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「悪の薩長同盟」中ロが「幕府」米国を滅ぼす!? 冷徹な“リアリスト”プーチンの決断と目的
北野幸伯 2014年5月27日 ダイアモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/53644
5月20日、プーチン大統領は中国を訪問した。中ロが手を組み、米国に歯向かう――。これは、実は9年前にも起きたことであり、2008年のリーマンショックの遠因でもあった。中ロ最接近の歴史的経緯と背景を解説しよう。
日本でも大々的に報じられているように、ロシアのプーチン大統領は5月20日、中国・上海を訪問した。プーチンと習近平国家主席は、東シナ海で行われる「中ロ合同軍事演習」の開幕式に出席し、さらに両国は大規模な「天然ガス輸出契約」を締結。ロシアは2018年から30年間、総額4000億ドル分のガスを中国に輸出することとなった。
共同声明には、日本を念頭に「歴史の改ざんと戦後秩序の破壊に反対する」と明記された。このように中ロは現在、「軍事面」「経済面」だけでなく「イデオロギー面」でも一体化しているように見える。
中ロ接近の一方、米国は奇妙な動きをしていた。ウクライナでシェールガスの採掘権を持っている企業・BURISMAの取締役に、バイデン米副大統領の次男が就任したのだ。つまり、ロシア影響圏内の資源にちゃっかりと触手を伸ばしたということだ。
ますます混迷する中ロvs欧米の対立だが、実は似たような構図は過去にもあった。
「米ロ新冷戦」は11年前に始まった
実をいうと、中国とロシアの接近は、今にはじまったことではない。話は11年前、03年までさかのぼる。当時、米国は今よりもっと強盛で、01年にアフガンを攻め、03年にはイラク戦争を開始していた。ところで、FRBのグリーンスパン元議長は、この戦争について面白い見解を示している。(太線筆者、以下同じ)
<「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露
【ワシントン17日時事】18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、2003年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている。>(時事通信07年9月17日)
つまり、米国によるイラク戦争の動機は、「石油利権だった」。日本でこれをいえば、即「陰謀論者扱い」である。だから、筆者もわざわざグリーンスパンを出して説明している。もちろん「石油がすべて」とはいわない。しかし、重要な動機の一つだったことは、(グリーンスパンも認めているように)その通りなのだろう。実際、米国はイラクの石油利権に入り込んでいた、フランス、ロシア、中国企業を追い出した。
しかし、ここでの本題は、イラクではない。ロシアである。「ユコス事件」を聞いたことがあるだろうか。ロシアの石油会社ユコスのホドルコフスキー社長が、脱税などの容疑で逮捕された事件である(昨年末、10年ぶりに釈放された)。日本では、「独裁者プーチン」が「善良な大富豪」を捕まえた、ひどい事件だと語られることが多い。しかし、これも「石油がらみ」だったのだ。
ホドルコフスキーは、米「エクソン・モービル」「シェブロン・テキサコ」(現在のシェブロン)に、ユコス(当時ロシア最大手)を売却しようとしていた。「また、陰謀か!?」そんな声が聞こえてくる。だから、日本経済新聞の元モスクワ支局長・栢俊彦氏がなんと書いているか見てみよう。
<米メジャーが法的に拒否権を持つ形でユーコスに入ってくると、事実上、米国務省と国防総省がユーコスの後ろ盾につくことを意味する。ロシア最大級の石油会社が治外法権の領域に逃げ去ることに、政権の武力機関派は激しい衝撃を受けたに違いない。>(「株式会社ロシア」日本経済新聞出版41p)
プーチンの命令によってホドルコフスキーは逮捕され、「ロシアの石油最大手を支配する」という米国の野望は挫折した。しかし、覇権国家・米国はおめおめとは引き下がらなかった。今度はロシアの勢力圏・旧ソ連諸国で相次いで革命を起こし、「親米反ロ傀儡政権」を樹立していったのだ。具体的には、03年グルジア革命、04年ウクライナ革命、05年キルギス革命。これも日本人には、にわかに信じがたいことだろう。しかし、革命で失脚した指導者たちが、日本のメディアに語っている。
例えば、03年11月29日付朝日新聞。
<「混乱の背景に外国情報機関」シェワルナゼ前大統領と会見
野党勢力の大規模デモで辞任に追い込まれたグルジアのシェワルナゼ前大統領は28日、首都トビリシ市内の私邸で朝日新聞記者らと会見した。大統領は混乱の背景に外国の情報機関がからんでいたとの見方を示し、グルジア情勢が不安定化を増すことに懸念を表明した。>
もう一つ、キルギスのアカエフ元大統領の発言。
<「政変では米国の機関が重要な役割を果たした。半年前から米国の主導で『チューリップ革命』が周到に準備されていた」>(時事通信05年4月7日)
<「彼らは野党勢力を訓練・支援し、旧ユーゴスラビア、グルジア、ウクライナに続く革命を画策した」>(同上)
米国がロシアの石油・ガス資源を狙い、ロシア影響圏で革命をこっそり先導する。まさに、最近起きたウクライナを巡る一連の流れとよく似ていることに驚くだろう。米ロの諍いの背景と本質は、この頃も今も、あまり変わりがないのだ。
話を05年当時に戻そう。「このままでは、全旧ソ連諸国で革命が起こり、『ロシア包囲網』が形成されてしまう!」プーチンは悩んだ。そして「ある重大な決断」を下す。
「中国・ロシア同盟」が米国を滅ぼした日
それは、「仮想敵No.2中国と組むこと」だった。ロシアの仮想敵No.1は、もちろん米国だ。では、なぜ中国は「仮想敵No.2」なのか?「中国はロシア極東を奪おうとしているのでないか?」というのが、すべてのロシア政治家の懸念なのだ。
なぜか?ロシア極東地域の人口は、わずか700万人。一方、ロシアと国境を接する中国東北三省には、なんと1億2500万人が住んでいる。そして、中国人はどんどんロシア極東に移住して「実効支配」を進めている。プーチンは、この動きの背後に「北京政府の意志」を感じとっていた。
とはいえ、米国に旧ソ連勢力圏を荒らされていた05年の時点で、「背は腹に変えられない」状況。そしてロシアは、中国に接近する。次期覇権国家を狙う中国も、ロシアの動きを歓迎した。それに、中国はロシアの「最新兵器」と「石油・ガス」も欲しい。両国は、40年以上続いていた「領土問題」を解決し、国境を画定。05年8月には、初めて「中ロ合同軍事演習」が実施された。
さらに中ロは、中央アジアの旧ソ連諸国を、「上海協力機構」(SCO)を強化することで取り込んだ。また、05年7月のSCO首脳会談では、インド、パキスタン、イランが「オブザーバー」として承認され、同組織は世界の一大勢力に変貌していく。SCOは、その後「合同軍事演習」を実施するなど、「NATOに対抗する組織」としての性格も強めていった。
そして06年5月10日、プーチンは米国に「原爆級」の爆弾を落とす。なんと、「ドルではなく、ルーブルで石油を売る!」と宣言したのだ。曰く「石油などわれわれの輸出品は、世界市場で取引されており、ルーブルで決済されるべきだ」。「ロシア国内に石油、ガス、その他商品の取引所を組織する必要がある」。
なぜ、決済通貨の変更が“爆弾”なのか。実は、米国のパワーの源泉は「世界通貨発行権」を握っていることにある。プーチンは、「もうドルを基軸通貨として認めない。徐々に『駆逐してやる!』」という強い意志を世界に示したのである。
その後実際、世界で「ドル離れ」の動きが加速していった。06年12月末、「ユーロの紙幣流通量がドルを超えた」ことが発表された。07年12月には、イランが「原油のドル決済を停止する!」と宣言。同年同月、中東産油国がつくる「湾岸協力会議」は、「2010年までに湾岸共通通貨をつくる!」と発表。徐々にドル基軸通貨体制にほころびが出てきた。
そして、08年9月15日、リーマンショックが起こり、世界は「100年に1度の大不況」に突入していった。日本では、「米国の不動産バブル崩壊」「サブプライム問題顕在化」から続く流れと解説されるこの危機。しかし、裏には別の大きな流れがあった。そう、中ロを中心とする「多極主義」と、「一極支配体制」を守ろうとする米国の、基軸通貨を巡る戦いである。
ロシアでは、08年の前と後では「別の時代」とされている。つまり、1991年末のソ連崩壊からはじまった「米国一極世界」が08年に終わったのだ。「中国・ロシア同盟が米国を滅ぼした」というのは、そういう意味である。米国は、もはや世界の「単独覇権国家」ではなくなったのである。
リーマンショック後の「米ロ再起動」(米ロ融和)
こうして中国とロシアは、一体化して、米国の「一極支配体制」を崩壊させた。しかしその後、両国の明暗は分かれていく。世界的経済危機により、原油価格は08年1バレル140ドル台から、30ドル台まで一気に暴落。これが、ロシアの「完全石油依存経済」を直撃した。09年、ロシアの国内総生産(GDP)成長率は、なんとマイナス7.9%。プーチンは苦境に立たされた。
一方で、中国は09年も9%以上の成長を果たし、「一人勝ち」といわれた。ロシアのパワーは減退し、中国の影響力は飛躍的に強まった。「G2(=米中)時代」という用語がしばしば使われたのも、この年である。プーチンは当然これに不満で、対中政策を転換することにした。そもそも「中国・ロシア同盟」は、「米国幕府打倒」のための方便である。「米国幕府が崩壊した(と、09年当時のプーチンは思った)今、中国との同盟は不必要。それより、今度は米国と組んで中国を叩きつぶそう」。
これが「リアリスト」的思考である。考えてほしい。リアリスト国家・米国は、まず共産ソ連と組み、日本とドイツに大勝した。しかし、戦争が終わると、今度は敵だった日本、ドイツ(正確には西ドイツ)と組み、ソ連を崩壊させたではないか?プーチンの発想も同じ。「中国と組んで米国をつぶす。その後、米国と組んで中国を倒す」。
折しも、米ロで役者が交代した。ロシアでは、「米国好き、IT好きのミーハー男」メドベージェフが大統領に。米国では、「戦争大好き男」ブッシュが去り、「平和を愛する男」オバマが大統領になる。こうして米国とロシア、「再起動」(融和)時代がはじまった。
プーチン帰還と米ロ新冷戦再開
2012年5月、親米メドベージェフは去り(首相になり)、プーチン大統領が戻ってきた。しかし、復帰前から、米ロの「再起動」が終わる兆候が出ていた。モスクワを中心に、かつてないほどの大規模「反プーチンデモ」が起こった。そして、プーチンは、「デモの犯人は米国だ!」と非難している。
<ロシアのプーチン首相、デモを扇動と米国を非難
モスクワ(CNN) ロシアのプーチン首相は8日、先の下院選をめぐる不正疑惑に対する抗議デモを米国が扇動していると非難した。>(CNN.co.jp 12月9日(金)11時3分配信)
13年夏、米国は、イギリス、フランスを巻き込んで、「シリア戦争」を開始しようとした。しかし、オバマはプーチンのせいで一度発した「戦争開始宣言」を撤回する状況に追い込まれ、「大恥」をかく結果になった。
プーチンは、どうやって「シリア戦争を止めた」のか?二つの「不都合な真実」を世界に暴露したのだ。一つ目は、化学兵器を使ったのは、米国がいうようにアサド派ではなく、『反アサド派』だった」(あるいは、『両派が使っている』)。
<シリア反体制派がサリン使用か、国連調査官
【AFP=時事】シリア問題に関する国連(UN)調査委員会のカーラ・デルポンテ(Carla Del Ponte)調査官は5日夜、シリアの反体制派が致死性の神経ガス「サリン」を使った可能性があると述べた。
スイスのラジオ番組のインタビューでデルポンテ氏は、「われわれが収集した証言によると、反体制派が化学兵器を、サリンガスを使用した」とし、(以下略)>(AFP=時事 5月6日(月)17時37分配信)
もう一つの「不都合な真実」とは、「反アサド派」に中に「9.11テロ」を起こしたとされる「アルカイダ」がいることである。これを知らされた米国民は、到底容認できない。オバマは、インチキの理由でイラクを攻撃し、失敗したブッシュの二の舞になることを恐れた。それで13年9月、彼はシリア攻撃を断念したのだ。しかし、米国の面目を完璧につぶしたプーチンに対する恨みは残った。
ロシアの隣、親ロシア・ヤヌコビッチが治める国ウクライナで大規模なデモが起こったのは、その2ヵ月後である。14年2月、ヤヌコビッチは首都キエフを捨て、ロシアに逃亡した。3月、プーチンはクリミアを併合し、世界を驚かせた。米国は、「プーチンはヒトラーだ!」とし、世界を巻き込んで制裁を強化している。
孤立したプーチンは、どうしたのか?そう、ちょうど9年前と同じ決断を下したのだ。「中国・ロシア同盟によって米国を滅ぼすしかない……」。だから、(残念ながら)中ロ関係は、これからも強固になっていくと見なければならない。たとえ、プーチンが中国を嫌いだったとしても……。
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