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タイのクーデター:国座に至る道のり
英エコノミスト誌 2014年5月24日号
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40782
軍による突然のクーデターは、短い平穏をもたらすだけだ。
またクーデターで軍が全権を掌握したタイは、この先どうなるのか・・・〔AFPBB News〕
5月20日の戒厳令をきっかけに始まったタイの混乱は、本誌(英エコノミスト)が印刷に回された時点で、軍による本格的なクーデターにまで発展した。
陸軍のプラユット・チャンオチャ司令官はテレビ演説で、軍が秩序を回復し、政治改革を実行すると宣言した。ただし、この言葉が具体的に何を意味するかは不明だった。
軍は、プラユット司令官が演説を行う前から、10以上のテレビ局と数千のコミュニティーラジオ局を閉鎖し、残りの報道機関に対しても、批判的な思考をやめるよう命じた。例えば、ジャーナリストは公的な立場にない人物への取材を禁じられた。
プラユット司令官はその時点で、クーデターは全く考えていないと示唆していた。バンコクの市街地に兵士はあまり配置されていなかった。
軍事クーデターがもたらすもの
プラユット司令官は21日にタイの政治を数カ月前から麻痺させてきたすべての当事者を招集し、ほぼすべての当事者がこれに応じて軍の施設に集まった。与党であるタイ貢献党の幹部、同党が主導する「赤シャツ隊」と呼ばれる草の根運動のリーダー、野党の民主党(野党ではあるが支配階級)、そして支配階級の後押しを受け、政権の打倒を目指し2013年11月から行われている街頭デモを率いているステープ・トゥアクスパン氏といった面々だ。
会合の目的は、選挙による民主主義を実現するための道を探ることのように見えた。翌22日にも再び話し合いが持たれた。しかし、兵士が施設を封鎖し、参加者が集中できる環境を作っていたにもかかわらず、難局を打破する政治的な合意に近づくことさえできなかったようだ。その時点で軍は各派のリーダーを拘束した。
言うまでもなく、目立った欠席者がタクシン・チナワット氏だった。現在ドバイに自主亡命しているタクシン氏は、タイ貢献党をはじめ、2001年以降に実施までこぎ着けた選挙で勝利したすべての政党の創設者である。支配階級側が政治から排除したいと望んでいるのが、タクシン氏の影響力だ。
クーデターはすぐに悪影響をもたらすだろう。金融市場は不安に襲われ、タイを国際資本から切り離す恐れがある。また、暴力が助長されることは間違いない。赤シャツ隊は以前から、クーデターが起きれば立ち上がると宣言していた。政府閣僚を任命制にするというアイデアも、赤シャツ隊の抵抗に遭うだろう。これはステープ氏の計画で、軍も支持するかもしれない。
実際のところ、2013年11月以降、衝突の中ですでに28人が命を落とし、数百人が負傷している。
軍は恐らく、政府派、反政府派双方の抗議活動の拠点を一掃するだろう。しかし、老衰したプミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世)を取り巻く役人、軍、司法、裁判所を街頭レベルで代表しているステープ氏は、支持者に対してタクシン氏とその一族を排除する戦いは続くと断言した。
政治的危機と経済の方向性が定まらないことによる代償は、急速に明確になりつつある。タイの経済企画当局はクーデターの直前に、タイは景気後退に陥ったと発表した。タイは、ほんの10年前には、成長と民主主義を両立した東南アジアの手本としばしば持ち上げられる国だった。
今後何が起きるかを予測するのは難しい。政治的合意によりクーデターが収束し、通常の民主政治に戻ることもあり得なくはない。もっと可能性が高いのは、昔からのエリート層がこのまま国を牛耳り続けるという構図だ。いずれにせよ、プラユット司令官が決めることではない。タイでは、実際に決断を下すのは枢密院と王宮だ。
事態を複雑にする王位継承
国民から尊敬されているプミポン・アドゥンヤデート国王〔AFPBB News〕
経済の停滞、社会的失敗、そして繰り返されたクーデターから抜け出す道を描く作業は、1つの時代、つまり64年続いたプミポン国王による統治が終わりを迎えようとしていることで、非常に複雑化している。
プミポン国王は息子のマハー・ワチラロンコン王子と異なり、人気が高く、尊敬されている。61歳になる王子は変わり者と見られている。ペットのプードルのフーフーのために開いたパーティーで、3番目の妻と裸でいる動画が流出したこともある。フーフーには空軍大将の称号が与えられている。
プミポン国王の時代が終わろうとしている今、王位継承を巡るさまざまな問題も、タイ政治の分極化の要因になっている。社会と軍、王宮の分裂を招く危険もある。
タイでは不敬罪が厳格に適用されるため、現在、プミポン国王の時代が終わりに近づいていることが表立って語られることはない。しかし、国王を守る軍は最近、受け入れ難い知らせを受けた。2013年11月、プミポン国王が、大きな権力を持つ国防評議会が下すすべての決定に対し皇太子が拒否権を行使できるとする布告に署名したのだ。
国防評議会は軍のトップや常任の国防長官が名を連ねる。王位を継承すると見られるワチラロンコン王子が、事実上、国防評議会の上に立ったいうことだ。
王位継承の妨害を考える者は、これでますますやりにくくなる。ステープ氏の支持者は、多くのタイ国民と同じように、王子の妹であるシリントーン王女が王位を継承するという奇跡を祈り続けてきた。王族として慈善活動に取り組むシリントーン王女には、聖人のようなイメージがある。つい先日、街頭で見られた一部の部隊は、王女の色である紫のリボンを身に着けていた。
4月4日に発令された別の布告は、ワチラロンコン王子の親衛隊904部隊(通称ラチャワロップ)の権限を大幅に拡大するという内容だった。ラチャワロップは1978年からワチラロンコン王子の指揮下にある歩兵部隊だ。今後はワチラロンコン王子が護衛を命じた者なら誰でも護衛できるようになり、王子が国家安全保障のために必要と判断すれば、どのような任務にも従事できるようになる。
個人で指揮できる部隊を持つことは、リスクを伴う。1910年にワチラーウット国王(ラーマ6世)は、即位と同時にワイルドタイガー部隊を結成した。その2年後に、憤慨した陸軍将校たちがクーデターを企てた。
ワチラロンコン王子とチナワット家の関係
王子の親衛隊員はほかの兵士より高い報酬を得ている。チナワット家の地盤である北部や北東部の農村地帯からの入隊が目立つ。これは偶然ではないかもしれない。
ワチラロンコン王子は実権を握るため、タクシン氏が国民から得ている正当な支持を利用しなければならないと感じている可能性がある。同様に、タクシン氏も再び首相の座に就くために、王子を必要としているのかもしれない。タクシン氏は過去に、王子が作ったギャンブルの借金を肩代わりしたとされている。
ワチラロンコン王子とタクシン氏が実際に手を結んでいるかどうかは分からない。今年、軍が、タクシン氏の妹で当時首相だったインラック・チナワット氏の護衛に躊躇したとき、王子は自分の兵士を派遣した。
裁判所は今も、古くからの支配階級側にあり、その後、インラック氏を首相辞任に追い込んだ。エリート層にとって今回のクーデターの狙いは、間違いなく、選挙で選ばれた嫌悪すべき政府から権力を奪い返すことにあるが、それには現国王の死後より今の方が容易だと考えているのかもしれない。タイが抱えるリスクは増大する一方だ。
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タイ動乱の原因は不安定な王位と世代間闘争
アゴラ編集部
http://agora-web.jp/archives/1578708.html
立憲君主制で国王は国民から深く敬愛されている。官僚や財界、大企業、都市の富裕層が力を持ち、それらの繁栄と引き替えに農民や工場労働者、貧困層、地方がわりをくっている。政治的にも成熟せず、民主主義が根付いているとはとても言いがたい。これはいったいどこの国のことか、と言えばインドシナのタイです。タイという国には、このように日本と似ている部分が少なからずあります。
こうした国内の矛盾に乗じ、利用したタクシン・チナワット氏が、地方の農民や貧困層の支持を取り付け、2001年の総選挙で政権の座に就きます。タクシン氏が率いるタイ愛国党は、王室や官僚、財界、富裕層、そしてそれらの後ろ盾になっている軍部の既得権を奪う政策を採り、彼らとの確執が深まっていきます。既得権者たちも一定、民主的な「民主市民連合(PAD)」という団体を作り、タクシン派の「反独裁民主統一戦線(UDD)」と激しく対立。PADは軍主導で2006年、タクシン首相を追放したんだが、選挙をするたびにUDDに負けます。両者の争いは、2010年の春、バンコック市内が麻痺状態になる衝突に発展し、2011年5月の総選挙で再度、タクシン派が政権に復帰してしばらくは小康状態を保ってきました。
こうして眺めてみると、既得権者は少数派なので民主的な選挙では劣勢ながら、軍部の力を背景にした実力があり、両者の対立が解消されず、タイの混迷に拍車をかけているように思えます。しかし、タイの民主主義はまだ未成熟で、正常な選挙が行われているとも限らない。これは日本と同じなんだが、情実や利益誘導、地域ボスの圧力がより露骨になされ、タクシンを担いでいる連中がけっして良質な民主主義の体現者だとは限らない、という意見もあります。
タイの権力の腐敗構造は複雑で根深いと言え、当方も以前、タイの軍人やら警察官僚やらの接待に翻弄された経験があります。彼らにしても「心の底から」タイ東北部農村の貧困問題を解決したい、と考えていて、実際にいろいろな行動を起こしている。ところが、自分の利権に関することは絶対に手放しません。
富裕層と貧困層の対立というステレオタイプの図式にまどわされると、こうしたタイの現状があまりよく理解できないでしょう。すでに世界最長の王座に就いているタイ国王ラーマ9世プミポン王は今年87歳になる。当然、後継者問題もあるんだが、存命の間に次期王位について言及するのは「不敬」である、という圧力があり、タイ国民の間でもマスメディアでも議論は真剣になされてはいないようです。盤石にみえるプミポン国王の王位もその年齢と後継者難により不安定化している、と言えます。
また、日本にも戦前あった枢密院がタイの実権を実質的に握り、枢密院のプレム・チンスラーノン議長自身が反タクシンの黒幕、という話もある。しかし、チンスラーノン議長も93歳と高齢であり、その威勢にも衰えが見え始めています。高齢者が後進に禅譲せず居座る、というのも日本とよく似ている。ちなみに、チンスラーノン議長も積極的に慈善活動をやっています。こうしてみると、タイの混乱は世代間闘争という側面があり、また王室周辺の権力構造と王位の「不安定さ」も大きな原因、と言えるでしょう。
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