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中国河南省に立つ毛沢東像。毛沢東流政治の復活がしのび寄る (矢板明夫撮影)
【石平のChina Watch】中国で蘇る個人独裁と恐怖政治の亡霊 習氏の重要講話
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150212/frn1502121146003-n1.htm
2015.02.12 夕刊フジ
先月13日、習近平共産党総書記(国家主席)は党の規律検査委員会で「重要講話」を行った。その中で党内における「政治ルール」の重要性を強調し全党員に対し「ルールの厳守」を呼びかけた。そして19日、人民日報は論評で、習総書記の言う「政治ルール」の解説を行った。
論評は冒頭から、故人である共産党古参幹部の黄克誠氏の話を取り上げた。黄氏は生前、抗日戦争時代に中国共産党が延安に本部を置いたときのことを次のように回顧したという。「当時、毛沢東主席は電報機の1台で全党全軍の指揮をとっていた。電報機の信号はすなわち毛主席と党中央の命令であり、全党全軍は無条件にそれに従った。疑う人は誰もいない。皆はただ、延安からの電信に従って行動するだけでした」と。
論評は黄氏の回顧を紹介した上、「これこそはわが党の良い伝統である」と絶賛した。そして、「習総書記の語る政治ルールとは、まさに党の伝統から生まれたこのようなルールである」と結論づけたのである。
つまり共産党中央委員会機関紙の人民日報は明確に、今の中国共産党の党員幹部に対し、かつて毛沢東の命令に無条件に従ったのと同じように、習総書記に対しても無条件に従うことを要求したのだ。習総書記自身が持ち出した「政治ルール」という言葉の真意は、結局そういうものであった。
三十数年前、中国共産党はトウ小平の主導下で、毛沢東の個人独裁に対する反省から改革・開放の道を歩み始めた。それ以来、共産党は一党独裁を堅持しながらも党内における集団的指導体制の構築に力を入れてきた。
しかし今、共産党の新しい指導者となった習氏は明らかに、トウ小平以来の集団的指導体制の伝統を破って、自分自身の絶対的な政治権威の樹立と毛沢東流の個人独裁の復活を図ろうとしている。
毛沢東流政治の復活を思わせるもう一つの重大発言も最近、習氏の口から出た。先月20日、共産党政法(公安・司法)工作会議が北京で開かれたとき、習氏は「刀把子(刀のつか)」という恐ろしい言葉を持ち出して、国の「刀把子」は党がきちんと握っておくべきだと強調した。
中国語の「刀把子」は直訳すれば「刀のつか」「刃物の柄」のことだが、公安・司法関連の会議で語られたこの言葉の意味は当然、「人の命を奪う権力・権限」を指している。本来なら、司法が法律に基づいて犯罪者の命を奪うような権限を、共産党の握る「刀把子」と例えるのはいかにも前近代的な恐ろしい発想であるが、実はそれも毛沢東の発明である。
毛沢東は生前、まさにこの「刀把子」をしっかりと握って数百万人の国民の命を奪った。「刀把子」という言葉は、毛沢東時代の恐怖政治の代名詞でもあった。
トウ小平の時代以来、共産党が「法治国家の建設」を唱え始めると、「刀把子」という言葉は完全に消え去り、江沢民政権や胡錦濤政権下ではまったくの死語となった。
しかし今、習総書記はこの言葉を再び持ち出した。人の命を奪うような恐ろしい権力を、共産党という一政党によって握っておくべきだと公言してはばからなかった。もちろんその際、彼自身が毛沢東と同様、共産党の最高指導者として「刀把子」を自由に使える立場になるのである。
このようにして、今の習総書記は、自分自身に対する無条件な服従を「全党全軍」に求める一方、国民の命を恣意(しい)的に奪う権限をも手に入れたいのである。毛沢東が死去してから39年、中国人民に多大な災いをもたらした個人独裁と恐怖政治の亡霊は再び、中国の大地で蘇(よみがえ)ろうとしている。共産党内の改革派や「開明派」の反応は未知数だが、このままでは、この国の未来は真っ暗である。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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