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『ニューズウィーク日本版』2014−11・4
P.31
「歴史教科書から消され始めた「韓国のジャンヌ」
論争:抗日の聖女伝説が揺らぐなか最後のとりでは慰安婦と日本の教科書?
「帝国のジャンヌ・ダルク」をめぐり、日韓で教科書問題が勃発している。
論争の的となっているのは、独立運動家の柳寛順(ユ・グァンスン)。日本統治下でソウルの李花学堂(現・李花女子高枚・大学)に通う柳は1919年、朝鮮史上最大の独立運動である3・1運動に遭遇。故郷でデモに参加し逮捕され、16歳で獄死した。
法廷で「私を罰する権利はない」と叫び獄中でも抵抗したという柳。彼女は戦後、祖国フランス解放のために戦ったが宗教裁判にかけられ19歳で処刑された聖女、ジャンヌ・ダルクになぞらえられた。韓国では、小学枚からその功績を教えている。
ところが8月、高校の韓国史教科書8社のうち4社から初の名前が消えたことが判明、反発が広がった。発端は、ソウル大学のチョン・サンウ講師(当時)による論文。柳が「親日派」によって戦後祭り上げられた経緯を明らかにした研究だ。
そもそも柳寛順は韓国建国の正統性を裏付ける存在だった。日本統治時代、朝鮮周辺で抗日活動を行った金日成(キム・イルソン)に対し、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)はアメリカに亡命。戦後ようやく帰国した李が抗日の英雄となった金に張り合うには、亡命政府の大統領として3・1運動を継承したという物語にすがるしかなかった。
李の思惑は梨花学堂と一致した。日本統治下でも有為の人材が巣立った名門校だけに同校関係者は戦後、「日帝の協力者」と指弾されることを恐れた。そこで、当時無名の柳を引っ張り出し、母校が誇る愛国者として祭り上げた。
李は47年に梨花学堂関係者と共に柳寛順記念事業会を発足。翌年には憲法前文で「3・1運動の精神を継承した」と宣言し韓国を建国、大統領に就任した。前文は幾多の憲法改正を経ながら生き残り、その後も柳への勲章授与や生家の復元など神話化は続いた。
本来は3・1運動の指導者らこそがたたえられるべきだが、彼らは決行当日に不安に襲われ、デモを率いることなく官憲に自首。後に日本統治下で朝鮮が経済成長するに従い、多くが転向し官民で要職に就いたことから、戦後は親日派と糾弾された。
柳は数多くの逮捕者の1人でしかなかったが、指導者らと違い、親日派になる間もなく亡くなった「聖女」。祭り上げるのにもってこいの人物だった。
チョンらの研究はこうしたからくりを暴いた。ただ柳が教科書から消えれば、運動の象徴は不在となる。さらには指導者たちの転向が問題になれば、運動自体の評価まで問われかねない。戦後の建国に当たり3・1運動の栄光を必要とした韓国にとって深刻な事態だ。
日本の教科書が「命網」に
過去にも神話見直しの動きはあったものの、柳に対する死者名誉敦損罪という刑罰の存在で封じ込まれてきた。近年、教科書が国定から検定制へ変わり、再検討が本格化(現在、再度国定に戻す動きが進行中)。それでも反発は強く、公の場で神話性を指摘した大学教授は謝罪に追い込まれた。取り上げるのをやめた教科書会社や執筆者らも「ページ数が足りない」と弁解するなど、タブーは根強い。
柳寛順神話の崩壊は、3・1運動の評価だけでなく韓国政府の正統性をも揺るがしかねないと、日韓両政府による歴史共同研究で教科書問題を担当した神戸大学の木村幹教授は言う。「抗日の象徴として柳や3・1運動の正統性が失われつつある今、朴槿恵(パク・クネ)大統領はますます慰安婦問題に頼らざるを得ない」
奇妙にも、韓国が熱い視線を送るのが日本の教科書だ。柳寛順記念事業会会長が「日本の教科書にも記述されている柳の記録に韓国人が日を向けないのは歴史歪曲」と訴えるように、90年代後半以降、柳は中学や高校日本史の教科書に次々登場。小学生に対しても中学受験で問われるまでになっている。
中高の教科書で柳を扱う日本の出版社・清水書院は学生が運動を始めた「歴史的事実」を挙げ、「同世代の生徒に生き方を考えさせる」と狙いを示す。だが歴史的事実は揺らいでいる。教科書会社の帝国書院は、韓国で疑問視されている以上は掲載を再検討すると明かす。
日韓そろって教室から「韓国のジャンヌ・ダルク」が消える日は遠くなさそうだ。
深田政彦(本誌記者)」
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