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周永康氏 〔PHOTO〕gettyimages
中国全土が震撼した周永康立件もゴールではない!? 江沢民 vs.習近平の仁義なき権力闘争はまだまだ続く
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40008
2014年08月04日(月) 近藤 大介 北京のランダム・ウォーカー
■「刑不上常委」という言葉が完全に覆された
〈 周永康の重大な紀律違反容疑に関して、中国共産党中央委員会は決定した。「中国共産党章程」と「中国共産党紀律検査機関案件検査工作条例」の関係規定に基づき、中国共産党中央紀律検査委員会は本件の審査を立件する。 〉
7月29日午後5時59分、このわずか漢字69文字のそっけない記事が、中国国営新華社通信から配信されると、中国全土が震撼し、世界のトップニュースとなった。
周永康---わずか2年前の11月まで、世界最大の政党・中国共産党8668万人の序列9位に君臨した中央政治局常務委員である。担当は法務と公安で、全国250万の警察組織を牛耳っていた。1989年の天安門事件で、趙紫陽総書記が失脚して以降、中国政界で最大級の大物の失脚である。
思えば、昨年8月にも、薄煕来裁判という「見世物」があった。それが習近平主席は、今年は、昨年よりさらに上の大幹部を、晒し者にしたのである。
今回のニュースにいちばん驚いたのは、中国のエリート層かもしれない。私はこれまで彼らに何度となく周永康問題について聞いてきたが、返ってくる答えは、いつも「刑不上常委」。つまり、「刑不上大夫」(刑は大幹部には及ばない)という中国の諺をもじって、「刑は常務委員には及ばない」というものだ。「なぜなら、たった7人とか9人しかいない最高幹部を切れば、自己の政権自体が危うくなるのだから」。
この言葉には一応の説得力があったが、今回の一件で完全に覆されてしまった。そのため中国のエリート層たちの間で、「昨年末に金正恩第一書記が張成沢・党行政部長を粛清した時の平壌のエリート層たちのような動揺」が拡がっているのである。
■薄煕来の次は、周永康を押さえる番
思えば、習近平はこれまで、執拗に周永康の立件にこだわってきた。
2012年3月に、薄煕来・重慶市党委書記が失脚した。この時、薄一波・元副首相の息子である大物政治家をどう裁くかについて、「中南海」は揺れに揺れた。同年秋に開かれる第18回共産党大会で胡錦濤体制から習近平体制に変わる過渡期だったこともあり、薄煕来問題がそのまま「政局」になっていったのである。
ある中国共産党関係者によれば、この時、最も強硬な主張をしたのが、「ポスト胡錦濤」を内定させていた習近平だったという。
「薄煕来は『刎頸の友』だった周永康に頼んで公安を動員し、習近平の電話を盗聴し、自宅を張り込んで、習近平後継を転覆させようとしていた。それで習近平は、党大会を2ヵ月後に控えた9月の前半に2週間にわたって、江沢民と胡錦濤に対して、『薄煕来・周永康問題を徹底追及できないのであれば、自分は総書記に就かない』と直談判に及んだ。結局、江沢民と胡錦濤が折れた」
習近平は昨年10月、薄煕来の無期懲役を確定させた。次はいよいよ、周永康を押さえる番だった。
その前座として習近平は、昨年11月の3中全会で、「国家安全委員会」の設立を決め、自らが委員会主席に就任した。これは、周永康が牛耳っていた公安組織を「仕切り直す」ためだった。具体的には、190万人と言われる公安(警察)、60万人と言われる武警(機動隊)、それに5万人と言われる国家安全部(秘密警察)を統轄する国家安全委員会を作ることで、この3つの暴力組織から周永康派を一掃しようとしたのだ。
ここまでやったうえで、ようやく今回、周永康の立件にまで持っていったというわけだ。周永康の立件に絡んで押収した額は、900億元(約1兆5,000億円)、中国の公安当局が参考にしたと言われる「周永康人脈図」には、「親族」8人、「石油系」11人、「法政系」4人、「四川系」15人、「その他」1人と、計39人の周永康に連なる「悪徳人脈」が記されている。彼らを中心にして、1000人近い周辺の人々が取り調べを受けたとも言われる。
だが考えてみれば、周永康をここまで太らせたのは、江沢民元主席に他ならない。
1942年に江蘇省無錫で生まれた周永康は、文化大革命が始まった1966年に、北京石油大学を卒業した。卒業後は、黒竜江省にある中国最大の大慶油田に、石油採掘の技術者として就職した。
一説には江沢民と遠戚関係にあるとも言われるが、不明である。同じ江蘇省南部の「同郷」の出であることは確かだ。ともかく江沢民主席の後ろ盾を得て、1996年に中国最大の国有石油会社の中国石油天然気総公司の党書記兼社長にしてもらった。1998年に、江沢民主席は、全国の国土資源を統轄する国土資源部を創設し、周永康を初代国土資源部長(大臣)兼党書記に抜擢。さらに2003年に、公安部長に抜擢した。
江沢民は、2002年秋の第16回共産党大会で総書記を、翌2003年春の全国人民代表大会(国会)で国家主席を、胡錦濤に委譲せざるをえなかった。そこで「置き土産」として、周永康を胡錦濤時代の公安部長(警察庁長官に相当)に就けた。
周永康部長はさらに、2007年秋の第17回共産党大会で、最高幹部の常務委員(序列9位)に就いた。抜擢したのは、言うまでもなく江沢民だった。そんな周永康は2012年11月の第18回共産党大会で、ようやく政界を引退した。
■習近平が「胡錦濤の10年」に否定的な理由
こうして考えると、習近平としては、周永康を倒すことは、けっしてゴールでないと思われる。薄煕来と周永康のバックにいるのは、この8月で88歳を迎える中国最強の元老・江沢民その人だからだ。
習近平は、自分の前任の「胡錦濤の10年」を、明らかに否定的に見ている。それは、2012年11月15日に開かれた「習近平総書記就任会見」で、胡錦濤時代にまったく言及しないという異例のスピーチを行ったことからも見てとれる。なぜ否定的に見ているかと言えば、胡錦濤は終始、黒幕の「ドン江沢民」に逆らえず、「自分の仕事」ができなかったからではなかろうか。
だから、習近平は、胡錦濤政権10年の反省として、江沢民色を徹底的に排除していくことにした。実際、習近平の党総書記としての「初仕事」は、自分をトップに抜擢してくれた江沢民元主席を、「中南海」から追い払うことだった。
そして、最高権力を握った習近平は、「目の上のタンコブ」の江沢民を北京から追い出したくらいでは気が済まず、2012年12月に、「8項規定」(腐敗撲滅運動)という名の「現代版文化大革命」ののろしを上げたのである。そのスローガンは、「トラ(大幹部)もハエ(小役人)も同時に叩く」。だが実際に叩いたのは、主に江沢民派の幹部たちだった。
「犠牲者第1号」となったのは、李春城・四川省党委副書記。「李春城は四川省に愛人を200人も囲っていた」「隠しマンションも100軒保有していた」などという報道を連日、官製メディアが行って失脚させたのだ。李春城は、周永康を通じて「四川省利権」を江沢民に献上していたキーパーソンだった。
続いて、中国における富の6割強を握る国有企業群を統轄する蒋潔敏・国有資産監督管理委員会主任が、昨年9月、就任わずか5ヵ月余りで失脚した。蒋主任は元中国石油社長で、やはり「国有企業利権」を江沢民に献上していたキーパーソンだった。
年が明けて今年に入ると、習近平主席は、人民解放軍の利権収奪に着手した。江沢民人脈である谷俊山・軍総後勤部副部長に続いて、6月には「ミスター人民解放軍」として君臨した徐才厚・前中央軍事委員会副主席まで党籍を剥奪し、失脚させたのだ。
このように昨年来、特に今年に入って連日、テレビニュースでは「今日摘発された腐敗幹部」が報道される。腐敗とは無縁の一般庶民は、報道を見るたびに拍手喝采である(習近平は、周永康立件に平仄を合わせて、庶民の関心が高い戸籍改革に着手したことも絶妙だったが、戸籍改革については次回以降のコラムで詳述したい)。
■「北戴河会議」でのガチンコ対決に注目
ともあれ、すでに5万人を超える政治家や官僚たちが、習近平の手によって摘発されているのだから、これはまさに「習近平革命」と呼ぶべきである。
今後は、まもなく開かれる「北戴河会議」がポイントだろう。北戴河会議とは、毎年8月上旬に、北京の東300kmにある河北省北戴河の浜辺の避暑地に、現役および歴代の常務委員たちが集まり、中国の政務全般を話し合う会議だ。今年は、現役の7人と、周永康を除く健在なOB10人の計17人が参加すると言われる。中でも注目は、江沢民元主席と、習近平主席との「ガチンコ対決」である。
そして北戴河会議を経て、中南海政局は10月の「4中全会」へと移る。中南海の権力闘争はつねに文字どおりの死闘であり、終わることがない。
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