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香港デモ、中国へ返還後の17年間に不満爆発 貧富差超拡大、親中派支配、囁かれる資金源
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141120-00010004-bjournal-bus_all
Business Journal 11月20日(木)6時0分配信
●香港トップの行政長官立候補者は中国政府が選ぶ
香港島の西側に位置する太平山(ヴィクトリア・ピーク)には、中腹を周回する盧吉道(ルガード・ロード)がある。無理をして山頂まで行かなくても、この道を北側に回れば、香港島と九龍半島に挟まれたヴィクトリア・ハーバーの「百万ドルの夜景」を眺望できる。目前に広がる湾の手前には、政治・経済の中心である金鐘(アドミラルティ)や商業地区の銅鑼湾(コーズウェイベイ)、対岸の九龍半島中部には繁華街の旺角(モンコック)――いずれも長期化する香港デモの闘争現場だ。
香港の主権が英国から中国に返還されて今年で17年。この間、香港は中国における「特別行政区(中国香港)」として経済的主権を与えられ、中国政府はこの「一国二制度」をテコにして、「台湾の統合」と「中国経済の成長エンジンづくり」を実現しようと計画した。前者は今も台湾側が断固拒絶しているが、後者はすでに実現している。現在の香港政府トップは梁振英行政長官。建設業界出身で筋金入りの親北京派だ。中国は1984年の「中英連合声明」で1997年の返還から2047年までの50年間、香港で社会主義政策は実施しないことを合意した。猶予期間は33年も残っている。
その香港で、ポスト梁振英を決める17年の行政長官・普通選挙制度の内容に対する反発から今回のデモが始まった。政府が今年8月末、次のような内容の取り決めを発表したからだ。
「候補者は1200人の指名委員会で過半数の支持を得た者から2〜3名に絞る」
「指名委員会は政界、工商・金融界、専門業界、労働・宗教界の4大分野から選出する」
つまり、立候補者は(事実上)政府が選ぶということだ。この発表を受け、民主的な選挙に変更するよう訴える若者や市民が蜂起し、民主化デモが冒頭の各地区を埋め尽くした。警察当局がデモ隊に向けて催涙弾を撃ち放った翌日の10月1日、デモ参加者は実に10万人に膨れ上がった。香港当局が金鐘のバリケード強制撤去を始めたのは11月18日。デモの経緯はすでに世界中のメディアが報じている。
●限界に達した混乱への不満
しかし、17年の選挙問題は、民主派の香港人にとって爆発のきっかけに過ぎない。学生や市民の不満と反発は、今回発端となった不公平な選挙方法だけが理由ではないからだ。
返還前後の時期に遡って、香港の情勢をざっと振り返ってみよう。反中派の富裕層の大半は返還前に国外へと脱出しており、当時居残った香港人の多くはこうした層以外の人々。返還後、さまざまな場面で「香港人」としてのアイデンティティが崩れる機会が相次いだ。返還と同年に勃発したアジア通貨危機や03年の感染病SARS流行で、不動産価格が軒並み下落した。そして、この10年余、中国大陸との人的往来が盛んになったことで香港の秩序が崩れ、その混乱が限界に達していたのである。
デモの底流に流れるそうした伏線について、香港在住の村尾龍雄弁護士は次のように解説する。
「中国政府は03年、香港との間で経済緊密化を目的とする協定『CEPA』(Closer Economic Partnership Arrangement)を締結しました。これを機に大陸から不動産投資を目的とする通称“イナゴ軍団”が雪崩込み、下落していた香港の不動産を買い漁ったおかげで、物件価格が凄まじい勢いで暴騰したのです。中心部のマンションなどは1億円程度では絶対に買えません。香港人としてのアイデンティティだけでなく、実利的な面でも一般庶民は大きな打撃を受けており、そうした不安と不満の累積が今回のデモの本質だと思います」
ちなみに総工費50億円ともいわれる自宅に住む超富裕層、国際的な俳優ジャッキー・チェンは、今回の民主化デモに反対しているが、まさに現在の香港の構図を象徴するエピソードといえよう。経産省の元官僚A氏は、推測をまじえてこう読み解く。
「親中派の富裕層は絶対に守られます。メディアはデモを“雨傘革命”と呼んでいますが、当事者の学生たちは“運動”だと言っており、目的は香港独立ではなく選挙制度改革だと主張しています。ところが、中国政府は断固として譲ろうとはしない。当面は、香港を親中派の富裕層1200人に支配させ続けたいからです。香港のゴタゴタを台湾に見せれば台湾統合はさらに遠のきかねないのに、なぜそこまでこだわるのか不思議です」
●超格差社会をもたらした中国政府
実は、中国政府が香港市民を捨てても守ろうとしている富裕層には、A氏のいう親中派だけではなく多国籍外資系企業も含まれる、という言い方が適切かもしれない。その背景には、中国政府が香港を超格差社会にさせたという歴史がある。
かつて、香港返還を指揮した許家屯は、元中国最高指導者・トウ小平【編註:「トウ」の正式表記は漢字】の密使として「陰の総督」とも呼ばれた。中国政府の高級官僚や新華社香港支社長を歴任するが、89年の天安門事件で政府から民主派寄りの人物として睨まれ、90年に米国へと亡命した。亡命先で執筆した著書『香港回収工作』(筑摩書房/原題『許家屯香港回憶録』)で、許家屯は英国との暗闘など返還前の数多の秘録を明らかにした。
例えば、同書にはトウ小平が当時のサッチャー英国首相に、「京人治港」ではなく「港人治港」とすることを約束したという記載がある。「香港を統治するのは中国政府の人間ではなく、香港人自身である」という意味だ。しかし、一国二制度下の香港は資本主義経済下の特別行政区であり、巨大資本が経済全体を主導して貧富の二極化が進むのは当然の成り行きといえる。そのことを中国共産党の最高実力者だったトウ小平が想定しないはずはない。そうであれば、トウ小平とサッチャーが合意した「港人治港」とは、一般庶民ではなく巨大資本を擁する親中派企業による統治だったということになる。
親中派の富裕層1200人が指名する候補者の中から選ばれる17年の行政長官選挙で、香港の超格差社会がさらに強まることを阻止するために蜂起した民主化デモに対して今回強権が発動されたのは、そもそも中国政府にとって香港が、「民主化が予定された地」ではなかったことを暗示している。
●囁かれる香港デモの“奥の院”
一方、民主派の動きにも腑に落ちない点があるとの指摘もある。「ウォール街を占拠せよ」に倣ったキャッチフレーズ「オキュパイ・セントラル」は、街頭デモで「金融街の中環(セントラル)を占拠せよ」という意味だ。ところが、9月28日にその計画は中止され、占拠地は九龍の旺角をはじめとする市街地の路上に変更された。親中派は「デモの圧力が一般市民に向けられた」と糾弾。実際、市街地の路上デモが交通や商売を妨げたため、一般市民の反発は強まった。さらに、親中派は「民主派の資金源は米国だ」と非難している。前出A氏が語る。
「先月はじめに放映されたロシア国営テレビの報道番組も、香港デモの資金源が米国由来のものだと報じたようです。米財務省が予算づけした金の一部らしいのですが、ルートやその都度の名目は諸説あってよくわかりません。ただ、今回のデモで中国政府が最も恐れる国際金融センター占拠は結局、実現しませんでした。つまり“奥の院”は米国政府というよりも欧米の大手資本なので、『中環はタブー』ということなのではないでしょうか」
ちなみに、盧吉道からヴィクトリア・ハーバーを見下ろす景観に林立する高層ビル群には多くの欧米系巨大企業が入居している。最近は日本企業が急増しており、昨年は米国と並び最多となった。その中でも中国と特に因縁深い企業の一例を挙げておこう。中環に突き出た52階建ての真っ白な超高層ビル「ジャーディン・ハウス」には、英国系多国籍巨大企業ジャーディン・マセソン商会の本部が置かれている。かつて、中国にアヘンを持ち込み、同時に茶を運び出すことで中国は疲弊し、同社は盤石の経済基盤を築いた。
その時代から数えれば実に170年余。大英帝国の植民地・香港に本社を移転したのも同じ時期だ。日本の幕末期に坂本龍馬らを支援し、龍馬暗殺後の明治期には海援隊会計係だった岩崎弥太郎の三菱財閥創業を支えたトーマス・グラバーはよく知られた人物だが、彼のグラバー商会は当時、同社の長崎代理店だった。
歴史の事実を振り返りながら夜景に埋もれた香港デモを眺めると、宝石のように美し過ぎる絶景が少し肌寒くも感じられる。
藤野光太郎/ジャーナリスト
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