01. 中川隆 2014年9月15日 10:22:55
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中国4000年の歴史というのはハッタリだから当然そうなるわな。中国では王朝が変わる度に前王朝の人間は殆ど殺されて血が繋がらないからね. 漢民族という単一遺伝子の民族は存在しないし,中国語という言葉も存在しない.
中国は川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じない. 隣の川筋に住んでいるのは言葉が通じない民族で敵だから,中国人には愛国心も一般道徳も全く無いんだ. 従って,日本に中国人移民が入ってきたら大和民族も日本語もすぐに消滅してしまう: 「中国に純粋血統の‘漢族’は存在しない」
13億人の中国人の92%を占めるという漢族が、実際には‘遺伝学的には現存しない血統’だという調査結果が出てきた。 「漢族は血統概念ではなく文化的な概念」という通説が学術研究で明らかになったという点で、注目されている。 中国甘粛省蘭州大学生命科学学院の謝小東教授が「純粋な血統の漢族は現在いない」という研究結果を最近発表したと、中国メディアが15日報じた。 謝教授の研究結果は、中国西北地域の少数民族の血液サンプルDNA研究などから出された。 謝教授は「DNA調査の結果、現代の中国人はさまざまな民族の特質が混ざったもので、いかなる特定民族の特質も顕著には表れなかった」と説明した。 また「かなり以前から『漢族は中原に暮らしている』と考えられてきたが、これは特定時代の漢族を周辺の他の種族と区別するために作った地域的区分にすぎない」とし、「漢族をこのように地域的に特定して定義することはできない」と指摘した。 例えばBC12世紀の陝西省西安を首都とした西周は漢族政権に属するが、その後の春秋戦国時代に同じ地域に建てられた秦は少数民族の‘西戎’が主流だったということだ。 また中国の歴史に表れる中原の範囲は、主に現在の山西南部と江蘇西部および安徽西北部などの少数地方を含む河南省一帯だったが、ここに居住する人々を漢族だと規定するのも歴史的事実とは合わないという主張だ。 さらに、中国人は自らを「炎帝と黄帝の子孫(炎黄子孫)」と主張するが、研究の結果、黄帝と炎帝の発源地も‘北狄’地域だったことが研究の結果から分かった。 黄帝と炎帝の発源地はともに現在の甘粛省と陝西省にまたがる黄土高原地域で、ともに漢族の本拠地ではなく、居住地域でもなかったということだ。 謝教授は「研究の結果、むしろ中国北部から南部に移住した客家族が古代中原人の文化伝統を継承したことが分かった」とし「彼らの古語、風俗および習慣からして、客家族こそが本当の中原人」と強調した。 謝教授は、中国に純粋な血統の漢族がもはや存在しないのは大規模な民族移動と関係があるとし、「長い歴史の中で周辺少数民族、さらには周辺国家が漢族と絶えず融合してきた結果でもある」と付け加えた。 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84664&servcode=400 漢民族は「混血民族」、考古学調査で実証―中国 Record China 4月19日(土)20時25分配信
18日、吉林大学辺彊考古学研究センターの朱泓主任はこのほど、漢民族は多くの民族が融合して形成された「混血民族」だと実証されたと明らかにした。資料写真。 2014年4月18日、吉林大学辺彊考古学研究センターの朱泓(ジュウ・ホン)主任はこのほど、同センターで行われている「漢民族形成の歴史的過程の生物・考古学的考察」プロジェクトで、漢民族は多くの民族が融合して形成された「混血民族」だと実証されたと明らかにした。
プロジェクトでは中原地域で出土した人骨を研究対象とした。2年余りの情報収集とデータ分析により過去と現在の中原地域の漢民族の形質には明らかな差異があり、宋代(10〜13世紀ごろ)から「混血」状態が始まったことが分かった。朱主任は「この発見は生物学と考古学の観点から漢民族が確かに多くの民族と融合して形成されたことを証明している」と述べた。
この研究成果は漢民族形成過程における古代のさまざまな民族の移動と融合のパターンを明らかにし、中華民族として一体化する歴史的過程などの重要な問題について説明するもので、形質人類学関係の科学的な証拠をもたらした。(提供/新華網日本語版・翻訳/張一・編集/武藤) 漢民族という民族は存在しないし,中国語という言葉も存在しない.
中国は昔から川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じなかったので,共通語として漢文(中国語)を作ったんだ. 漢文(中国語)は始皇帝の時代に完成し,それ以降は全く進歩していない: 中国語は、(上古において)それぞれ別の言語を話していた商人が中原地帯で取り引きを行う片言(かたこと)から生まれた人工的な言語。
しかも、漢末期からの混乱期に、本来の漢族は実質的に絶滅。その後の歴史で、大量に流入した北方民族が改めて中国語を形成した。 つまり、古代中国語と現代中国語には断絶がある。古くから続く漢文(文章中国語)は本来、片言を記録するための記号列であり、そのため品詞の区別や時制など文法の本質的要件を備えていない。当初から言語(話し言葉)とは別の、通信・記録の手段。現代中国語の古語ではない 知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。
どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。 「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。
一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。 言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。
「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。 しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。
ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。 中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。 http://www.adpweb.com/eco/eco395.html
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