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「朴槿恵大統領を守れ」に結集した保守層
韓国統一地方選、与党が予想外に善戦した理由は?
JB PRESS 2014年6月6日 玉置直司
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40883
2014年6月4日、韓国で統一地方選挙が実施された。朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領が就任してから1年3カ月あまりで初めての大型選挙だった。4月16日に「セウォル号」沈没事故が起き、その収拾作業に不手際が目立ったことなどで、一時は与党惨敗の声も出ていたが、ふたを開ければ与党は善戦した。選挙最終盤で、保守層の結集があったというのが専門家の見方だ。
韓国の地方選挙は、ソウル、釜山など主要市長選挙と9つの知事選挙、区長、地方議員、教育監(教育長に相当)選挙などを一度に実施する文字通りの「統一地方選挙」だ。選挙区によっては有権者は一度に7種類の選挙の投票をする。
選挙戦の焦点は、主要8市と9道の市長・知事選挙だった。改選前は与党セヌリ党9、野党新政治民主連合8(無所属1を含む)だった。4日の選挙の結果は、与党セヌリ党8、新政治民主連合9で、ほとんど変わらなかった。数字だけ見れば、野党が「辛勝」したことになるが、選挙戦全般を見ると、「惨敗」さえ予想された与党が最終盤に盛り返した。直前の世論調査で苦戦が伝えられた激戦地を次々と制し、「事実上は与党の勝利」と話す専門家もいるほどだ。
まずは選挙結果の中で興味深い点を紹介しよう。
ソウルでは市長選挙も区長選挙も与党が完敗したが・・・
最大の選挙区だったソウル市長選挙は、野党の現職である朴元淳(パク・ウォンスン=1956年生)氏が、56%の得票率で圧勝した。与党候補は、7選の国会議員で現代財閥創業者の6男、世界最大の造船会社である現代重工業のオーナー、韓国サッカー協会の元会長など数多くの肩書きを持ち、抜群の知名度を誇る鄭夢準(チョン・モンジュン=1951年生)氏だったが、43%の得票率だった。
朴元淳氏は圧勝で再選を果たしたことで、2017年12月の次期大統領選挙の野党候補「1番手」に浮上した。一方の鄭夢準氏は、「セウォル号」事故で与党に逆風が吹いている最中に息子が、事故の遺族らが大統領批判をしたことを「韓国人は未開だ」などと批判。これが世論の大反発を招き、さらに苦境に立たされた。これまでの保守系のソウル市長選挙候補の中でも、10ポイント以上の大差で敗れた例はなく、政治生命にも大きな打撃となった。
ソウルは他の選挙でも野党が圧勝した。25の区長選挙では、前回と同じく野党が21区長選挙を制した。
ソウル教育監選挙は、今回の選挙戦の最終盤で最も話題となった選挙で、進歩系候補が勝利した。ほとんど全国的な話題になっていなかったこのソウル教育監選挙だが、直前に大きな関心事になった。
この選挙で一貫して先頭を走っていたのは韓国では有名な保守候補だった。ソウル大法学部2年生で司法試験、3年生で外交官試験、4年生で上級公務員試験に合格した秀才で、ポスコの事実上の創業者である朴泰俊(パク・テジュン)氏の娘と結婚した。その後、離婚・再婚したが、本人は国会議員、弁護士、投資家として活躍を続けた。
しかし、今回の投票直前に米国にいる前妻との間の娘が、自身のフェイスブックで「子供を放ったらかしにして父親として失格の人物に教育監の資格はない」と痛烈に批判する文章を公開、これがメディアの大きな話題となり、一気に失速した。
ソウルでは、著名な与党の市長、教育監候補が、息子、娘がSNSに公開した「私見」が選挙戦で決定的な意味を持ってしまった。
ソウル以外の注目選挙では巻き返して逆転勝利
ソウルでは完敗したが、与党は他の選挙では巻き返した。「与党惨敗」の予測も出た中で、注目を集めていた選挙は、ソウル近郊の京畿道知事選、釜山市長選、仁川市長選だった。直前の世論調査でも野党候補が一歩リードしていたが、いずれも与党候補が勝利した。この3つの選挙で勝利したことが、与党には決定的な意味を持った。
結局選挙結果は、次のようだった。
■与党勝利: 京畿道、慶尚北道、慶尚南道、済州道、仁川、釜山、大邱、蔚山
■野党勝利: ソウル、江原道、忠清北道、忠清南道、全羅北道、全羅南道、大田、光州、世宗
野党は、韓国中部にある忠清道(南北道知事、大田、世宗市長)で全勝した。2012年12月の大統領選挙では、忠清道は朴槿恵候補にとって重要戦略拠点で、ここでの勝利が大きな勝因だった。与党は今回、ここでも完敗してしまった。
与党はただ、仁川市長選挙では、次期大統領選をうかがった現職の野党候補から市政を奪還し、ソウルと並ぶ大票田である京畿道でも勝利した。
実際、統一地方選挙と言っても、与野党の支持層は地方色が強く、ソウル、仁川、京畿道の3選挙が与野党の勝敗を分けると言われてきた。一時は、与党の3敗という見方も出ていたが、結局、与党はソウル以外の2勝1敗で乗り切った。地方議会議員選挙などではむしろ与党が躍進さえした。
セウォル号沈没事故で様相が一変
今回の選挙は、朴槿恵政権発足後初めての大型選挙で「中間評価」というのが当初の位置付けだった。
ところが、4月16日のフェリー沈没事故で様相が一変してしまった。この事故が韓国社会に与えた影響は日本で想像するよりもずっと大きいだろう。
多くの国民が「若者を守ってやれなかった(犠牲者の多くが高校生だった)」ことに心を痛め、またずさんな経営、運航で事故の直接的な原因を作ったフェリー運航会社の実質的オーナーや経営陣、さらに収拾策に手間取り続けた政府に対して、強い怒りを抱いた。
事故以前には、与党の勝利を予測する声が多かった。朴槿恵大統領の支持率は高く、「無難に勝利して中間評価をクリアする」との見方だ。ところが、事故の対応のまずさから政府批判が沸騰し、選挙戦は一気に「与党不利」という予測に傾いた。
「地方選を機に、朴槿恵大統領はレームダックになる恐れがある」
投票日の2週間ほど前、大手紙のデスクはこう話していた。それほど、選挙戦終盤に入っても情勢は「与党圧倒的不利」だった。
保守層の心に響いた「朴槿恵大統領を守れ!」のメッセージ
状況が変わったのは「投票日のホンの数日前」――。ある野党関係者はこう話す。野党は、「押せ押せ」となって、「政権審判」を争点の前面に押し立てた。地方選で圧勝して朴槿恵大統領をレームダックに追いやり、一気に主導権を握ろうとの狙いだった。
これに対して、与党は「朴槿恵大統領を守れ!」で応戦した。地方選挙のはずが、地方政策や「中間評価」を超えて一気に「政権の命運を懸けた戦い」になってしまった。
最終盤に結集したのは保守層だった。
もともと、朴槿恵大統領の個人的な人気は高い。強固な支持基盤もある。事故の対応へのまずさから大統領への批判が急速に高まったが、5月19日に「涙の対国民談話」を発表して、これを乗り切った。
韓国の大統領は、選挙には中立でなければならず、今回も選挙遊説はもちろん、選挙に対する発言は一切していない。
それでも、争点が「朴槿恵大統領」そのものになると、さすがに強いと言うべきか。これまでも、与党が危機に陥るたびに選挙戦を陣頭指揮して反転させた。「選挙の女王」と言われてきたが、今回も「大統領を守れ!」は強烈なメッセージだったようだ。有権者の間で「与党惨敗」への懸念から、「バランスばね」が強く働いたのだ。
「惨敗」を防いだ与党だが、現政権の先行きには難題が多い。
一難去ってまた一難
政権発足から1年3カ月が過ぎたが、特に内政面ではこれと言った成果が乏しい。人心一新で人気回復を狙うが、「大統領の人事下手」は相変わらずだ。政権発足前に首相候補を指名したが、その後、個人的な問題が出て辞退に追い込まれた。地方選挙直前にも大法官(最高裁判事)出身者を指名したが、これまた個人的な問題で辞退に追い込まれた。
情報機関である国家情報院の院長、主要閣僚、さらに青瓦台(大統領府)の幹部の入れ替えも取り沙汰されるが、どれもすんなりとは進みそうはない。
地方選は「惨敗」を防いだが、7月30日にはすぐに国会議員補欠選挙がある。今回の地方選挙に出馬した国会議員の辞職が多く、少なくとも12カ所以上の選挙区での実施が有力だ。地方選が終わってまたすぐ大型国会議員補選ということで、与野党の対立は簡単に解けそうもない。
セウォル号事故対策と地方選に追われた挙げ句、すぐに次の選挙ということは、政権側には大きな負担だ。人事の難航はもちろんだが、重要政策の遂行にも手間取ることが必至だからだ。
政権発足以来、経済政策や社会保障政策の実行が遅れている。セウォル号事故対策として発表した公務員改革なども、国会でいつ法案が通過するのか不透明なままだ。朴槿恵大統領にとっては一難去ってまた一難なのだ。
注目の次期大統領候補は?
今回の地方選挙は「次期大統領選挙候補争い」の第1ラウンドでもあった。
野党側では、再選を果たした朴元淳ソウル市長のほか、野党共同代表として選挙戦を乗り切った安哲秀(アン・チョルス=1962年生)議員も生き残った。安哲秀氏は、光州市長選挙で、地元党組織の反対を押し切って「党中央推薦」という強権を発動して公認候補を決めた。これに反発する無所属候補と激戦になったが、最終的には圧勝で乗り切り、「党代表としての威厳」を保った。
野党では、再選を果たした安熙正(アン・ヒジョン=1964年生)忠清南道知事と前回の大統領選挙で敗れたものの2度目の挑戦に意欲があるとされる文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)議員と合わせた4人が、「次の大統領候補」として今後、大きな注目を集めるだろう。
弁護士で市民運動家として頭角を現した朴元淳氏と、ベンチャー企業経営者出身の安哲秀氏の間には格別の因縁がある。現職の突然の辞任で2011年9月に実施となったソウル市長補欠選挙に、最初に意欲を見せたのは安哲秀氏だった。ところが、旧知の朴元淳氏が「今回は自分に出馬させてほしい」と主張し、2人の話し合いの末に安哲秀氏が譲歩した。
安哲秀氏は、2012年末の大統領選挙では、文在寅氏に「譲歩」した。
ソウル市長、野党共同代表、前回の大統領候補という3人が、次回は、どういう役回りになるのか。文在寅氏とともに盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の側近だった安熙正知事がこれにどう絡んでくるのか。野党内の候補選びは人間関係という意味でも興味が尽きない。
一方の与党は、朴槿恵大統領の小学校の同級生である鄭夢準氏が大差で敗れたことで、目立った人物は浮上しなかった。慶尚南道知事に再選された洪準杓(ホン・ジュンピョ=1954年生)氏は意欲を示しそうだが、全国的な人気となると、どうか。むしろ、次期首相や与党代表などから徐々に候補が浮かび上がるという見方が有力だ。
以下、韓国の政治情勢に詳しい李昌訓(イ・チャンフン)ASEM研究院院長の話を紹介する。
「セウォル号事故一色のなかで中間評価はまずまずの結果」
「今回の選挙はひと言で言えば、セウォル号事故一色だった。たび重なる政府の対応のまずさに加えて、最後には首相指名でも躓いた。にもかかわらず、17の主要選挙で8勝したことは、与党の勝利に近い善戦だ。
ソウルはもともと現職の野党・朴元淳氏が優勢だった。与党の鄭夢準氏は、財閥総帥の息子という限界を打ち破れなかった。現代重工業の株式など莫大な財産を社会に還元しろという声に明確に答えなかった。次期大統領を狙うなら、何らかの行動を起こすべきだった。
与党は、ソウルの区長選挙でも大敗したが、京畿道知事選挙と仁川市長選挙で勝ったのは大きい。釜山市長選挙でも苦戦の予想を覆した。
メディアは、朴槿恵大統領の『涙の会見』が効果があったと分析しているようだが、そういう個人的な問題よりも、保守層の結集効果だと見るべきだ。野党はもっと勝てたはずだが、最後に勝ち切れなかった。
全国の教育監選挙では野党あるいは進歩系が17選挙のうち13も勝った。これも今回の選挙の特徴だが、保守系候補が一本化できなかった上、教育政策となると、イデオロギーで票が動くとも言えない。進歩系候補が主張した無料給食や平等教育などに票が集まった。より直接的な利害を見て投票する傾向が出たと言え、他の首長選挙とは少し意味が違う。
過去を見ると、与党は、金大中(キム・デジュン)政権下では大統領就任直後の地方選で勝ったが、あとはすべて大敗した。4年前の李明博(イ・ミョンバク)政権下では、就任2年後の地方選で惨敗した。今回は、就任1年後にまずまずの結果だった。
だが、朴槿恵政権に対する不満も依然として強い。野党関係者は投票わずか1〜2週間前には、朴槿恵大統領は最速でレームダックになると見ていた。そうはならなかったが、人事や政策実行などでこの先も難しい局面が続く。外交もそうだ。地方選挙は乗り切ったが、今の政権が安泰かどうかは不透明だ」
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