01. 2014年12月03日 08:00:22
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「中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス」 台湾地方選挙「馬英九NO」の意味 若者の覚悟が動かす台湾、問われる日本 2014年12月3日(水) 福島 香織 11月29日に投開票が行われた台湾の地方選挙がすごいことになった。これは6つの直轄市長(台北、台中、台南、高雄、新北、桃園)ほか、直轄市議375人、県市長16人、県市議532人、郷鎮市長198人、郷鎮市民代表2096人、村里長7851人、山地原住民区長6人、同区民代表50人を選出する9つの選挙を一度に行い、通称「九合一」選挙と呼ばれている。で、この結果が1949年、台湾の国民党統治が始まって以来の記録的な国民党大敗北を喫する結果となったのだ。 惨敗という言葉でも足りない 台北市長選では国民党名誉主席・連戦の息子、連勝文候補を相手に、57.16%の得票率で、無所属新人の柯文哲候補が当選した。柯候補は台北大学付属病院の元外科医、経験ゼロの「政治素人」で、口下手で、人見知りで、およそ政治家向きではないと思われる。だが、医者としての人望の高さもあって、市民からおおむね好感をもたれていた。 一方、国民党の対立候補の連候補は祖父の代から国民党の中心にいる政治家サラブレッドでありながら、聞くところでは国民党内の人望はあまり高くない。一般市民にしてみれば、連戦名誉主席は資産200億NTDを隠し持つと噂される特権階級であり、中国利益の代表であり、その親の威と金を借りたドラ息子という印象だ。総統の馬英九と連戦は犬猿の中なので、連家に台北市を牛耳らせたくないという意思もあって、党内のバックアップが十分でなかった、と聞いている。だが台北はいわば「首都」であり、国民党の牙城。無所属新人が簡単に勝てる選挙では本来なかったはずだ。 台北以上に驚いたのが台中と桃園で民進党候補が勝ったことだった。台中はマフィア勢力の強い地域で、3期13年を務めた現職・胡志強候補は、いわゆる国民党的金権政治の権化みたいな人物。台中の選挙といえばマフィアが集票マシーンとなってかなりえげつない。 だがその土地で、民進党の林佳龍候補が57.06%の得票率で当選。桃園は国民党の地盤で事前の世論調査でも国民党圧勝と見られていた都市。さらに新北の国民党ホープ、将来の総統候補と目される朱立倫候補の辛勝ぶりが、他都市の敗北よりもショックだったにちがいない。16県市長も国民党がとったのはわずか5県。惨敗という言葉では足りない負けっぷりである。 なぜここまで雪崩を打ったような負け方をしているのか。一言でいえば、馬英九政権への不信任票であるといえよう。台北市で、手あたり次第に、柯文哲に投票した有権者に「なぜ柯文哲に入れたか?」と聞けば、一番頻繁に受ける答えは「馬英九にNOを言いたい」ということだった。中には生粋の国民党支持者だが、今回の選挙で初めて国民党以外に投票する、という人もいた。 「馬英九にNOを言いたい」 馬英九政権下の台湾では呪われているかというぐらい、不幸な事件が多い。連続する食品安全事件、47人が死亡した旅客機の着陸失敗、台北の地下鉄の無差別殺傷事件、200人以上が死傷した高雄市街地のすさまじいガス爆発事故…。いずれも馬英九の責任、というわけではないのだろうが、その事件後の対応がまずく、有権者の神経を逆なでするようなところがあったというのは事実だっただろう。うまく表現できないが、この人ではダメだ、この人の代わりならとりあえず誰でもいい、と有権者が強く思ってしまうようなダメさなのだ。 投票結果が出たあとのテレビ番組、翌朝の新聞でも、解説者は「国民党の大敗北は馬英九のせい」というニュアンスを滲ませた。国民党寄りの「聯合報」の翌日の一面見出しに「江宜華(行政院長=首相に相当)は辞任 馬主席は辞任せず」とあり、暗に馬英九はなぜ党主席辞任を辞任しないかと批判を含ませた。同じく中国時報も「1949年以来の大敗戦 総統府だけが残っている」と皮肉の見出し。国民党内、親国民党派にも「馬英九離れ」があるのだ。(党内圧力もあって、最終的には馬英九が党主席を辞任することになりそうだ。) そして、この馬英九批判、党内の馬英九離れに、拍車をかけたのが、言うまでもなく春の「ひまわり学生運動」であった。馬英九政権が強引に進めようとした中国とのサービス貿易協定に反対して、学生たちが3月18日から24日間にわたって立法院を占拠した。馬英九総統の学生に対する誠意のない対応のあと、王金平立法院長(国民党)が総統の意向を無視する形で、学生に譲歩する形で運動を終わらせた。 この学生運動についてはこの欄で何度かにわけて紹介したが、非常に戦略的でクレバーな学生運動で、その運動によって喚起された台湾アイデンティティが、今回の選挙の結果に結びついたと言ってよい。ちなみにひまわり学運は「無色の学生運動」と呼ばれ、国民党(青)と民進党(緑)の双方から距離をとった運動であったが、実際にはリーダーの学生二人は親民進党派で民進党の支援を受けていた一方で、運動幹部には外省人が少なからずおり、しかも運動をもっとも効果的に着地させたのは国民党の古だぬきこと王金平であったという、青緑混合の運動でもあった。 「青緑混合の無色」から「白色」へ 柯候補の選挙運動は明らかに、この運動の文脈上にあり、「白色の力」をスローガンに訴えていた。つまり「青と緑の対立の政治からの脱却」である。青も緑も一緒になってよりよい台北を作ろう、ということだ。 だが、なぜひまわり学運のときのように「無色」と言う言葉ではなく、「白色」と言う言葉を使ったのか。白色と言う言葉は、台湾人には白色テロを連想させるし、あまりよくないのではないか。この疑問への明確な答えは見つかっていないのだが、「医者の白衣の白だろう」「国民党への皮肉じゃないか?」あるいは「白色というのは赤色(共産党)と対比する色で、真の敵は赤色ってことでは?」といった意見を聞いた。 ひまわり学運はサービス貿易協定に代表される中国の台湾経済支配にノーを言う運動であり、中国との和平協定にひそかに意欲を燃やす馬英九総統への疑念が、青も緑も関係なく広い世論の支持を得ることに成功した。馬英九総統へのノーは、親中国派へのノー、ともいえる。香港で起きている「雨傘革命」に対し、馬英九総統は支持を表明するなど、民主国家のリーダーとして中国との思想的距離をアピールしたものの、ほとんどの有権者は、これを選挙前の擬態であると見ているし、その見方は正しいと思う。反馬英九意識が青緑の長年の政治構造を越え、民主主義国家・台湾のアイデンティティというものを探しあてようとしているなら、その向こうに赤色を見ているからではないかという気がする。 馬英九政権二期目が始まってからの台湾の急激な中華化、台頭する中華化へのアンチテーゼとしての台湾アイデンティティの形成、今年に入っておきた「ひまわり学運」、そして今回の地方統一選挙、やがて2016年に予定される総統選挙までを一つの流れと考えると、今年は決定的に台湾の潮目が変わった年ではないか。そしてその潮目を変えた大きな力が学生運動であったというのは、とても台湾的であったと思う。台湾は学生運動によって民主化が進み、政治を変えてきた実績があり、今回もそうであった、ということだ。若さというのは、やはり一つのはっきりしたエネルギーの塊であるし、それが効果的に作用すると、世の中は少しずつでも変わってゆくのだなと、台湾を見ていると、やはり思うのである。 ここで、日本の若者と政治のかかわりをちょっと考えてしまう。日本も総選挙を控えているが、そこで政治を語る若者というのが、実に小賢しいというか胡散臭く見えてしまう自分がいる。これは私だけだろうか、と見回すと、結構同感を表明する人が多い。例えばNPO「僕らの一歩が日本を変える」は10代の政治意識の向上や政治参加の拡大を目指す高校生、大学生の集まり、らしいのだが、やはり胡散臭い。そのNPOの元代表が小学4年生を偽って民主党に有利な安倍政権向けネガティブキャンペーンを仕掛けたという事件がネット上に晒されたのも大きいのだが、たとえその事件がなかったとしても、胡散臭さというのは感じたと思う。 リスク負って動く若者たち。日本は? だが、台湾や、あるいは香港で見かける政治意識の高い若者たちの言動については、たとえ、その行動に違法性があるとしても、うっかりと共感を持ってしまう。これはどうしたことか。台湾在住日本人文筆家の片倉佳史氏に尋ねると「危機感の違いじゃないですか」と言うことだった。さらに「台湾の若者は、対立する意見に対して、聞く姿勢があり、議論しようという姿勢があるけれども、日本の若者の政治意識は自己主張・自己実現に終始する」ともいう。 この説明は、腑に落ちるところがあって、台湾の若者の政治意識の背景には中国に対する危機感が切実にある。それは中国が台湾に向けてミサイルを配置しているという危機感であり、中国資本に牛耳られた大企業スポンサーのせいで、メディア上に中国批判言論がなくなったという危機感であり、GDPは増えても若者の雇用が増えない中国依存経済への危機感である。 中国化してしまえば、台湾人が享受してきた自由な言論も民主も危うくなる。実際、香港では、学生たちが普通選挙を求めて時に暴力に身をさらして道路占拠を続けているが、中国は一向に妥協のそぶりも見せていない。大人たちは、その危機感を堂々と声に出して言うことを怖れる。だが、人生経験が浅く、まだ恐れを知らない若者が大胆にも、その危機感を訴えると、おろかだと思う人がいても、内心は共鳴したりすることがある。 危機を意識しているから自ら背負うリスクを覚悟している。政治運動なんてものは、成功すれば英雄だが、失敗すれば人生を棒に振る。ひまわり学運のリーダーたちは、運動が終わったあとの責任は自分たちが負うと、堂々と舞台の上で宣言した。香港の若者は運動中に警察に逮捕されて「前科あり」になれば、将来の仕事や人生設計に大きな障害となるリスクを覚悟して「雨傘革命」を継続する。かくして、台湾や香港では些末な対立を乗り越えて、自分たちの未来を考えようという世論が広がってゆく。 日本の政治意識の高い若者たちに、そういう切実な危機感があるか、リスクを負う覚悟があるかとういうと、ないだろう。「前科あり」になるとか、将来を棒にふるかも、とか、そういうリスクどころか、人前でボロカスに論破されるリスクですらとろうとしない。だから、小4を偽った匿名でネット上に議論を巻き起こそうとか小賢しいマネをするのではないか。自分をちやほやと持ち上げ肯定してくれる人としか付き合えない。 東アジア変動へ。今こそ動け また日本の「意識高い系」と呼ばれる、メディアで持ち上げられ(すぐに飽きられる)若者の主張や行動が、自己実現・自己主張・自己陶酔ばかり、という印象を持ってしまう。人と議論を戦わせてより高い知見を得ようという姿勢があまり見えない。自己陶酔は必要なのだが、やはり、政治を語るならば、日本をよく変えたい、という公の意識もちょっとくらいは必要だろう。 こういう話をすると、いいじゃないですか、それだけ日本は平和なのですから、という人は多いだろうし、私も日本は平和なんだな、と思ってきた。でも、本当にそうだろうか、と今思う。 台湾の政治の潮目が変わるということは、実は東アジア情勢にもかなり影響があるはずである。日本にとって、中国は危機だというつもりもないけれども、日本をめぐる経済的、安全保障的な環境というのは、これから劇的に動いていくかもしれない。 そういう時代に、男の嫉妬で動いているような永田町とか、米国の核の傘に守られていることを知りながら、憲法九条のおかげで日本は平和が守られているとかうそぶく似非リベラルとか、親米VS親中に単純化されがちな対立構造とか、既存のそういうものをこえて、日本人が広く共有できる方向性だとか、アイデンティティとかを提示できるのは、もう、固定観念に懲り固まって老化が始まっている私たちの世代の脳みそではなくて、無知や非常識をも武器にできる若者世代じゃないだろうか。そういう「意識の高い若者」がそろそろ出てくる頃のような気もするのだが。 それとも、日本はもう少し切実な危機にさらされないとダメなのか。 このコラムについて 中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス 新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。 中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。 特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20141201/274489/?ST=print
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