02. 2014年7月28日 14:22:30
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まだまだ先は厳しいhttp://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41275 タイの政変が隣国カンボジアに深刻な影響及ぼす 国境にあふれる人、オープンしたばかりのイオンモールでは物流に障害・・・ 2014年07月28日(Mon) 虎男(Ko Honam) カンボジア北西部、タイとの国境の街ポイペト。カンボジアとタイをつなぐ主たる陸の玄関口とはいえ、普段はカジノを楽しみに来るタイ人や陸路を旅するバックパッカー集団が通る程度の小さな国境の街である。 その小さな国境検問所に、6月中旬から7月にかけてカンボジア人が殺到、その数は2週間程度の間に20万人をゆうに超えたとも言われる。2006年9月以来となるタイのクーデター勃発の影響により、タイから逃げ戻るカンボジア人が大挙して国境に押し寄せる事態となったのだ。 8年ぶり19回目と、ある意味“クーデター慣れ”していると揶揄されるタイ国内では、前回の反政府デモの際の空港封鎖のような大きな混乱を招く事態にまでは発展しないまま今日に至る。 だが、意外なところで直接あおりを受けたのが、6月28日に隣国カンボジアの首都にグランドオープンした「イオンモールプノンペン」だ。 タイのクーデターでアジア最大規模のイオンモール開業に黄信号 敷地面積6万8000m2、延床面積10万8000m2(地上4階)、駐車台数約1400台。総合スーパー(GMS)および食品スーパー(SM)の「イオン」を核店舗とし、モールには日本からのテナント49店を含む約190店の専門店が出店。 ほかにも約1200席を擁するカンボジア国内最大のフードコートや各種レストラン、同国内最大のシネマコンプレックスやスケートリンク、ボーリング場等のアミューズメント施設も擁する大規模ショッピングモール。 グランドオープン式典当日、開店前のイオンモールプノンペン内部。当日も開店に間に合わないテナントもいくつか見受けられたものの、外観的にはほぼ完全に仕上がっていた(写真提供:筆者、以下同) マレーシア、中国、ベトナム等、果敢な海外進出を図るイオンモールの既存店舗の中でも、「イオンモールプノンペン」はアジア屈指の規模を誇り、小国カンボジアにおいてその総工費は200億円を超えたとされる。
ほぼ何もかもがカンボジアにとって初、もしくは最大規模。 周辺の中小規模商店や飲食店で形成される既存の“生態系”を一気に崩壊させてしまうかもしれない可能性も秘めた巨大な非日常空間は、人口約170万人(2013年中間人口調査)とされる小都市プノンペンで、グランドオープン直後の日曜日には10万人を超える来場者数を飲み込んだと言われ、その強烈な集客力を内外に見せつけた。 そのイオンモールプノンペンが予定していたプレオープン内覧会が6月20日。本来はその後もソフトオープンの形で営業を続け、6月28日にグランドオープン、30日にはカンボジアのフンセン首相も招いての式典となる予定だった。 オープンも約1カ月後にせまり、各テナントが開店準備に追われていた5月下旬、まさかの事態が起こる。 タイ陸軍の中でも精鋭部隊として知られる第21歩兵連隊出身で、軍有力派閥の中心人物とされるプラユット・チャンオーチャー陸軍司令官は5月22日、タイの全テレビ番組を通じて、タイ国内で続く暴力事件が国民の生活と国家の安全保障を脅かしているとし、「混乱状態を正常に戻すためにクーデターを決行する」との声明を読み上げた。 同月26日には、軍部がクーデター決行に伴い設立した国家平和秩序評議会(NCPD)が、プラユット司令官の議長就任をプミポン国王が承諾したと表明、実質的にタイの全権を掌握したことを宣言した。 陸路物流を機能不全に陥れた想定外の事態 イオンモールプノンペンには、日本から出店した飲食店が立ち並ぶ特設エリアも。「吉野家」や「銀だこ」など、日本でもおなじみの店舗も軒を連ねる。カンボジア人に受け入れられる味はどれか、ここからが勝負 イオンモールプノンペンのテナントの多くは、その機材や備品、商材、食材などを、タイからの陸路物流により運び入れることを当然想定していた。
急遽勃発したクーデターにより、ポイペトを除くすべての陸路国境がまず封鎖されたとのニュースも流れ、通常通りの通関業務が果たして行われるのか、不安視する説も飛び交い始めた。 そこに追い打ちをかけるかのように、想定外の事態は続く。 タイ軍事暫定政権は6月11日、軍報道官を通じて、不法滞在・就労外国人を「脅威」と見なすとして逮捕や強制送還を辞さない旨を意思表明した。 その報道が、軍から暴力的な迫害を受けるとの噂話となって広がり、パスポートや労働許可なしでタイに出稼ぎに来ていた多くのカンボジア人が、母国カンボジアに逃げ戻るため、大挙して小さな国境の街に押し寄せた。 タイから大挙帰国するカンボジア人労働者が殺到した国境の街ポイペト。同時期にタイ出張から帰国した弊社カンボジア人スタッフが撮影。スタッフいわく、国境の実情をよく知っていれば長蛇の列を回避することも可能とのこと
平常時に撮影した国境の街ポイペトの出入国審査場入り口。タイとカンボジアの陸路国境はポイペト以外にも複数箇所あり、国境によって手続きの煩雑さや難易度に違いがあるのが現状 イオンモールのグランドオープン式典には在カンボジア駐日大使をはじめ、日本の岸田文雄外務大臣、イオンの岡田元也社長も参席。この後フンセン首相も参席し、各々がスピーチを行った その数は軍報道官の意思表明後の1週間だけで15万人を超え、その後もさらに増え続けた。タイ国境のカンボジア通関・物流が機能不全に陥るであろうことは、もはや誰の目にも明らかとなった。 事実、予定では届くはずであった物資が届かず、という理由で開店準備が大きく遅延するテナント業者も続出することになる。 物流以外にも諸理由が存在したはずだが、結果的に6月20日の内覧会にオープンを間に合わせられたテナントは全体の20%程度にとどまった。 その後予定していたソフトオープンは取りやめとなり、6月28日のグランドオープンまでモールをクローズせざるを得ない事態となった。 物流はASEAN経済共同体実現のアキレス腱? ASEAN域内に人口6億人を超える1つの巨大市場を生み出そうという野心的な目標を掲げ、2015年に発足を目指すASEAN経済共同体(AEC)。 AECの要諦は、ASEAN加盟国域内において「ヒト・モノ・カネ」を自由に行き来できるようにすることで、ASEAN域内諸国を擬似的な単一市場・生産基地と見なし、実質的にその市場・基地としての機能を具現化することにある。 そのためにはまず「ヒト・モノ」の移動をより自由化・円滑化する必要があり、域内の交通・物流網の整備は必要不可欠な要素となる。特に各国をつなぐ国境の機能整備・改善は喫緊の課題である。 カンボジアのみならず多くの新興諸国にとって、安価な労働力と自国通貨安を武器に労働集約型の産業を誘致し、安価な商品・製品を製造して先進諸外国に輸出し外貨を稼ぐ施策が、経済発展初期段階における定石となっている(なお、米ドルが主要流通通貨であるカンボジアは自国通貨安のメリットは享受できない)。 先進諸外国(主に欧米日)への輸出は海路輸送となる場合が多く、まずそこを整備することが輸出による外貨獲得に向けた第一歩となる。よって、海の国境である港湾における通関などの諸機能は、まず最初に整備されやすい部分だ。 一方、特に東南アジア諸国における陸路の国境は、通関の諸ルールや取り決めが成立する以前から、小規模・個人単位の物流が従来盛んに行われ、また先進国に向けた輸出の主要ルートになりづらいことから、その従前の習慣がそのまま踏襲され続けるケースも多い。 外国資本の物流会社も、同じ出身国の顧客である大手製造業が工場進出する、などのケースに付き合う形での進出も多く、その場合、顧客製造業の輸出ルート(主に海)に業務をフォーカスする傾向が大きい。結果、小規模の陸路物流はやらないか、地元物流業者に“丸投げ”する。 その地元物流業者の“ウデ“の違いが、特に何か問題が起こった時や異常事態の時に、結果として明暗を分ける。 一筋縄ではいかない陸路物流の“ブラックボックス” 今回のタイのクーデターと労働者大量帰国のダブルパンチは、カンボジアにとって(およびイオンモールの各テナントにとって)、まさにその異常事態の最たる状況だったと言える。 多くの外国企業にとって“ブラックボックス”となりがちな陸路物流の国境実務。 ASEAN域内の「ヒト・モノ・カネ」の流れを自由化・円滑化させるAECにビジネスチャンスを見出す企業にとって避けては通ることのできない、まさに文字通りの「関門」である。 筆者自身、カンボジアで各種事業を営みながら、陸路国境の物流は地元業者を頼らず自社ですべて取り行っているが、やはりそこには明文化されない諸々の慣習もあり、痛い目も見ながら体得せざるを得ない、というのが実感である。 グランドオープン当日、開店前のイオンモールプノンペン内部。プノンペンにある既存のショッピングセンターとは比較にならない流石の外観クオリティ。実際、オープン後には他の既存飲食店や商業施設では閑古鳥が鳴いていたという タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)で2番目の経済規模を誇り、AEC発足を主導してきた先進加盟国の1つである。
どの加盟国もAEC発足に向け、なお多くの課題を抱えており、特に先進加盟国の政府による主導力や調整力が不可欠な現状において、時計の針を大きく昔に巻き戻すような形で勃発した今回のタイ軍部クーデター。 ただでさえ課題山積なAECの実現をさらに遠のかせるような今回の事態だが、一進一退する政情を乗り越えながら、おそらくはその過程でいろいろな清濁を併せ飲みつつ、それでも着実に「ヒト・モノ・カネ」の流れは活性化していくはずだ。 本稿では、筆者がカンボジアで事業を行うにあたっての実体験からしかお伝えすることはかなわないが、AECを構成するASEAN諸国の1つで起きていく活性化の実態に、具体事例を交えながら引き続き光を当てていきたい。 |