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2月26日、北京の裁判所の前で、元労働者の親族の遺影を手に強制連行の賠償を求める中国人原告ら(ロイター)
【中国ネットウオッチ】戦争賠償問題で「日本人をいじめ殺せ」「小日本を滅ぼせ」 中には共産党批判も
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140414/frn1404140845002-n1.htm
2014.04.14 夕刊フジ
第二次大戦中に日本に「強制連行」されたとして、日本企業に損害賠償などを求める集団訴訟が中国国内で相次いで起こされ、3月には北京の裁判所が初めて正式に訴状を受理、審理が始まることになった。中国のネット上では若い世代の日本への感情的な書き込みが多くみられる中、戦争賠償を放棄した1972年当時の共産党指導部への批判もわき起こっている。集団訴訟を対日カードにしたい中国指導部の思いとは裏腹の“副作用”も出ているようだ。
■最高裁「共同声明で個人請求権も放棄」
まずは日中間の戦争賠償をめぐる経緯について簡単におさらいしよう。
昭和47年9月29日、北京の人民大会堂で、田中角栄、周恩来両首相が日中共同声明に署名し、両国の国交は正常化された。声明の第5項は「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としている。
その後、中国で日本への民間賠償を求める動きが表面化したのは、江沢民政権が愛国・反日教育を推し進めた1990年代以降だ。95年には当時の銭其●(=王へんに深のつくり)外相が「中国政府は個人の賠償要求を阻止しない」と発言。同年6月、終戦直前に秋田県で中国人労働者が蜂起し死傷者が出た「花岡事件」をめぐって元労働者らが日本企業を提訴し、その後、中国人による日本での提訴が相次いだ。
この一連の訴訟に対する日本の司法の最終結論とも言えるのが、2007(平成19)年4月の西松建設訴訟と元慰安婦の中国人女性らの訴訟の上告審判決だ。最高裁は判決で「被害者らのこうむった精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであった」と認める一方、「日中共同声明第5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ない」「裁判上訴求することは認められない」として、中国人個人の請求権を、裁判を通じて実現することはできないとの明確な判断を示した。
日中共同声明により、両国間の賠償問題は決着済みであるとの立場を確認したといえる。
しかし、中国側は「対外関係にかかわる敏感な問題」(原告側支援者)として、これまで訴状の受理を認めてこなかった姿勢を今年3月に一転させた。
■「小日本を滅ぼせ」
こうした対日関係をめぐるニュースへの中国ネットユーザーたちの反応は、おおよそパターン化されている。今回の集団訴訟へのリアクションを通じて分析してみよう。
最も多いのは、やはり中国当局側の主張に沿った日本への批判だ。
「もし勝訴したら、中国政府は日本企業の資産を凍結し、被害者に分配するべきだ」
「われわれは決して日本の罪行を許さない」
「中国に進出している日本企業に重大な制裁を加えて日本経済にダメージを与え、安倍(晋三)首相がどう出るか見てみよう」
案外、このコメントは中国指導部の本音に近いのかもしれない。
もっと感情的で稚拙なネットユーザーもたくさんいる。いちいち読むのもうっとうしい罵詈(ばり)雑言の類いである。
「請求額が少なすぎる!すべての中国人民に1人1億元(約16億円)賠償しろ」、
「小日本(日本人の蔑称)はこんなに多くのひどいことをした。彼らに快適な生活をさせてたまるか。小日本を滅ぼそう」
「日本人をいじめ殺せ」
「日本に被害を受けた国家がみんなで日本を滅ぼし、財産を山分けしよう」
日本人の「残虐行為」「侵略」を批判している自分自身が、残虐な行為を肯定する潜在意識をさらけ出してしまっている。恐ろしいのは、こういった声の多くが若者から発せられていることだ。
こうした“感情ぶちまけ型”のコメントのほか、“日本製品ボイコット呼びかけ型”も多い。
「小中学校は日本のあらゆる製品を列挙して教え、決然とボイコットさせる教育をすべきだ」
日本との対立が先鋭化するたびにこうした意見は出るのだが、一向に成果が表れないことへのいらだちもまた、お決まりの声だ。
「日本車を運転している者たちは平気なのか?」
「毎日毎日、日本製品のボイコットを叫びながら、実際にはまったく行動しないじゃないか」
これが高じると自国への“自虐批判”が展開される。
「中国人がいつ団結できるっていうんだ。100年後でも不可能だ。もし中国が団結できてたら、現在はこんな姿ではないだろう」
■冷静な声も
一方で“冷静な声”も一定数ある。
「何十年も前の過去のことを、しかも当時周恩来が賠償を放棄しているのに、今になって現行不一致をやっている。中国にメンツはないのか?」
「彼ら(日本)の企業は1世紀たっても存在している。彼らの長所を見習うべきだろう。彼らの謹み深さと礼節は学ぶに値する」
ただし、こうしたコメントは必ず「日本の犬め!」などと罵倒される宿命にある。
こうした“愛国者”たちの怒りの矛先が、反日教育を進めてきた共産党自身に向けられ始めてもいる。
「なぜ政府はこんなに長い間、訴訟を支持しなかった?」
「こんな大事なことを、なぜ国内でもっと宣伝しない。宣伝部門の人間はみなクビにしろ」
日中国交回復当時の共産党指導者らを批判するコメントも、削除されないまま残っている。「成立したばかりの中国政府が、戦後の日本の苦境に同情して賠償を放棄したのは本当にバカの極みだ」
■賠償放棄のわだかまり
「賠償なしで、どうして恨みが解けようか?」。こうした思いを持つ中国国民は実際、少なくないようだ。「中国人が日本に対して一番わだかまりを感じているのは、戦争賠償を放棄したことだ」(北京市の大学生)という声もある。
小泉首相の靖国神社参拝などをめぐって日中関係が悪化していた2005年9月、米国のシンクタンク「カーネギー国際平和財団」が、日中の衝突防止に米国が役割を果たすことを提唱する報告書を発表した。
報告書は日中関係が悪化した中国側の要因について、(1)中国共産党指導者たちが自国民に対する民族主義の信頼を保つために日本のイメージを侵略的、軍国主義的なものとして意図的に強めた(2)その延長としての「愛国教育」で共産党の政治的な正当性誇示のために日本の侵略をことさら拡大し、若い世代の反日民族感情をあおった(3)日本側の戦争での贖罪(しょくざい)意識をあおり、日本の対中政府開発援助(ODA)を事実上の戦争賠償とみなした−などと指摘している。
この中国側が「事実上の戦争賠償」とみなしたはずのODAは、円借款も含め総額3兆6千億円以上になるが、中国の一般国民の認知度は、ほぼゼロである。中国側が自国民に説明しなかったのはもちろん、日本側の広報努力も不足していたと言わざるを得ない。
■「共産党のコマ」
広東省の週刊紙、南方週末(電子版)は3月28日、一連の「強制連行」訴訟を取り上げた。記事によると、中国人の「強制連行」をめぐる訴訟は2000年12月以降、河北省や上海、山東省などで訴えが起こされてきたが、裁判所側は正式に受理してこなかった。
1988年から対日損害賠償請求について研究してきた河北大学の劉宝辰教授によると、当初は元労働者らへの聞き取り調査などは当局から妨害されていたという。しかし90年代後半から当局側の態度は急変し、「彼らは私を先生と呼ぶようになった」そうだ。
そして今、外交カードとしての機が熟したということだろう。つまりは正義や法理よりも、国内外の政治的な環境、つまり時の政権の都合が優先されるのが中国の司法である。
「中国側は、今回の集団訴訟では裁判所に判決を出させず、和解という着地点を見いだそうとしている」(日中関係筋)との見方もある。いずれにせよ、対日外交のカードとして利用されることは間違いない。
米国に拠点を置く中国ニュースサイト「多維新聞」のコメント欄には、次のような中国語のコメントが寄せられた。
「必要なときには“提訴”し、不必要なときには“放棄”する。1972年に中国共産党は賠償の放棄を宣言したのではないか?中国人は中共のコマに過ぎない」。(西見由章)
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