02. 2014年11月20日 07:17:42
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「早読み 深読み 朝鮮半島」 「韓国異質論」のススメ 「儒教国家群」を岡本隆司准教授と読み解く(2) 2014年11月20日(木) 鈴置 高史 (前回から読む) 「韓国異質論」が浮上する。京都府立大学の岡本隆司准教授と考える(司会は坂巻正伸・日経ビジネス副編集長)。 徳治はナマの人治に 鈴置:前回の「韓国はなぜ『法治』を目指さないのか」は「中国や韓国という儒教国家は徳治を理想とするため法治に重きを置かない」というお話でした。 そして、「徳治」って言葉は美しいけれど、要は「人治」ではないのですか――と私が聞いて終わったのです。 岡本隆司(おかもと・たかし) 京都府立大学文学部准教授。1965年京都市生まれ。神戸大学大学院文学研究科修士課程修了、京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(文学)。専門は近代アジア史。多言語の史料を駆使した精緻な考証で、現代の問題にもつながる新たな歴史像を解き明かす。主な著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会、1999年、大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、2004年、サントリー学芸賞受賞)、『馬建忠の中国近代』(京都大学学術出版会、2007年)、『世界のなかの日清韓関係史』(講談社選書メチエ、2008年)、『中国「反日」の源流』(講談社選書メチエ、2011年)、『李鴻章』(岩波新書、2011年)、『ラザフォード・オルコック』(ウェッジ選書、2012年)、『近代中国史』(ちくま新書、2013年)、『中国経済史』(名古屋大学出版会、2013年、編著)、『出使日記の時代』(名古屋大学出版会、2014年、共著)、『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014年、編著)などがある。(写真:鈴木愛子、以下同) 岡本:その通りです。特に今は、徳を標榜する儒教が公式のイデオロギーではないだけに、「徳治」から徳を引き去ったナマの「人治」になってしまいました。
とは申しましても、「徳」そのものも極めて主観的なものです。為政者・指導者が「自分は立派だ」と思ってしまえば「徳がある」ことになってしまう。独善・偽善に陥って裸の王様になりがちです。 それでは政治が無茶苦茶になります。だから法がそれをひとまず食い止める歯止めの役割を果たしました。「徳治」のシステムの中にだって一応、法律というものはあるのです。 「情理」が決める判決 「徳治」下で「法」は、どう運用されるのですか。 岡本:中国法制史の専門家の間では、法源――裁判官が判決を下す際の基準ですが――その1つとして「情理」という言葉が語られます。 四文字に引き延ばせば「人情天理」とか「人情事理」とか言います。裁判記録でもよくこの「情理」が使われます。 裁判で判決を下すなり、政府が何らかの政治的決定を下す際に、大多数の人々が「なるほどな」と納得できる判断を示す、これが「情理」です。 法律の条文はこの「情理」によって解釈され、また変更もされるものです。敢えて日本語で言えば「大岡裁き」あたりになるでしょうか。 法律の条文は、そういう考え方を支えるものにすぎないのです。ですから、法が最終的なよりどころではあり得ない。 判決などが最終的に依拠するのは「情理」――人々が「この辺が正しい」と思う、コンセンサスなのです。それを上手にくみ上げる為政者が「徳あるリーダー」と見なされたのです。 鈴置:韓国の裁判は今でも「情理」が基本です。国民感情に合致しない判決を下した裁判官は、世間から非難の的になります。「民主化」で世論が強くなった分、ますます「情理裁判」の傾向が深まった感じがします。 待望の第4弾 最新刊好評発売中! Amazon「朝鮮半島」カテゴリ1位獲得! 『日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う』 「米陣営に残れ」 4月のオバマ訪韓で踏み絵を迫った米国。 しかし韓国の中国傾斜は止まらず、 7月の習近平訪韓でその勢いは増した。 流動化するアジア勢力図をどう読むか、 日本はいかに進むべきか−−。 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』 『中国という蟻地獄に落ちた韓国』 『「踏み絵」迫る米国 「逆切れ」する韓国』 に続く待望のシリーズ第4弾、9月16日発行。 好評発売中! 情理を知らぬ日本を世界で批判 「法は法だ。従うしかない」と、例えばメディアは言わないのですか。 鈴置:そんな記事は見たことがありません。記者も韓国人ですし、国民が激している問題でそんなことを書けば、今度はメディアが血祭りに遭うからです。
岡本:私が申し上げたのは過去の歴史の話ですが、その視点から見ると腑に落ちる言動を、現代の中韓がよくやっているのも事実です。 「徳治」のシステムに慣れた、彼らの歴史的なクセとして考えた方がよいのかもしれません。ともかく、そういう発想の国が隣にいくつもあって、日本はつき合っていかねばならないのが現実です。 鈴置:「慰安婦問題」もそうですし、不二越や三菱重工業などに対する戦時労働者の損害賠償要求もそうです。いずれも国交正常化の際の日韓基本条約で完全に決着済みです。 でも、岡本先生の言葉を借りれば韓国人の「情理」にそぐわなければ、結んだ条約などは関係ないのです。 韓国人はそれがおかしいと思わないのでしょうか。 鈴置:韓国の中しか知らなければ「情理」による対日要求が当然と思うものでしょう。政治的な係争に関わる裁判も政権が交代するたびに、判決ががらりと変わるのが韓国です。 それどころか、韓国人の目には、慰安婦などで自分たちの「情理」に応じない日本は「とんでもない国」に映るのです。だから、世界中で堂々と日本を批判するのです。 中国に貢物を捧げるのが秩序だ 日本は「情理」でものごとを決める国ではなく「法治」国家なのですが……。 鈴置:韓国人は日本も儒教国家であり、当然に「情理」が通じるはずだ、と思い込んでいるのです。だから、自分の要求に応じない日本に、よけい苛立つのでしょう。この誤解が問題をさらに複雑にしています。 司空壹(サゴン・イル)という財務部長官を務めた有名なエコノミストがいます。この人が中央日報に書いたコラム「中国と世界秩序、そして韓国」(日本語版、9月1日)が象徴的です。 台頭する中国とどう向き合うか、がテーマです。1780年に清の乾隆帝の70歳の誕生日を祝賀するため送られた、朝鮮王朝の使節団員の旅行記『熱河日記』の話から書き起こされています。 コラムの結論は中国とうまくやっていこう、ということなのですが、それに至る歴史観が興味深いのです。関連する部分は以下です。 燕岩(『熱河日記』の著者である朴趾源の号)は「路上で見ると、四方から貢物を捧げる車が1万台にはなりそうだ」と書いた。これは、多くの国の使節団が中国の皇帝に貢物を捧げるため、険しい道にもかかわらず競って集まる光景だ。これを通じて、我々は過去の中国を中心とする世界秩序の一面を改めて実感できる。 日本も中国にひれ伏して当然 鈴置:確かに朝鮮王朝は、明や清に臣下の礼をとって、定期的に使節を送り、貢物を捧げていました。これを朝貢といいます。
でも、日本やロシアは清と貿易はしましたが、朝貢などはしていません。ベトナムは朝貢しながらも、国内では中華王朝と肩を並べる「皇帝」を自称し、自分の元号も持っていました。 だけど韓国人は、日本を含めアジア全体が中国にひれ伏し、儒教を国教としていたかのように考えがちです。中国と異常に近かった韓国が特殊な存在なのに。 岡本:何と言っても朝鮮王朝は「小中華」なのです。朝鮮王朝は中国の王朝政権につき従いながら、自身を本物の中華、「本中華」と重ね合わせることで、民族のプライドを維持しました。 儒教イデオロギーや「本中華」への崇拝は、朝鮮王朝の人々には当然の行為でありましたから、自分たちより劣る日本人だってそうに違いない、そうでなくてはならない、と今も韓国人は考えるのかもしれません。 「韓国式民主主義」を自称した独裁政権 それにしても最近の韓国は異常です。慰安婦や三菱重工だけではありません。対馬から盗んだ仏像を返さないとか、日本の首相の親書を突き返すとか、昔はしなかったようなことを堂々とします。 鈴置:原因は2つあると思います。まず、韓国の国力の伸長と日本の凋落です。「日本を超えた韓国」は日本に対しては思うことをどんどんやっていい、と韓国人は考えているのです。 もう1つは「米国から中国へのパワーシフトが起きつつある」との認識です。世界の潮流が変わったのだ、米国の好きな「法治」などにもう気を使わなくてもいいと、どこかで思い始めたように思われます。 反政府運動家への苛酷な弾圧で、軍事独裁と非難された全斗煥(チョン・ドファン)政権でさえ「韓国式民主主義」を自称していました。当時は米国から独裁国家と見なされ、見捨てられたら政権が破滅したからです。 でも今は、中国側に寝返るとの選択肢もある。もちろん中国は「法治」だの「民主主義」だのうるさいことは言いません。 先祖返りする韓国 岡本:冷戦時代に北朝鮮と対峙した韓国は、生きるか死ぬかの瀬戸際にありました。その北朝鮮は中国を後ろ盾にしていました。だから韓国は無理して、米国や日本に「合わせて」いたのでしょう。 その無理が――情理や徳治ではなく、法治であらねばならぬ、という無理が、苛酷な法律を武器に強権を振るう独裁という形をとって現われたのかもしれません。 でも、今や韓国にとって北朝鮮の脅威が大きく減った。一方で、中国が頼るべき、かつまた恐るべき存在になった。これはあたかも王朝時代の中韓関係を髣髴とさせます。 その時代はまさに、中韓とも儒教・朱子学が体制イデオロギーであり、「徳治」が布かれていたのです。 そう考えてみますと韓国は「法治」を目指すよりも、先祖返りして「徳治」を重視する過程にあると言えるのかもしれません。これが韓国の国際的な地位にも影響する可能性も出てきました。 鈴置:米国のアジア専門家、ビクター・チャ(Victor Cha)ジョージタウン大学教授らが「産経起訴」に関連し、韓国に厳しい警告を発しました。まさに、その点を突いたものです。 米外交雑誌「The Diplomat」(10月16日)の「South Korea's Attack on the Press」がそれです。以下が関連部分です。 「不可解な韓国」 外から観察すると、韓国政府のやり方(起訴)は極めて不可解(simply baffling)だ。 韓国人にとって産経前支局長への起訴は、権力の乱用とか言論の自由への毀損というよりも、彼らの大統領を侮辱した極めつきの保守の日本の新聞への正当な処罰、と映っているようだ。 2011年以降、フリーダムハウスは韓国を積極的にメディアの検閲を実施する「半自由」(partly free)の国と見なしてきた。国境なき記者団もアムネスティ・インターナショナルも、国連も同様の評価を下している。 韓国は2018年の冬季五輪を開催する。2022年のワールドカップを主催することも希望している。検閲国家と見なされることは、韓国の国際的な地位を潜在的に毀損するだろうし、少なくとも向上させることはない。 米国のアジア専門家から「急速に経済的に台頭する中国が、米国に代わってアジア各国の新たな政治・社会モデルになるのだろうか」と聞かれたことがあります。 米議会によって設立されたアジア研究機関、東西センター(ハワイ)が2008年1月にバンコクで開いたシンポジウムでのことです。私は韓国に関するセッションのパネリストでした。 この質問をきっかけにセッションでは「韓国の中国化」が議論になったのですが、私は「米国人は自分の文明が韓国に根付いたと信じ込んでいるのだな」と驚いたものです。 「英と仏」以上に異なる「日と韓」
鈴置さんは何と答えたのですか。 鈴置:「確かに多くのアジアの国は、米国を模範としているかに見える。だが、韓国など中国文明の影響を強く受けてきた国は、心の奥深いところでは今も中国的な規範の下で生きている。そもそも、米国化などしていないと見るべきではないか」と答えました。 岡本:19世紀末、欧米は日本に彼らのやり方を受け入れさせました。儒教の伝統が浅く、そのシステムも身につけなかった日本は、中華圏の国々と比べ「欧米式」を受け入れやすかったのでしょう。その意味で、日本は文明的にも東アジアで孤立した国家でした。 欧米、ことに米国の人々は日本を見て、アジア全体も時間差はあれ「日本」のようになっていく、自分たちと同じようになっていくと思い込みがちです。相変わらずの西洋中心主義ですが。 でも「中国と日本」、「韓国と日本」は、おそらく「フランスと英国」以上に違います。長きにわたって儒教国家群をなしてきた大陸・半島と日本列島とでは、国家・社会の作られ方自体が大きく異なるからです。 これを世界に向け説明してゆく必要があるでしょう。「徳治」と「法治」の問題なども、その1つだろうと思います。 第2の日本ではなかった 鈴置:韓国の異質性に関しては少しずつですが、世界で認識され始めたと思います。これまで韓国は「中華帝国の一部だった国」ではなく「第2の日本」と見られてきました。 冷戦期には極めつけの反共国家で、西側に属していたからです。冷戦末期の1987年には民主国家群にも滑り込みました。西洋人――ことに米国人にとっては、自分をモデルに頑張る可愛らしい国に映っていたのです。 ただ中国の台頭とともに、アジア専門家の間では韓国に対する違和感が生まれてきました。 外交的に米国から離れ、独裁国家の中国に従う。そのうえ平気で言論弾圧し、法治には関心を持たない。どうやら、韓国は西欧的な国家を目指していないようだ……。 ビクター・チャ教授らの「極めて不可解(simply baffling)」という表現は、突然に顔を覗かせ始めた韓国の素顔への驚き――異質性への当惑を吐露したものでしょう。 「脱亜論」再び 「韓国異質論のススメ」ですね。 鈴置:120年前に書かれた、福沢諭吉の脱亜論が今、注目されています。日本人が韓国から「異質さ」を感じ取ったからと思います。福沢は当時から「韓国人は西洋型の国家を作らない」と読み切っていたのです。 中国や韓国からすれば「東洋人のくせに『徳治』も知らない日本人こそが野蛮で異質だ」ということになるのでしょうけれど。 岡本:脱亜論を唱えた福沢は中国や韓国ではきわめて評判が悪い。脱亜論的な「異質の主張」が自分たちへの侵略と化した、と彼らは認識しているためです。 一方、日本でも「韓国異質論」は、ナショナリスティックな「日本特殊性論」として受け止められかねません。そこで内心、韓国人らに「異質さ」を感じていても言いたがらない人が多いのではないでしょうか。 ただ「脱亜」はともかく、「異質」のありように関しては、今や誤解を避けるためにも突き詰める必要があるでしょうね。 「国の履歴書」を見てほしい 地域研究は「地域によっていかに異なるか」はきちんと調べます。でも、なぜ、そうなったかはあまりやらない。このため、その異同がぼやけて鮮明にならないようです。 歴史家の我田引水と言われそうですが、現時点での「異なる点」を並べて比べるだけではなく、その「来歴」も見てほしいと思います。そうしてこそ「違い」の本質が分かるのです。「履歴書」を見ないでヒトを採用する企業はまず、ないでしょうに。 互いの共通性をはっきり確認するためにも、「違い」を十分に認識しておかねばならないと考えます。「法治」というごくありふれた言葉だけでもそうです。 中韓と日本は現在、摩擦を繰り返しています。安倍晋三と習近平・朴槿恵(パク・クンヘ)との仲の悪さがそれを代表し、また助長してもいます。 けれどもその摩擦は、決して政権の個性によるものだけではないと思います。歴史的にずっと潜んでいた「違い」が今、先鋭に浮かび上がってきたと見るべきです。 (次回に続く) このコラムについて 早読み 深読み 朝鮮半島
朝鮮半島情勢を軸に、アジアのこれからを読み解いていくコラム。著者は日本経済新聞の編集委員。朝鮮半島の将来を予測したシナリオ的小説『朝鮮半島201Z年』を刊行している。その中で登場人物に「しかし今、韓国研究は面白いでしょう。中国が軸となってモノゴトが動くようになったので、皆、中国をカバーしたがる。だけど、日本の風上にある韓国を観察することで“中国台風”の進路や強さ、被害をいち早く予想できる」と語らせている。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141118/273967/?ST=print
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