03. 2014年12月29日 20:29:53
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事実に「角度」をつける特殊なフィルター、 朝日イズムは一体どこからやって来たのか 2015年に考えたい戦後日本のあり方 2014年12月29日(Mon) 筆坂 秀世 「朝日新聞」の慰安婦報道について検証する7人からなる第三者委員会の報告書が、12月22日に公表された。紙面5ページに及ぶ長大な報告書である。最後のページには、委員長の中込秀樹元名古屋高裁長官を除く6人の委員の個別意見が掲載されている。この中には非常に興味深い意見が述べられているものもある。角度をつけ過ぎる報道 委員の1人である外交評論家の岡本行夫氏は、同委員会のヒアリングの中で「何人もの朝日社員から『角度をつける』という言葉を聞いた。『事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく』と。事実だけでは記事にならないという認識には驚いた」と語り、その結果、「何の問題もない事案も、あたかも大問題であるかのように書かれたりもする」と指摘している。 その悪弊の1つが岡本氏も指摘するように、朝日の大誤報となった福島第一原発の事故の際の吉田昌郎所長の調書問題だ。同紙は、「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」としたとする記事を掲載した。だが当の吉田所長らは、「逃げることなど考えたこともない」「福島第二原発への退避は正しかった」という趣旨の証言をしており、「命令違反の撤退」という朝日の記事は大誤報であることが明確になった。 この問題で言えば、「角度をつける」というのは、「東電は無責任な会社」「逃げようとした」という朝日の「そうであってほしい」という願望から出発した記事だということである。 もちろんどの新聞にもそれぞれの「角度」というものがあるはずだ。ある問題を記事にするかしないかは、それぞれの新聞の判断であり、そこにはおのずとその新聞の「角度」が反映される。 しかし、朝日が犯した罪は、「角度をつける」ことではなく、事実に基づかない誤報だったというところにある。岡本氏は、「『角度』をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある」と指摘しているが、その通りであろう。 何でも「政府対人民」の図式で考える 委員であった国際大学学長の北岡伸一氏は、5つの問題点を指摘しているが、その1つに朝日には何でもかんでも「物事をもっぱら政府対人民の図式で考える傾向がある」という指摘は興味深い。 北岡氏も指摘するように、「権力に対する監視は、メディアのもっとも重要な役割である」。北岡氏の言説ではないが、これが行き過ぎると反政府のキャンペーンをやるのが新聞の役割ということになってしまう。また波多野澄雄筑波大名誉教授は、「『相対化』する視点を!」と指摘している。 この報告書でも取り上げられているが宮沢喜一首相が訪韓する直前の1992年1月11日付の朝刊1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」という記事が掲載されている。この記事について報告書は、「首相訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図した記事であることは明らかである」と断定し、「『従軍慰安婦』の用語解説メモが、不正確な説明をしている点は、読者の誤解招くものであった」としている。 この用語解説メモは「主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した」などと述べたものだが、女子挺身隊は軍需工場に動員した「女子勤労挺身隊」のことであり、慰安婦とはまったく別のものであった。 この記事の結果、その国際的影響はどうであったか。波多野氏はこの記事が「韓国メディアが軍による強制を明白にしたもの、と大きく報じ、韓国世論の対日批判を真相究明、謝罪、賠償という方向に一挙に向かわせる効果を持った」「さらに宮沢訪韓の直前、『女子児童までもが挺身隊に』という韓国メディアの報道は、『朝日』の『軍関与』報道と相乗効果をもって『日本政府糾弾』の世論や運動を地方にも広げ、訪韓した宮沢首相は謝罪と反省を繰り返すことになる」と指摘している。この延長線上に「河野談話」があったのである。 だがこの結果はどうであったか。波多野氏も指摘するように、「現実的な解決策や選択肢を示せないまま」「慰安婦問題の本質は女性の人権や尊厳の問題」だとして、「本質論」に逃げ込んだままなのである。自国あるいは自国政府をただただ貶めるだけでは、何も生まれないということだ。 はっきりしていることは、日韓関係が最悪なものとなり、日本における韓国嫌いや排外主義的傾向を増幅させただけである。もちろん日本の植民地支配を正当化し、肯定してはならない。だが慰安婦像を世界各地に建てようとする韓国の行動が正常なものであろうか。 平川祐弘東大名誉教授は、『日本人に生まれて、まあ良かった』(新潮新書)のなかで、「植民地主義は二級市民を生むが故に悪だ」と指摘したうえで、「韓国で自国業者によって斡旋(あっせん)された女性をも、他国の軍によって強制的に連行されたといい、虚言癖の人の発言のみを引用し、その数を多く増やして述べるほど純粋な愛国韓国(朝鮮)人と見做されると信じる、憎日主義的愛国主義の倒錯(とうさく)」「慰安婦像を建てれば建てるほど韓国の名誉になるというのか。そのうちに従軍慰安婦の愛国記念切手でも出すつもりか」と批判しているが、まったくその通りである。 根底に横たわる“ポツダム体制史観” 報告書が触れているわけではないが、朝日のいわば「思想」には、戦後の日本の左翼と同様のポツダム体制史観というべきものが横たわっているように思えてならない。 戦後の日本の路線は言うまでもなくアメリカによって敷かれた。そのおおもとになったのが1943年11月22日、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国国民政府の蒋介石主席の3者による「カイロ宣言」と、それを継承した「ポツダム宣言」である。 カイロ宣言では、「三大同盟国ハ海路陸路及空路ニ依リ其ノ野蛮ナル敵国ニ対シ仮借ナキ弾圧を加フルノ決意ヲ表明セリ」と書かれている。 これを継承したポツダム宣言では、日本の戦争は、自由や民主主義、平和を愛好する国民に対する侵略戦争であった。そして、軍国主義日本の指導者を国際法や道義的な犯罪者として裁くというものであった。 これらはすべてアメリカの歴史観、戦争観である。アメリカは第2次大戦も、東西冷戦も、ベトナム戦争やイラク戦争も、自由と民主主義を守るための正義の戦争だと主張してきた。 佐伯啓思京大教授は『月刊日本』(2015年1月号)で、「左翼勢力はアメリカ型の歴史館に完全に乗っかってしまいました。丸山眞男などの知識人もまた、アメリカ型の考え方を受け入れて、それを日本の進歩主義と規定してしまいました」「朝日新聞が戦後あれだけの権威を持っていたのも、アメリカ型の歴史観に乗っかったからです」と指摘している。朝日の今回の誤報、捏造問題を解明するうえで、この点こそがもっとも重要な視点なのではないだろうか。 確かにあれだけの犠牲者をアジアでも日本でも出した戦争を肯定することはできない。当時の無責任な軍部の責任も厳しく問わなければならない。だが、日本人自身が、自らの苦悩の中でどれだけあの戦争を吟味し、総括したのであろうか。ただアメリカの歴史館を受け入れ、それまでの日本の良さをも含めて全否定しただけではないのか。その結果、日本独自の価値観も構築せずに来てしまった。 朝日問題というだけではなく、戦後70周年の2015年は、ポツダム体制からの脱却真剣に考える年にしたいものである。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42561 |