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東南アジアとイスラム
(上)タイ最南部の独立闘争 軍政悩ます「見えない敵」
タイ南部パッタニー県中心部の目抜き通り。5月24日午後7時半ごろ、主婦のジャラポーンさん(29)は「セブンイレブン」から出ようとした瞬間、爆音と同時に足に焼けるような痛みを感じた。振り返ると、倒れた次男のタナキットちゃん(2)の頭に大きな金属片が突き刺さっていた。助けを求めて叫んだ。約40キロメートル離れた隣県の病院に担ぎ込まれ、緊急手術で一命を取り留めた。
あれから5カ月。次男の頭には生々しい傷痕が残る。ケガをする前より話し方が遅くなった。後遺症を心配するジャラポーンさんは「外出するのが怖い」とつぶやく。同県ではその日、コンビニ店や給油所など15カ所で起きた同時爆破テロで66人が死傷した。予測不能の暴力と隣り合わせの日常はすでに10年続き、死者は6200人に上る。
仏教教育も敵視
仏教国のタイだが、テロが頻発する最南部3県は住民の9割がイスラム教徒だ。タイからの分離独立を掲げる反政府イスラム武装勢力は、銃撃や爆弾で軍施設や仏教寺院、ホテルなどへの攻撃を繰り返す。仏教教育を担う教師も標的だ。銃の携行が奨励され、通勤は軍の護衛がつくが、これまで約180人が犠牲になった。他地域に転出した教師はすでに1300人。地元教員連盟のブーンソン会長(61)は「臨時教員で穴埋めしても教育水準の低下は防げない」と嘆く。
武装勢力は複数あり、実態は明らかでないが、タイ陸軍によるとメンバーは1万人規模。ピーク時より半減したものの、活動拠点はかつての山間部の密林から町や村に移った。日常生活を送り、準備を重ねてテロ攻撃に及ぶ。「活動が洗練され、見つけ出すのが難しくなった」と最南部の治安維持を担当するチャリン中将(55)が打ち明ける。
対話路線を継承
泥沼化した事態を打開すべく、インラック前政権は、マレーシア政府の仲介で昨年2月、武装勢力のひとつ「民族革命戦線(BRN)」と歴史的な和平交渉開始にこぎ着けた。協議はその後3回開かれたが、反政府デモで政情が混乱すると交渉は事実上頓挫した。
5月のクーデターを経て発足したプラユット暫定政権は、対話路線を継承する構え。近くマレーシアのナジブ首相に改めて交渉仲介を要請する方針だ。
国家の全権を握る軍政主導で交渉前進に期待が高まる半面、交渉不調で政府が強硬姿勢に出れば、反動は避けられない。最南部情勢に詳しいプリンス・オブ・ソンクラー大学のシーソンポップ准教授(56)は「クーデターに至った対立は政治闘争だったが、最南部で対応を間違えれば本物の戦争になる」と警鐘を鳴らす。
(バンコク=高橋徹)
◇
「イスラム国」など過激派の台頭で緊迫する国際情勢。東南アジアも人口の4割、約2億5千万人のイスラム教徒を抱える。歴史に根ざす宗教対立の最前線を追った。
タイ最南部の独立闘争とは
▼タイ最南部の独立闘争 マレーシア国境のパッタニー、ヤラー、ナワティワート3県は14世紀後半にイスラム化した「パタニー王国」の中心だった。18世紀にバンコク王朝が征服し、近代的な国境画定時もタイに組み込まれた。旧英領のマレーシアが1963年に独立すると、イスラム系住民の分離独立運動が始まった。タクシン政権時代に武力闘争が先鋭化した。
[日経新聞10月17日朝刊P.7]
(中)ミャンマーで仏教徒と対立 80万人、国籍も自由も失い
「先週もカラー(=イスラム教徒)が地元祭で爆弾騒ぎを起こそうとしたらしい。警察がつかまえなければ20人は死んでいたよ」。バングラデシュと国境を接するミャンマー西部ラカイン州の州都シットウェー。仏教徒のタクシー運転手、テイン・トゥン・アウンさん(仮名、48)は怒りの表情でこう話す。
隔離、移動を制限
2012年、仏教徒女性がイスラム教徒のロヒンギャ族に暴行・殺害された事件を契機に、宗教間の大規模な衝突が発生。約200人が死亡した。街は今も強い反イスラム感情に覆われたまま。真偽不明の噂が憎しみを増幅する。知人女性を殺害されたテインさんは「街でカラーを見かければ、誰かが殺す」と言い放つ。
町外れの廃線鉄道跡では、有刺鉄線を絡ませたバリケードが道をふさぎ、ライフル銃で武装した治安警察が行く手を阻む。線路の向こうはロヒンギャ族の難民キャンプだ。12年の衝突では仏教徒による放火などで10万人以上のロヒンギャ族が家を失った。政府は衝突防止を理由に郊外に隔離し、今も移動を制限する。
「うちのキャンプには4千人以上いる。みんな職はなく月200袋のコメの配給を分け合う。衛生状態も悪い。正義も希望もここにはない」。監視の目をかいくぐり取材に応じたロヒンギャ族の男性(59)は憤る。ラカイン州には同種のキャンプが40以上あるという。宗教間の亀裂は修復不可能なほどに広がっている。
ミャンマーは国民の90%が仏教徒で、英国からの独立までに定住したイスラム教徒の子孫は4%程度、約200万人とみられるが、推定80万人のロヒンギャ族は含まれない。政府が同族を不法移民とし、市民権を認めていないためだ。
それでも生活苦を逃れようとバングラデシュから流入する人が後を絶たず、住民の9割がイスラム教徒になった町もある。宗教対立の背景には、イスラム教の存在感増大に対する仏教徒の強い危機感が横たわる。
過激派の影も
ロヒンギャ族は移動や結婚を制限される。差別や迫害を逃れようと国外に脱出した人も多い。ただバングラデシュも難民受け入れには消極的で、両国のはざまで行き場を失うロヒンギャ族を国連は「世界で最も虐げられた民族」と呼ぶ。
国際社会は批判を強めるが、ミャンマー政府は国軍少将をラカイン州首相に任命。治安部隊を増派し弾圧を強める。ロヒンギャへの融和姿勢を見せれば、多数派の仏教徒の怒りの矛先が政府に向かい、国家の安定を脅かしかねないためだ。
反イスラム感情は他地域にも飛び火した。中部のマンダレーではイスラム教徒の排斥を訴える保守派の仏教徒グループが台頭。イスラム系企業の製品ボイコットや産児制限などを公然と主張する。7月には仏教徒がイスラム教徒の商店を襲撃し、2人が死亡した。
宗教対立につけこもうとするイスラム過激派の影もちらつく。国際テロ組織アルカイダの指導者、ザワヒリ容疑者は9月、ミャンマーやバングラデシュで抑圧されるイスラム教徒を解放するための組織を新設したと宣言した。アルカイダに取り込まれたロヒンギャ族が、組織的テロに走るという最悪の事態も荒唐無稽とはいえなくなりつつある。
(ヤンゴン=松井基一)
[日経新聞10月18日朝刊P.]
(下)フィリピン南部、和平の動き 経済発展、旗印に歩み寄り
軍用機が投下する爆弾の雨の記憶が、ムスマイラ・マカルナスさん(17)を今もさいなむ。フィリピン南部のミンダナオ島では数年前まで、武装勢力「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」と国軍の衝突が頻発していた。一家は戦火を逃れて転々とし、島の中部のスロン村に行き着いた。
通学もままならなかったムスマイラさんに昨年、朗報が届いた。村の中学校が41年ぶりに再開し、1年生として入学できたのだ。1972年に校舎が焼失。地域の農家の平均月収は3千ペソ(約7千円)程度で、別の村の中学校へ通う交通費を捻出できる家庭は少なく、進学率は低かった。
16年に自治政府
政府とMILFが結んだ和平合意通りに2016年に自治政府が誕生すれば、スロン村もその一部となる。保護者代表、ピンダトゥン・ナカンさん(47)は「子供たちにしっかり教育を授け、地域の新しいリーダーにしたい」と話す。
手つかずの大自然と道路脇に点在するモスク。ミンダナオ島は高層ビルが林立する首都マニラとは別世界だ。長い紛争で開発が遅れ、2千万人の人口の6割が貧困層とされる。MILFが政府との対話にかじを切った背景には、外資を呼び込み、経済発展を享受したいとの思いがある。
農業や天然資源の開発が進めば、国全体の経済成長も底上げできる。だからこそアキノ政権は和平の実現を最優先課題に掲げた。今月訪日したプリシマ財務相は、麻生太郎副首相兼財務相とミンダナオでの経済協力の可能性を話し合った。
再選が禁じられているフィリピンでは次の大統領が和平路線を引き継ぐ保証はない。アキノ氏の任期が切れる16年までの自治政府設立は待ったなしだ。MILFのイクバル交渉団長(66)は「他の選択肢はない」と不退転の決意を示す。
ミンダナオのような国内紛争を抱える東南アジア各国が解決のモデルとみなす地域がある。インドネシア最西端に位置するアチェ州だ。中央政府は05年、豊富な資源が搾取されているとして分離独立を掲げていた武装組織「自由アチェ運動(GAM)」との間で、20年以上続いた紛争を終結させた。
04年のスマトラ沖大地震による被害からの復興が急務だったという事情はあったが、広範な自治を認め、資源収入分配で地元を優遇する譲歩が和平に道を開いた。2億5千万人の人口の9割をイスラム教徒が占めるインドネシアは内部分裂の危機を乗り越えた。
過激思想を危惧
だが、世界最大のイスラム人口を抱える同国には、新たな脅威の足音も近づく。中東で台頭する過激派「イスラム国」の“聖戦”への参加を志願し、すでに60人もの若者が海を渡ったことが分かり、国内に動揺が走った。警察高官は「帰還者やインターネットを通じ、過激思想が広がりかねない」と危惧する。
政府はイスラム国を支援する活動を禁止した。スヤント調整相(政治・治安担当)は「これは宗教ではなくイデオロギーの問題だ」と強調するが、忍び寄る脅威への対応を誤れば、国内安定は遠のきかねない。
(マニラ=佐竹実、ジャカルタ=渡辺禎央)
[日経新聞10月19日朝刊P.7]
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