01. 2014年11月13日 07:47:40
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「米中新時代と日本の針路」 安倍+習会談は「首脳会談」だったのか? 会談に2人の政治局員が加わらなかった理由 2014年11月13日(木) 加藤 嘉一 本連載では、11月10〜11日に北京で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を機に、市場や世論が期待する日中首脳会談は開かれるのか、開かれるとしたらどう開かれるのか、日中関係はどう発展するか、といったテーマを約1カ月にわたって取り上げてきた。 結果として、日中首脳会談は行われた。会談を検証する前に、これまで同様、この期間に起こった日中関係の動向をレビューしてみよう。これらの動向なしに会談はあり得なかった。日中間の外交努力に敬意を払うプロセスでもある。 首脳会談に先駆けて、谷内氏と岸田外相が訪中 11月6日、谷内正太郎国家安全保障局長が訪中し、楊潔篪国務委員と会談をした。この会談を経て、翌日の7日、「日中関係の改善に向けた話し合い」を持った日中両国政府は4項目から成る“合意文書”を発表した。 11月8日、APECに出席するために訪中した岸田文雄外相が王毅外相と約2年ぶりの公式会談を行った 。両外相は前日に発表した合意文書を、日中関係の改善という観点から前向きに評価すると同時に、日中ハイレベル経済対話を再開させるなどの一致を見た。 同じく11月8日、APECに出席するために訪中した宮沢洋一経産相が高虎城商務相、苗圩工業相と会談した。2人の閣僚との会談後、宮沢氏は「実り多い会談だった」と記者団に語っている。 そして11月10日、APEC首脳会議に出席するために訪中した安倍晋三首相が人民大会堂で習近平国家主席と約25分間会談した。両首脳は海上連絡メカニズムに関する事務協議を実施していくことや戦略的互恵関係を発展させることを確認し合った。 習主席が村山談話を引き合いに出しつつ「歴史問題は13億人の中国人民に関わる感情の問題」と歴史問題で牽制を試みたのに対し、安倍首相は「安倍内閣は歴代内閣の歴史認識を引き継いで」おり、日本は引き続き平和的な発展の道を進むとの意思を伝えた。 APEC首脳会議終了後の11日夜、北京市内のホテルで記者会見した安倍首相は、習主席との会談について、「両国が戦略的互恵関係の原点に立ち戻り、関係を改善させていくために大きな一歩を踏み出すことができた」と感想を述べた。 両首脳はギャップを埋められなかった 前回の「日中首脳は“立ち話”をするくらいがちょうどいい」では、日中首脳会談の有無と形式をめぐる4つのシナリオを示した。 (1)会談は一切なし (2)15分程度の立ち話 (3)30分程度の非公式接触 (4)60分程度の公式会談 そして、「シナリオ2か3が、ベストではないかもしれないがベターだろう」「逆にシナリオ1か4は危険である」と指摘した。日中関係の持続可能な発展という視点から評価した結果だ。 結果はシナリオ3に近い会談であった。 ここからは、筆者がそう判断する理由を含め、日中首脳会談をめぐる検証作業を行っていく。 安倍首相と習主席が北京で会ったのを受けて、筆者は日中両国および米国をはじめとする第三国の世論をウォッチするとともに、政策関係者や有識者たちと意見交換をしてきた。(1)会談をするにあたって日中どちらが譲歩したのか? (2)習主席の無表情と冷たい対応、および《人民日報》が日中会談の記事にだけ両国の国旗を映さなかったことは何を意味しているのか? (3)そんな習主席の表情や振る舞いを安倍首相はどう認識したのか?――といった話題が盛り上がっている。 “譲歩”に関して、本連載でも紹介してきたように、習主席と安倍首相の間にはギャップが存在していた。習主席は以下の2条件を約束しないと首脳会談は行わないとしてきた――(1)日中間に領土問題が存在することを何らかの形で認めること、(2)安倍首相が靖国神社に参拝しないことを何らかの形で明らかにすること。一方、安倍首相は首脳会談に条件をつけてはいけないと主張してきた。 筆者の見解では、両国首脳は共に自らの考えを曲げず、最後の最後までギャップを埋めるには至らなかったが、と同時に、第三の道を摸索した。 その道を象徴するのが11月7日に両国政府が公表した4項目から成る“合意文書”である。習主席が安倍首相に求めた2つの条件(領土と歴史)に関わる2項目を以下に挙げる。 (2)双方は、歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。 (3)双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。 (2)は、安倍首相が靖国神社に行かないとは記していない。(3)でも、日中間に領土問題が存在するとは書いていない。日本語版、中国語版を含め、文面を読む限り日本側は譲歩していない。 一方、中国メディア・世論は、「日本側が初めて領土問題に関する異なる主張を認めた」と盛り上がっている。米国のメディア・世論も、日中が尖閣諸島をめぐる問題に関して“Agree to Disagree”(意見が異なることに同意)という認識を示している。「日本側が譲歩した」「ついに日本側が“異なる主張”を認めた」というわけだ。 合意文書の文言は日本の譲歩を示唆する 「日本側が譲歩した」という認識が蔓延している理由は2つある。 1つは、合意文書の文言だ。(2)は、明記はしていないけれども、「安倍首相が靖国参拝に関して自制し、中国側にもその類の旨を事前に伝えているであろう」(ワシントン在住ジャーナリスト)ことを表わしているように読める。(3)においては、領土問題が存在するとは記してないけれども、“尖閣諸島”という固有名詞を後に残る合意文書のなかで初めて使った。しかも“近年緊張状態が生じていることについて”に対してではあるけれども、“異なる見解”が存在することを認めている。 日中首脳会談の実現に尽力された日本の外交関係者は「いやいや、そんな解釈はおかしい」と立腹されるにちがいない。筆者もこういう認識が蔓延するのは筋違いであると思う。しかし、外交に精通した官僚が巧妙なレトリックを使って作り上げたものとはいえ、その文書がそっくりそのまま大衆世論に伝わり、理解され、議論されるだろうか。現状ではなかなか難しい。筆者はワシントンの地でそのことを痛烈に感じている。 日中合意文書は、日本の外交政策とその政策の背景にある戦略や意図を、いかにして、国際世論に対して能動的に発信していくか、という問題を改めて浮き彫りにしたと言えるだろう。 「合意文書なしに、安倍首相と会うことはなかった」 2つ目の理由は、そもそも今回の合意文書がこのタイミングで作成・公表されたことだ。 中国側は、日中首脳会談を行うための条件として、事前に合意文書を作成し、公表することを求めた。「正式な合意文書を作ることなしに、習主席が安倍首相と会う決断をすることはあり得なかった」(中国共産党関係者)。言い換えれば、合意文書の作成・公表することなしに、日本側が求める日中首脳会談に応じることはないというルールを作ったのである。 11月8日の記者会見で王毅外相が言及したように、「APEC期間中の中日首脳会談は日本側が提起した」というのが中国側の断固とした立場であり、国際世論における普遍的な認識である。日本側としても、この点は否めないであろう。 APEC首脳会議という日本の政府首脳として必ず出席する場を使って、なんとか習主席に単独で会い日中政治関係の打開につなげたい、というのが日本側の意図であった。でなければ、APECとは関係なく、単独で習主席を日本に呼ぶか、安倍首相が中国へ飛べばいい。現段階ではそれが難しいからこそ、APECという、日中両首脳が必然的に同じ時間と空間に居合わす国際舞台を活用した。 結果的に、“合意文書を作成・公表しなければ日中首脳会談に応じない”という中国側が求めた前提条件を飲んだという意味で、日本側が譲歩したことは否めない。日本側は、APEC主催国として主導権を終始握った中国が作ったルールの中で勝負せざるを得なかったのである。 もちろん、そうまでしてでも、APECで習主席と会談を行おうとした安倍首相の信念と行動を、筆者は1人の有権者として正視している。その上で、今後に向けた検証事項として2つの点を指摘したい。 中国の優れた情報発信力 1つは、“合意文書”という日中外交史に永遠に残り続ける“紙”を残してまで、APEC首脳会議の場で安倍首相が習主席と会う必要があったのかという点だ。現段階では筆者に結論はない。これから各界の関係者と協力しながらじっくり検証していくつもりだ。 もう1つは、日中両国政府は、なぜ合意文書の英文版を共同で作成せずに、それぞれに作成したのか、という点だ。日中両政府は、英文版をそれぞれ別々に発信した。表現もニュアンスも若干異なる。たとえば、領土に関わる(3)を、日本側は以下のように英訳している。 Both sides recognized that they had different views as to the emergence of tense situations in recent years in the waters of the East China Sea, including those around the Senkaku Islands… 一方、中国側の訳はこうだ。 the two sides have acknowledged that different positions exist between them regarding the tensions which have emerged in recent years over the Diaoyu Islands and some waters in the East China Sea… 筆者が注目した3カ所に下線をつけた。例えば、日本は“different views=異なる見解”、中国側が“different positions=異なる立場”という別々の表現を使っている。 そして、米国をはじめとする国際世論は中国政府が作成した英文版を率先して取り上げているように見える。中国が今回のAPECの主催国であるという事実を考えれば当然の成り行きである。 筆者の知る限り、世界中にある中国の在外公館の精力的な広報活動も背景にある。中国政府が作成した英文版を現地のメディア、学術機関、政府や議会に対して貪欲に発信している。これらの状況を日本政府が事前に察知できないはずはないにもかかわらず、なぜ両国政府が共同で英文版を作成しなかったのか? 仮に両国がそれぞれに作成するにしても、相互に確認し合い、問題点を指摘しあう作業をなぜしなかったのか? あるいは、確認し合ったうえで中国政府が作成した英文版の表現を容認したのか? 筆者の推測だが、国際世論に対する中国の発信力を日本政府が甘く見ていた、のではないだろう。日本外務省は日本文と中国文が正しく対になっているのかを確認することで精一杯だったのではないか。谷内・楊会談が6日、合意文書の公表が7日、外相会談が8日で、首脳会談が10日のお昼というスケジュールである。 王滬寧、栗戦書両政治局委員は同席しなかった 最後に、習主席や中国政府が今回の日中首脳会談をどう認識していたのかという問題を考えてみたい。 この問題を、今回の首脳会談に関わった共産党中央の幹部にぶつけてみた。すると、以下の答えが返ってきた。 「習主席としても、党中央としても、今回の件には慎重に挑んだ。政治リスクはとった」 この人物との会話を基に、中国側がとったリスクと慎重姿勢を検証してみたい。 まずは合意文書の内容だ。文書には「靖国」という2文字も、「領土問題が存在する」という文言もない。同幹部が「我々としては不満が残った」と漏らすように、中国側としては当然、習主席が事前に求めていた2つの条件を文書のなかに盛り込みたかったことであろう。党中央や政府としては、事前の日本側との協議のなかで2つの条件に関する何らかの確信を持ったから首脳会談に踏み切ったのだろうが、中国の一般大衆がどう認識するかは別問題である。 次に、習主席が安倍首相と会談をする過程で終始慎重姿勢を崩さなかった。習主席は笑顔を見せないどころか、安倍首相に対するおもてなしに温かみが欠けているようにさえ見えた。 国営新華社通信が配信した記事を見てみよう。 日中首脳会談については「習近平国家主席はアジア太平洋経済協力会議に出席するために訪中した安倍晋三首相の求めに応じて会談した」と報じた。一方、同じく11月10日、人民大会堂で行われた中韓首脳会談に関しては、「習近平国家主席は朴槿恵大統領と会談した」と報じている。同じく10日、人民大会堂で行われた習主席とブルネイ、マレーシア、ベトナム、パプアニューギニアの政府首脳との会談も、朴槿恵大統領との会談と同じ表現を用いている。 安倍首相との会談に対してのみ、“APEC会議に出席するために訪中した”点を強調し、“求めに応じて”、という表現を用いたのだ。(参考までに、新華社英文版の表現は以下のとおり: President Xi Jinping met with Japanese Prime Minister Shinzo Abe at the Great Hall of the People at the latter's request who is in China for the APEC Economic Leaders' Meeting.) さらに、習主席がこれらの国家の首脳と会談した際には、王滬寧、栗戦書両政治局委員、楊潔篪国務委員が同席したにもかかわらず、安倍首相との会談だけ両政治局委員が同席しなかった。楊潔篪国務委員だけが同席した。これも首脳同士の公式会談ではないことを示す。 人民日報記事の写真が意味するもの そして、極めつけが《人民日報》の記事である。日中首脳会談を映した写真にだけ両国の国旗が映っていなかったのだ。 「これらの事実は何を意味するのですか?」 前述の幹部に聞いてみた。先方はこう答えた。「習主席は訪中した安倍首相に会ったのではなく、APEC非公式首脳会議に出席した安倍首相と会ったということだ。APECに関しては、中国は主催者に過ぎない」 筆者は続けて質問した。「要するに、中国としては、今回の日中両首脳による面会は公式な会談ではないということですね?」 先方は間を置かずに答えた。「当然だ。公式でないばかりか、政府の首脳と政府の首脳の会談でもない。APECを主催する国家の首脳とAPECに出席した国家の首脳との会談だった」 これが中国側の“公式見解”なのであろう。これを日本側がどう捉えるか、および日本政府がどういう“公式見解”を持つかは日本側の問題である。独自のスタンスを堅持すればいいと思う。ただ、今後とも中国と付き合っていくために、中国側の“公式見解”を知る必要が日本人にはある。外交には相手がいるからだ。 従って、今回の日中首脳会談は「シナリオ3」に近いものだった。筆者はそう結論付けている。 このコラムについて 米中新時代と日本の針路 「新型大国関係」(The New Type of Big Power Relationship)という言葉が飛び交っている。米国と中国の関係を修飾する際に用いられる。 「昨今の米中関係は冷戦時代の米ソ関係とは異なり、必ずしも対抗し合うわけではない。政治体制や価値観の違いを越えて、互いの核心的利益を尊重しつつ、グローバルイシューで協力しつつ、プラグマティックな関係を構築していける」 中国側は米国側にこう呼びかけている。 ただ米国側は慎重な姿勢を崩さない。 「台頭する大国」(Emerging Power)と「既存の大国」(Dominant Power)の力関係が均衡していけば、政治・経済・貿易・イデオロギーなどの分野で必然的に何らかの摩擦が起こり、場合によっては軍事衝突にまで発展しうる、というのは歴史が教える教訓だ。 米国が「中国はゲームチェンジャーとして既存の国際秩序を力の論理で変更しようとしている」と中国の戦略的意図を疑えば、中国は「米国はソ連にしたように、中国に対しても封じ込め政策(Containment Policy)を施すであろう」と米国の戦略的意図を疑う。 「米中戦略的相互不信」は当分の間消えそうにない。それはオバマ=習近平時代でも基本的には変わらないだろう。 中国の習近平国家主席は米カリフォルニア州サニーランドでオバマ米大統領と非公式に会談した際に「太平洋は米中2大国を収納できる」と語り、アジア太平洋地域を米中で共同統治しようと暗に持ちかけた。これに対してオバマサイドは慎重姿勢を崩さない。世界唯一の超大国としての地位を中国に譲るつもりも、分かち合うつもりもないからだ。 互いに探りあい、牽制し、競合しつつも、米中新時代が始まったことだけは確かだ。 本連載では、「いま米中の間で何が起こっているのか?」をフォローアップしつつ、「新型大国関係」がどういうカタチを成していくのか、米中関係はどこへ向かっていくのかを考察していく。その過程で、「日本は米中の狭間でどう生きるか」という戦略的課題にも真剣に取り組みたい。 筆者はこれまで、活動拠点と視点を変化させながら米中関係を現場ベースでウォッチしてきた――2003〜2012年まで中国・北京に滞在し、その後は米ボストンに拠点を移した。本連載では、筆者自身の実体験も踏まえて、米中の政策立案者や有識者が互いの存在や戦略をどう認識しているのかという相互認識の問題にも、日本人という第三者的な立場から切り込んでいきたいと考えている。政策や対策は現状そのものによって決まるわけではなく、当事者たちの現状に対する認識によって左右されるからだ。 日本も部外者ではいられない。どういう戦略観をもって、米中の狭間で国益を最大化し、特にアジア太平洋地域で国際的な利益を追求し、国際社会で確固たる地位と尊厳を獲得していくか。「日本の針路」という核心的利益について真剣に考えなければならない。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141112/273744/?ST=print
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