02. 2014年10月31日 07:42:43
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「再来一杯中国茶」 「中国嫌い」になるワケを身をもって知るシステムと個人の相互不信【前】 2014年10月31日(金) 中島 恵 北京、上海の病院関係者と友人になった縁で、病院内を見学させてもらうことになったのだが、北京市内の大病院の入り口に到着したところ、のっけから驚いてしまった。 「問診部」と書かれた外来の玄関の両脇に、たくさんのふとんや段ボール、小型の椅子、ボストンバックなどが置かれ、そこに(つまりコンクリートの地面に)大勢の人が座ったり横たわったりしていたのだ。 「こ、これは一体何なの? あっ、農村から出てきたのに診療してもらえないで待っている人たちの列?」 友人に聞いてみると、「そういう人たちと、入院患者の家族たちの両方だ」という。中国も日本同様、完全看護であり、家族が病室で寝泊まりできない決まりになっているが、地方の農村などから患者に付き添ってきた家族は長期間ホテルに泊まるお金がない。しかし、帰ることもできず、こうして病院の玄関にふとんや段ボールを敷いて、面会以外の時間を過ごしているのだという。 一方、毎朝発行される整理券をもらいそこねた患者は、医者に直談判すると数枚だけ追加の整理券を発行してもらえる仕組み(というか、ごり押しが可能)になっているため、誰かに先を越されまいと玄関先でずっと待っているのだ。そして夜は雨風を避けるため病院内のホールに入り、ふとんを敷いて過ごしているとか…。 他人の診察中に、医師を取り囲む? 診察室や入院病棟もくまなく見せてもらったが、日本とのあまりの違いに驚いた。 ある意味、恐ろしいほどに「オープン」なのである。 6人部屋の病室のカーテンは常に空けっぱなしだ。患者同士がしっかり“情報交換”するためで、患者は「自分だけ騙されていないか」「自分は同じ病状の他の患者と同じ治療をちゃんとしてもらっているか」、他の患者やその家族らとつねにコミュニケーションを取っているのだという。ひとたび入院すれば、患者同士は全員が知り合い。何かあれば一致結束して医者を問い詰めるというのだ。 日本では1人の診察が終わると次の患者が呼ばれ、常にひとりの患者だけが中に入っていくのが普通だ。何を当たり前のことを、と言わないでほしい。が中国では(少なくとも北京で私が確認した複数の病院では)診察室のドアは常に空いている。中には患者と医者だけでなく、順番を抜かされないようにと待っている次の患者やその家族たちが大勢いて、みんなで医者を取り囲み、その言動を見守っている。 名前は明かせないが、ここは北京でも有名な大病院だ。患者の評判もいいという。北京郊外から大勢の患者もやってくる。そんな「いい病院」でも、こうした風景は日常茶飯事だと聞いて、私はめまいがしそうになった。 これはまさに、よく日本のメディアで面白おかしく取り上げられ批判されている「とんでもない中国」そのものじゃないか! 具合が悪くて病院に行くというのに、そんなに病院を信用できないなんて……。私はすっかり毒気に当てられてしまった。 そうかと思えば、別の日にはまったく違う驚きがあった。 夕方4時半、北京市内の有名高校(中学と同じ敷地内にある)の先生と待ち合わせがあり、校門前に出向いた。小雨が降っていたが、たいしたことはなかった。ふと周囲を見ると、なぜか大勢の人がいる。祖父母やお手伝いさんらしき人が手に手に傘を持って立っていて、しかも校門前の道路にはたくさんの高級車の縦列駐車がはるか向こうまで連なっている。もしかして中学生(か高校生)の下校を待つ家族の車なのか。 この日は9月2日。新学期(中国は9月が新年度)が始まって2日目であり、子どもたちはまだ学校に慣れていないだろう。だが、別に大雪が降っているわけでもない。日本では夕方に中学生のお迎えをする家族がこんなに大勢いるだろうか? 雨だったからだろうか? 現れた友人に聞いてみると、友人は笑いながら「びっくりしたでしょ? でも北京では普通のこと。有名な小学校に行ったら、朝夕のラッシュはもっとすごいですよ。遠方から地下鉄やバスに乗って通ってくる子も多いし。送迎は少しでも子どもの負担やプレッシャーを軽くしてあげたいという、せめてもの親心なんです」と話してくれた。 ここでも戸籍制度の問題が 校門で見ていると、家族やお手伝いさんは子どもの顔を見つけるやいなや、リュックサックやカバンを持ってあげて、一緒に傘をさして車のほうへと歩いていった。確かに中国の子どもは幼稚園から高校まで、とにかく勉強漬けであるが、中学生になってまで家族が送り迎えをし、校門前の道路がこんなに渋滞してしまうとは。これまで下校時間に進学校に行くことがなかったので、気がつかなかった。 しかし、中国の事情をよく知れば、親がこんなにも子どもに過大な期待をかけ、過保護になってしまうことも少しは理解できる。中国では子どもを少しでもいい学校に通わせたいと、進学校の近くにわざわざ引っ越す家族が多い。通常は居住地域にある学区内の小学校に通うべきなのだが、かつてあった重点学校制度(政府が資金を投入して優秀な教師を配置したエリート校)の名残で、同じ公立小学校なのに、行く学校によってレベルに大きな開きがある。レベルの低い小学校に通えば、いい中学やいい高校に通える確率はかなり低くなり、学歴社会の中国で落ちこぼれてしまう。 だから、みんなこぞって子どもをいい学校に入れたいのだが、中国ではその学区に戸籍がないと通えない決まりがある。 そのため、裕福な親たちはその学区の高額な不動産(北京大学などがある人気地区にあるマンションならば中古でも1億円近くもする)を購入し、戸籍を移しているのだ。また、戸籍地以外から通ってくる場合は数百万円ともいわれる多額の学校選択費を支払わなければならない。この問題に関してはあまりにも内容が複雑でわかりにくいので、後日機会があれば当コラムで取り上げてみたい。 日本の10倍、上も下もある社会 とにかく、私が行った中学・高校も有名な進学校なので、親たちは勉強すること以外、ほとんどすべてのことを子どもに代わって必死でやってあげるのだ。むろん、それもこれもすべて我が子(と一族)の生き残りのため、輝かしい未来のためである。 中国出張中、私は病院の床で寝ている貧困層から、高級車で子どもの送り迎えをする富裕層まで、ありとあらゆる生活レベル・知的レベルの中国人と接する。その段階は、たとえば日本がマイナス10〜プラス10までだとしたら、中国はマイナス100からプラス100までといえるくらい幅広い。イメージするならば、マイナス100は農村の中でもとくに貧乏で1年に1度くらいしかお肉を食べられない人、プラス100は汚職して数億円蓄財するお役人や大成功を収めた企業経営者などだ。 この“あまりにも違い過ぎる人々”が同じ都市、同じ街に混在しているのが中国の特徴であり、突拍子もないほどのレンジの広さこそ、中間層が圧倒的に多い日本人から見て、どうしても理解しにくいところだと私は常日頃から感じていた。 しかし――。 頭ではわかっていても、人間は視界から飛び込んでくる出来事、とくにマイナス方面のインパクトに強く引っ張られ、影響を受けてしまう生き物である。私が地下鉄に乗って街を歩いていると、どうしてもマイナスのほうに分類されるマナーの悪い人たちに目が行く。だから、私もつい瞬間的にイラっときてしまうし、中国にはマナーの悪い人たちしかいないのか! とうっかり勘違いしてしまう。具体的に言えば、地下鉄内に大きなズタ袋をどっかと降ろし、その上に腰かけている農民工や、道端の植え込みに座り込んでいる人々だ。 実は見かけるだけではすまない。私も「日本の貧乏人」の一人なので、大きなターミナル駅で高速鉄道の切符を買おうとすれば、並んでいないようで並んでいる、つまり整然とまっすぐ並んでいない長蛇の列に何十分間も立って並ばなければならない。「貧乏人」と断ったのは、普通の旅行者の場合はホテルのコンシェルジェに頼めば買っておいてくれるのだが、私はそういうホテルに泊れないので、自分で買いに行くしかないのである。 ターミナル駅は普段の日でも、どこから湧いてきたのかと思うほどすごい人の波で、巨大な建物の中を歩いているだけで頭がクラクラする。これが大型連休前の殺気立っている時期だったら一体どうなるのだろう? と想像しただけで人酔いしてしまう。 地下鉄の荷物検査、それって意味あるの? 都心から外れたターミナル駅から帰るときくらい、せめて楽してタクシーに乗ろうかと思うのだが、動線が悪すぎて、乗り場の先頭に辿りつくまでに途方もなく長い道程を歩かなければならない。地下鉄の切符の自販機の多くは壊れていたり、反応が鈍くてお札を入れても戻ってきてしまう確率は約5割……。地下鉄では何のためにやっているのか意味不明の手荷物検査機(空港で見かけるようなもの)に荷物を通すことを強いられ、黒い検査機のベルトコンベアーに毎度カバンを入れなければならない。ときどき係員は居眠りしているにも関わらずだ! 厄介で不愉快なことこの上ない。たまに意地悪な係員にカバンを開けられ、変なイチャモンをつけられたりもする。夕方のラッシュ時は、この黒いベルトコンベアーに荷物を乗せたり出したりしなければならないせいで、駅が大混雑するのだ。毎日がその繰り返しであり、ホテルに帰ってくると疲労のあまりバタンキュー。生きた屍のようになってしまい、ベッドから這い上がれない…。 そしてついに口をついて出てしまうのは「あ〜、もう!これだから中国は!」という禁断のセリフである。 みるみる曇っていったY氏の顔 今回、帰国直後のそんな記憶が新鮮なうちに担当編集者Y氏にお会いしたせいか、私は中国で体験したこれらの出来事を、こうしたネガティブな印象のまま、ストレートに語ってしまった。 と……、ここまで散々述べて何なのだが、そうはいっても自分では中国の悪口を言っているつもりはなかった。 ただ自分が街角でいつも見かける人たちの様子を、率直に担当編集者に聞いて欲しくてしゃべっているだけなのだが、Y氏の表情がどうも暗い。話している途中でそれに気がついた私は、だが、取材メモを見ながらしゃべり続けた。「きっとY氏は私の話を片方の耳で聞きながら、そのすばらしい編集能力で記事の構成をいっしょに考えてくれているに違いない」などとポジティブなことを考えながら……。 Y氏の表情はどんどんと曇っていき、不機嫌になった。ついに彼はペンを机に投げ出した。そして、あきれたような表情で私にこう言った。 「中島さん、なんだか最近、中国に取材に行くたびに、どんどん中国が嫌いになっていっていません? 私、今日はあまりの毒舌ぶりに正直いって呆れましたよ!」 「へっ??」 固まっている私に、Y氏は「あ〜、中国と関わった人って、みんなこうなっちゃうのかなあ!?」と頭を抱えた。 さすがの私も今がポジティブな状況ではないことに気がついた。この私が中国の悪口を? まさか? 相互不信が機能も改善も止める そんな自覚は全然なかった。でも、中国取材の疲労がまだ残っていたからか、中国での日常生活がどんなに辛く大変で、大げさにいえば日々の暮らしが“命がけ”であるかを切々と訴えてしまった。日本ではほとんど感じないのに、(自分が外国人であるというハンディキャップがあるだけではなく)中国にいると「生活すること」自体がものすごくストレスフルで、しんどいからだ(注:毎日社用車かタクシーで通勤し、夜は日本料理屋で一杯飲むか、自宅で奥さん手作りの日本料理を食べ、インターネットで日本のテレビ番組を日本にいるときと同じように見ているような“治外法権”で生活している日本人駐在員の方は除きます)。 中国が日本と大きく違うのは、GDP世界第2位の国でありながら、システムがほとんど整備されていないということだ。交通・公共インフラだけでなく、教育制度も戸籍制度もほとんどすべてのものがそうだ。人々が病院をなかなか信用できないでいるのも、子どもにハードな勉強を強制せざるを得ないのも、彼らが悪いわけではない。そこで生きている中国人に責任があるのではなく、現行のシステムに不備があるから、やむを得ず生じてしまっている問題なのだ。 私は常々、中国人とその社会システムとが「相互不信関係」にあると感じてきた。システムが先か、人が先かという「にわとりと卵の関係」ともいえるかもしれない。 タクシー乗り場の動線が悪いのも、使う人がきちんと並ぶことを信じていない(想定していない)から、最初からこういう設計にしてしまう。人が道路を渡るとき、いつも自動車に引かれそうになるくらい運転が乱暴なのも、歩行者優先ではなく、自動車優先社会になってしまっているからだ。赤信号で車が止まってくれるかどうかわからないから、信号が何色であれ、機械よりも自分の目を信じて道路を渡るしかない。システムが機能しない国においては、何ごとも自己責任だ。 日本に慣れると、道路が渡れなくなる 来日したばかりの中国人が日本では青信号になると一斉に人が渡るのを見てびっくりするのも、システムがこんなにも“きちんと”機能している国があるのか、ということに対する(潜在的な)驚嘆があるからだ。逆に中国にいる日本人が信号を“ちゃんと”無視して上手に渡れないのも、システムが機能しない、という環境にこれまで身を置いたことがないから、自分自身では判断できないのではないだろうか? ちなみに、不思議なことだが、私は誰からも教わっていないのに、初めて中国に行った20歳のときから、信号無視が上手にできた(いや、本当はいけないのだが)。車のほうは一切見ず、中国人の背中にぴったりくっついて一緒に渡るので、8車線の道路であろうと、猛スピードの車と車の間を縫ってスイスイ渡ることができる。おもしろい現象だが、日本に長く住んでいて中国に帰国した中国人の友人たちと中国で再会すると、彼らは道路を渡るのがとても苦手で、いつも私の腕をつかんで怖がりながら渡る。システムが機能しない中国にもう一度慣れるのは大変なのだろう。 中国ではルールを作る側も、ルールに従う側も、お互いに相手を信用していない。相互不信という前提で物事が動いているから、人々はこんなにも生きづらく、そんな社会をよい方向に変えていく“突破口”もなかなか見つからない。 これでは、システムは変わらないし、日本人の「中国嫌い」もなかなか変わらないだろう。自分自身にとっても大問題だ。 (後編に続きます。週明け火曜日に掲載予定です) このコラムについて 再来一杯中国茶 マクロではなく超ミクロ。街中にいる普通の人々の目線による「一次情報」が基本。うわさ話ではなく、長時間じっくりと話を聞き、相互に信頼を得た人から得た、対決ではなく対話の材料を提供する企画。「中国の人と」「差し向かいで」「お茶を一緒に」「話し合う」気分を、味わってください。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141027/273062/?ST=print 毛沢東モデルのくびきを断ち切れない中国の電力産業 国有企業の弊害が如実に表れる 2014年10月31日(金) The Economist 過去30年の間に中国が成し遂げた成果――目覚ましい経済成長、世界における地位の向上、何百万人もの人々の生活水準の大幅な改善など――のほとんどは、ある1つの決断の賜物だ。経済の足枷となっていた毛沢東型の中央計画経済モデルとの決別である。だが重要な産業の一部では、市場型経済がまだ実現していない。そうした産業の1つが電力業界である。急増するエネルギー需要と、深刻に汚染された環境の浄化という2つのニーズを同時に満たさなければならない中国にとって、電力産業の改革は一層の急務となっている。
有害な排ガスをまき散らす石炭への依存度を減らし、(より高価な)再生可能エネルギーの使用を増やす必要があることを、中国政府は認識している。同国が昨年建設した新たな発電設備において、風力や太陽光などの再生可能エネルギーの比率が、化石燃料によるエネルギーや原子力エネルギーの比率を初めて上回った。 中国政府は都市部の人口増加に伴い激増する電力需要を満たしつつ、電力業界が円滑に操業を続けられるよう願っている。今のところ一応どちらも上手くいっており、停電はめったに起こっていない。だが当局は、多数の都市で大気汚染が深刻化し、国民の不満や抗議の声が高まっていることを懸念している。この先、世界と伍して行くためには、温暖化ガスの排出量を抑制する努力が大きな役割を果たすことを、中国は自覚している。そのためには同国のエネルギー供給源の8割近くを占める石炭の使用量を削減する必要があるだろう。 だがその目標達成に向けた歩みは遅い。電力業界は大手国有企業(SOE)が中心で、改革がほとんど進展していないからだ。国有企業は硬直的な経済計画と秘密主義、甘い規制が混然一体となった環境で事業を運営している。電力会社には、価格や効率性、クリーン度で競い合うインセンティブがほとんどない。 世界的に活動している2つのNGO――ワールド・ワイルドライフ・ファンドとエネルギー・トランジション・リサーチ・インスティチュート――は、すべての送配電を支配し大半の非再生エネルギーを握る国有企業を「野放しの独占企業」と呼んでいる。通常、中央政府がこれらの企業の社長を任命する。だが彼らは、地域のリーダーと結託し、ほとんど権限を持たない規制当局の監督に抵抗することが少なくない。 石炭火力を優遇する給電システム 問題の1つは中国の「給電システム」にある。給電システムとは、どの時間にどのエネルギー源で生産した電力を送電網に供給するかを決定するシステムのことだ。米NGOのレギュラトリー・アシスタンス・プロジェクト(RAP)の指摘によれば、大半の国では、給電に関わる判断は環境コストを含めたコストを最小にするようになされる。中国当局も同様のアプローチを推奨しているように見える。つまり、送電網の運用者は、より効率的で環境により優しい電力会社が供給する電力を優先的に取り入れると想定される。 しかし実際には、送電網運用者は石炭火力発電所が投資を回収できるように図る傾向がある。送電網運用者と電力会社の双方が、エネルギー関連SOEという仲良しクラブのメンバーなのだ。また、たとえ送電網運用者がルールを順守しようとしても難しいだろう。石炭火力発電所がどんなに非効率であろうと、どんなに大量に大気汚染をまき散らそうとも、いとも簡単に隠すことができるからだ。 クリーン・エネルギーが捨てられている つまり風力発電や太陽光発電に取り組む業者は、それらの技術のコストの高さ以外にも、大きなハンディキャップを負っている。中国では最もクリーンなエネルギーの多くが無駄にされている。風力発電の「出力抑制」比率、すなわち発電されたが送電網に送られない電力の比率は全国でおよそ10%に上る。近年、風力発電のような不安定な電力を取り込むための技術的な課題が克服できるようになり、出力抑制率は大幅に改善している。だが、それでも、依然として多くの電力が無駄にされている。ちなみに英国においては、2011〜13年のこの率が2%にとどまった。 中国政府は2007年、5つの省で給電効率を改善すべく、試験的プロジェクトに取り組んだ。しかし、成果はほとんど上がらず、試験を拡大することもなかった。RAP北京事務所のマックス・デュピュイ氏は、クリーン・エネルギーの生産者に奪われた分の売上高を石炭火力発電所に補填するのに失敗したため、反対にあったと語る。 中国経済のブームが頂点にあった時には、生産されたエネルギーはすべて必要とされたため、給電の判断はさして必要なかった。格付け機関ムーディーズのアイヴァン・チャング氏は、送電網の運用者にとって、成長が鈍化している今が、適切な給電政策を実施する好機だと指摘する。改革が進展すれば、状況改善の一助となるだろう。 送電網の管理運用におけるさらなる競争の導入(世界最大の国有配電会社の国家電網が送電網の管理運用をほぼ一手に引き受けている)、汚染物質を排出するエネルギーの生産者や送電者に対する罰則の強化、クリーン・エネルギーの使用を促すインセンティブの拡大、権限を持つ監督機関の創設などが実施されれば、一定の効果が期待できそうだ。 北京当局は概ねそうした変化を歓迎しているが、毛沢東型経済の最後の砦を陥落させるのは容易ではないと思われる。 ©2014 The Economist Newspaper Limited. Oct 25th 2014 | BEIJING | From the print edition 英エコノミスト誌の記事は、日経ビジネスがライセンス契約に基づき翻訳したものです。英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。 このコラムについて The Economist Economistは約400万人の読者が購読する週刊誌です。 世界中で起こる出来事に対する洞察力ある分析と論説に定評があります。 記事は、「地域」ごとのニュースのほか、「科学・技術」「本・芸術」などで構成されています。 このコラムではEconomistから厳選した記事を選び日本語でお届けします。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141029/273176/?ST=print |