26. 中川隆 2014年9月19日 08:09:34
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まあ、小学校しか出ていない中国人には事件の背後にある背後の有機的つながりまではわからないだろうな: アメリカは皇居も財閥の工場も攻撃しなかった。 国会議事堂も霞ヶ関も残った。
ドイツ戦ではヒットラーが標的になり、イラク戦でもフセインが殺された。 対日戦では日本人は虫けらのように殺されたが、天皇は標的ではなかった。 変な戦争だ。そして支配層はアメリカの単独占領を歓迎した。 支配層は日本人民が革命をやり、自分たちの地位を失うことを恐れていた。 米英に支配の地位を守ってもらうために、戦争で日本国民を犠牲にし民族的な利益をみな売り渡す道を進んだ。 米に負けるため南進 目的同じ日米司令部 最初からアメリカに負けるために南進したのだ。
日本人民の経験でも市民は焼き殺すが、軍や三菱は無傷だったというのが実感として語られている。 最近の史料で明らかになったことで、戦前に駐日米大使をしていたグルーなどが「日本の軍需工場を攻撃するな」と主張していた。 それがウォール街の共通認識だったという。 グルーはJPモルガンの利益代表だが、彼が駐日大使だったときに三菱や住友と深い関係を持ち、アメリカ資本が日本の大企業に相当投資してインフラを整備しており、今から日本の資本主義を段階を画して発達させ、収奪していくんだという狙いを持って戦争に臨んでいた。 だからみずからが投資してきた三菱などの軍需工場への攻撃を避けていた。 これに対して日本側の三菱などは日米開戦のときに、 「米英はこれまで通り友人だ。だから資産をきちっと守って、戦後も同じようにやっていけるよう、みんなもそのつもりでおれ」 と岩崎小弥太が檄を飛ばしていた。ウォール街の意向と一致している。 「鬼畜米英」といわせながら、日米両方の司令部が同じ目的で動いていたのだ。 中国に侵略してひどいことをしたが、日本民族もさんざんに殺させる。 そして民族の利益を売り渡すことで自分たちの支配の地位を守る。 それが唯一の道だと。日本の支配階級の卑劣さも少少ではない。売国奴、かいらいの道を進んだわけだ。 天皇が原爆を落としてほしかったのだ。
8月15日の終戦の詔勅にある「原爆が投下されたからだ」という理由ができた。 武器も食料もなしにどんどん輸送船を出すというのは「殺してください」ということだ。 南方にはとり残され、戦争能力がもうないのだから、本当は戦争をやめるほかはない。 みんな「おかしな戦争だった」というが他のどの戦争を見てもあんな戦争はない。 戦争なら皇居を狙うのが普通だ。将棋でも王将をとるかとられるかだ。
しかし下町ばかりが焼かれた。 ドイツの場合は「ドイツ国民はわれわれと同じ人種で良識ある国民だが、悪いヒトラーをやつけないといけない」というスタンスだった。
だからドイツではドレスデン空襲はあったがほとんど空襲はやっていない。 しかし日本の場合は「天皇が敵だ」とはいわず、日本人全体を「ジャップ」といい、野蛮な未開の人間ではないジャップを殺せというのが最初からの姿勢だ。 インディアンと同じ扱いだ。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。 だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。 国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。
米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。 アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」
日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。 三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm 丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る
占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。 あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。 マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。 ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。 ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。 アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。
@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。 A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。 ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。 http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html |