01. 2014年9月22日 05:24:40
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“強欲”が顔に出ている中国共産党の幹部たち 「人相」は嘘をつかない 2014年09月22日(Mon) 柯 隆 1年ほど前、中国の民間金融市場の実態を調査するために、湖南省で中小民営企業相手に高利貸しを営む経営者を北京に呼び、ヒアリングを行ったことがある。そのとき、ほとんどの参加者が知りたかったことの1つは、融資する相手をいかに審査するのか、ということだった。 その方法を聞くと、経営者は開口一番「私の貸し出しはほとんど焦げ付くことはない」と自慢げに言った。そして、「まずお金を借りに来る人の人相を見る。人相の悪い人にはお金を貸さない」と滔々と教えてくれた。それを聞いて、筆者はなるほどと思ったものである。 個人的に出会ったことのある中国の政財界人の中で人相の良い人と言えば、昔、上海市長を務めたことのある王道涵(おう・どうかん)氏である。上海市役所で接見したとき握手したら、その手は80歳の老人の手と思えないほど柔らかかった。その顔は清潔感が漂い、常に微笑んでいた。決して作った笑顔ではない。 王氏は晩年、両岸関係協会の会長を務め、台湾との交渉の窓口となった。その相手役は台湾の海峡交流基金会理事長の辜振甫氏だった。辜振甫氏とは経団連の講演会で一緒になったことがあるが、中国の標準語(マンダリン)、台湾の閩南語、日本語、英語のすべてに堪能で、しかも品格のある話し方だった。例えば同氏は人の考えを批判するときも「こいつは馬鹿だ」などとは言わない。決して声を荒げることはなく、「この方は愚かですね」と言うのだ。辜振甫氏の人相もたいへん良かった。 余談だが、今の日本人は日本語をお粗末にする傾向がある。以前の都知事はテレビの前でも平気で「馬鹿野郎」と発言し、いかにも品がなかった。 イケメンでも人相が悪くなる 「イケメン」の人が必ずしも人相が良いとは限らない。中国の政治家でイケメンと言えば、薄煕来氏だろう。2013年、巨額の収賄と横領の罪に問われ、無期懲役の刑が確定した重慶市の元党書記である。 日本の財界でも薄氏のファンは少なくなかった。しかし、薄氏が拘束される直前に出席した全人代の映像を見ると、その人相は以前よりも信じられないほど悪くなっていた。自分が逮捕されることを予知して機嫌が悪くなり、それが顔に出たという表情ではない。その目に、憐憫の情や人への思いやりはまるで感じられなかった。 中国の政治指導者はよく髪の毛を染める。髪の毛を染めることで白髪を隠すことはできるが、人相と陰険な目つきを隠すことはできない。それはその人の心の表れだからである。 日中戦争のとき、上海のジェスフィールド通り76号に、日本軍が重慶特務工作機関を設立し、拠点を構えた。その責任者は丁黙邨である。丁の仕事はもっぱら国民党や共産党のなかの抗日分子を暗殺することだった(参考:『揚子江は今も流れている』犬養健著、中公文庫)。 ちなみに台湾の監督アン・リーが撮った映画「ラスト、コーション」(2007年、中国語名「色・戒」)は、この史実を基にして制作されたものである。 この歴史を研究する歴史学者に聞いた話だが、丁は日本の敗戦後、蒋介石の国民党軍に捕えられ、1947年に南京で処刑された。捕えられたときの丁は、それまで毎日、死人を見ていたせいで、信じられないぐらい皺だらけで険悪な人相だったという。おそらくそれは真実だろう。 毎日、カネの心配をし金策に走り回っていれば、どんなイケメンでも徐々に人相が悪くなる。だから、上で述べた高利貸し経営者の話はまったく根拠がないわけではない。人相からその人の日常生活はある程度想像できる。ビジネスがうまくいかずに毎日苦労している人には地下金融でさえカネを貸してくれない。 中国の政治指導者は後継者を選ぶとき、容貌をとても重視する。まず、背の高い方が望ましい。ケ小平は背が低すぎて指名されるのが難しかった。彼は自力で権力を奪い取ったのである。逆に、ケ小平が後継者として指名した江沢民や胡錦濤はいずれも背が高く、見た目もまあまあであった。 権力欲と金銭欲の強い者の人相は良くない 筆者は仕事柄、中国の共産党幹部に会うことが多いが、ここ十数年来感じているのは、出会った多くの幹部の顔が“汚れている”ことだ。 人相が悪い政治家がいるのはもちろん中国本土だけではない。台湾の指導者、陳水扁氏は巨額の横領、収賄、インサイダー取引などで有罪判決が宣告された。かつて、民主化運動を主導していた時代の写真と、裁判のときの写真を比較してみると、びっくりするほど人相が悪くなった。 一方、以前、香港でパーティーで会った陳方安生(アンソン・チャン)元副長官は背の小さいご婦人といったところだが、清潔感が漂って親しみやすい感じがした。 一般的に政治家の人相は仕事柄から悪くなりがちである。言うまでもなく、政治家は基本的に権力欲が強いからである。そもそも権力欲の弱い者は政治家にならない。 悲劇を生むのは政治家の金銭欲である。お金は目的ではなく、手段である。薄煕来はまさにその典型であろう。巨額の賄賂を受け取り、そのお金で多くの女優やテレビ局の女子アナウンサーと関係を持ったと言われている。裁判所の判決では詳しいことは省略されたが、新華社の報道では、「長期にわたって多数の女性と不適切な関係を持った」という。 いかなる人間でも、毎日のように権力とカネに溺れて生活すれば、その人相が良くなるはずはない。何年も前のことだが、ある北京の高官と食事をしたとき、「柯先生、私は以前よりたくさんのカネがある。権力もある。でも、生活の満足度は下がった」と言われたことがある。彼の言おうとすることはよく理解できる。豪邸に住んでおり、お金もたっぷりあるが、1年間に数回しか家族と食事することができない。宴会はたまに参加するのならば楽しいかもしれないが、毎日、宴会に出ていたら嫌になってしまう。 人相の良い政治家が国民を幸せにする 筆者の印象では、華人系の国の中で幹部の顔に比較的清潔感があるのはシンガポールである。幹部の顔に清潔感がなければ、その国民は幸せになれない。 では、政治家は人相の清潔感をどのようにすれば保てるのか。そのためには、極めて当たり前のことであるが、後ろめたいことをしないことである。 政治家が手に入れるお金は安全・安心なものでなければならない。また政治家の権力は不正な手段で手に入れたものであってはならない。すなわち、安全・安心な社会であれば、政治家も国民も自ずと顔に清潔感があふれるはずである。 一般的に僧侶や司教などの宗教関係者は、世俗社会の欲を最小限に抑える生活を送るため、顔に清潔感が漂い人相が良い。一方、中国河南省の少林寺は少林寺拳法で有名であるが、その住職は世界で数十もの会社を設立し、住職の眼からは慈悲をまるで感じられない。中には、サリン事件を引き起こしたオウム真理教の麻原教祖のように極端に人相の悪い宗教家もいる。 行き過ぎた物欲、金銭欲が権力とつながれば、悲劇が生まれる。洋の東西を問わずきれいごとを言う政治家が多いが、ときには自分の人相をじっくりと観察してみるべきであろう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41746 昇竜の勢いの習近平:中国を支配する男 2014年09月22日(Mon) The Economist (英エコノミスト誌 2014年9月20日号)
過去数十年で最大の権力と人気を誇る中国の指導者は、その強みを賢く活用しなければならない。 中国・習主席がタクシー乗車の誤報、即日撤回 習近平国家主席は手にした権力を正しく使えるか〔AFPBB News〕 カリスマ的独裁者、毛沢東による支配の下で解き放たれた狂気は、中国にあまりにも大きな傷を残した。そのため、毛沢東亡きあとの後継者たちは、あれほどの支配力を1人の人間の手に握らせることは二度とすまいと誓った。 1970年代後半に実権を握ったケ小平は、「集団指導」という概念を高く評価した。共産党総書記が責任を複数の指導者に分け与え、その総意により重大な決断を下すという考え方だ。これは時に無視されることがあり、ケ小平自身も、危機に際しては独裁者として振る舞った。 だが、この集団指導体制というあり方は、毛沢東独裁による混乱後に中国が安定を取り戻すのに役立った。 現在の中国の最高権力者、習近平国家主席は、その集団指導体制を破棄しつつある。習主席は間違いなく、ケ小平以来最も強力な中国の支配者になっている。毛沢東以来かもしれない。それが中国にとって良いことか悪いことかは、習主席が権力をどう行使するかにかかっている。 毛沢東は、中国を社会的にも経済的にも崩壊寸前まで追い込んだ。ケ小平は、経済面では正しい方向に舵を切ったが、政治面では改革の機会を逸した。習主席が自らの権力を活用して中国における権力のあり方を改革すれば、中国に多大な利益をもたらすことになるだろう。これまでの習主席の行動から見る限りでは、まだどちらとも言えない。 党を背負う 集団を犠牲にして習主席を単独の権力者に押し上げるという決断自体が、集団的に下されたものだった可能性は十二分にある。中国の一部には、絶対的指導者を切望する声がある。腐敗を一掃し、広がる格差を是正し、世界での確固たる立場を築ける政治家が求められていた(最後の仕事については、習主席は楽しそうに取り組んでいる)。 また、国外の実業家の多くも、肥大化した国有企業による独占状態を打ち砕き、経済改革に対する長年の躊躇を打破する指導者を求めていた。 その決断がどのように下されたにせよ、習主席は権力を握り、それを徹底的に活用した。行政改革を担う秘密委員会を支配下に収め、軍、財政、サイバーセキュリティを全面的に見直している。 習主席の汚職撲滅キャンペーンは、過去数十年で最大規模のものだ。人民解放軍のナンバー2(中央軍事委員会副主席)を陥れ、中国の巨大な治安部門の元トップも標的とした――毛沢東政権以来、汚職捜査の対象になった政府高官としては最高位の幹部だ。軍幹部は賢明にも習主席に服従している。今年になってから、中国国営の新聞に、習主席への忠誠を誓う軍司令官たちの声明が相次いで発表された。 習主席は中国の指導者として初めて、大がかりなチームを組織して一般向けのイメージを作り上げた。だが、習主席自身もイメージ戦略の素質を持っている。身長(高さを重視する中国において、習主席の背丈は毛沢東を除くすべての前任者を上回っている)と、強靭さと、親しみやすさを持ち合わせているのだ。 大衆に混じって肉まんを食べているかと思えば、国家主席専用リムジンではなくマイクロバスに乗る姿を見せる。習主席はいまや、毛沢東以来最も人気のある指導者になっている。 こうしたすべては、習主席に課された2つの使命の遂行を後押しする。1つ目の目標は、不安を抑えるに足るペースでの経済成長を維持しつつ、不動産投資とインフラ投資への過度の依存から脱却することだ。これらに依存しすぎていると、経済が負債にあえぐことになりかねない。 習主席は2013年11月、市場の力が重要な役割を果たすことになると明言し(ケ小平でさえ、それを口に出す勇気はなかった)、この目標に向け有望なスタートを切った。それ以降、いくつかの心強い動きが見られる。 例えば、これまでは国有企業が独占していた分野で民間企業の権利を拡大したり、地方政府が所有する企業の株式を民間の投資家へ売却したりしている。習主席はまた、戸籍制度の改革にも乗り出している。毛沢東時代の遺産である戸籍制度は、農村部から都市部への恒久的な移住を難しくしている要因だ。ケ小平時代の遺産で、広く弊害をもたらしている一人っ子政策の緩和にも着手した。 さらなる施策が必要 習主席の経済政策により、成長の急激な減速に歯止めをかけられるかどうかは、まだ全く分からない。最新の統計では、中国経済は政府の思惑よりも急速に冷え込んでいることが示唆される。状況を大きく左右するのは、習主席がさらに難しい2つ目の使命をどこまで遂行できるのかという点だろう。2つ目の使命とは、法の支配の確立だ。 法の支配は間違いなく、10月に開催される中国共産党中央委員会の年次会議での中心的な議題となる。問題は、あらゆる者に公平に法を適用する覚悟が、習主席にあるかどうかだ。 腐敗取り締まりにおける習主席の力の入れ方を見る限りでは、その答えは「条件付きのノー」だ。 今回の腐敗撲滅キャンペーンには、組織の無視という毛沢東主義的な特徴がある。役人たちに恐怖を植えつけるのには成功しているが、汚職の原因にはほとんど切り込んでいない。汚職の原因は、党自体が完全に支配する捜査の仕組みと、しばしば忠誠心が誠実さよりも重視される非公開の公職任命制度と、不正行為の批判を封じ込める自由な言論の抑圧にある。 習主席に求められるのは、腐敗を取り締まる独立機関を設立することだ。取り締まりを党の捜査担当者と、彼らの属する反目し合う派閥に委ねるのでは意味がない。また、政府高官に対して、すべての収入源や不動産などの資産の公開を義務づける必要もある。 ところが習主席は、腐敗の取り締まりに劣らず精力的に、そうした変革を求める活動家を検挙している。法制度改革が伴わなければ、習主席は古いタイプの指導者――犯罪者と闘うという名目で復讐をする指導者――になってしまう恐れがある。それは2つの結果を招くことになる。新たな腐敗の潮流が生まれ、党のエリート層の怒りが、ある時点で爆発する。 いくつかの点では、習主席は正しい発言をしている。例えば、「権力を檻に封じ込める」ために裁判所の助力を得たいと語っている。地方裁判所に対する地方政府の影響力を小さくする改革も進められている。 だが、さらに踏み込んで、機密の絡む事件の裁定権を持つ、共産党の不透明な「政法委員会」を廃止しなければならない。共産党は、裁判官の(もっと言えば立法者の)選任に干渉するのをやめるべきだ。 こうした改革を断行すれば、極めて大きな効果が得られるだろう。権力の独占を緩和し、チェック・アンド・バランスを受け入れ始める意思が党にあることを示すことになる。ケ小平はかつて、経済改革は、政治改革を伴わなければ失敗すると語った。習主席は8月に、腰の重い役人に対して、「果敢に改革を断行する」よう求めた。 中国の指導者は、自らの言葉を、そしてケ小平の言葉を心に留めておくべきだ。その絶大な権力を、最善の結果が得られるように行使し、体制の変革に努めなければならない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41769
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