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「垂直都市」幻想にとりつかれる中国、超高層ビル建築ラッシュ=高さ世界トップ10の大半占めることに!―英紙
http://www.asyura2.com/14/china5/msg/127.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 03 日 22:30:05: igsppGRN/E9PQ
 

30日、英紙ガーディアンは、「『垂直都市』幻想にとりつかれる中国」と題し、中国の超高層ビルの建設ラッシュをめぐる状況について伝えた。写真は上海タワー。


「垂直都市」幻想にとりつかれる中国、超高層ビル建築ラッシュ=高さ世界トップ10の大半占めることに!―英紙
http://www.recordchina.co.jp/a96707.html
2014年11月3日 6時20分


2014年10月30日、英紙ガーディアンは、「『垂直都市』幻想にとりつかれる中国」と題し、中国の超高層ビルの建設ラッシュをめぐる状況について伝えた。

9月末、高層ビルの計画・運営などに関する国際NPO「高層ビル・都市居住協議会(Council on Tall Buildings and Urban Habitat、本部・イリノイ工科大学)」の年次会議が上海で開催された。上海での開催は2年前に続き2回目。協会CEOのアントニー・ウッド氏は「建築設計や技術の面で、多くの重要な出来事が中国で起きている」と語る。

現在中国政府は都市化を推進しており、各地で超大型都市の建設ラッシュが起こっている。その特徴は超高層ビルと秩序なき拡張だ。来年竣工する上海タワー(632メートル)は世界第2の高さになる予定。上海だけでなく蘇州、深セン、武漢など各地で超高層ビルの建設が相次いでいる。20年には世界の超高層ビルの高さランキングトップ10のうち、6つが中国となると言われている。

超高層ビル建設に対する法の整備や規制について何か学べる教訓は?と思うところだが、現在の中国では環境をめぐる市民の反対運動が起きることなど想像もできない。


 

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コメント
 
01. 2014年11月03日 23:08:50 : s4UDP1Wapw

日本からの移住受けいれの準備。じゃないよね、ね。

02. 2014年11月04日 07:46:18 : jXbiWWJBCA

「再来一杯中国茶」
生きづらい中国で、美しく生きる人々

システムと個人の相互不信【後】

2014年11月4日(火)  中島 恵

(前編から読む)

 前編では、中国で出会った「システムの不備」に纏わる話をあけすけに編集担当Y氏にしていたら、彼から「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」と言われて、どきっとしたことをお話した。

 中国では、公共の施設はすべてが管理する側の視点で設計されており、使う人がどんなに不便だろうが、そんなことは知ったこっちゃない、というほど使いにくい。障害者用のサービス(点字ブロックなど)もあることはあるが、ブロックは途中で寸断されていたりする。公共の乗り物を利用しなければならない人々は、いつもそのインフラに我慢しなければならない。

 でも、私はずっと不思議に思っていたことが2つあった。1つ目は「中国人はこのシステムにあまり頭にきている様子がないのだけど、どうしてだろう?」ということ。2つ目は「中国人のお役人はあんなに頭がいいのに、どうしてこんな使い勝手の悪い設計をするのだろう?」ということだ。

 地下鉄の自販機にコインやお札が入らずモタモタして焦っていても、私はこれまで後ろの人からせっつかれたことは一度もない。以前、中国人の若者たちと地下鉄に乗ったとき、コインが詰まってしまって自販機が動かなくなったことがあった。みんなして昔のテレビみたいに機械をドンドンと叩いてみたけれどダメ。駅員を呼ぶことになったのだが、私だったらこの際、いつも思っている自販機に対する不満のひとつも言ってみたくなるのだが、若者たちは一言もいわず、素直にコインを返してもらっていた。

 ということは、「もしかして、みんなこの使い勝手の悪いインフラに満足しているってこと? そして、そもそも、どうしてお役人はこんな設計をするの?」と思った。

「修正は不可能、自分だけでも生き残ろう」

 今回の中国での取材では、私はそんな疑問も友人に問いかけてみた。すると友人はこう言った。

「そうじゃないですよ。ある程度知識を持った人たちは、この巨大な国で今のシステムを直すことはほとんど不可能に近いとわかっているから、あきらめているのです。それ以外の人たちは、大概こんなもんだろうと思って、何も考えていないかも。ほとんどの中国人は海外に出たこともないし、海外と比較してみたこともないから……」

「それに、日本人には信じられないでしょうけど、これでも昔よりは数段よくなっているんですよ。荷物検査機だって、みんな意味がないとわかっています。でも、文句を言ったって仕方がない。あそこにいつも3人くらい係員がいるでしょ。理屈から考えて彼らは必要ないんですけど、それを追求していったら、彼らだけでなく他にも不要になる仕事がたくさんある。意味がなくても既得権益があってそれを糾弾できない」

「つまり、どんなに優秀な人でも、自分がこの巨大な国を建て直そうという気持ちにはなかなかなれない。直していくのは膨大なエネルギーと予算と努力、大勢の人の理解が必要だからです。だから、壮大なシステムを元から直していく、なんていう正義感や使命感を持つのはあきらめ、“自分だけはここから抜け出そう”と思うんです」

「2つ目の質問ですけど、高級官僚や偉い人たちは地下鉄やバスに乗ることはないから、関係がないですよ。ただ大勢の中国人をいかに管理しやすくするか、頭にあることはそれだけなんです。人々の利便性を考えたシステムにすれば、それだけ管理も複雑で面倒になりますからね。大事なことは、自分も既得権益側の人間になり、優位に立つことです。公共交通機関など一度も乗らなくて済むような…。そう思って努力するほうがずっと現実的だし近道ですからね。だから、一心不乱に猛勉強するしかないんです」

 日本人でも、私のような貧乏人が中国で暮らせば、“中国化”せざるを得ない。

人間的にも「上には上が」いるのが中国

 街にゴミをポイ捨てすることはないにせよ、もともと汚く使っているもの(トイレなど)を、あとに使う人のために自分だけはきれいに使おうとか、みんなももっときれいにしようよ、などと呼びかけるというような殊勝な気持ちにはなかなかなれない。心がすさみ、諦めてしまうからだ。だからつい日本と比較し、余計に中国を軽蔑したり、嫌いになってしまいがちになるのが日本人の心情なのかもしれない。

 だが、このような厳しい状況の中国で暮らしていても、そこに染まらず、きりりと立派に生きている中国人は大勢いる。前述したように、中国人の幅は日本人が想像できないほど広く、下には下がいるが、上には上も大勢いるのだ。

 それは、金持ちを指しているのではない。簡単にいえば、世の中をよく知り、礼儀やマナーを重んじ、教養があり、他人を思いやれるような人格者、とでもいったらよいだろうか。日本より遙かにひとに過酷な環境でありながら、その辺を歩いている庶民の中にそういう清廉な人、ちゃんとした人がいるのである。

 私もこれまで数々の「すばらしい中国人」に出会ってきた。現在も交流している人が大勢いるが、もう二度と会えない人もいる。

 大学の卒業旅行をしたときも、そういう立派な中国人に助けられた。四川省の大足という田舎を旅していたのだが、言葉がまったく通じず困っていた。そのとき、同じ町を観光していた上海人の若夫婦が声をかけてくれた。衣服は新しくはないが清潔で、言葉遣いもきれいな標準語。物腰もやわらかだった。日本人ひとりで旅していると知り、一緒に観光してくれたのだが、大足の史跡に詳しく、教養のある優しい夫婦だった。

「諦めない人」がいるからこそ

 その後も旅先で、何度か名もない中国人に助けてもらった。当時、日本人と中国人の間にはかなりの経済格差があったはずだが、彼らから見返りを要求されたことは一度もない。名前も覚えていないし、インターネットもなかったから今では連絡を取る手段もないが、いつも中国の街を歩くとき「あのとき出会ったあの人はどうしているだろう。元気かな?」と心の中で思っている。それ以来、日本に暮らしている自分も外国人には親切にしようと思ってきた。

 先日北京で知り合った中にも、前述の病院関係者とは異なるが、医者の卵がいた。彼女は中国の荒廃した医療状況を何とか改善したいと思い、別の大学で経済学を勉強したあとに一念発起して医学部に進学した。彼女の父親は日本に十数年間住んでいたが、やはり「母国の発展に尽くしたい」と帰国し、ある研究職に就いている。

 大きな流れにはなかなかつながらないが、さまざまな業界で「このままではいけない。中国をもっとよくしたい」と思ってがんばっている中国人もきっと大勢いるはずだ。逆説的な言い方だが、そういう人々がいるからこそ、さまざまな不備はありつつも今の中国はここまで発展することができたのだ、ともいえる。

 私が書いてきた本の中に出てくる中国人たちも、みな立派な人々だった。若者が多かったが、尊敬できる人ばかりであり、今も交流を続けている。はっきりいって知的面でも、人格的にも「私にはもったいない」と思うようなハイレベルな友人ばかりであり、実はときどきついていけない。

 彼らは日本やアメリカに留学するなど恵まれた家庭で裕福に育った人もいるが、中国から一度も出たことがない人や、内陸部の出身者もいる。必ずしも裕福に育った人ばかりではない。

 私の本に何度も出てくる王剣翔さん(24歳)は、私が生涯大切にしたいと思っている友人のひとり。奨学金を得て米国の有名大学の大学院で学んでいる秀才だが、幼い頃は家が貧しくて服が数枚しかなく、恥ずかしい思いをしていたという。でも、先日上海で再会したとき「私は中国人に生まれてきてよかった」と語っていた。

「貧しかったから、幸せのありがたみが分かる」

 なぜなら「貧しかった経験があったからこそ、親にも感謝できる。今がどんなに幸せか、そのありがたみもわかるから。最初から裕福で何でも持っていたら、そういうことはわからなかったと思う」からだという。米国には富裕層の中国人も多いし、奨学金で学んでいる中国人もいる。そこで世間を見るうちに、いろいろと感じることがあったのだろう。彼に会ったとき、たまたま私の母親が今度手術をするという話をしたのだが、そのことを覚えていてくれて、手術前にはお見舞いのメールをくれた。

 私はこれまでも、雑談のとき、彼ら本人に「(あんな過酷な環境の中で)どうしたらそんなにちゃんとした人に育つの?」と聞いてみたことがある。そういう質問は中国の方に失礼だったかもしれないが、マイナス100からプラス100までいる中で、以前から私の素朴な疑問だった。

 生き馬の目を抜く変化の激しい中国では、価値観が変化しやすく、自分を見失いやすい。以前は違ったのに、世の中に流されて拝金主義に走り、人格が変わってしまう人も少なくない。あまりにもレンジが広く「何でもあり」の中国で揉まれているというのに、どうやったらこんなにしっかりしたいい子に育つのだろう?

やはり「親」だろうか

 彼らは「そんなことないですよ〜」といって照れるばかりで、その理由はいまだにはっきりわからないのだが、私が感じたところでは、やはり親御さんの教育だろうと思う。私は何人かの留学生の親に会ったこともあり、また、間接的に両親や、さらに祖父母の生い立ちまで聞いたことがあるのだが、「この親にしてこの子あり」と感じるところがあった。

 共通するのは、勉強だけを重視してきたのではないという点だ。彼らは人間として立派に育つように、深い愛情をかけられ、かつある程度厳しくしつけられている。

 そんなこと当たり前だろう? と思う人もいるかもしれないが、これまで述べてきたように、中国の現状を知れば、礼儀や分別をわきまえた人間に育てることはそんなに簡単なことではない。昨今の親は、子どものカバンを持ってあげることや、送迎が愛情だと思っている人もいて、子どもたちの一部も「こんなに勉強させられているのだから当たり前」と思っている。

 それは日本でも同じだが、日本の場合、親の教育以外に、学校や友だち、クラブ活動、塾、習い事、自治会の活動、アルバイトなど社会のあらゆる方面から学ぶものもけっこう多く、社会全体として子どもを育てていっている面もかなりあると思う。50代になっても、人生で最も感銘を受けたのは、中学のときのクラブ活動の先生、と振り返る日本人は少なくないだろう。だが、中国でそれを期待することは難しい。

 以前、日本に2年間だけ住んでいて、子どもを日本の幼稚園に通わせた経験のある中国人女性から聞いたことがあるが、中国の幼稚園の先生と日本の幼稚園の先生は全然違うそうだ。中国では「子どもが好きだから保母さんになった」という人は少なく、資格や条件で保母さんになるという人が多いそうだ。その女性は、日本の幼稚園に行ったとき、保母さんが子どもに対し「まるで本当の母親のように優しく接している」のを見てびっくりしたという。

 このコラムの読者の方はご存知のように、中国ではクラブ活動もないし、勉強以外に人を評価する基準がない。そういう中では、子どもの得意分野を伸ばしてあげるなど、伸び伸びとした教育を受けさせ、他人を思いやる子に育てるのは難しい。人の気持ちばかり思いやっていたら、いつまでも自分の順番は回ってこないからだ。

 学校の先生は勉強以外教えてくれない。だから、道徳も含め、それ以外のことはほとんどすべて親が教えてあげることが重要で、子育てにかかる親の責任や役割は、もしかしたら日本よりも重くなるのではないか。

 天国のようなシステムの日本に住んでいて、日本人のマナーや礼儀がいいのは当たり前だ。高度にシステムが機能し、何ごともお上まかせになっていて、この日本のシステムがどういうふうに働いているのかさえ考えたこともないのが今の日本人だ。

 その我々からしてみると、システムの不備や、一部の中国人のマナーの悪さは、どうにも我慢がならないときがある。それは自らの恥ずかしい体験を含めて認めるしかない。できすぎた日本と比べてしまうからだ。

上海で窮地を救ってくれた青年

 これまで中国の不備を「楽しんできた変わった性格の自分」であったが、年齢とともに体力が落ちてきてからは、なかなかその不便さを楽しむ余裕がなくなってきた。普通は年齢とともに楽をする(お金で便利を買う)ようになりカバーできるのだが、それができない自分は、身体がしんどいがために、このところ中国の悪い面にばかり目を向けてしまっていた。

 でも、ここまで述べてきたように、システムの欠陥=中国人の質の低さだと決めつけてしまうのは大きな間違いだ。現に、来日した中国人は日本の高度なシステムの中に入ったら、私たちと同じようにルールを守り、きちんと生活しているし、中国では不備な中でも、助け合って暮らしている人々がいる。

 そういえば、2〜3年前、上海で地下鉄を降りるとき、切符をカバンの奥底にしまいこんでしまったらしくて見つからず、カバンをゴソゴソやりながら改札の手前で突っ立っていたことがあった。

 周囲をキョロキョロ見渡してみたが、誰も私に気づいてくれない。日本のようにすぐ脇に駅員がいる窓口がないから、「切符を失くしました」と言いに行くこともできず、とても困っていた。そのとき、改札の外側にいた見ず知らずの青年が改札ギリギリのところまで近づいて来て、私に手招きした。

 「えっ、なに?」と思って寄っていくと、自分の交通カードを改札口にタッチしてくれ、私を外に出してくれたのだ。一瞬、何をしてくれたのかわからなかった。「あっ、ありがとう!」という前に、その青年はニコニコして立ち去ってしまったのだが、心がとてもほっこりしたことを覚えている。不便なシステムだからこそ知り得た、ささやかな人の温かさであった。

年を取るほど勘違いが増えそうだけど

 システム=人ではない。考えてみれば当たり前のことなのだが、幸福な国、日本に住む私たちは、知らず知らずにうちにこの国のシステムまで日本人という民族の質の高さとイコールであるという傲慢な勘違いをしていないだろうか?

 システムを個人と同一視する勘違いに気づかないまま時間が経てば、Y氏が「中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と前回で嘆いたように、“中国嫌い”がどんどん増えてしまう。体力気力が年を取って衰えていけばなおさらだ。私も相当危ないところだった。

 今後、このシステムの差が少しでも埋まっていくことが理想だ。そうなることが、両国に住む人々の気持ちをも少しずつ近づけていってくれるのではないかと願っている。

 大事なことを見失いかけていたが、担当編集者Y氏の仏頂面のおかげで、忘れかけていた経験も思い出すことができた。

 謝謝! Y氏。そして、中国の尊敬する友人たち。

このコラムについて
再来一杯中国茶

マクロではなく超ミクロ。街中にいる普通の人々の目線による「一次情報」が基本。うわさ話ではなく、長時間じっくりと話を聞き、相互に信頼を得た人から得た、対決ではなく対話の材料を提供する企画。「中国の人と」「差し向かいで」「お茶を一緒に」「話し合う」気分を、味わってください。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273065/?ST=print


03. 2014年11月04日 07:47:29 : jXbiWWJBCA

「中国嫌い」になるワケを身をもって知る

システムと個人の相互不信【前】

2014年10月31日(金)  中島 恵

 北京、上海の病院関係者と友人になった縁で、病院内を見学させてもらうことになったのだが、北京市内の大病院の入り口に到着したところ、のっけから驚いてしまった。

 「問診部」と書かれた外来の玄関の両脇に、たくさんのふとんや段ボール、小型の椅子、ボストンバックなどが置かれ、そこに(つまりコンクリートの地面に)大勢の人が座ったり横たわったりしていたのだ。

「こ、これは一体何なの? あっ、農村から出てきたのに診療してもらえないで待っている人たちの列?」

 友人に聞いてみると、「そういう人たちと、入院患者の家族たちの両方だ」という。中国も日本同様、完全看護であり、家族が病室で寝泊まりできない決まりになっているが、地方の農村などから患者に付き添ってきた家族は長期間ホテルに泊まるお金がない。しかし、帰ることもできず、こうして病院の玄関にふとんや段ボールを敷いて、面会以外の時間を過ごしているのだという。

 一方、毎朝発行される整理券をもらいそこねた患者は、医者に直談判すると数枚だけ追加の整理券を発行してもらえる仕組み(というか、ごり押しが可能)になっているため、誰かに先を越されまいと玄関先でずっと待っているのだ。そして夜は雨風を避けるため病院内のホールに入り、ふとんを敷いて過ごしているとか…。

他人の診察中に、医師を取り囲む?

 診察室や入院病棟もくまなく見せてもらったが、日本とのあまりの違いに驚いた。

 ある意味、恐ろしいほどに「オープン」なのである。

 6人部屋の病室のカーテンは常に空けっぱなしだ。患者同士がしっかり“情報交換”するためで、患者は「自分だけ騙されていないか」「自分は同じ病状の他の患者と同じ治療をちゃんとしてもらっているか」、他の患者やその家族らとつねにコミュニケーションを取っているのだという。ひとたび入院すれば、患者同士は全員が知り合い。何かあれば一致結束して医者を問い詰めるというのだ。

 日本では1人の診察が終わると次の患者が呼ばれ、常にひとりの患者だけが中に入っていくのが普通だ。何を当たり前のことを、と言わないでほしい。が中国では(少なくとも北京で私が確認した複数の病院では)診察室のドアは常に空いている。中には患者と医者だけでなく、順番を抜かされないようにと待っている次の患者やその家族たちが大勢いて、みんなで医者を取り囲み、その言動を見守っている。

 名前は明かせないが、ここは北京でも有名な大病院だ。患者の評判もいいという。北京郊外から大勢の患者もやってくる。そんな「いい病院」でも、こうした風景は日常茶飯事だと聞いて、私はめまいがしそうになった。

 これはまさに、よく日本のメディアで面白おかしく取り上げられ批判されている「とんでもない中国」そのものじゃないか! 具合が悪くて病院に行くというのに、そんなに病院を信用できないなんて……。私はすっかり毒気に当てられてしまった。

 そうかと思えば、別の日にはまったく違う驚きがあった。

 夕方4時半、北京市内の有名高校(中学と同じ敷地内にある)の先生と待ち合わせがあり、校門前に出向いた。小雨が降っていたが、たいしたことはなかった。ふと周囲を見ると、なぜか大勢の人がいる。祖父母やお手伝いさんらしき人が手に手に傘を持って立っていて、しかも校門前の道路にはたくさんの高級車の縦列駐車がはるか向こうまで連なっている。もしかして中学生(か高校生)の下校を待つ家族の車なのか。

 この日は9月2日。新学期(中国は9月が新年度)が始まって2日目であり、子どもたちはまだ学校に慣れていないだろう。だが、別に大雪が降っているわけでもない。日本では夕方に中学生のお迎えをする家族がこんなに大勢いるだろうか? 雨だったからだろうか?

 現れた友人に聞いてみると、友人は笑いながら「びっくりしたでしょ? でも北京では普通のこと。有名な小学校に行ったら、朝夕のラッシュはもっとすごいですよ。遠方から地下鉄やバスに乗って通ってくる子も多いし。送迎は少しでも子どもの負担やプレッシャーを軽くしてあげたいという、せめてもの親心なんです」と話してくれた。

ここでも戸籍制度の問題が

 校門で見ていると、家族やお手伝いさんは子どもの顔を見つけるやいなや、リュックサックやカバンを持ってあげて、一緒に傘をさして車のほうへと歩いていった。確かに中国の子どもは幼稚園から高校まで、とにかく勉強漬けであるが、中学生になってまで家族が送り迎えをし、校門前の道路がこんなに渋滞してしまうとは。これまで下校時間に進学校に行くことがなかったので、気がつかなかった。

 しかし、中国の事情をよく知れば、親がこんなにも子どもに過大な期待をかけ、過保護になってしまうことも少しは理解できる。中国では子どもを少しでもいい学校に通わせたいと、進学校の近くにわざわざ引っ越す家族が多い。通常は居住地域にある学区内の小学校に通うべきなのだが、かつてあった重点学校制度(政府が資金を投入して優秀な教師を配置したエリート校)の名残で、同じ公立小学校なのに、行く学校によってレベルに大きな開きがある。レベルの低い小学校に通えば、いい中学やいい高校に通える確率はかなり低くなり、学歴社会の中国で落ちこぼれてしまう。

 だから、みんなこぞって子どもをいい学校に入れたいのだが、中国ではその学区に戸籍がないと通えない決まりがある。

 そのため、裕福な親たちはその学区の高額な不動産(北京大学などがある人気地区にあるマンションならば中古でも1億円近くもする)を購入し、戸籍を移しているのだ。また、戸籍地以外から通ってくる場合は数百万円ともいわれる多額の学校選択費を支払わなければならない。この問題に関してはあまりにも内容が複雑でわかりにくいので、後日機会があれば当コラムで取り上げてみたい。

日本の10倍、上も下もある社会

 とにかく、私が行った中学・高校も有名な進学校なので、親たちは勉強すること以外、ほとんどすべてのことを子どもに代わって必死でやってあげるのだ。むろん、それもこれもすべて我が子(と一族)の生き残りのため、輝かしい未来のためである。

 中国出張中、私は病院の床で寝ている貧困層から、高級車で子どもの送り迎えをする富裕層まで、ありとあらゆる生活レベル・知的レベルの中国人と接する。その段階は、たとえば日本がマイナス10〜プラス10までだとしたら、中国はマイナス100からプラス100までといえるくらい幅広い。イメージするならば、マイナス100は農村の中でもとくに貧乏で1年に1度くらいしかお肉を食べられない人、プラス100は汚職して数億円蓄財するお役人や大成功を収めた企業経営者などだ。

 この“あまりにも違い過ぎる人々”が同じ都市、同じ街に混在しているのが中国の特徴であり、突拍子もないほどのレンジの広さこそ、中間層が圧倒的に多い日本人から見て、どうしても理解しにくいところだと私は常日頃から感じていた。

 しかし――。

 頭ではわかっていても、人間は視界から飛び込んでくる出来事、とくにマイナス方面のインパクトに強く引っ張られ、影響を受けてしまう生き物である。私が地下鉄に乗って街を歩いていると、どうしてもマイナスのほうに分類されるマナーの悪い人たちに目が行く。だから、私もつい瞬間的にイラっときてしまうし、中国にはマナーの悪い人たちしかいないのか! とうっかり勘違いしてしまう。具体的に言えば、地下鉄内に大きなズタ袋をどっかと降ろし、その上に腰かけている農民工や、道端の植え込みに座り込んでいる人々だ。

 実は見かけるだけではすまない。私も「日本の貧乏人」の一人なので、大きなターミナル駅で高速鉄道の切符を買おうとすれば、並んでいないようで並んでいる、つまり整然とまっすぐ並んでいない長蛇の列に何十分間も立って並ばなければならない。「貧乏人」と断ったのは、普通の旅行者の場合はホテルのコンシェルジェに頼めば買っておいてくれるのだが、私はそういうホテルに泊れないので、自分で買いに行くしかないのである。

 ターミナル駅は普段の日でも、どこから湧いてきたのかと思うほどすごい人の波で、巨大な建物の中を歩いているだけで頭がクラクラする。これが大型連休前の殺気立っている時期だったら一体どうなるのだろう? と想像しただけで人酔いしてしまう。

地下鉄の荷物検査、それって意味あるの?

 都心から外れたターミナル駅から帰るときくらい、せめて楽してタクシーに乗ろうかと思うのだが、動線が悪すぎて、乗り場の先頭に辿りつくまでに途方もなく長い道程を歩かなければならない。地下鉄の切符の自販機の多くは壊れていたり、反応が鈍くてお札を入れても戻ってきてしまう確率は約5割……。地下鉄では何のためにやっているのか意味不明の手荷物検査機(空港で見かけるようなもの)に荷物を通すことを強いられ、黒い検査機のベルトコンベアーに毎度カバンを入れなければならない。ときどき係員は居眠りしているにも関わらずだ!

 厄介で不愉快なことこの上ない。たまに意地悪な係員にカバンを開けられ、変なイチャモンをつけられたりもする。夕方のラッシュ時は、この黒いベルトコンベアーに荷物を乗せたり出したりしなければならないせいで、駅が大混雑するのだ。毎日がその繰り返しであり、ホテルに帰ってくると疲労のあまりバタンキュー。生きた屍のようになってしまい、ベッドから這い上がれない…。

 そしてついに口をついて出てしまうのは「あ〜、もう!これだから中国は!」という禁断のセリフである。

みるみる曇っていったY氏の顔

 今回、帰国直後のそんな記憶が新鮮なうちに担当編集者Y氏にお会いしたせいか、私は中国で体験したこれらの出来事を、こうしたネガティブな印象のまま、ストレートに語ってしまった。

 と……、ここまで散々述べて何なのだが、そうはいっても自分では中国の悪口を言っているつもりはなかった。

 ただ自分が街角でいつも見かける人たちの様子を、率直に担当編集者に聞いて欲しくてしゃべっているだけなのだが、Y氏の表情がどうも暗い。話している途中でそれに気がついた私は、だが、取材メモを見ながらしゃべり続けた。「きっとY氏は私の話を片方の耳で聞きながら、そのすばらしい編集能力で記事の構成をいっしょに考えてくれているに違いない」などとポジティブなことを考えながら……。

 Y氏の表情はどんどんと曇っていき、不機嫌になった。ついに彼はペンを机に投げ出した。そして、あきれたような表情で私にこう言った。

「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」

「へっ??」

 固まっている私に、Y氏は「あ〜、中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と頭を抱えた。

 さすがの私も今がポジティブな状況ではないことに気がついた。この私が中国の悪口を? まさか?

相互不信が機能も改善も止める

 そんな自覚は全然なかった。でも、中国取材の疲労がまだ残っていたからか、中国での日常生活がどんなに辛く大変で、大げさにいえば日々の暮らしが“命がけ”であるかを切々と訴えてしまった。日本ではほとんど感じないのに、(自分が外国人であるというハンディキャップがあるだけではなく)中国にいると「生活すること」自体がものすごくストレスフルで、しんどいからだ(注:毎日社用車かタクシーで通勤し、夜は日本料理屋で一杯飲むか、自宅で奥さん手作りの日本料理を食べ、インターネットで日本のテレビ番組を日本にいるときと同じように見ているような“治外法権”で生活している日本人駐在員の方は除きます)。

 中国が日本と大きく違うのは、GDP世界第2位の国でありながら、システムがほとんど整備されていないということだ。交通・公共インフラだけでなく、教育制度も戸籍制度もほとんどすべてのものがそうだ。人々が病院をなかなか信用できないでいるのも、子どもにハードな勉強を強制せざるを得ないのも、彼らが悪いわけではない。そこで生きている中国人に責任があるのではなく、現行のシステムに不備があるから、やむを得ず生じてしまっている問題なのだ。

 私は常々、中国人とその社会システムとが「相互不信関係」にあると感じてきた。システムが先か、人が先かという「にわとりと卵の関係」ともいえるかもしれない。

 タクシー乗り場の動線が悪いのも、使う人がきちんと並ぶことを信じていない(想定していない)から、最初からこういう設計にしてしまう。人が道路を渡るとき、いつも自動車に引かれそうになるくらい運転が乱暴なのも、歩行者優先ではなく、自動車優先社会になってしまっているからだ。赤信号で車が止まってくれるかどうかわからないから、信号が何色であれ、機械よりも自分の目を信じて道路を渡るしかない。システムが機能しない国においては、何ごとも自己責任だ。

日本に慣れると、道路が渡れなくなる

 来日したばかりの中国人が日本では青信号になると一斉に人が渡るのを見てびっくりするのも、システムがこんなにも“きちんと”機能している国があるのか、ということに対する(潜在的な)驚嘆があるからだ。逆に中国にいる日本人が信号を“ちゃんと”無視して上手に渡れないのも、システムが機能しない、という環境にこれまで身を置いたことがないから、自分自身では判断できないのではないだろうか?

 ちなみに、不思議なことだが、私は誰からも教わっていないのに、初めて中国に行った20歳のときから、信号無視が上手にできた(いや、本当はいけないのだが)。車のほうは一切見ず、中国人の背中にぴったりくっついて一緒に渡るので、8車線の道路であろうと、猛スピードの車と車の間を縫ってスイスイ渡ることができる。おもしろい現象だが、日本に長く住んでいて中国に帰国した中国人の友人たちと中国で再会すると、彼らは道路を渡るのがとても苦手で、いつも私の腕をつかんで怖がりながら渡る。システムが機能しない中国にもう一度慣れるのは大変なのだろう。

 中国ではルールを作る側も、ルールに従う側も、お互いに相手を信用していない。相互不信という前提で物事が動いているから、人々はこんなにも生きづらく、そんな社会をよい方向に変えていく“突破口”もなかなか見つからない。

 これでは、システムは変わらないし、日本人の「中国嫌い」もなかなか変わらないだろう。自分自身にとっても大問題だ。

(後編に続きます。週明け火曜日に掲載予定です)

このコラムについて
再来一杯中国茶

マクロではなく超ミクロ。街中にいる普通の人々の目線による「一次情報」が基本。うわさ話ではなく、長時間じっくりと話を聞き、相互に信頼を得た人から得た、対決ではなく対話の材料を提供する企画。「中国の人と」「差し向かいで」「お茶を一緒に」「話し合う」気分を、味わってください。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273062/?ST=print


04. 2014年11月04日 09:14:40 : grnNd17W9c
停電と断水で使い道なし。 

05. 2014年11月04日 18:47:55 : C3lq0gpU9A

  エレバーターは有るのか? ちゃんと安全に動くのか?


06. 2014年11月05日 00:13:58 : LBtbDXFoS6
アメリカもやった。日本もやった。最近ではドバイもやってたんじゃないか?

まだ原発事故の前だったとは思うが、日本の某有名建設会社が天にそびえる空中都市(木々や芝生の生えた公園とか、小学校とか、ビジネス街も商店街も、すべてがひっくるめて、街そのものが一つの大きなビルの中)みたいな「近未来の夢」を描いた新聞広告を出していたが今時、そんなこと言う時代かよ?とひどく違和感を持ったものだった。


07. 2014年11月05日 07:35:04 : jXbiWWJBCA

中国の不動産会社社員は生活できずに転職、
叩き売りでも買い手つかず
宴のあとに残ったのは住人のいない高層マンション
2014年11月05日(Wed) 姫田 小夏

開店休業状態の温州の仲介業者
 2001年前後から中国では、「中国でバブル崩壊は起きるのか?」という議論が静かに始まっていた。ただ、当時は誰もこの議論に真剣に向き合わず、「バブル崩壊などあり得ない」という見方が圧倒的だった。隣国日本のバブル崩壊は知っていたが「中国は別」という妙な自信を持っていた。

 2000年代から2010年代にかけて、中国の不動産価格は暴騰しては下落する、という現象を何度か繰り返してきた。そのたびに「バブル崩壊か?」とささやかれたが、「中央政府が必ず手を打つ。一時的な下落だ」と楽観的に捉える人が多かった。

 しかし、その中国で「不動産価格が総崩れ」というニュースが流れたことは、少なからず国民を動揺させた。

不動産仲介業者が軒並み倒産

 中国国家統計局によると、2014年9月、主要70都市のうち69都市で新築住宅価格が前月に比べ下落した。新築住宅価格は今年に入り上昇率の鈍化が見られていたが、1都市を除いて総崩れとなったのは9月が初めてだ。前年比では58都市が下落、中でも杭州市は7.9%と最大の下落幅を示した。

 実態はもっと深刻な状況にある。成都で不動産営業に従事する女性は、ブログで市況の悪化をつぶさに描写していた。

 「朝から晩まで頑張っても、住宅を『買いたい』という客は1人もいない。たとえ見つけても他社と猛烈な奪い合い。今年、年棒10万元を目標にしていたのに、私の今の月収はたったの1000元。とても生活できないから転職することにした」(注:1元=約17.5円)

 日本企業が集中する大連では「3〜4割は下落した」(現地の日本人駐在員)と言われている。大都市・上海でも「ここだけは絶対下落しない」と言われてきたにもかかわらず「不動産仲介業者が軒並み潰れている」(現地の中国人管理職)と言う。

 あれほど猫も杓子も飛びついた中国不動産だが、今では投げ売り状態だ。

 河北省の唐山市では、1軒500万元の高級戸建てが「5軒まとめて340万元」と十把一絡げで売られている。まさに日本のバブル崩壊時を彷彿させるような状況だ。

 さらに唐山市では、住民が持て余したマンションの一室を犬小屋や鳩小屋にするという珍事も報道されていた。ある住民が、「事業用不動産」として6戸のマンションを手に入れた。ところが借り手がいない。やむなく「1戸は自宅用、2戸目は犬小屋、3戸目はハトの養殖」に使った。しかも残りの3戸は空き家のままだという。

 他方、中国で最近よく耳にするのが「棄房(チーファン)」という言葉だ。「不動産を放棄する」という意味である。上海の法律事務所によれば、「ローンを意図的に返済せず、まさに家を放棄して、銀行の好きなように処分させる」人が増えているという。特に2件、3件目の住宅を「棄房」するケースが多い。

 現地の報道によれば、「浙江省や江蘇省、福建省、広東省など沿海部の諸都市で、債権者による差し押さえのための裁判が急増中だ」という。購入者のなかにはサラリーマンもいる。売却益を見込み、ローンをめいっぱい組んだものの、中国経済の成長が鈍化。給料は目減りし、不動産も売れば大損、という中で返済計画が行き詰るケースが続出している。

競売にかけても買い手がいない

 筆者は今年5月、“バブル崩壊の激震地”である浙江省温州市を訪れた。温州と言えば、「炒房団」(不動産投機集団)が不動産を転がし、挙句、全国に先駆けて経済破綻した最もバブリーな都市である。案の定、住宅街に軒を並べる不動産仲介業はどこも開店休業状態で、終末的な雰囲気を醸し出していた。

 筆者がここで目の当たりにしたのが、不良債権と不良資産の山だ。返済が滞り、銀行によって差し押さえられた物件の「競売」が続出していた。しかも、不幸なことにそれらは「競売しても買い手がつかない」(地元の政府役人)のだという。多くの物件は「競売流れ」となってしまうのだ。

 投宿した周辺の物件の競売状況を調べると、確かに「競売流れ」が目についた。富裕層が多い住宅街に位置する、ある物件の評価額は360万元だ。300元から競売が始められたが、これを競り落とす者はいなかった。中国の報道によれば「競売物件の7割が流れる」らしいが、温州市では物件価格がたとえ半値になっても「見向きもされない」のが現状だ。


高級マンションは半値でも売れない
 中国最大のネットショッピングサイトである「淘宝網」(タオバオ)でも、不動産物件の競売オークションが行われている。競売対象になる浙江省の不動産数は10月27日時点で2万1517件を数える。

 浙江省の中でも温州市の競売件数は群を抜き、4700件を超える。7月には3400件だったから、この3カ月ほどで1.4倍弱に増えた計算だ。日に日に積み上がってゆく不良債権は、温州市の住宅融資額だけでも数億元規模に上る。

中国でも「不動産の証券化」がスタート?

 90年代、日本でも同じようなことを経験した。当時、日本では競売を行っても購入者が決まらず、商業用不動産や住宅など売れなくなった物件の大量処理が行われていた。日本の不良資産は100兆円近くにも上り、その一部を抱き合わせて売り飛ばす「バルク売り」が横行した。

 日本の不動産会社のある管理職社員は、そのときの様子をこう振り返る。「5000万円の物件を10戸抱き合わせても、3000万円程度の値段しかつかなくなっていた。こうした不動産は最終的に外資の禿鷹ファンドに買い叩かれ、二束三文で買われていった」

 その後、日本経済は「失われた20年」に突入していく。追い詰められた金融業界では、「不動産の証券化」が導入された。それが2000年代に入って始まった「REIT」(不動産投資信託)である。投資家から集めた資金を複数の不動産に投資し、そこから得た賃貸収入や売却収入を投資家に配当する金融商品だ。

 ある旧建設省OBはこの「不良資産の紙切れ化」には大反対だった。過去を思い出し、次のように話す。「大量の不良資産の処理に窮した銀行が導入したのが、不動産の小口証券化、すなわち不良資産を紙切れにすることだった。当時の役人たちは、配当利益を出せば売れるんじゃないかと考え、バブル処理の最終手段としてこれを導入した」

 そして、中国でも今、この不動産の証券化が検討されてはじめている。中国の不動産政策に詳しい弁護士は、「そこまで検討が進んでいるとしたら、事態は想像以上に深刻。当局も相当危機感を感じているに違いない」と推測する。

櫛の歯が抜けるように銀行員が辞めていく

 2011年に中国の不動産業界のバブルが弾け始めてから3年が経った。温州市は金融改革を中心とした経済再建の途上にあるが、いい話は聞かない。間違いなく温州市も、今後長期間にわたって続くであろう「失われた時代」に突入したのだ。

 温州市では地元の銀行マンが資金回収に奔走している。だが、櫛の歯が抜けるように「行員たちが辞めて行く」(前出の役人)のだという。筆者は銀行を辞めた1人に出会った。

 「楽な仕事に替わってホッとしていますよ」

 中国では、逃げるが勝ちなのだ。彼だけではない。地元経済の停滞に見切りをつけ、温州を去る者が少なくないと聞く。

 不良資産は住宅だけにとどまらない。工場、ショッピングセンター、ホテル、建築をストップした未完成物件など、経営者を失った建築物が街にゴロゴロしている。不動産バブルで狂奔した中国の都市は、いまや文字通りのゴーストタウンに姿を変えつつある。


【もっと知りたい! あわせてお読みください】
・「杭州で不動産が値崩れ、怒り狂う購入者たち」
( 2014.04.15、姫田 小夏 )
・「今、制御不能の状態にある中国の不動産バブル」
( 2014.01.15、川島 博之 )
・「中国の不動産:幽霊屋敷」
( 2013.11.20、The Economist )
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42110


08. 2014年11月05日 10:15:21 : 5hv4Ec6AG9
日本のタワーマンションだって似たようなものだろう?
何年か前だが、わりと品のいい老夫婦が、よく田舎暮しとか言うけれど、歳をとったればこそ、都会暮らしの便利さ快適さを満喫したい、とか言って湾岸かなんかの眺めのいい超高層マンション買う話をTVで見た。
その時はそういう考えもありかな?とか思ったが、今考えると、やっぱり馬鹿だ。
でなけりゃ、あれは仕込みのサクラだったかと疑っている。

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