02. 2014年12月05日 07:13:31
: jXbiWWJBCA
漢化を進めれば進めるほど嫌われる中国 中国株式会社の研究(259)〜10年ぶりの新疆ウイグル自治区 2014年12月05日(Fri) 宮家 邦彦 この原稿はウルムチ発ビシュケク行き航空機の中で書いている。これで筆者の居場所が分かる読者は相当の国際通だろう。ビシュケクとはキルギス共和国の首都。キルギスは、北はカザフスタン、南はタジキスタン、西はウズベキスタンと接する中央アジアの山国だ。では、なぜ「中国株式会社の研究」に書くのかって? それはキルギスの東方国境が中国の新疆ウイグル自治区と接しているからである。 ウルムチ経由の中央アジア 利用規約
地図 航空写真 今回は変わったルートでビシュケクに到着した。昨日朝羽田から北京に入り、中国国内線に乗り換えてウルムチで1泊。ウイグルが今も中央アジアかどうかを再確認するためだ。 ビシュケクはウルムチから2時間足らず。時差も2時間なので、ウルムチを午後に出発すると、ビシュケクにはほぼ同時刻に着く。 キルギスの時間がおかしいのではない。ウルムチの時間が驚くことに北京時間と同じだからである。 今回は北京空港で初めてトランジットを経験した。国内線ウルムチ行きは結構混んでいたが、ウイグル族らしき乗客はほとんど見かけない。ファーストクラスの最前列には賢そうな漢族の共産党幹部らしき紳士が座っていた。 ウルムチ到着後、現地党幹部連中が丁重に出迎えていたので、恐らく間違いないだろう。往きの飛行機の中から、既に新疆での北京と漢族の優位は明白だった。 機内も相変わらずである。漢族の中国人は大声で喋り捲り、何度注意されても離陸直前まで携帯電話での通話をやめようとしない。エコノミー席の乗客がキャビンに入りきらない大型手荷物をファーストクラスのキャビンにまで無理やり持ち込もうとする。 「そこまでするか」とは思ったが、中国では「毎日が生存競争」であることをふと思い出した。そうだ、驚いてはいけない。俺はまた中国に帰ってきただけなのだ。 変わり果てたウルムチ ウルムチ中心部の漢族の看板(写真はいずれも筆者撮影) ウルムチを訪れるのは10年ぶり、前回は在北京日本大使館の広報文化を担当していた頃だ。ウルムチの博物館に日本政府の文化無償協力で機材を供与した。その引渡し式に出席した記憶があるので間違いないだろう。
当時のウルムチはまだ漢族のプレゼンスが比較的小さく、市内中心部でも大きなアラビア文字のウイグル語に小さく漢字が添えられた広告や宣伝が主流だった。 あれから10年。今回驚いたのは、市内中心部のほとんどすべてのホテル、オフィスビル、商店街などの看板、サイン、広告が大きく漢字で書かれ、ウイグル語が事実上消えつつあるように思えたことだ。 漢字の大きさに比べれば、ウイグル語による広告やサインは申し訳程度のサイズでしかない。話には聞いていたが、新疆ウイグル自治区の「漢化」はもはや不可逆的現象だ。今回はこのことを実感させられた。 変わらない博物館 今回再びあの博物館を訪れた。10年前の小さな建物は2005年に全面改修され、巨大な博物館に生まれ変わっていた。中には歴史文物陳列館、新疆民族風情陳列館など新しいコーナーが追加されていたようだが、1つだけ昔と変わらないことがあった。 それは、この新疆ウイグル自治区の博物館に「ウイグル人の歴史と文化」を紹介するコーナーがほとんどないことである。 10年前も同じだった。当時は漢族の館長さんからウイグル関係の展示がない理由として「博物館の大改修のため」という説明を受けた覚えがあるのだが、やはりあれは嘘だったのか。 それでも、当時よく聞かされた「遅れた新疆ウイグル地域に共産党が文明をもたらした」とする実に尊大なプロパガンダはもうなくなっていた。さすがに、あのキャッチフレーズは評判が悪かったのだろう。 博物館に向かう前、ホテルの漢族スタッフに内々聞いてみた。ウルムチ中心部の人口は今7〜8割が既に漢族となっている。現地人であるウイグル人たちは徐々に同市南部の一角に追いやられているそうだ。その場所を聞きつけ、博物館訪問後タクシーで向かったが、そこには昔懐かしいウイグル族の「中央アジア」がしっかりと残っていた。 ウイグル族の悩み ウルムチ市内のウイグル人地区 市内南部にあるウイグル人地域は近代的なバザールと大きなモスクを中心に形成されていた。この場に立つと、10年前のウルムチ中心街を思い出す。
一応大きなビルがあるにはあるが、一つ路地に入ると、そこでは過去数百年変わらないのではないかと思える中央アジア独特の雰囲気と匂いに圧倒される。 それにしても、彼らウイグル人はあの文化も習慣も大きく異なる漢族とどう折り合いをつけているのだろう。 この点が気になったのでバザールの中でいろいろ聞いて回ったが、率直に話してくれるウイグル人はさすがにいなかった。当然だろう、見も知らぬ外国人に余計なことを話すほど彼らは暇であるはずがないからだ。 されば、彼らの断片的な言葉の中から筆者が感じ取った独断と偏見を思いつくままに列挙してみたい。 ●ウルムチは近代都市であり、市内にウイグル系の伝統的ムスリムやジハーディストが多数いるとは思えない。いるとすれば、それはウルムチ以外のカシュガルやホータンなどであろう。 ●ウイグル族の多くが一部の過激派ジハーディストを支持しているとも思えない。一般のウイグル人の不満は政治的なものよりも、むしろ経済的格差や不公平感によるものだろう。 ●最大の不満は漢族との不平等感である。ウイグル自治区で石油・天然ガスを開発するのはいいとしても、開発するなら現地のウイグル社会にも利益を均霑(きんてん)してほしいというのが本音だろう。 ●漢族による被差別意識も小さくない。ウイグル人の大半は真面目に暮らしているのに、「イスラム国」のごとき外国の影響もあってか、漢族に「テロリスト」呼ばわりされることは我慢ができないのだろう。 ●近くウイグル語による民族教育が打ち切られるとの噂もあり、現在の子供の世代になると、ウイグル地域の「漢化」が一層進む恐れがある。ウイグル族の将来については漠然とした不安がある。 といったところではなかろうか。要するに、もともとウイグル人自体は全員が反中国でも、反共産党でもなかったのだが、北京がウイグル地域の「漢化」を進めれば進めるほど、ウイグル人の「反漢族感情」が助長されてきたのだろう。 そうであれば、北京は今のような居丈高な政策を一日も早くやめ、自治区に進出してくる漢族と現地ウイグル族との合弁・協力企業を増やしていけばいいのに、と思わざるを得ない。 ウイグル人と中央アジア ウルムチ市内のモスク ウイグル人の話すウイグル語はいわゆる「テュルク系」言語であり、近隣諸国で文化的にウイグルに最も近いのはウズベキスタン、次がトルクメニスタンだと聞いた。
ウイグル人も以前は遊牧系だったが現在は定住しており、同じテュルク系のモスレムでありながら、遊牧民系のカザフスタンやキルギスとは心理的にも一定の距離があるらしい。 それでも、テュルク系だから、トルコには親近感がある。ウイグル人はトルコに3か月も住めば、日常会話は不自由なく生活できるという話も聞いた。これだけでも、ウイグル人のアイデンティティが実に複雑で重層的であるかが分かるだろう。 こんな人々を力で支配できるわけがない。内政干渉をするつもりはないが、北京はもっと真摯に彼らの声に耳を傾けるべきではなかろうか。 おっと、もう飛行機は着陸態勢に入った。次回はキルギスのビシュケクから眺めた中国についてご報告したい。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42386
|