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春節で訪日した中国人観光客でにぎわう東京・築地の飲食店 =2月20日
【石平のChina Watch】「公」食い散らす「家族中心主義」 中国最大の病巣の薬は見つからない
http://www.sankei.com/column/news/150305/clm1503050008-n1.html
2015.3.5 14:00 産経新聞
2月19日から約1週間、中国は伝統の「春節=旧正月」を迎えた。期間中、全国で延べ約28億人が移動する計算となったが、その大半は家族と会うための帰省である。とにかく春節となると、どんなことがあっても家族の元へ帰っていくのが中国人の不動の習性である。「年に1度の民族大移動」とも呼ばれるこの奇観は、中国人にとって「家族」がどれほど大事なものであるかを物語っている。家族は、中国人の心と生活のよりどころなのである。
血縁による家族的つながりは昔から、中国伝統社会の統合原理でもある。近代以前、地域社会では同じ祖先と名字を持つ多くの家族が集結して「宗族」をなすのが普通だった。この宗族こそが人々の社会生活の中軸であった。何百、何千世帯からなる宗族は強い同族意識と連帯感の下で自分たちの閉鎖した社会を作って共通ルールを守り、互いに助け合って生きてきた。長い歴史の中で、戦乱があっても王朝の交代があっても、宗族だけが生き残る。
中国人特有の「家族中心主義」もそこから生まれるのである。この国では古来、社会生活の中心はあくまでも宗族あるいは家族であって、宗族を超えた「公」の意識が非常に希薄であった。人々は常に自分たちの家族や宗族を中心に物事を考えて行動する。その際、「家族のために」「一族のために」というなら、「公」の利益を損なうことや他人に迷惑をかけることも平気でやってしまう。
たとえば、官僚の腐敗汚職は中国史上の「不治の通病」といわれる。昔は1人が官僚にでもなれば、一族全員を富ませて繁栄させる重大な「責務」をおのずと背負うことになるから、賄賂に手を出さずにはいられない。「一族あって公無し」は中国人の昔からの行動原理である。毛沢東時代になると、それこそが社会主義国家建設の障害だ、と考えた彼は、人民公社運動を進めて伝統の宗族を破壊し、人々を社会主義の「公」に再統合しようとした。
しかし、その試みは見事に失敗に終わった。無理矢理に人民公社に入れられた中国の農民たちは、誰もが「公社」のために働こうとはせず、自分たちの家族に残された「自家保留耕地」の耕作に精を出すばかりであった。その結果、「公」の社会主義経済は沈没の一途をたどる。
この状況を徹底的に変えたのがトウ小平氏であった。その変え方は実に簡単である。人民公社を解体して耕地を各家族の「責任田」に戻すだけで、人々は再び汗水を流して働き始めた。これで中国は、食うや食わずの毛沢東時代から飽食のトウ小平時代へと変わったのである。
結局、カリスマ指導者の毛沢東氏にしても、中国人の「家族中心主義」の壁を破ることができなかったし、トウ小平氏の成功は結局、中国流の家族意識に配慮した結果にすぎなかった。
その半面、トウ小平時代からの「家族中心主義」の復活はまた、官僚の腐敗の蔓延(まんえん)や「公」の秩序と倫理の崩壊をもたらした。一族のために収賄に励む共産党幹部が続出する一方、家族や一族の中で「良い人」で通している普通の庶民も、公の社会に出れば、いきなり豹変(ひょうへん)して嘘をついて人をだましたり、「有毒食品」を作って、もうけたりして平然と悪事を働くのである。
このような現象の蔓延は逆に人々の社会に対する不信感を増幅させ、「家族がすべて」との風潮をよりいっそう広がらせる結果となる。そういう意味では、「公」を食い物にしたあしき「家族中心主義」こそが中国社会の最大の病巣の一つといえるのだが、それを治す「薬」はなかなか見つからない。このままでかの国は果たして本物の近代国家になれるのか、甚だ疑問なのである。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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