02. 2014年8月07日 10:40:42
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140806/269741/?ST=print 「中国生活「モノ」がたり〜速写中国制造」 食肉偽装で中国に漂う無力感 モラルの低下をモノは救えるか 2014年8月7日(木) 山田 泰司 上海福喜事件が発覚して最初の日曜日。上海都心部のフードコートは食事をする人たちでごった返していた マクドナルドやKFCに肉を卸していた食肉業者が、期限切れの鶏肉や床に落ちた肉などを納入していたいわゆる「上海福喜事件」。上海に生活し日々ものを食べている私にとってももちろん人ごとではなく、業者らのモラルの低さに憤りを感じる。ただ一方で、中国が一貫してモラルが低かったのかといえば、ほんの数年前までは、事情がまるで違っていたとも思うのである。そこで今回は、ここまでモラルの低下を招いてしまった背景について書いてみたい。
かつて私には、友人や知人が上海に来ると、必ずと言っていいほど連れて行くレストランが2軒あった。1軒は上海の家庭料理、もう1軒は広東料理を出す店。どちらも店構えはお世辞にも立派とは言えず、夕食時など近所の住人達がパジャマを着たままサンダルをつっかけて鍋をぶら下げ、晩ご飯を買いに来るようなローカル色あふれる店で、気心の知れた友人でも、「え、ここ?」と一瞬ひるむような所だった。 しかし料理の味に間違いはなく、例えば上海料理の店ではキュウリをごま油とニンニクであえた前菜からして「ただのキュウリのぶつ切りが、なんでこんなにウマいんだ!」と友人達に歓声を上げさせたものだ。冬のタケノコ、ナズナ、ヤマイモ、キクラゲ、豆苗など旬の野菜と豚肉や鶏肉を、シンプルに炒めたり揚げたり煮たりしておいしい一皿に仕上げてくれる。値段は驚くほど安く、私が足繁く通っていた2003〜06年ごろの値段は1皿10元程度(約160円)。2人なら30元(500円)、10人で行ってビールを飲み、たらふく食べて200元(3200円)でおつりが来てしまったことがあるほど、物価が安かった当時の上海でも恐縮してしまうような安さだった。 端数をおまけできた余裕 広東料理の店は、本場の香港では地元の人たちが食事にも使うし喫茶店としても使う、メニューにもワンタンメンがあるかと思えばポークステーキやボルシチもあるという、強いて日本風にいうならファミレスのような形態の店だった。私がひいきにしていた上海にあるその店も経営者は香港人で、皮をパリパリに焼き上げた自家製のチャーシューがウリ。さらにこのチャーシューを使ったチャーハンがおいしかった。ネルの袋に茶葉を入れて濃く煮出した香港風ミルクティーとセットで頼んで20元(約320円)と、上海にいながら香港の本場の味を気軽に安く楽しむことができる貴重な店だった。 さらに上海料理の店で毎回楽しみにしていたのはレジでの清算だった。店を任されていた内モンゴル出身だという丸々と太ったいかにも人の良さそうな30前後のお兄ちゃんは、伝票を見てパチパチと電卓を弾くのだが、時々、入力し終えて合計金額が出たはずなのに、すぐには金額を伝えてこないことがあった。数字が出ている画面を困ったような顔をして眺め、しばらくすると意を決したように顔を上げ、はにかみながら金額を伝えてくる。 なんですぐに言わないのかなと不思議に思っていたのだが、何度か通ううちにあることに気付いた。はにかみながら金額を言う時は、合計金額が34元、43元など端数が4元以下の時。その端数を切り捨てて、請求金額を30元、40元におまけしてくれていたのである。500円足らずの食事で60円もおまけして、利益はさぞ圧迫されたことだろうが、味はもとより、多少利益を削ってでも常連を増やそうとする彼の努力や、いつも笑顔を浮かべている彼の人柄に引かれた客でいつも店は一杯だった。この2軒で食事をしていた当時の私は確実に幸福だったと思う。 安くてとびきりうまい店の消滅 ただ、こうした私の幸福も、永遠ではなかった。ある日、広東料理の店でチャーハンを頼んだら、いつものチャーシューではなく、魚肉ソーセージが入っていた。あれ? 今日はチャーシューが品切れなのかなと思ったのだが、次の時も、その次に訪れた時も、やはり魚肉ソーセージだった。店主には聞けなかったが、コストを落とすためであったのは明らかだ。それからしばらくすると、今度はチャーハンの値段が上がったのだが、それでも、チャーシューは復活しなかった。魚肉ソーセージになって格段に味が落ち、しかも値上がりしたこの店から私は自然に足が遠のき、友人達を連れて行くこともなくなった。 時を同じくして、上海料理の店でも、端数が切り捨てられることがなくなり、ほどなく、メニューが一気に倍の値段になった。しばらくすると、モンゴル族の彼は店に姿を見せなくなり、仏頂面をした上海人のオーナーがレジに座るようになった。その後も何度か通ったが、モンゴルの彼がいたころのような明るさが影を潜め、客足もみるみるうちに減っていった。それからしばらくして店の前を通りかかると、レストランがあった場所には花屋ができ、店の奥に同じオーナーがつまらなそうな顔をして座っていた。 これ以降、私はこの2軒のような店を見つけることができないまま今日に至っている。おいしい店はそれなりにあるのだが、値段もそれなりにする。大げさに言えば、安いのにとびきりうまく、一人でも大人数でも食事ができるという店が上海から消滅してしまったのである。 北京五輪と上海万博がもたらしたもの この2軒のレストランの様子が変わったのは2007年のこと。北京オリンピックが翌年に迫り、その2年後には上海万博の開催が控えているという時期だった。 今回、この原稿を書くに当たって調べてみると、2007年から2008年というのは、中国の食の安全を巡る大きな事件が集中して起きた年だったことが分かる。 2007年半ばには、段ボールを肉だと偽って肉まんに入れ販売していたのが発覚した「段ボール肉まん事件」。 2007年暮れから翌年1月にかけては、殺虫剤の混入した中国製の冷凍ギョウザを食べた日本人の消費者が相次いで中毒になった「毒ギョウザ事件」。 2008年秋には、メラミン入り飼料を食べさせて育てた乳牛の乳を原料とした粉ミルク・牛乳・ヨーグルトといった乳製品を、飲んだり食べたりした乳児や成人が、腎臓結石を患ったり健康被害を受けたりした「メラミン入り粉ミルク・牛乳」事件。 「中国KFC傘下のすべてのレストランでは現在、上海福喜が提供する食品を使用していません」と店頭で告知するKFC(上海市内) 改めてこうして書き連ねてみると、よくもまあこんなに、とため息が出る。ただ、ため息をつきながらも、オリンピックと万博に向け古いものがガンガン取り壊され、あらゆるものが目まぐるしく変わり、モノの値段や人件費が上がるなど時代が猛スピードで変わる中で、良心的な商売をしていたら取り残されてしまうという焦燥感に駆られてのことだったのではないかとも思う。余裕をなくせばモラルを軽視してもいいのかといえば、もちろんそんなことはない。ただ、2007年以前の中国は、そこまでのモラルの低下はなかった。あの年に食の安全にまつわる事件が集中したのは、時代や社会の軋みが形を変えて噴出したのだろう。私の好きだったあの2軒の経営者も、端数をおまけしたり、チャーシューを使って味を守ったりする余裕を失くしてしまったのだ。
その後も、2010年には下水道の汚水を精製して食用油として多くの飲食店で使われていることが発覚した「地溝油(ドブ油)事件」など、食の安全を巡る事件は報告されているが、2008年当時に比べれば一服した感はあった。ところが昨年から今年にかけて、再び、集中して事件が起こり始めている。 2013年初頭に発覚した、キツネやネズミの肉を羊肉だと偽って上海や江蘇省で販売していた「ニセ羊肉事件」。 2013年3月、上海を流れる黄浦江に1万頭もの病死した豚が流され、さらに病死した豚の肉が売られていた「病死豚事件」。 そして今回の「上海福喜事件」だ。 開き過ぎた格差 食の安全を脅かす事件が再び集中して起こり始めた裏で軋みをあげているのは何なのか。私は、持つ者と持たざる者の差があまりにも開き過ぎてしまったことが、大きく関係しているのではないかと思っている。 私は今年の5月、上海の都心部内で引っ越しをしたのだが、1年前まで住んでいたエリアに戻ろうかと、かつてのアパートの家賃を調べたところ、わずか1年の間に1.5〜2倍に高騰していて驚いた。近年の物価上昇のペースを見て、都心部に住むのを断念せざるを得ない日がそう遠くない将来にやって来るだろうとは思っていたが、それにしても値上がりのペースが速過ぎる。 不動産を所有する人たちにしても、物価の上昇は生活を直撃するわけだから、値上がりを望む半面、このままのペースで走り続けるのはそろそろ限界だということに気付き始めてもいる。しかし、経済成長が年率7%を割り込めばたちまちハードランディングの懸念が高まるという現状下、走り続けないわけにはいかないというジレンマも感じている。一方で、現時点で不動産を持っていない人たちにとって、不動産を持つ人たちの間に絶望的な距離ができはじめている。 さて、上海の市民は、上海福喜の問題をどうとらえているのだろうか。そこで、家政婦をしている友人、盤さんを訪ねた。中国内陸部の出身で、盤さんは家政婦、夫は建築現場で肉体労働をしている。真面目な仕事ぶりと料理上手が口コミで広がり、少ない時でも一日3〜5軒の家を掛け持ちして掃除をしたり、子供の面倒をみたり、食事の準備をしたりしている。上海に来る以前は北京にいて、夫とともに市場で生きた鶏をさばいて売る鶏肉屋をしていたというから、今回の話を聞く相手としてはうってつけである。ちなみに鶏肉屋を辞めたのは、2003年に発生したSARSの影響で、生きた鶏を扱う商売ができなくなってしまったためだという。 スーパーは逃げられない 上海福喜の事件が起きてから、食事を作るに当たって、雇い主達から何か要望はありましたか? 「今回始まったことじゃないけれども、食材は市場で買わずに大手のスーパーで買うようにしてくれっていうのを改めて言われた。上海福喜だって大きな会社だから、大手で買えば安心かといったらそんなことはないんだけどさ、それでも、何か問題が起きたら、大手は姿をくらませられないし、責任も追及できるでしょ? 市場で店をやっているのは個人だから、何かあればドロンされちゃうから」 中国で食材を販売する場所は、大きく分けて「菜市場」と呼ばれる市場と、スーパーがある。菜市場は行政が建てた市場の中で個人事業主が店を開いているもの。場所によって建物のスタイルはさまざまだが、鉄骨の骨組みに屋根を乗せた体育館のような広いスペースに、八百屋、肉屋、魚屋、卵屋、米屋、総菜屋などがそれぞれ何軒か集まっている。北京で盤さん夫婦が鶏肉屋をしていたのも菜市場だ。 存在したモラル 盤さんが鶏肉屋をしていた時にも、古い肉を売るような人はいた? 「もちろんいるにはいた。でも、多くはなかった。鶏をしめてお腹を開けてみたら病気だったとか、内臓の色がおかしいとかいうのは、正直、時々あるのよ。でもうちはお父ちゃんが真面目だから、そういう肉は全部捨てて店には出さなかったし、よその店でも出さないところの方が多かった。なぜって、悪い肉を出すと結局、客が離れていくのをみんな知っていたからね」 少なくとも、2003年までの時点で、盤さんの周囲では、悪い肉を偽装して売るという行為が常態でなどなかったことをうかがわせる。 大型スーパーの家電売り場にずらりと並んだ豆乳メーカー 中国では、メラミン入りの粉ミルクや牛乳の問題が浮上した2008年、牛乳を避けて豆乳を飲む気運が高まり、自宅で豆乳を作ることが出来る豆乳メーカーが人気を集めた。今でも家電量販店に行くと、豆乳メーカーのほか、2010年の「ドブ油事件」を期に登場した「自家用油絞り機」や、野菜の残留農薬を洗い流す洗浄マシンなどが並んでいる。ところが盤さんに話を聞くと、
「豆乳メーカーね。ほとんどの家にあるよ。でも、今でも使っている家は皆無じゃないの。ホームベーカリーとか、ジューサーとか、ああいう類いのモノは、しばらくすると飽きるし面倒だしで使わなくなるんだよ」という。 「それに」と盤さんは続ける。 「危ないものがこんなにあるんじゃあ、豆乳だけ安全でも、ね」 モノでは救えないのか 家政婦として富裕層の生活を数多く見ている盤さんだが、これまで彼らの生活をうらやむようなことや、社会に対する不満、自らの境遇を嘆くような類いの話を、彼女の口から一切、聞いたことがない。夫とともに、大学院に通う長男の学費を稼ぐため、淡々と働き続けてきた。不動産にしても、農村にある田舎に帰れば老後を過ごす家はあるからそれで十分と意に介していない。その盤さんにして、人間の健康や生命にかかわる食に関するモラルの低下には、無力感や諦めを感じ始めている。 一通り話を聞くと、盤さんは「晩ご飯食べていってよ。病死した豚の一件以来、ウチでは魚中心にしているので、肉はないけど我慢して」と言って台所に立った。それからものの30分ほどで、盤さんはピータン豆腐、青菜の炒めもの、冬瓜のスープ、川魚のピリ辛姿揚げを手際よくこしらえてくれ、仕事から帰ってきた盤さんの夫と3人、食卓を囲んだ。さすがに人気の家政婦だけあり、どれもうまい。小骨が多いので川魚は嫌いなのだが、甘辛く味つけられた川魚は臭みもなく、白ご飯が進む。ただ、中国がこのまま進めば、盤さんが「病死した魚の一件以来、うちは魚も食べないの」と言う日が来ないとも限らないなということが頭をよぎったが、盤さんにはとても言えなかった。 この料理を食べられなくなる日が来るのだろうか
このコラムについて 中国生活「モノ」がたり〜速写中国制造
「世界の工場」と言われてきた製造大国・中国。しかし近年は、人件費を始めとする様々なコストの高騰などを背景に、「チャイナ・プラス・ワン」を求めて中国以外の国・地域に製造拠点を移す企業の動きも目立ち始めているほか、成長優先の弊害として環境問題も表面化してきた。20年にわたって経験を蓄積し技術力を向上させた中国が今後も引き続き、製造業にとって不可欠の拠点であることは間違いないが、一方で、この国が世界の「つくる」の主役から、「つかう」の主役にもなりつつあるのも事実だ。こうした中、1988年の留学から足かけ25年あまり上海、北京、香港で生活し、ここ数年は、アップル社のスマートフォン「iPhone」を受託製造することで知られるEMS(電子機器受託製造サービス)業界を取材する筆者が、中国の街角や、中国人の普段の生活から、彼らが日常で使用している電化製品や機械製品、衣類などをピックアップ。製造業が手がけたこれら「モノ」を切り口に、中国人の思想、思考、環境の相違が生み出す嗜好を描く。さらに、これらモノ作りの最前線で働く労働者達の横顔も紹介していきたい。本連載のサブタイトルに入れた「速写」とは、中国語でスケッチのこと。「読み解く」「分析する」と大上段に構えることなく、ミクロの視点で活写していきたい。 |