07. 2014年11月11日 20:22:29
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張成沢没落から1年…金正恩体制を固めようとしたが、外交がこじれる(1) 2014年11月11日17時02分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] その日の早朝、まだ完全に目が覚めていない時刻に訃告に接した。午前6時、北朝鮮官営メディアで「人民の名前で死刑に処することにした」という、張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長に対する裁判の結果を聞いたのだ。前日に開かれた国家安全保衛部特別裁判と処刑について伝えた朝鮮中央放送の昨年12月13日の報道だ。 張成沢の処刑は電撃的に行われた。まさかと思われたが、結局、29歳(当時の年齢)の甥の手で、69歳の叔母の夫が刑場の露に消えたのだ。張副委員長が油断したのかもしれない。「まさか金正恩(キム・ジョンウン)が私を殺すだろうか」という誤った判断をしたということだ。しかし最高権力を握った金正恩は、もはや叔母の夫から小遣いを受けていた幼い甥ではなかった。 張成沢没落の信号弾が打ち上げられて今週で1年を迎える。部下の李龍河(イ・ヨンハ)第1副部長と張秀吉(チャン・スギル)副部長ら労働党行政府の核心が電撃逮捕されたのが昨年11月中旬だ。行政府は公安機関を総括する党内核心部署だが、どうすることもできなかった。隠密な内偵と緻密なシナリオに基づき、電光石火のように去勢が断行されたのだ。張成沢も同時に軟禁された。 この1年間、金正恩の権力は大きく揺れた。基準は張成沢反党・分派事件に対する功過のようだ。張成沢−金敬姫(キム・ギョンヒ)夫婦とともに後見グループの軸だった崔竜海(チェ・ヨンヘ)党政治局常務委員の独走が目を引く。黄炳瑞(ファン・ビョンソ)次帥に軍総政治局長の地位を譲るなどしばらく停滞したが、現在では牽制勢力がないようだ。 張成沢が務めていた国家体育指導委員長も崔竜海が引き受けた。逮捕・捜査から裁判と死刑の過程をすっきりと処理した金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長も疾走している。金正恩のスイス早期留学時代に大使として世話をした李洙ヨン(イ・スヨン)は4月に外相に就任した。 夫を亡くした金敬姫党書記は1年近く行方不明だ。死亡説まで出ているが、韓国情報当局は「身辺に問題はなく、ただ張成沢処刑により公開活動を自制している状況」と判断している。党行政府は解体され、メンバーは直撃弾を受けた。張成沢の直系に分類された文京徳(ムン・ギョンドク)平壌市党責任書記が粛清されるなど波風は続いている。その席には張成沢処刑に率先した軍の幹部、金寿吉(キム・スギル)中将(韓国の少将に該当)が座った。 多くの話題と流行語も生んだ。判決文に金正恩第1書記に「適当に拍手した」という部分がその一つだ。張成沢をその追従者が「1番同志」と呼んだという判決文の内容も話題になった。表と裏で異なる行動をするという「面従腹背」と同じ意味の「陽奉陰違」という言葉も同じだ。金正恩の指示事項を頭を下げて手帳に几帳面にメモする幹部の姿から「メモする者だけが生き残る」という意味の言葉が生まれたのもこの頃だ。 http://japanese.joins.com/article/556/192556.html?servcode=500§code=500&cloc=jp|main|breakingnews 張成沢没落から1年…金正恩体制を固めようとしたが、外交がこじれる(2) 2014年11月11日17時02分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 今では北朝鮮で「張成沢」という3文字は最高のタブーとなった。金正恩第1書記も痕跡を消すのに力を注いでいる。張成沢の金脈だった大同江(テドンガン)タイル工場の名前を最近、千里馬工場に変えたのが代表的な例だ。金正日(キム・ジョンイル)タイル壁画を設置するよう指示したが、張成沢が工場の片隅に設置させたという内容の判決文に登場する施設であるため、改名までしたのだ。 張成沢処刑事態は忘れられていくが、余震は続いている。何よりも北朝鮮の権力内部を震え上がらせた。叔母の夫も容赦なく刑場に送る雰囲気で、自分の意見を提示したり改革・開放を主張する幹部はいない。ただ金正恩を「最高尊厳」として持ち上げ、絶対忠誠だけを強調する強硬路線だけが生きる道ということだ。先月初め、黄炳瑞総政治局長の訪南で瞬間的に輝いた南北関係が対北朝鮮ビラなどを口実に破局を迎えたのも、平壌の権力内部のこうした雰囲気と無関係ではないという分析だ。 張成沢除去で彼を後見していた中国指導部を困惑させたのも敗着のようだ。中国に向けて「石炭など国の資源を安く売り渡した」という部分は事実と距離があるとみられる。処刑後にも北朝鮮は依然として中国に石炭を売り、外貨を稼いでいる。国際社会が北朝鮮の人権問題に関心を向けさせた側面もある。国連北朝鮮人権調査委(COI)が金正恩第1書記を国際刑事裁判所(ICC)に提訴する案を推進することになったのも結局、張成沢処刑のブーメランという指摘だ。 金正恩第1書記は先代の首領の父ができなかったいくつかのことを敢行した。金正日(キム・ジョンイル)総書記は妹・金敬姫に対する格別の愛情のため張成沢に手をつけることができなかった。金正恩は処刑という極端な決定を下した。対南カードとして触れながらも最後まで決定できなかった開城(ケソン)工業団地の閉鎖もそうだ。今後、対南接近や対外政策でどんな措置が出てくるか懸念される。 過去1年を振り返ってみると、張成沢処刑は結局、権力基盤を固めようという極端なカードと解釈される。金正恩第1書記は今年の新年の辞で「分派汚物」を除去したと主張した。反対勢力を取り除き、権力の座がよりいっそう安定したということだが、平壌とソウルだけでなく国際社会に衝撃を与えた張成沢処刑が本当に権力安着の近道なのか、まだ判断するのは早いとみられる。もう一つの権力ドラマを予告したものではないのか見守る必要がある。 http://japanese.joins.com/article/557/192557.html?servcode=500§code=500 |