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【6月4日 AFP】その男性は世界的に知られていながら、無名だ──1989年6月5日、中国北京(Beijing)の天安門広場(Tiananmen Square)で戦車の隊列の前に一人で立ちはだかった男性は、25年経った今も、平和的な抗議行動と抵抗の象徴とされている。
その日のまもなく正午だった。両手に買い物袋を提げた白いシャツ姿の男性は、天安門広場の北側を走る大通りの中央に進み出た。民主化を夢見た学生たちの姿は、広場からすっかり消えていた。広場では前日、民主化を求めるデモを軍が武力で鎮圧し、抗議の参加者に多数の死者が出ていた。通りのずっと先まで何台も連なる戦車や装甲車。男性は先頭の戦車の前に立った。そしてその戦車が進路をずらして通もうとするたびに、前に歩み出て行く手を阻んだ。
カメラに捉えられた「戦車男(Tank Man)」は、20世紀という時代を決定づける映像の一つとなった。
忘れることのできない強力な映像は、これまで数え切れないほど紹介されてきたが、この人物の正体やその後の運命は今も分からないままだ。
その後、銃声が鳴り響く中、男性は戦車によじ登り、兵士の一人と話し込んだ。そしてまた路上に降り、隊列に退却を命じるような身振りをし、先頭車が速度を上げて通り過ぎようとすると、また立ちはだかった。
最終的に男性は、治安警察とも、心配した通行人ともいわれる男性2人に連行されるような格好でその場を去った。
中国の著名な市民活動家、胡佳(Hu Jia)氏は「戦車男」についてこう語っている。「私には彼が『通らせるものか、下がれ――皆死ぬ覚悟はできているんだ』と言っているように感じられた。彼が象徴したのは、当時の若者たちの精神だ」
■男性の正体と運命は?
この人物と戦車のにらみ合いが続いたのは、ほんの数分だけだった。しかし毅然とした、勇気に満ちた態度で「戦車男」は歴史に刻まれた。さらに消息が分からず、男性に関する謎はいっそう深まった。
その正体については過去四半世紀の間にさまざまな説が取り沙汰されてきたが、事実はほとんど浮かび上がっていない。「王維林(Wang Weilin)」という名の男性だという情報もあったが、確認されたことはない。さらに、この人物をひき殺そうとしなかった戦車の操縦手の身元も分かっていない。
胡氏も例に漏れず「戦車男」が誰なのか、突き止めようとした。また、この戦車の操縦手を探すため、軍関係者の友人に問い合わせてもみた。しかし真実を知ることはできなかった。
中国当局は堅く沈黙を守っている。天安門事件の1年後、米国人テレビジャーナリストのバーバラ・ウォルターズ(Barbara Walters)氏が、当時、中国共産党の総書記だった江沢民(Jiang Zemin)氏に「戦車男」の写真を見せながら「この若い男性の身に何が起こったかご存知ですか」と質問した。
江氏はろうばいした様子で、戦車は男性をひいていないと強調した。しかし、死んだとは思っていないと述べただけで、その後の男性の運命について語りはしなかった。
■「無名の兵士」
この日「戦車男」の姿は、複数のカメラマンが捉えていた。しかし最も広く取り上げられ、ピュリツァー賞(Pulitzer Prize)候補にもなったのは、AP通信のジェフ・ワイドナー(Jeff Widener)氏が撮影した写真だった。今では、世界中で誰もが知っている写真の一枚とみなされている。
現在57歳になり、ドイツ・ハンブルク(Hamburg)に暮らすワイドナー氏はAFPに対し「時々『戦車男』のことを思い出しては、彼はどうなったのだろうと考える」と話す。一方で「彼が誰なのか、知らない方がいい気もする」という。この「無名の兵士」が「これからもずっと、自由と民主主義、人間の尊厳の権利の重要さを思い出させてくれるだろう」と語った。
胡氏も同じ意見だ。「彼は殺されたのかもしれない、投獄されたのかもしれないし、外国へ行ったのかもしれない。だが、もはやそれは問題ではない。われわれ皆が、戦車男なのだ。体制に立ち向かう限り、戦車男は生き続ける」と語った。(c)AFP/Sébastien BLANC
http://www.afpbb.com/articles/-/3016660?ctm_campaign=txt_relation&3016667
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