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周永康の腹心、死刑執行――劉漢兄弟ら5人
http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20150210-00042924/
2015年2月10日 0時1分 遠藤誉 | 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
2月9日、周永康の腹心で手足でもあった劉漢兄弟ら5人の死刑が執行された。周永康には石油閥、公安閥、四川閥、秘書閥などの利権集団があったが、劉漢は四川閥の一人。周永康の公判と判決を推測する上で見逃せない。
◆劉漢(りゅうかん)はどのような罪を犯したのか?
1965年、四川省で生まれた劉漢(りゅうかん)は、80年代半ばに木材や建材などを転売する商売に手をつけ、90年代初期に弟の劉維とともに賭博性を帯びたゲームセンターを設立。それを足場にして97年に四川漢龍集団公司を創設した。
99年に周永康が四川省の書記(1999年〜2002年)として赴任してくると、二人の関係は一気に濃密になり、劉漢は周永康の長男・周濱とビジネス関係を結ぶようになる。
2001年に不正をしたとして拘束されそうになったのだが、「一本の電話」により逃れることができた。
電話の主は、周永康。
四川省の書記なのだから、最高トップの座にいる。
書記というのは、もう少し正確に言えば「中国共産党四川省委員会書記」のことである。
公安も検察も、そして司法さえ、中国共産党の指導下にある。その「書記」が「劉漢を逮捕するな」と言えば、それで済む。
それ以降、劉漢の企業は爆発的な成長を見せるようになり、劉漢は中国国内だけでなく、アメリカやオーストラリアなどで上場する企業の主となるに至る。経営する企業の数は30社を越え、ついには四川省公安関係の人事まで、彼のひと声で動くほど、周永康に食い込んでいった。
2012年11月15日に習近平政権が発足すると、習近平はすぐさま四川省の汚職撲滅運動に着手し始めた。その結果、劉漢は2013年3月13日に拘束され、2014年2月に部下の36人とともに提訴された。
容疑は「ブラック社会(マフィア)組織への参加」「故意殺人」「汚職」「不正蓄財」「銃刀法違反」…などである。劉漢の家からは、大量の銃や弾薬が見つかっており、裁判では4人の殺人が確定された。
2014年5月23日に死刑判決を受け、法廷で大泣きするマフィアのボスの姿がネットを覆った。
http://news.sohu.com/20150209/n408858802.shtml?pvid=93c166271308bb4a
8月7日に上告していたが、一審判決が覆ることはなく、2015年2月9日に弟の劉維や部下3人とともに死刑が執行されたのである。
◆周永康がつくった四川閥とは?
周永康は、どのようにして四川閥を形成したのか、そのプロセスを少しご紹介したい。
根っからの「石油男」として1985年ごろまで(のちのペテロチャイナ=中国石油天然気集団公司のコアとなる)遼河石油にいたのだが、中央にいた曽慶紅(そう・けいこう)に見込まれ、85年から中央行政省庁の一つであった石油工業部の副部長(副大臣)に就く。
曽慶紅は江沢民の腹心で、「石油閥」を創りあげて利権をむさぼろうとしていた。
習近平が清華大学を卒業して、父親のコネで軍事委員会秘書長の秘書になっていた70年代末から80年代初頭にかけて、習近平は曽慶紅と親交を深めている。
一方、89年6月4日に起きた天安門事件を受けてトウ小平に指名され中共中央総書記に就任した江沢民との接触の舞台を、曽慶紅は周永康のために用意した。
江沢民との接触が可能となった周永康は、96年からペテロチャイナの総経理兼党組織書記という、石油閥としては最高の地位を固める。
曽慶紅も江沢民も、周永康を上海閥および石油閥の手駒として便利に使える存在だとみなして、周永康に、より高い官位をつぎつぎと与えた。
そして99年12月になると、突如、四川省の書記に任命される。
ここに深慮遠謀の壮大な計画が隠されていた。それは中国という国家を変えていくような策謀である。
1999年6月10日に、江沢民は法輪功の弾圧を始めていた。「6月10日」という月日にちなんで「610弁公室」と呼ぶ弁公室を設置。
江沢民と曽慶紅にはこのとき、法輪功弾圧を正当化する「駒」として周永康を使おうという腹づもりがあった。
そのためには何としても周永康を公安関係の高位に付けさせなければならない。それも公安部部長(大臣)程度ではなく、公安部を管轄する中共中央政法委員会の書記に持って行き、その書記を中共中央政治局委員のレベルでなく、いずれ政治局常務委員の座にまで持って行こうとしていた。
常務委員になるには大きな地方の党委員会書記を経験していなければならない。
では、どの地方にするか。
実は90年代後半から東部沿岸部と西部内陸部との貧富の格差が看過できない状況に至っていた。そこで西部大開発という大戦略を2000年から実現していくという国策が動いていた。
そのため周永康を、西部大開発の心臓部となる四川省の書記に配置したのである。
大きな権限を与えられた周永康は、四川省において法輪功の弾圧だけでなく、公安関係に対して書記としての権限を行使するようになる。
こうして周永康の周りにでき上がっていったのが、「四川閥」である。
死刑を執行された劉漢が、銃刀法違反など、多くの銃や弾薬を保持していたのは、ただ単に劉漢自身がマフィア的な「あこぎな」仕事をしていたというだけでなく、周永康が公安・検察に巨大な力を発揮していた結果という要素は否めない。
裁判で劉漢は、「自分はただ単に四川省の“貴人”のために奉仕しただけだ」と叫んで泣いている。
その“貴人”こと、周永康はいま牢獄の中。
劉漢ら5人の死刑執行は、やがて来るであろう周永康に対する判決に向けての「地ならし」の一つとみなしていいだろう。
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