http://www.asyura2.com/14/china4/msg/204.html
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転載する記事にも、“アジアの自虐的価値観”を感じる。
生活様式、美意識、価値観、人々の関係性は、歴史的地域的に様々であり変容し続けるものである。
わずか200年前、西欧諸国の庶民家庭は桶にたまった糞尿を公道にぶちまけていたし、産業革命期の英国は、児童や婦人の低賃金で過酷な労働に支えられていた。西欧諸国が南北アメリカ・アフリカ・アジアで展開した所業は言うまでもないだろう。
「日本人の民度が短期間で向上したのはなぜか」と自問しているが、高度経済成長により急速に生活条件が改善されたことがベースである。衣食足りて礼節を知るである。
もう一つ重要な要素は、日本の支配層および日本人の多くが抱える対欧米コンプレックスである。鹿鳴館時代から言えることだが、先に民度を向上させた欧米諸国より劣っているという奇妙な自意識が、欧米的価値観へのすり寄りを促したのである。
それは、今でも欧米諸国からどう評価されるかを気に掛けていることでもわかる。このような「民度の向上」が望ましいものかどうかは疑問である。
普段の中国支配層の言動から見えることだが、転載する記事からも、中国支配層や中国人の多くが対欧米コンプレックスを抱えていることがわかる。
「中国人はどこに行っても、やはり『みにくい中国人』で、マナーの悪さは改善できない」ということはないが、香港の状況を見ると、商業施設を含む公衆トイレの使い方はなかなか改善されないと思う。(他の人が汚く使っているという意識が汚く使う人を増殖させているようだ)
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日本人の民度が短期間で向上したのはなぜか
中国メディアが見る日本
2014年05月12日16:37
ペルー大学やベネズエラ大学で長年教授を務めていた高橋敷氏は、自著「みにくい日本人」(1970年)で、海外生活の体験を基に、日本人の弱点を容赦なく指摘した。例えば、日本のトイレは汚い、日本人はごみをポイ捨てする、動物園では注意を無視してキリンにエサをやるなどだ。(文:楊恒均・時事評論家。新華網掲載)
「みにくい日本人」に描かれるさまざまな状況は、今の日本ではなく、中国やアジアの多くの発展途上国で起こっている状況だと感じた。
特筆すべきは、高橋氏が同書を出版した当時、日本で大バッシングが巻き起こったものの、日本人のマナーの悪さはその頃から改善され始めた点だ。おもしろいことに、日本に近い台湾の作家・柏楊が1985年に、同書を模倣した「みにくい中国人」を出版したが、台湾のマナーもその頃から改善し始めた。1994年には、韓国の作家・朴泰赫が「みにくい韓国人」を出版した。同書も明らかに「みにくい日本人」の影響を受けている。
この「みにくいシリーズ」3冊が出版されたアジアの3つの国と地域が、いずれも民主主義が転換し、社会の風紀が好転し、国民の民度が大幅に向上しつつある時期を迎えていたというのは、非常に興味深い。
「みにくい中国人」では、「中国人はどこに行っても、やはり『みにくい中国人』で、マナーの悪さは改善できない」と書かれていたのを覚えている。私は、この言葉は公平さに欠けると思う。本質はそう簡単に変わらないが、多くの悪習は環境や制度によって変えられるものだ。
日本にある古墳時代(250年頃–600末頃)の詳しい記録と中国の同時代の記録を比較すると、政治や経済、文化、技術などにおいて、日本は中国に大きく後れを取っていた。しかし、19世紀後半の「明治維新」により、形勢が逆転し、日本はわずか十数年で近代社会へと突入した。(文章は作者独自の観点であり、当サイトの立場を代表するものではありません)(編集KN)
「人民網日本語版」2014年5月12日
http://j.people.com.cn/94473/8624878.html
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