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6月4日の天安門 〔PHOTO〕gettyimages
天安門事件から25年---毛沢東が提起した「民主集中制」を目指し、「維穏」色を強める習近平中国
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39478
2014年06月09日(月) 近藤 大介 現代ビジネス
■「天安門事件」と「毛沢東」は検索できない
天安門事件から25周年にあたる6月4日、中国国営新華社通信のHPを開けたら、トップニュースは、新疆ウイグル族の若い女性が微笑んでいる「新疆"動姐"の笑顔 新疆高速鉄道が試運転」と題する記事だった。
〈 飛行機には「空姐」(スチュワーデス)がいて、高速鉄道には「動姐」(高速鉄道コンパニオン)がいる。6月3日、高速鉄道「和諧号」が、蘭州-ウルムチ間で試運転を行った。記者は試乗しながら、新疆の「動姐」たちを取材した。高速鉄道は、蘭州西駅を発車し、甘粛省、青海省、新疆ウイグル自治区と計31駅に停まり、終点のウルムチ駅に到着した。最高時速は250kmで、全長1776kmである。現在、世界で最も走行距離の長い高速鉄道だ。 〉
新疆ウイグル族の「動姐」がニッコリ微笑み、何とも華やいだ記事だ。
中国ではこの日、天安門事件に関しては、一篇の報道もなかった。「天安門事件」とインターネットで検索しても、「中国の法規に基づいて検索できません」と出て、はじかれるだけだ。
笑い話のようだが、今年の冬、中国の毛皮商品の売上げが激減した。理由は、すでに10兆円市場に膨れ上がっているインターネットを使った通販で買えないからだ。
中国当局は、習近平主席が最も尊敬する毛沢東主席の悪口がネット上に書き込まれるのを防ぐため、「毛沢東」という言葉も検索できないようにした。それで「毛皮」も「毛」の漢字で始まるため、毛皮商品を買おうとして打ち込むと、「中国の法規に基づいて・・・」となってしまったというわけだ。
■「改革開放」と「維穏」の25年
私事だが、天安門事件は、大学を卒業して社会人になって、初めて関わった仕事だった。6月1日に週刊誌の編集部に配属され、新入社員は何もできないので、「そこのCNNテレビを24時間見て、トピックを報告しろ」とデスクに言われた。当時、CNNは24時間、天安門広場からの中継ばかりやっていた。
私はそれまで中国に関わったこともなかったのだが、それは衝撃的な映像だった。当時の日本は、バブル経済の絶頂期で、われわれ若者たちの興味と言えば、毎日遊ぶことばかりだった。それが隣国の同世代の若者は、民主化を求めて、戦車に向かっていったりしているのだ。
それに、天安門を占拠した若者たちの汚らしい格好といったらなかった。CNNの記者は、服装についても若者たちに質問していたが、男性も女性も、「服なんて今着ているものと、いま洗っているものの2着しかない」などと平然と答えているではないか。『ホットドッグプレス』のファッション特集を夢中になって読んでいた私からすれば、まさに別世界だった。
そして6月4日を迎える。それは映画『プラトーン』よりも遙かに衝撃的な映像だった。すでに会社に泊まり込んで4日目になっていたが、もうその時には未知なる「チャイナ・ワールド」に、すっかりのめり込んでいた。
それから25年間、中国当局が行ってきたのは、煎じ詰めれば「改革開放」と「維穏」の二つである。「維穏」とは、「穏やかな状態を維持する」ことで、すなわち取り締まりのことだ。
当時、民主化を求める学生たちを、人民解放軍を派遣して力でねじ伏せた最高実力者のケ小平は、経済顧問だった呉敬王連らに諮って、「社会主義市場経済」という新制度を打ち立てた。
これは、政治は社会主義で「維穏」を貫くけれども、経済は改革開放を進め、市場経済を目指していくとしたのだ。早い話が、若者は民主化に拳を振り上げていないで、金儲けに邁進しなさいと促したのだ。
社会主義市場経済は、1992年の第13回中国共産党大会で党の正式方針となり、翌1993年の全国人民代表大会で憲法の中に盛り込まれた。以後、現在まで変わらず、中国の基本方針となっている。
■ケ小平が導いた「サクセス・ストーリー」
1995年に中国に留学の機会を得た私は、迷わず北京大学を選んだ。天安門事件についてエリート学生たちと話をしたかったし、天安門事件の発足場所の一つである北京大学構内の「三角地」(掲示板のある広場)に興味があったからだ。
それから一年間、北京大学構内の学生寮に住んだおかげで、私はエリート学生たちを取材し放題だった。だが、どの学生に話を聞いても、拍子抜けだった。私がその5年前にCNNで観たような「民主化のために命を捧げる」といった若者は見当たらなかったからだ。
ケ小平は、見事にエリート学生たちを「洗脳」していた。当時の北京大学の男性学生は、入学すると、まず一年間、軍隊に入れられ、徹底して愛国心を養成された。それでようやく大学に戻ってくると、今度は『七七事変』という日中戦争開戦を描いた映画などを観て、「反日教育」の洗礼を受ける。そこからようやく、本来の学生生活が始まるのだ。
北京大学の教育は、一言で言えば、「英語を勉強して、金儲けを目指しなさい」というものだった。そして学生たちは、ケ小平が導いた「サクセス・ストーリー」への道を邁進していたのだ。「三角地」へ行っても、英語の予備校の張り紙しか貼っていなかった。
2009年に、今度は北京の日系企業に勤務することになった。最初の日、中国人社員全員と一緒にランチをした席で、天安門事件について聞いてみた。
ある20代の中国人女性は「今日、1号線で事故でもあったのですか?」と聞いてきた。地下鉄1号線には、「天安門東」「天安門西」という二つの駅があるので、「天安門事件」とは地下鉄事故のことかと思ったらしい。
そこで私は、天安門事件の概要を述べ、事件で失脚した趙紫陽総書記の話をした。そうしたら何と、中国人社員全員が、趙紫陽総書記という人物を「そんな人、聞いたこともない」と答えたのだ。
その日分かったことは、他にもあった。中国人社員たちは、自分がいかに金儲けをするということが、最大の関心事だった。ケ小平の洗脳恐るべしである。
■民主と独裁をすり替える習近平主席
2014年6月4日、香港や台湾では、中国政府に抗議するイベントが開かれた。日本でも、多くの人士が集まって「天安門事件25周年 東京集会」が開かれた。私にもテレビ朝日の『報道ステーション』からインタビューの依頼が来て、思うところを述べた。
だが、肝心の中国ではどうだろうか?
そもそも習近平政権の「維穏」の取り締まりが厳しいこともあるが、やはりいまの中国の若者たちと話をしていても、拳を突き上げて民主化を要求するといった雰囲気ではない。
彼らの関心は、もっと細々した個人的なことにあるように見える。来月からまた家賃が上がるがどうしようとか、今度の夏休みは彼女とどこへ行くかとか、あの新車が買いたいとか、つまりは1989年にわれわれ日本の若者たちが考えていたようなことだ。
しかも、1989年当時の中国の大学進学率は2%しかなかった。それが今年の7月には、790万人も卒業する。彼らは、まともな就職先にありつくのにも一苦労なのだ。
だから、「中国の若者は民主化を弾圧されて悲惨だ」といった短絡的な見方をすると、本質を見誤る気がする。たしかに民主はあった方がいいに決まっているが、日本の25倍もの面積と10倍以上の人口がある隣国には、他にも解決すべき問題が山積しているのだ。
6月1日、香港で行われたデモの様子 〔PHOTO〕gettyimages
民主ということで言えば、習近平主席が目指しているのは、かつて毛沢東主席が提起した民主集中制である。これは、「人民の代表に権力を集中させ、代表が集中した権限を持って人民の最大利益のために執政するのが、中国の民主である」という考え方だ。
つまり、独裁を民主とすり替えているのだが、習近平主席としては、「中国は4000年間、皇帝がずっとそうやって統治してきたのだから、自分もそうするまでだ」と開き直っている。外国からの批判に対しては、「どの国もそれぞれの伝統に合った発展の仕方がある」と主張して批判をかわす。
習近平主席は、「改革開放」と「維穏」の二項対立で考えれば、明らかに「維穏」に重きを置いている。それで地方の貧困層からは絶大な支持を得ているが、都市部のインテリは支持していない人が多い。
そんな中、短期的にはますます「維穏」色を強めていくことだろう。中長期的にはまったく読めない。せめて、私が生きている間に、中国国内で中国人の手によって、天安門事件の総括がなされることを願う。
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