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拡大する香港の民主化運動
香港はどこへ行くのか? 自由や民主主義のありがたさを知る人々の反対に、習近平は追い詰められている
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40642
2014年10月03日(金) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス
民主化を求める香港の抗議行動が拡大している。事の起こりはといえば、行政長官の選出について、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が8月末に決めた「普通選挙案」が民主主義にほど遠く、中国の息がかかった候補者からしか選べない仕組みになったからだ。香港はどこへ行くのか。
■「50年間、民主主義を尊重」の約束は破られた
これまで行政長官は選挙委員会(定員1200人)が選出する間接選挙の仕組みで決まっていた。それを、2017年からは新しい指名委員会が指名する2〜3人の候補者の中から住民が1人1票で選ぶ方式に改めた。一見、住民の意思が尊重されるように見えるが、肝心の指名委員たちは親中派が多数を占める見通しなので、民主派は事実上、候補者の段階で閉めだされてしまう。
そこで民主派は「1人1票とは名ばかりで結局、中国の言いなりになる」と強く反発しているのだ。
香港は1997年に英国から中国に返還されたときに、中国が共産主義と市場経済に基づく民主主義の1国2制度を認め、2047年まで50年間にわたって民主主義を尊重する約束があった。今回の選挙改革案はこれを真っ向から破るものと言っていい。
だから、米国上院のメネンデス外交委員長は「香港市民に対する約束を破った」と非難し、オバマ大統領も民主派に一定の理解を示している。だが、国連の潘基文事務総長は「中国の内政問題」というのが基本的立場だ。
香港が中国のものであるのはその通りである。だが、中国は対応を一歩誤ると火の粉が自らにふりかかり、大きなダメージを受けるだろう。たとえば、最終的には人民解放軍が出動して実力で抗議行動を制圧するのではないか、という観測もある。
そうなると、1989年の天安門事件の再現になる。香港の状況は逐一、世界中に報じられており、もしも香港が血の雨に沈むようなことがあれば、中国は天安門事件どころではない、世界中から非難の嵐を浴びることになる。
いまのところ、中国に「武力鎮圧の考えはない」と報じられている。催涙弾を使った制圧作戦が強い批判を浴びて、逆にデモが一層拡大した経緯もある。デモ隊は梁振英行政長官の辞任を要求しているが、梁長官は拒否し一歩も引かない構えだ。となると、抗議行動は長期戦が必至である。
■「この自由を奪われてたまるか」
出口は見通しにくいが、今回の民主化運動は従来とまったく事情が違う点を指摘しておきたい。多くの国が経験した民主化運動は「独裁や圧政に反発して体制の内側から起きた」のに対して、香港では「自由と民主主義、市場経済の中で育った人々が外部から非民主主義的な制度を押し付けられそうな事態に反発している」という点だ。
言い換えれば、自由や民主主義のありがたさを体で知っている人々が圧政を予感して反対しているのである。「いまの息苦しさがたまらない」と反発するのと「この自由を奪われてたまるか」と戦うのは質が異なる。
こういう民主化運動は過去にほとんど例がない。あえて探せば、改革路線をソ連が軍事力で押しつぶした1956年のハンガリー動乱くらいか。だが、これも評価はいろいろだが、基本的には左翼政権内部の話だった。
私が思い出すのはバルト3国の経験だ。エストニア、ラトビア、リトアニアはもともと欧州に近い独立国だったが、1940年にソ連に併合された。だが、共産主義の下でも独自の文化とプライドを守り続け、ソ連でゴルバチョフ大統領が失脚するきっかけになった1991年8月のクーデターの直後、3国は再び独立を達成した。
もともと民主主義や市場経済を知っていた人々が共産主義の鎖を解き放たれると、何が起きたか。私は新聞のブリュッセル特派員だった1996年8月にラトビア、リトアニアを訪れたが、街には欧州製の商品があふれ、レストランのメニューも、それから店員のサービスも西欧とほとんど変わらないほど欧州化が進んでいた。東欧の国々とはレベルが違うのに驚いたものだ。
つまり、バルト3国で欧州のDNAは50年経っても死んでいなかった。だから、あっという間に元に戻ったのだ。長年、抑圧されていた国でさえそうなのだから、香港のDNAが簡単に中国に押しつぶされてしまうとは、とても思えない。もしも目先の展開が民主派の敗北に見えるような事態になったとしても、それで民主化運動は終了という話にはならないだろう。
デモに参加している人々を見ても分かる。リーダーは17歳の若さであり、高校生はおろか中学生までいる。彼らの親は97年の返還時まで、英国統治下の香港で生活している。つまり共産主義とは縁がなく、自由と民主主義を知っている人々だ。
そういう親に育てられた若者が、簡単に将来の人生を中国に委ねるだろうか。私はそう思わない。そこが、もともと圧政下の下で育った若者たちが息苦しい体制に反発するのとは戦いの質が異なる、と考える理由である。
■期限は11月のAPEC
民主派は董建華・初代行政長官が2003年に国家反逆罪などを盛り込んだ反国家転覆条例を制定しようとしたとき、50万人規模のデモで条例棚上げに成功した経験もある。一度勝ったからといって今回も勝つとは限らないが、非暴力に徹するなど抵抗の仕方は学んでいるだろう。
中国はもちろん、抗議行動が国内に波及するのを恐れている。すでにネット規制を強化し、観光客の香港旅行を制限した。だが、それで香港からの情報流入が止まるわけもない。もともと中国人同士で血のつながりがあるのだ。
中国の選択肢はありそうで、実はあまりない。流血の実力行使に踏み切れば、世界中の非難を浴びるだけでなく、国際金融センターとしての香港も失うはめになる。金融は本質的に信頼に成り立つ自由なビジネスであり、背広の下に銃とナイフを隠した男がいくら紳士的にふるまっても所詮、信用されないからだ。
流血の事態は新興国を束ねるリーダーとして米国に対抗するうえでも損失である。となれば、一歩後退して妥協するか、それとも持久戦に持ち込んでデモ隊の疲弊を待つか。いまのところは後者のようだ。
だが、それもやがて期限を迎える。11月には北京でアジア太平洋経済協力会議(APEC)が控えている。そのときまでに解決していなければ、会議は北京とともに香港がもう1つの舞台になる。それに、おそらく新疆ウイグルも。いま習近平は追い詰められている。
(一部敬称略)
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