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日本の民間団体が南京大虐殺記念館を視察、「全ての日本人に見に来てほしい」―中国メディア
http://www.asyura2.com/14/china5/msg/561.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 15 日 18:40:05: igsppGRN/E9PQ
 


日本の民間団体が南京大虐殺記念館を視察、「全ての日本人に見に来てほしい」―中国メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150315-00000004-xinhua-cn
FOCUS-ASIA.COM 3月15日(日)8時20分配信


中国メディア、国際在線は13日、日本の民間団体「村山談話を継承し発展させる会」のメンバーらが11日、中国江蘇省南京市の南京大虐殺記念館と同市中山埠頭にある記念碑を視察し、訪問団の鎌倉孝夫団長が「全ての日本人に見に来てほしい」と語ったと伝えた。

報道によると、訪問団は記念館で「犠牲者に哀悼を示し、日本と中国が再び戦争を起こさないことを祈る」とのメッセージの入った花輪をたむけ、館内の展示資料を見て回った。

視察の後、鎌倉団長は「戦争は人間らしさを失わせる。南京大虐殺がその証明だ。どんなことがあっても戦争を繰り返してはならないということを、記念館の展示が示している。歴史を消すことはできない。全ての日本人に見に来てほしい」と語ったという。

村山談話を継承し発展させる会は2013年末、日本の研究者や元政府関係者、報道関係者らが発足させた団体で、初めて訪問団が中国を訪れた。

(編集翻訳 恩田有紀)


 

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コメント
 
01. 2015年3月15日 19:11:17 : b5JdkWvGxs
>戦争は人間らしさを失わせる。南京大虐殺がその証明だ


昭和天皇の命令だったからみんな嫌々やっていただけだよ:

鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。

(略)

南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、
南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。
するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。

北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。 だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。

皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。

_____

昭和天皇の虐殺命令に従わなかった兵隊にはこういう運命が待っていた:


日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒涛のように逃げていく。 そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。

そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。

中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。

それで長中佐は激怒して、

「人を殺すのはこうするんじゃ」

と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。


おどろいたほかの兵隊が、 いっせいに機関銃を発射し、大殺戮となったという。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html


03. 2015年3月16日 20:22:03 : pgtjGg2sJc
日本もやり返せばいいんだよ。
天安門事件の起こった日に追悼集会やるとか、チベット侵攻の日にフリーチベットを訴えるとか支那の嫌がることをどんどんやらないと。
殴られたら殴り返さないといじめっ子はどんどんかさにかかっていじめが酷くなるのと同じなんだけどな。

04. 2015年3月16日 22:42:09 : C3lq0gpU9A

  ”村山談話を継承し発展させる会”って、日本が嫌いなヤツだろう、日本が嫌いなら日本から出て行け。

05. 大和狼 2015年3月18日 13:20:42 : 4bXKnGQAUaNEQ : Xv0M9Iypi2
すべての中国人と反日日本人にみて貰いたい。
南京記念館にも展示して貰いたい。
日本の南京事件は捏造だと言う史料も絶対展示すべきだね。

それで両国と世界が歴史認識を正せば良い。
二重投稿のつもりではありませんのでよろしくお願いします。
こちらに投稿すべきでした。


03. 大和狼 2015年3月18日 12:50:47 : 4bXKnGQAUaNEQ : QISk3Exk6Q
http://brief-comment.com/blog/china/46860/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-46860
<<また台湾の国家図書館に保存の写真。日軍が着いたら南京城どの家も空き家で、物音一つも無い。日軍は棄児と孤児を食べさせたり、世話したりしてたよ。そんなに仁義の軍隊は掠奪、虐殺などあり得ない!日教組は洗脳しなでください!日本の子供が可哀想!<<

2015年3月14日 22:05

↑ 衝撃スクープ映像 台湾ありがとう。 図書館で見つけた日本軍南京入城直後の映像。
 日本兵が遺棄された子どもに食事を与えている。

 戦前の人道主義国家日本の唯一の理解者ありがとう。 習近平に台湾を侵略させたら絶対だめだ。 親日派は中国や韓国のように抹殺されてしまう。

 台湾と日本は同邦同盟関係を結ぼう。中国共産党に侵略支配されたらまた終戦後の東アジアの悲劇が繰り返されてしまう。

<<台湾の国家図書館サイトでそんな感動な写真を見つけたら、泣かせた。本当に南京は国民党の撤退前にもう崩壊された。国民党の軍隊は掠奪、虐殺など台湾に来たら同じ行動してた、心理学によると残虐の性質はあまり変わらない、228から国民党が増軍で3月ずっと5月まで台湾人を大虐殺でした(;_;)
2015年3月14日 22:26<<

@xw7375423: チョコ・いさみ 2015-03-14 22:55フォロー
アスカさん いつもありがとうございます。中国は現在進行形で、ウイグル、チベット、モンゴル人、法輪功の虐殺を繰り返してます。これは真実です。
日本軍の大虐殺も慰安婦強制も百人斬りも731も支那のでっちあげです。<<

中国の言うことはすべてウソ。こいつら相手にしても相手にするだけ無意味。
恥という言葉も知らない。

それを信じる河野村山追随日本人も恥じるべきだ。


06. 2015年3月18日 13:26:16 : b5JdkWvGxs
>日本軍南京入城直後の映像。 日本兵が遺棄された子どもに食事を与えている。


日本軍がその映画を撮っていたすぐそばで中国女性を強姦殺害していたのは有名な話だろ


07. 2015年3月18日 13:59:30 : Xv0M9Iypi2
↑ すごいね 早速中国チェック入れて来る。

こうやってウソつくシナ共産匪賊


08. 2015年3月18日 19:00:44 : b5JdkWvGxs

記録映画『南京』はプロパガンダ作品
http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/d/%B5%AD%CF%BF%B1%C7%B2%E8%A1%D8%C6%EE%B5%FE%A1%D9%A4%CF%A5%D7%A5%ED%A5%D1%A5%AC%A5%F3%A5%C0%BA%EE%C9%CA

否定派の主張

記録映画『南京』をみれば平和そのもので、虐殺などなかったことがわかる。

『南京』は1938(昭和13)年、東宝映画の文化映画部(のちに日本映画社に併合)が制作した。日本では戦災で焼失したが、中国にフィルムの大部分が残っており、日本映画社が買い取って復刻したものである。

陥落直後の南京を撮影した映像として貴重であるが、虐殺や放火による火災などはなく、静かなものである。焼け跡は日本軍の爆弾による火災ではないこと(爆弾で火災が起こったなら中心部にクレーターが出来ている)がわかる。入城式の様子、下関、挹江門の状態、安全区内の便衣兵摘出のため良民証を交付している場面や、雪の日(12月28日、あの崇善堂が6,468体埋葬した日)の状態、1月3日の自治委員会発足の鼓楼前での旗行列などが記録されている。カメラで撮影している人も意外に多く、かなりの人がカメラを持っていた様子が窺える。


反論

この映画は1938年、「軍特務部」の指導のもと、白井茂によって撮影された。

当時日本の映画班は実戦の先頭に立って撮影を敢行することはなかった。この点ナチス・ドイツが戦場で映画班を優遇して、戦闘場面まで撮影させたのとはおおいに違っている。日本では敵味方にかかわらず戦死体の画像さえ許されなかった。日本兵が梯子で城壁を登る場面が間延びしているのは戦闘終了後における再現撮影だからである。

「城壁を登る日本兵」
http://www11.ocn.ne.jp/~nbbk/etc/extra01.html

入場式で整列している日本軍兵士の映像や、安居証をもらうために行列する中国人たちの映像もあるが、これまた整然としている。しかし、ナレーションを切って見るとこの市民たちに漂う緊張感がひしひしと迫って来る。

日本側のパフォーマンス撮影については、1月9日のマッカラムの日記にも指摘がある。


 難民キャンプの入口に新聞記者が数人やってきて、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して一〇名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。
(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p266)

また、この映画を元に虐殺はなかったとする者もいるが、この映画の撮影者は何を見たのか。

【白井茂 証言】

虐殺の現場は二度見た。一度はサクがあったように思う。はるか離れているところで、銃殺していた。数は憶えていない。揚子江でない川のところで、機関銃で撃っているところも見た。私なら抵抗すると思ったが、彼等は従順に死を待っていたようだ。川にとび込んで、向うに泳ぎついた者もいた。二百人ぐらいいたと思う。場所は憶えていない。

【藤井慎一 証言】
小さな川の傍の門の中で捕虜らしき者を撃っているのを見た。白井氏と一緒だった。いくつかの死体に石油をまき、火をつけた。中に生きている兵隊がいて“早く射て”と胸を指さし、“蒋介石万歳”といったので、大変驚いたのを憶えている。それ以外にも、銀行の裏で百人以上が殺されているのを見た。胸のあたりを銃剣で突いていたように思う。虐殺の噂はきいたように思うが、見たのはこの時だけである。

以上「『南京大虐殺』のまぼろし」より引用


#白井茂の『カメラと人生』(ユニ通信社、1983年)においてはもっと詳細な発言がある。
http://www.geocities.jp/yu77799/houdoukisei.html


この『南京』は典型的なプロパガンダ映画である。この映画を見て、だから南京大虐殺はなかった、と納得するほど馬鹿げたことはない。しかし、当時のプロパガンダとそこから透けて見える南京の実状を察するならば貴重な記録と言えよう。

資料:東宝映画『南京』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924...


09. 2015年3月20日 10:28:04 : weV0ugXItk
http://www.asyura2.com/15/senkyo180/msg/138.html
ここの31番前後のコメントを見てみるべきだな。

元軍人の証言はウソだ。
なぜウソかも書いてある。

どうせシナファシスト共産党の言う事は1から10までウソだ。

生まれてから一度も本当の事など喋った事が無いんだよな。


10. 2015年3月20日 10:33:58 : weV0ugXItk
06、08。

こいつか中川隆って。
相手にする価値もないやつだった。


11. 2015年6月05日 01:08:00 : lIpE51wU46

売国奴列伝
田辺誠
http://deepfuchsiapigment.myartsonline.com/brd307-01.html


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●「 30万人虐殺 」説を最初に持ち込んだ
  田辺誠元社会党委員長
   ( 現民主党群馬県連常任顧問 )

● 『 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館 』という長ったらしい名前のメモリアル( いわゆる「 南京虐殺記念館 」 )が支那の南京郊外の江東門近くにある。 サヨクの聖地であり、如何わしく、おぞましい場所である。
 あの『 南京大虐殺 』という旧・日本軍の蛮行を、子々孫々にまで伝えるための記念館だという。
● あまり知られていないが、これは当時の日本社会党、今の社民党の田辺誠が提案し、わざわざ二度も支那に頼みこんで「 総評 」が建設費を出し建てたものだ。
 このような自国民を陥れるものをわざわざ作るとは社会党というマゾ政党は狂っているとしかいいようがない。
●また、この建物に30万人と言う被害者数を記しているが、この数字について支那側は、「 政治的数字だ 」と返答した。 つまり、「 30万人 」と言う数字は「 歴史的事実 」では無く、「 政治的数字 」であると、支那が自ら認めている訳だ。

● この30万人虐殺の記念碑を最初に建てたのも、社会党委員長だった田辺誠だ。
● もともと、こんな事は中国でもあまり知られていることではなかった。
● それはそうだろう、そんな事実はなかったから!
● 当時を知る人が健在の時、こんな事は知らなかったはずだ。
● これを問題化したのは、日本の左派勢力であることはいうもがなだ。
● ここに展示されている「 証拠写真 」といわれているものもやらもほとんどがやらせ写真あるいは合成写真などだ。
●それをわかっていながら証拠として南京大虐殺はあったと報道する本多勝一をはじめとする反日マスコミは狂っているとしかいいようがない。
●御多分にもれずに、野中、土井、村山、菅などの靖国神社には参拝しない反日政治家どももここには訪れて、献花などしている。 このような国賊、売国奴は早く逝ってほしいものだ。

● 中共政府は今、この『 大屠殺遇難同胞紀念館 』の敷地面積を3倍にし、世界文化遺産( 「 負の遺産 」 )に登録する運動に力を入れている。
 広島の原爆ドームやアウシュビッツのユダヤ人強制収用所が、ともに世界文化遺産に指定されているのに、『 南京大虐殺 』は国際的に知られてもいなければ関心も払われていない。
● だから、世界文化遺産に指定されることによって、日本軍国主義の極悪非道を世界中にアピールしたい。 中共政府はそう考えているのである。
● 中国の歴史教科書の歴史検証なども、日本に対してではなく、北京オリンピック対策だと言うことを忘れてはならない。

●「 南京大虐殺の館 」を実際に訪れると、要人訪問者の名前を書いたリボンには、自民党の野中や社民党村山などおなじみの面々や、県教職員組合などが…。
 サヨク組合の支配下にある学校では、ここが修学旅行のコースになる。 はるばる支那まで支那共産党の嘘プロパカンダを受け、反日日本人となるための修学旅行。 そんなものに父兄は高価な金を支払わされるのだ。
● 昨年公立高校の修学旅行先からこの気狂い記念館を除く事を決定した鹿児島県議会に対して、竜谷大学の田中宏などがつくる「 ノーモア南京の会 」とかいう反日気狂い団体だけでなく、この南京大虐殺記念館からも抗議がきたというニュースには唖然とした。 このようなプロバガンダ記念館をつくった土井たか子をはじめとする社民党の責任はとてつもなく重い。

(…以下に続く)

____________


田邊誠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%82%8A%E8%AA%A0 (一部転載)


田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年2月25日 - )は、日本の政治家。

衆議院議員(11期)、日本社会党委員長(第11代)を歴任。

目次
[非表示] 1 政界デビューまで
● 2 社会党での活動 2.1 南京大虐殺紀念館の建設要請  
            ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク


12. 2015年6月05日 01:25:22 : lIpE51wU46

<参考資料>


荒んでゆく世界
http://nippon-end.jugem.jp/?eid=4433


報道特集:旧日本軍の実相語る写真発見「日中戦争 衝撃の46枚」放送内容は、「真実」なのか?〜「ノーモア南京の会」がフィルードワークしてるんですが?

________________


田中宏 (経済学者)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F_(%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%80%85)より全文拝借

●田中 宏(たなか ひろし、1937年2月9日 - )は日本の経済学者。専門は日本アジア関係史、ポスト植民地問題、在日外国人問題、日本の戦争賠償と戦後補償等。一橋大学名誉教授、龍谷大学客員研究員。公益財団法人朝鮮奨学会評議員[1]

目次
[非表示] 1 人物
2 来歴
3 学外の活動
4 語録
5 学外の活動 5.1 「在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会」での活動

6 文献 6.1 著書
6.2 共著
6.3 編集
6.4 翻訳

7 出典
8 関連項目
9 外部リンク

人物[編集]

●在日韓国人の参政権を実現するため、内海愛子らと定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワークを結成。在日本大韓民国民団などと協力して積極的に活動をしている。また龍谷大学を雇い止めされた元経済学部特別任用助手を支援する「嶋田ミカさんの雇用継続を求める会」代表も務める。

●2004年3月18日、日立就職差別裁判、国民年金法の国籍条項撤廃、指紋押捺制度の撤廃、旧戦傷軍属への戦後補償、公立学校への教員採用などの活動を認められ、東京弁護士会人権賞を受賞[2]。

来歴[編集]
1937年 - 岡山県に生まれる。
1960年 - 東京外国語大学中国学科卒業
1963年 - 一橋大学経済学研究科修士課程修了(東洋経済史専攻)
1972年 - 愛知県立大学外国語学部講師
1973年 - 愛知県立大学外国語学部助教授
1982年 - 愛知県立大学外国語学部教授
1993年 - 一橋大学社会学部教授
2000年3月 - 一橋大学定年退官
2000年4月 - 龍谷大学経済学部特別任用教授就任、一橋大学名誉教授の称号を受ける
2009年3月 - 龍谷大学退職


学外の活動[編集]
● 在日韓国・朝鮮人高齢者の年金訴訟を支える会(共同代表)
自由人権協会(JCLU)(代表理事)
● ノーモア南京の会・東京(代表)
● 中国人強制連行を考える会(代表)
● 定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク(共同代表)

語録[編集]

2005年10月20日、「東京朝鮮第二初級学校土地問題裁判」の学校側弁護団は、田中宏の意見書を東京地裁に提出。意見書は「都の要求は児童が受けている『民族性を備えた普通教育』の機会を奪うこと」と指摘し、以下のように主張している。
● 在日朝鮮人の言葉を奪ったことに対し、日本政府は「原状回復」として民族教育を保障しなければならない。
地方自治体は朝鮮学校の教育のもつ公益性に着目して補助を行っている。
外国人学校における教育は「普通教育」として認知が進んでいる。
● 日本は国際人権諸条約を批准しており、「すべての者」の「教育への権利」を保障しなければならない。

●2007年9月17日、福岡市内で開催された「在日コリアン無年金訴訟」の決起集会において講演を行い、以下の主張をしている。
● 「年金など社会保障の責任は国籍の属する本国が負うべし、という裁判所の理屈には矛盾がある」と指摘。その証拠に「海外に住む日本人に対し、日本政府は年金を支払っていないではないか」と、原告が敗訴している京都と大阪で起こされた同様の訴訟の判決を糾弾。
● 政府が税金を徴収する際だけ外国人住民を“国民”扱いすると皮肉り、朝鮮半島と関係の深い福岡で行われる裁判の行方を「全国の人たちが期待し、注目している」と激励した。


学外の活動[編集]
● 2003年10月、在日本大韓民国民団愛知の主催する「名古屋コリアン・アカデミー」で「アジア人蔑視の日本社会を切る」を講演[3]。
2003年5月、大阪国際理解教育研究センター(鄭早苗理事長)の主催する人権啓発リーダー養成セミナーに姜徳相と一緒に講師として参加[4]。
2004年7月17日、特定非営利活動法人・多民族共生人権教育センターの主催する「第4回多民族共生人権研究集会」で「自国民中心主義からの脱却を」と題して記念講演[5]。
● 『高校無償化』制度の朝鮮学校への即時適用と補助金復活を求める院内集会)(2013/4/25)に出席した[6]


「在日韓国朝鮮人をはじめ外国籍住民の地方参政権を求める連絡会」での活動[編集]
● 2002年11月21日、在日本大韓民国民団主催の集会で「当事者が声を上げていくことが大事。行政も受け入れざるをえない状況にある。住民投票参加の流れを大きなものし、参政権運動につなげよう」と呼びかけた[7]。
● 2004年10月、在日韓国人の参政権を実現するため、田中宏、朴慶南、金敬得ら[8]と定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワークを結成。在日本大韓民国民団などと協力して積極的に活動をしている
● 2004年11月、在日本大韓民国民団主催のシンポジウムに参加、外国人参政権反対派の国籍取得論について「日本人になったからといって一朝一夕に忠誠心が芽生えるのか」と批判した[9]。
● 2004年11月、韓国ソウル市で定住外国人の地方参政権獲得をめざすシンポジウムを主催し、「指紋制度反対の闘いは、在日自身の闘いと難民条約批准を契機にした社会保障制度の改善という外からの圧力によって、成功裡に終えた。参政権獲得も同じ地域社会の構成員として在日が役割を果たすために不可欠だ。ねばり強い運動を」と方針をまとめる[10]。
● 2007年11月4日、鳥取市で開催された「第1回永住外国人地方参政権シンポジウムin鳥取」に岡崎勝彦愛知学院大学法科大学院教授、在日コリアン問題専門家の鄭早苗大谷大学教授、薛幸夫大韓民国民団鳥取県地方本部団長らと共に出席。「日本で生活する外国人が、自治体の決定権について発言できないのは民主主義の基本にかかわる問題。参政権を与えるのは論理的に可能」と主張した。
● 2008年11月28日、鳥取市で開催された「第二回永住外国人地方参政権シンポジウムin鳥取」に岡崎勝彦愛知学院大学法科大学院教授、在日コリアン問題専門家の鄭早苗大谷大学教授、薛幸夫大韓民国民団鳥取県地方本部団長らと共に出席。「在日韓国・朝鮮人は、本国でも日本でも選挙権がなく一度も投票したことがない。この実態をどうするか。韓国ではすでに外国人参政権が認められ、十月二十日を『世界人の日』 と定めて啓発している。日本も何かやってみては」と問題提起した。ただし韓国で実施されている外国人参政権は一定の条件を満たした外国人に対してのみ選挙権を認めているため、条件を満たさない外国人は自治体の決定権について発言できない。


文献[編集]

著書[編集]
1990年7月 『虚妄の国際国家・日本 アジアの視点から』風媒社、ISBN 4833110180
1991年5月 『在日外国人 法の壁、心の溝』(岩波新書)岩波書店、ISBN 4004301718、新版: 1994年1月、ISBN 4004303702
1996年3月 『Q&A外国人の地方参政権』五月書房、ISBN 4772702482
2005年8月 『戦後60年を考える 補償裁判・国籍差別・歴史認識』創史社、ISBN 4915970256


共著[編集]
1990年6月 『「国際化」のわすれもの 隣人としての外国人を考える』在日韓国・朝鮮人問題学習センター、[1]
2001年6月 『日朝条約への市民提言 歴史的責任の清算と平和のために』明石書店、ISBN 4750314315
2007年5月 『グローバル時代の日本社会と国籍』明石書店、ISBN 978-4750325316
2007年10月 『外国人の定住と日本語教育』ひつじ書房、ISBN 978-4894763753


編集[編集]
1987年6月 『資料中国人強制連行』(解説も)明石書店、ISBN 4750301663
1990年12月 『資料中国人強制連行の記録』明石書店、ISBN 4750303402
1995年4月 『中国人強制連行資料 「外務省報告書」全五分冊ほか』現代書館、ISBN 4768466583
1996年6月 『隣国からの告発』創史社、ISBN 491597006X
1997年11月 『来日外国人人権白書』明石書店、ISBN 4750309877
2002年4月 『在日コリアン権利宣言』(岩波ブックレット)岩波書店、ISBN 4000092669
2006年2月 『日・韓「共生社会」の展望 韓国で実現した外国人地方参政権』新幹社、ISBN 4884000447
2007年2月 『日韓新たな始まりのための20章』岩波書店、ISBN 978-4000242448


翻訳[編集]
1985年5月 卓南生『現代の鎖国 アジアから日本の実像が見える』めこん、ISBN 4839600236
1986年8月 許雲樵、蔡史君(共編)『日本軍占領下のシンガポール 華人虐殺事件の証明』青木書店、ISBN 4250860280
1990年4月 卓南生『国際化日本の壁 アジアの常識と日本の常識』東洋経済新報社、ISBN 4492220887


出典[編集]

1.^ 公益財団法人 朝鮮奨学会 役員・評議員名簿 [2]
2.^ 民団新聞 田中宏教授に「東弁人権賞」 有志が祝う会25日、東京で(04.3.17) 2004-03-17
3.^ 民団新聞 名古屋コリアン・アカデミー 10月に第3期スタート(03.9.17)
4.^ 民団新聞 在日問題啓発へ人権セミナー 6月、東京で(03.5.21) 2003-05-21
5.^ 民団新聞 多民族共生をテーマに 研究集会に1200人 NPO主催(04.7.21) 2004-07-21
6.^ 『朝鮮学校差別問題で院内集会/国会議員など日本人士も参加、180余人 許さない!子どもたちへの差別=x(朝鮮新報)
7.^ 民団新聞 当事者の声が行政動かす−大阪と三重(02.11.27) 2002-11-27
8.^ 民団新聞 韓・日・在日ネットワーク 参政権獲得へ始動(04.10.20) 2004-10-20 [3]
9.^ 民団新聞 地方参政権相互付与を 東京でシンポ(04.11.10) 2004-11-10
10.^ 民団新聞 「韓日が先鞭を」 地方参政権韓国シンポ(04.12.1) 2004-12-01

関連項目[編集]
にしゃんた—元、山口県立大学准教授。現在羽衣国際大学教授。タレント。龍谷大学大学院で田中に師事していた。
栖原暁-東京大学教授


外部リンク[編集]
龍谷大学 Who's Who
在日韓国・朝鮮人高齢者の年金訴訟を支える会 - ウェイバックマシン
社団法人自由人権協会(JCLU)
●ノーモア南京の会・東京
中国人強制連行を考える会
研究者リゾルバーID:1000020086218、論文一覧(CiNii)

__________________


内海愛子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%B5%B7%E6%84%9B%E5%AD%90



13. 2015年6月05日 01:51:26 : lIpE51wU46

更に追加
コピペ妨害入りまくりです。

_____________


反日はどこからくるの

タグ:内海愛子

アンブロークンの赤い人脈(改定復刻版)
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/tag/%E5%86%85%E6%B5%B7%E6%84%9B%E5%AD%90


タグ:村井吉敬

グリーンピース、日本赤軍 そして犬(改定復刻版)
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/tag/%E6%9D%91%E4%BA%95%E5%90%89%E6%95%AC

村井吉敬さん逝去
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/242MuraiYoshinoriSeikyo.htm 一部拝借

2013年03月24日掲載

(略)

●葬儀は4月8日〜〜聖イグナチオ教会で行われ、喪主はお連れ合いの〜〜の内海愛子さんとのことです。

(略)


14. 2015年12月07日 16:56:36 : EXWf222U3A : zO5DtMQH1QY[10]

 健康的に痩せる たまーに 政治問題も


捏造南京大虐殺記念館は元社会党田辺誠と朝日新聞の企み

2014-09-21 16:05:46
テーマ:売国奴 反日
http://ameblo.jp/siitoruke/entry-11928150046.html

中国の教科書には日本自治区という地図が載っている

2014-09-07 22:13:29
テーマ:中国とはこういう国だ !
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140706/Taishu_8965.html

抜粋

日本はすでに中国の属国に!? 北京の教科書の仰天地図
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140706/Taishu_8965.html



15. 2015年12月07日 16:59:19 : EXWf222U3A : zO5DtMQH1QY[11]

訂正
ブログの方は↓でした。

http://ameblo.jp/siitoruke/entry-11921540432.html?frm_src=thumb_module


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