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「耐える」息潜める街
タクシン派本拠ウドンタニ 「選挙あれば勝つ」
【ウドンタニ〈タイ東北部〉=高橋徹】軍事クーデターで再び崩壊したタイのタクシン元首相派政権。元首相の信奉者が多く「タクシン派の牙城」とも呼ばれる東北部のウドンタニ県に入った。「今は耐えるときだ」。戒厳令の下で支持者は息を潜めていた。
ウドンタニ県では2011年の下院選でタクシン派のタイ貢献党が有効投票数の77%を獲得し、9議席を独占した。4年前にバンコクでタクシン派デモ隊が軍に排除され、多数の死者が出た際は怒った支持者が県庁舎に放火。全焼した建物は今も再建途上にある。
現在の街中に緊迫感はなく、警戒する国軍兵士もまばらだった。クーデターに反対する集会も、軍の決行の翌日の5月23日に40人程度が参加した程度という。
中心部の簡易食堂に置かれたテレビは隣国ラオスのニュース番組にチャンネルを合わせていた。「タイの放送はどうせ軍の宣伝だから」。女性店主(58)は「リーダーから指示が来れば、またいつでもデモに参加する」と淡々と語る。
表面上の平穏は軍の締め付けがもたらした。
「貢献党の関係者は所在確認に来てほしい」。クーデター直後、9人の前下院議員に軍から要請が入った。その一人、アナン・シーパン(68)はすぐに出頭。4時間ほど事情聴取を受けた後、帰宅前に一筆を取られた。「人々を政治的活動に動員しない」
要請をただ一人無視したスラティン・ピマーンメイキン(63)の留守宅には兵士が押しかけ、家族に「親族に累が及ぶ」と迫った。観念したスラティンは数日遅れて5月27日に出頭した。
戒厳令により軍は逮捕状なしで最大7日間まで市民を拘束できる。2日夕時点で、スラティンはまだ解放されていない。
タクシン派の活動はタイ貢献党と「赤シャツ隊」で知られる政治団体・反独裁民主統一戦線(UDD)が両輪をなす。ウドンタニではUDDの強硬派の大物幹部、クワンチャイ・プライパナー(61)が自ら運営する地域ラジオで動員力を誇ってきた。クーデター翌日に出頭命令を受けたクワンチャイは拘束を解かれた直後「もう二度と赤シャツ隊のデモに関わらず、軍の国家改革に協力する」との声明を出した。
声明の真意を尋ねるためにウドンタニ郊外にある自宅を訪れると、警戒にあたっていた10人以上の兵士が行く手をふさいだ。隊長格の兵士は「面会は許せない」とにべもなかった。
ただ国軍内には緑色の迷彩服に身を包みながらも、中身は赤シャツ支持者である「スイカ兵士」と呼ばれる存在も多い。その点に水を向けると、兵士は言葉を選びながら応じた。「人の思うことは止められないが……。衝突を防いだ意味で(クーデターを主導した陸軍の)プラユット司令官の決断は支持する」
ウドンタニ県内に約1800ある村のうち400以上が「民主主義のための赤シャツ村」の看板を掲げる。そんな村にもクーデター直後に兵士が訪れ、軍への協力を念押しした。
67世帯・328人のノンフーリン村もタクシン派への熱烈支持を訴えてきた。元首相は月30バーツ(約90円)の低額医療や村落基金の創設など低所得層に厚く配慮した。「彼の政策は我々の琴線に触れたんだ」。4年前の県庁舎放火事件で長男が逮捕された村長のゴーンチャイ・チャイカン(46)は、元首相の汚職体質への批判を「政治的なでっち上げ」と断じる。
「内戦? 我々にそんな力も意思もない」。ゴーンチャイは「軍がどう改革を進めるのか分からないが、選挙となれば、候補者が犬や猫であってもタイ貢献党が勝つ」と言い切った。
=敬称略
[日経新聞6月3日朝刊P.7]
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