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タイ、米国黙らす外交術:軍事政権、国際舞台に:中国に接近、日本も変心:反米政権というわけではないからね
http://www.asyura2.com/14/asia16/msg/481.html
投稿者 あっしら 日時 2014 年 11 月 09 日 03:50:01: Mo7ApAlflbQ6s
 


[真相深層]タイ、米国黙らす外交術
軍事政権、国際舞台に  中国に接近、日本も変心

 5月のクーデターを経て、国軍主導で発足したタイのプラユット暫定政権が外交の表舞台に登場した。プラユット氏はイタリアで開いたアジア欧州会議(ASEM)に参加し、今後も国際会議への出席予定が目白押しだ。事実上の軍事政権にもかかわらず、民主主義を重視する米国など主要国を手玉に取り始めた。

米から揺さぶり

「失望した。正当性はない」。クーデター直後、ケリー米国務長官は強い調子で批判声明を出した。だが8月末に首謀者のプラユット氏が陸軍司令官のまま首相に就き(司令官は9月末で退任)、閣僚の3分の1が軍高官の内閣が発足しても、その後は沈黙を保つ。
 当初、オバマ米政権は2006年の前回クーデター後と同様、タイへの軍事支援の凍結などを即決した。さらに、30年以上続く東南アジア最大の多国間合同軍事演習「コブラゴールド」の開催地をタイから他国へ移すと揺さぶりをかけた。

 アジア太平洋地域で日韓豪、フィリピンと共に米国との同盟の一翼を担うタイは、民主主義の価値観を共有する必要がある。昨年から続く政情混乱下で、米はタイ国軍に何度も不介入のクギを刺したとされる。それでも軍は強権を発動した。

 米の強硬姿勢にタイでは一時、反米感情も広がった。だが軍政はしたたかだった。批判に批判で応じる愚を犯す代わりに、軍政顧問のソムキット元副首相を7月末に特使として中国・北京に派遣。李源潮国家副主席らとの会談で、二国間協力を深めることで合意した。
 軍政がタイ東部の臨海工業地帯から東北部へ延びる高速鉄道計画を承認したのはその直後だ。中国が支援するラオス国内の鉄道と接続すれば、華南とつながる。インラック前政権も東北部への高速鉄道を計画したが、軍政は実効性がないとして破棄を決めていた。その方針を覆し、中国への急接近を内外に示した。


伏線は「西に」

 伏線は「西」にあった。中国は雲南省から、インド洋への出口となるミャンマー西部までの鉄道敷設を計画し、3年前に覚書を交わした。ところが民主化と比例して中国離れが進むミャンマー国内で反対が強まり、計画は最近頓挫した。
 代わりに目をつけたのがタイだ。「あの路線は経済合理性がない」と物流大手の幹部は首をひねるが、領有権争いを抱える南シナ海の「有事」に備え、代替となる陸上物資輸送路の確保が狙いと考えれば説明はつく。
 首都バンコクを通らなければタイに実利はない。そんな疑問を打ち消すべく、軍政は10月21日の閣議で、バンコク経由へと青写真を大きく修正し、中国の言いなりではないことを示した。

 対中接近の効果はてきめんだった。米を黙らせただけではない。
 「インフラ整備にぜひ日本の技術と経験を活用していただきたい」。10月2日、バンコクを訪れ、プラユット首相と会談した城内実外務副大臣はこう訴えた。タイ、ミャンマー両国から再三の参画要請を受けながら、これまで消極姿勢だったミャンマー南部「ダウェー経済特区」の開発も、日本から協力を申し入れる変わり様だった。

 クーデター後、日本は米に歩調を合わせ、タイ軍政と距離を置いてきた。政府関係者によると、中国主導の高速鉄道計画を受け、政府方針が転換した。企業4千社が進出し、対タイ直接投資の6割を占める日本は「経済権益を中国に侵食されるわけにはいかない」(外務省幹部)と身構える。
 歴史をひもとけば、第2次世界大戦の勃発時に日本と軍事同盟を結びながら、終戦直前に対日宣戦布告し、戦勝国に滑り込んだのがタイだった。大国をてんびんにかけ、有利な状況を作り出す外交巧者は今なお健在だ。

(バンコク=高橋徹)

[日経新聞11月5日朝刊P.2]

 

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コメント
 
01. 2014年12月02日 07:59:12 : jXbiWWJBCA

JBpress>海外>アジア [アジア]
「モノが溢れていると発想が貧困になる」のウソ
絵コンテが理解できないカンボジアのカメラマン〜それでもテレビは放送される(7)
2014年12月02日(Tue) 金廣 純子
 カンボジアのテレビには、なぜあんなに不可思議な映像が流れているのか、これまで私なりに分析してきた。

 そこから、色々なことを”私なりに”理解したのであるが、この連載の第1回で書いた「クメール語が理解できなくても、彼らが創った映像を見れば、彼らが大体どんな道筋で物事を理解し、どう考えているのか、少なくともどんな風に考えるように教育されてきたかが想像できる」というのを、まとめてみるとこんなことになるのだと思う。

1.上意下達のカンボジア社会にあって、社会的地位の高い人から認められることは一番の名誉である。だからカンボジアのテレビニュースには、常に儀式・式典映像ばかりが並んでしまう(通常、日本のテレビマンは、「儀式・式典の映像ほど絵にならないものなない」と言って避ける傾向にある)。

2.出版文化や出版物そのものが破壊されてしまったために、物語を構築するのが難しい。

3.映像表現に客観と主観があることが理解できないため、曖昧な映像で表現しようとする。また、自分の主観的興味に素直なので、対象物ばかりを主観的に撮影・編集してしまい、回りの状況がよくわからない。

 つまり、これらが彼らの考える道筋の全てではないが、一部がこうして映像に表れるのである。

図画工作を経験したことがないカンボジア人スタッフ

 さて、今回は、こうした事情を踏まえた上で、「ABUデジスタ・ティーンズ」の準備を通して見えてきたことを書いてみたいと思う。


デジスタ・ワークショップの模様。(写真提供:筆者、以下同)
 7月にデジスタに参加する学生たちを集めてのワークショップを開催した。ワークショップでは、学生たちがデジタル映像作品を制作するのに必要なツールの使い方やストーリーの組み立て方など、いわば「映像の基本」を教える。

 メンター(指導者)として、カンボジア在住のアニメーターでありデザイナーである中村英誉さんが2Dアニメーションを担当、そして、わざわざ日本からコマ撮りも手がけるクリエイター・青木純さんをNHKが派遣してくれたのである。

 2Dアニメーションの場合、専用ソフトをコンピューターにインストールし、それを使いこなせるようになると画面上に絵を描き、そしてそれを動かすことができるようになるのだが、コマ撮りの場合には、画面に登場する造形物を創って、それを1コマずつ静止画(写真)で撮影していかなければならない。

 つまり、自分たちの手を使って、まずは手作りで造形物を創らなければならないので、その造形物を作るための材料が必要なわけです。

 ということで、青木さんが日本からやって来る前に、その造形物の材料として私たちが揃えておかなければいけないのは、粘土、画用紙、水彩絵の具、色エンピツ、クレヨン、糊、ホチキスなどなど・・・といったものだった。

 お気づきのように、日本人である私たちならほとんど子供の頃に慣れ親しんだ遊び道具である。

 私は、この道具を私自身が買いに行くのではなく、国営テレビ局の若いスタッフに買いに行かせることにした。なぜなら、今年初参加のデジスタに来年以降も参加するには、彼ら自身がこうした道具を調達しなければならないからである。

 ただ、なんとなくこのリストを見た時に、粘土は知らないだろうなあ・・・という予感があった。もしかしたらクレヨンも分からないかもしれない。なぜならば、カンボジアでは「美術」とか「図画工作」といった情操教育が、いまだに多くの小学校や中学校のカリキュラムに組みこまれていないからだ。

 今現在だってそうなのだから、既に成人を過ぎているスタッフは学校で教わっていない可能性もある。

アニメ用造作物を制作する道具でテンヤワンヤ

 そこで私は、それぞれのアイテムに写真を添付し、形状の説明を加え、それをスタッフに英語からクメール語に翻訳してもらって、購入リストを作り上げた。そして、そのリストをスタッフたちに見せて、まずはリストの一つ一つが理解できるかどうかを聞いてみた。以下、スタッフたちとの問答である。

 スタッフ「ジュンコ、この1番目のクレイ(粘土)って何?」

 この質問は想定内なので、余裕で身振り手振りも交えて答える。なんか納得してくれたみたいだ。

 スタッフ「エンピツは黒しかありません」

 え? 黒しかないの?

 スタッフ「黒しかない。見たことがないです」

 あああ、そうなんだ。じゃあ、まあ一応他の色があるかどうか探してみて。

 スタッフ「画用紙ってコピー用紙のA4のやつ?」

 違う違う。もっと厚いの。絵を描く専用のやつ。

 スタッフ「??」

 続けて言う。「でも色が付いたのはA4しかないと思う」

 どうも彼らは画用紙そのものを見たことがないらしく、紙の厚みとか材質については全く気にせず、A4にこだわるのである。こだわるところはA4じゃなくて、絵を描くための材質なのだが。

 あ、それと、絵の具は水彩です。油じゃありません、と説明。これについては、彼らは理解したように見えた。


ワークショップで用意した道具や素材
 そして・・・

 予想通り、買い物は一度では終わらなかった。絵の具は油絵の具だったし、いわゆる子供用の綴じられた画用紙セットと、色のついたA4のコピー用紙を買ってきた。案の定、どちらが画用紙なのか分からなかったらしい。

 そして、エンピツはやはり黒しかないと言い張り、結局、最後には私が「ブックセンター」という名の文房具屋に出向いたら、何の苦もなく色エンピツが見つかったのだった。

 しかし、彼らが知らなかったので丁寧に説明した粘土は、きちんと買ってきたのである。

「絵コンテ」を理解できないカメラマン

 つまり、恐らくはこういうことなのだ。

 お絵かきをする、という体験が彼らにはあったにしても、我々のように当たり前に画用紙を使ったり、色エンピツを使ったりして描いていない。見たことがないから、わからない。特に、「エンピツは黒しかない」という固定概念を捨てきれないから、目の前の色エンピツなどは視界に入っていても、認識すらできない。


20代後半から30代前半のスタッフ。お絵かきの経験はあるのだろうか?
 さらに、こうした「お絵かき」の経験がないと、どういうことが起こり得るのかをもう一つ書く。

 以前、CMの撮影とか、MC(司会)を使った撮影などをしたことがある。

 私が主に彼らに教えているドキュメンタリーは、現場によって状況が刻一刻と変わっていくので、よほど事前に準備しておかなければいけないこと以外は、その場で「こんなものを撮影してくれ」という指示を出す。

 しかし、CMとかMCを使った紹介カットの撮影は、予めシチュエーションも画角もきちんと決めておく。1カット目、2カット目と、すべて決めて撮影を進めるので、事前にカメラマンやスタッフと「絵コンテ」(簡単なコマ割りマンガのようなもの)を使って打ち合わせをしておく。

 ところが、私が一緒に撮影をしたカメラマンたちは、この「絵コンテ」の通りに撮影をしないのである。あまりにも違うポジションから撮影しようとするので、最初は私が描いた絵コンテが下手だから理解できないのかと思った。

 そこでファインダーを覗いて、「ね、この絵コンテだとこの建物のどまんなかにMCが立つことになっているでしょう? だからこのポジションじゃないよね?」と言って、ずるずるとそのポジションまでカメラとカメラマンを引っぱって行った。

 それでもう一度ファインダーをのぞかせて、「ほら、この絵コンテと同じような構図になってるでしょ?」と言うのだが、どうも納得していないようなのである。

 最初は、このカメラマンが下手なのだと思った。ところが、その後に別の撮影で絵コンテを見せながら撮影した別のカメラマンもそうだし、もっと言うと、同席したディレクターもどうもわかっていないようなのだ。

子供の頃の「お絵かき」が育むもの

 これはどういうことなんだろう?

 と、しばらくよく分からなくて考えこんでしまったのだが、ふと思い浮かんだのは「お絵かきの不在」ということだった。

 恐らく、20代後半から30代中盤の彼らも、お絵かきを子供の頃に経験していないのではないか・・・と。

 つまり、お絵かきと言うのは、3次元の現実を2次元に投射してゆく作業である。頭の中で感覚的に置き換えていくのだ。絵コンテを見て撮影するというのは、2次元で描かれた絵コンテを、3次元の現実に投射していくという逆の作業になる。

 彼らにお絵かきの経験がないとすれば、こうした2次元⇔3次元の情報の切り替えをする訓練がされていない、ということになる。そうだとすれば、彼らが絵コンテを認識できないのは、自ずと理解できるというものだ。

 それにしても、である。

 その昔よく言われた、「モノが溢れていると発想が貧困になる」というのは、もはや通用しないのではないか、と私はカンボジアに来て思うのである。絵を描く道具もなく、その経験もないカンボジアの人びとから見えてくる風景が、何より、それを指し示していると思うのだ。

 モノが溢れているということは、それだけ選択の幅が広がるということである。何よりモノがないと、それを認識することすらできず、それを応用して新しいものを創りだすこともできず、だから、発想の幅が著しく限定される、ということだと思うのだ。


食パンと蟻の闘いを制作中。道具と材料に囲まれてこそクリエイティブなセンスは育まれる
 その証拠に、ワークショップで私たちが用意した材料を使って、学生たちが創りだしたものは意外性に溢れていた。

 水彩絵具用の水を入れるために用意しておいたコップを胴体にして、人形を作った女子学生たち。その人形の表情は豊かで最後には本物の水を使って、その目から涙を流してみせた。

 紙を切り出して、食パンと蟻との「闘い」を描いたチームもあった(最終エントリー6作品はこちらでご覧いただけます)。

 お金さえ出せば何でも手に入れることができ、情報が溢れている現代においては、より豊かな選択肢の幅が加わってこそ新たな発想が生まれてくるのだと、その光景は物語っているかのようだった。

 こうした豊かな発想を生み出す豊饒な文化は、人間だけが享受できる、そして人間が人間らしく生きていくために不可欠なものだと思うのだ。

 目の前に繰り広げられている光景は、カンボジアもそういうフェーズに入りかけていることを物語っているのだろうか? そうだとすれば、そのお手伝いを少しでもできていることがとても嬉しいと思うのである。

つづく

(これまでの連載はこちらから)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42296


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