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安倍首相が最も恐れる政治家「凍りついた韓日関係、私が溶かす」
中央日報日本語版
http://japanese.joins.com/article/876/185876.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|article|ichioshi
二階俊博議員(65)は日本の自民党の5大派閥・志帥会の総帥だ。軟性化していく自民党派閥内で「最後のボス」と呼ばれる。重みのある印象で線が太く、「安倍晋三首相が最も恐れる政治家」に通じる。彼は1993年に自民党を離党して小沢一郎氏と行動を共にしていたが2003年に自民党に復党した。そのような経歴でも依然として党の中心にそびえ立つパワーの源泉は、持って生まれたボス気質だ。ほかの人々が肩をすぼめる時に頭を上げて行動する。
例えば安倍首相が昨年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会に参加して、2020年夏のオリンピックの東京開催を訴える演説を数回準備するという話を聞いて「そんなに練習して行くぐらいなら、韓国や中国に対する演説も少し練習したらどうか」などと批判した。周辺国に対する外交を疎かにする安倍首相に直撃弾を飛ばしたのだ。
そんな二階議員が、韓日関係の改善に腕まくりをして出た。きっかけは来月1日、ソウル瑞草洞(ソチョドン)の「芸術の殿堂」で開かれるNHKシンフォニーオーケストラ韓国公演〔主催:錦湖(クムホ)アシアナ文化財団・中央日報・日本国際交流基金〕だ。政治が滞っているために文化交流を通じてひとまず両国関係の出口を開こうというものだ。彼が一声上げるとすぐに彼の意に賛同する250人の後援者が「公演を見に韓国に行く」と言った。
27日、東京の永田町議員会館で会った彼は、韓国への愛情と思い出を打ち明けながら時がたつのも忘れるほどだった。結局、秘書官が入ってきて「待っておられる三重県知事がもうお帰りになるそうです」という伝言を聞いて席から立った。
−−今回の公演はどのように実現させたのか。
「錦湖アシアナの朴三求(パク・サムグ)会長がNHKの演奏会をソウルでしようとして、日本との共同主催はどうだろうかと提案してきた。朴会長がかなり前から文化交流に努力してきたことを知っているので、どうにかして成功させるべきだと思い、すぐに首相官邸や関連団体と相談した。当時、2013会計年度末(2014年3月末)が迫っていて予算を取るのが大変だったが、安倍首相もこのような良いことは積極的に推進すべきだといって錦湖アシアナと日本が予算を分担することにした。韓国がセウォル号事故で大変な状況だが、こんな時ほど隣国として痛みを共にしなければなければならないと考える周辺の人々が、自費でも韓国に行くと集まった。こんなに韓日関係の改善を渇望している人が多いということが何よりうれしかった。せっかくの機会なので行事パンフレットにはハングルと日本語の説明を一緒に入れて両国大使の友好メッセージも入れようと提案した。私たち皆が、このような知恵を集める必要がある」
−−セウォル号事故で慎重論もありそうだが。
「時期的にどうかと思う慎重論もあったが、私は李丙ギ(イ・ビョンギ)駐日大使に会ってこんな話をした。最初に、こんな時ほど最も近い隣国が真の慰労をした方が良い(NHK交響楽団は追悼曲を準備する予定)。2つ目、両国関係に雲がかかっている時、これを取りはらうために出なければならないのが政治だ。私も現在、衆議院予算委員長なのに国会会期内のため原則的には外国に出られない。しかし、どうにかして許諾を得るつもりだ」
−−慰安婦問題で両国関係が最悪だ。
「日本の若い国会議員は戦争を知らない世代だ。頭では本や新聞を通じて分かっているが、実際(心)では分からない。慰安婦問題は一日でも早く解決することが韓国と日本の双方にとって良い。米国まで(味方を作ろうと)口説き落として、何か良いことがあるだろうか。だからといって米国が仲裁案を出すだろうか。米国も本心は、自分たちの側にそんな問題を持ってこないでくれと言うことだ。またアジアの問題はアジアの中で解決するしかないのではないか(この部分で二階議員はテーブルを手でたたいて声に力が入った)。それで私は日韓議員連盟側に「形ばかりとらえずに今、何か行動しなければならない時期ではないのか、しっかりやれ」と話している。韓日関係が苦境に立たされている時、何の行動もしないでいるのが、あまりにも不満だ。それで私が今回、先頭に立って(韓日関係改善のための)スタートを切ろうとしているのだ。それで河村建夫・日韓議員連盟幹事長も今回同行することになったのだ」
二階議員は今回の行事のために1枚のスクラップ記事を準備したという。2010年、彼の地元選挙区である和歌山県に建てた金忠善(キム・チュンソン)将軍の記念碑関連記事だ。
金忠善将軍はもともと、沙也可という名前の日本の武将だった。壬辰倭乱の当時に火縄銃部隊をつれてきて「この戦いは名分がない」と、ただの一度の戦闘もしないまま投降した後、倭軍と相対して戦った。以後、先祖が「金海(キムヘ)金氏」本貫をおろし、現在韓国に住んでいる子孫は7000人余りに達する。子孫たちの集成村が友鹿洞〔大邱市達城郡嘉昌面(テグシ・タルソングン・カチャンミョン)所在〕にある。偶然の一致か、朴槿恵(パク・クネ)大統領の過去の地方選挙区だ。「敵軍に投降して銃口を逆に回した武将を記念までしたように、お互いの憎しみを友好に変えて行こう」というのが、彼の投げかけるメッセージだ。
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