和的な「人民の自決権」の行使という原則を破った。 更に、西側は、民族浄化を始めたのはセルビアではなくコソボ側だったのに、謀略により逆の報道が行われ、NATOは「人道的介入」を名目に武力介入し、コソボ自治州をセルビアから独立させて、「人民の自決権」の平和的な行使という原則を破った。 もちろん、ユーゴスラビア内戦の背景には、ウクライナと同様に、多数民族であるセルビア民族が、他の少数民族との融和を図る政策を十分には行わなかったことがあるのは間違いない。しかし、西側は残虐行為を行っているのはセルビアだけであるかのような謀略的キャンペーンを行って、西側の武器援助や軍事介入が可能な情況を創りだして武力介入してユーゴスラビアを分裂させ、「ヘルシンキ宣言」を公然と破った。 ●●一方、旧ソ連領域では逆に、@の国家主権がAの自決権よりも優先される原則が適用されて、概ね旧ソ連の国境が守られてきた。 とは言え、旧ソ連領域でもモルドバの沿ドニエストル、アルメニアのナガルノ・カラバフ、グルジョアの南オセチアやアブハジア、それとロシア連邦内でのチェチェン紛争のような紛争も生じていた。それでも西側だけでなくロシアも、旧ソ連領域ではポスト冷戦体制としては、@の国家主権がAの自決権よりも優先される原則を支持し、ロシアはこれらの紛争地域の独立を承認しなかった。 ●しかし、2008年夏、西側に唆されたサアカシュビリ政権が南オセチアを先制攻撃して「南オセチア紛争」=「ロシア・グルジア戦争」を起し、ポスト冷戦体制の旧ソ連領域での@の優先制という原則や「ヘルシンキ宣言」の紛争の平和的解決という原則を再び破った。 だから、ロシアは、この戦争が起こる前まではグルジョアの主権を尊重して、南オセチアとアブハジアの国家承認をしていなかったが、西側が@の主権の優先制や「ヘルシンキ宣言」を破棄したので、この戦争後に両国の国家承認を行ったのである。 ★つまり、西側=欧米側が、自ら旧ソ連空領域での@の優先制という「ルール」を変更したので、ロシアもこれに従って、@からAを優先する「ルール」により、クリミアの「人民の自決権」を、ウクライナの「国家主権」よりも優先して独立を承認し、クリミアを併合したのである。また、ドンバスの「人民の自決権」も尊重して、ドンバスを支援するロシア人義勇軍の参加を認めるなどの「援助」をしているのである。 ところが、何と欧米は、自らAを@よりも優先するという「ルール変更」や「ヘルシンキ宣言」の紛争の平和的解決という原則を破りながら、再び@優先「ルール」に戻り、クリミア併合はウクライナの「国家主権」を蹂躙する国際法違反だとして、ロシアを非難しているのである。 このように、欧米は全く恣意的、二重基準的に国際法を解釈してロシアを批判して経済制裁をしているだけであり、欧米側には大義的・理念的な正当性は全く無い。 ★また、欧米は、ウクライナが主権が尊重されるべき「国民国家」ではないこと、レバノンやアフガンのような「モザイク国家」でしかないことも認識していない。 日本の場合であれば、江戸末期から明治初期に「日本民族」(大和民族)とか「日本の国民」という意識が民衆にも浸透し、「モザイク国家」から「国民国家」へと移行した。 現在のウクライナは、明治初期の頃の日本に相当し、ヤヌコビッチ政権という腐敗していたが、一応は統一政府と認められていた政権があった。しかし、自らこの統一政府を暴力的に崩壊させてしまい、国家の分裂を招いたのである。 ウクライナ危機で考えたこと―ポスト冷戦・境界レジームのほころび―岩下明裕 https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/center/essay/20140404-j.html |