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若い力 変化促す
12億人、経済底上げ期待
「世界最大の民主国家」インドで10年ぶりの政権交代が起こる。21日にも新首相に就任するナレンドラ・モディ氏(63)が率いるインドの行方を追う。
「あなたたちの愛と励ましに感謝している。これはモディの勝利ではない。国民の勝利だ」
総選挙の開票から一夜明けた17日、モディ氏はニューデリー中心部のインド人民党本部前で集まった支持者に語りかけた。
「モディ! モディ!」。支持者の若者たちはオレンジ色に顔や体を塗り、スマートフォン(スマホ)を片手に気勢を上げた。
平均年齢20代
モディ氏は若者のための政治を強調する。平均年齢20代半ばのインドは世界でも際立って若い。12億の人口は15年以内に中国を抜き世界最多となる。モディ旋風を巻き起こしたのは「変化」を求める若者たちの声だ。
成長鈍化のなか、投資ブームで隠されていた構造問題が浮き上がった。経常収支と財政収支の双子の赤字でインフレが進み、料理に不可欠のタマネギの値段は昨年、一時3倍に上がった。汚職と縁故主義が広がり、社会にはなお厚いカーストの壁が残る。閉塞感のなか若者たちの改革への願いは切実となった。
「有権者は王朝の継続を拒否した」とモディ氏の側近の一人は言う。与党は初代ネール首相ら3世代にわたり指導者を輩出した「ネール・ガンジー王朝」の御曹司ラフル・ガンジー副総裁(43)を事実上の首相候補に据えたが、野党による世襲批判の標的となっただけだった。低カースト出身で紅茶売りから立身出世したモディ氏の「インディアン・ドリーム」を引き立てた面さえある。
シン首相(81)は17日、テレビ演説で「偉大な国家に奉仕するため最善を尽くした」と政権を率いた10年を振り返った。シン氏は財務相として1990年代初めの経済開放を主導した経済通の政治家だ。選挙の結果にかかわらず引退すると決めていた。「選挙は民主主義の基盤を強くした」と語ったが、表情には惨敗への落胆もにじんだ。
「与党の失敗は分配政策に傾斜しすぎたこと」と地元エコノミストは口をそろえる。多額の補助金や行政の肥大化が経済の活力を奪った。対するモディ氏は「最小のガバメント(政府)で最大のガバナンス(統治)を」と訴えた。
インフラ投資では現在、1800億ドル(約18兆円)もの案件が土地収用や認可の遅れで停滞しているとされる。ざっと国内総生産(GDP)の1割。こうした機会損失を取り除くだけでも経済は大きく底上げされる。
決断力求める
有権者には「決められない政治」へのいら立ちもあった。合意形成を重んじる伝統に反しモディ氏はトップダウン型の即決政治を主張。「様々な政策が大きく転換する可能性がある」とデリー大学のキラン・トリパティ教授は言う。
懸念はくすぶる。「モディ氏には首相になってほしくない」。指導者としての資質に疑問を向けるのは、ノーベル賞を受賞したインド出身の経済学者アマルティア・セン氏だ。権力を握ったモディ氏がヒンズー至上主義的な側面を強めかねないと懸念する。
2002年にグジャラート州でヒンズー教徒が多数のイスラム教徒を襲った事件で州首相のモディ氏が適切な対応を取らなかったのではないかと指摘される。非ヒンズー国民の不安は拭えない。
それでも、8億人を超す有権者が選んだ道はモディ氏の改革に賭けることだ。毎年1千万人以上が労働市場に参入する若者に仕事を提供しつつ貧困と闘い、社会の近代化に取り組むインド。それを民主主義の体制で進めようとする点に野心の大きさと困難さがある。
アジアに台頭する「もうひとつの大国」で始まる実験の成否を世界が見つめる。
(ニューデリー=岩城聡、ムンバイ=堀田隆文)
[日経新聞5月18日朝刊P.5]
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巨大市場 扉開くか インフラ整備、外資規制緩和へ
インド・グジャラート州中央部サナンド。東京ドーム4千個分の地域に経済特区がつくられ、米フォード・モーターなどが工場建設を進めている。のんびりと牛が歩いていたでこぼこの泥道は8車線に変わり、電力や水の供給網も一新されるという。「想像もできない変化だよ」。地元の住民も目をまわす。
州は3千億ルピー(約5100億円)の投資を呼び込む計画で、26万人の雇用創出を見込む。ほかにも州内では10以上の地域で同様の開発が進む。スズキやホンダなどが投資を計画しており、州の乗用車生産能力は2017年に現在の2倍の80万台に達し、一躍、自動車産業の集積地となる。
電力供給3倍に
「グジャラートの奇跡」。平凡なインドの田舎を生まれ変わらせた魔法は次期首相モディ氏の功績とされる。01年に州首相に就任するとインフラ整備の加速を真っ先に指示。州の電力供給能力は10年で3倍に増え、現在は需要を約2割上回る。徹底した親ビジネス路線で企業の投資を呼び込み、州は過去10年間2ケタ成長を続けた。
モディ氏はグジャラートの成功を国家レベルで再現しようとしている。インフラ整備に加え「煩雑な税制や規制を簡素化すれば投資は戻るはず」と同氏の側近は言う。
「行き過ぎた規制を妥協なく取り除くことは成長の必須条件だ」。インド準備銀行(中央銀行)のラジャン総裁は昨年、日本経済新聞社のインタビューで強調した。
インドではピーク時に国内総生産(GDP)の15%を超えた企業投資が10%前後にまで急減速。「インドは世界の信頼を失いつつある」と現地財閥タタ・グループのラタン・タタ名誉会長は危機感をあらわにした。
第一三共やNTTドコモなど日本勢も撤退の動きが相次ぐ。09年に2600億円を投じ現地企業に出資したドコモ。関係者は行政の迷走で撤退に追い込まれたと語る。
しかし、長期的に見た市場の潜在力への期待は変わらない。スマートフォンの出荷台数は3カ月で1500万台を超える。チャットアプリの米ワッツアップや、中国のネット大手騰訊控股(テンセント)が運営する微信(ウィーチャット)は半年足らずでそれぞれ1千万人単位の新規利用者を獲得している。
地の利生かす
アジアと中東・アフリカをつなぐ地理的な利点もある。日産自動車と仏ルノーは南部チェンナイ近郊の工場をアフリカなどへの輸出拠点に育てる方針だ。「中国や東南アジアの賃金が上昇するなか、インド労働者の競争力に改めて注目が集まる」と政府の誘致担当者は期待する。
国家版「モディノミクス」には懐疑論もある。アラビア海に面し輸出拠点として有利な地理に恵まれるグジャラート州と異なり、伝統的な農業に依存する他の地方都市が一足飛びに製造業を誘致するのは難しい。
新政権がすべての分野で開放に動くとも限らない。モディ氏のインド人民党(BJP)は、米ウォルマート・ストアーズなどが熱望してきた小売り分野の市場開放については、反対姿勢をすでに表明。膨大な数の国内の零細小売業者に配慮した。
赤いテープ(規制)から赤いカーペット(企業誘致)へ――。モディ氏が選挙期間中に訴えたスローガンへの期待は大きいだけに、実現に移せなければ失望も大きい。
(ムンバイ=堀田隆文)
[日経新聞5月19日朝刊P.]
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目覚める大国意識 国際社会に期待と警戒
「ぜひワシントンへお越しを」
インド総選挙で勝利しモディ氏の次期首相就任が確実となった16日、米国のオバマ大統領は電話で祝意を伝えると同時に早期の訪米を要請した。
欧米が取り込み
儀礼的な会話にも聞こえるが、実は米国にとって重大な方針転換だった。米はブッシュ政権下の2005年、訪米しようとしたモディ氏へのビザ発給を拒否した。ヒンズー教徒によるイスラム教徒の虐殺でグジャラート州首相として適切な対応を取らず「宗教の自由の重大な違反」を犯したとの理由だった。
この理由で米がビザ発給を拒否したのは過去にモディ氏1人だけ。以後「ヒンズー至上主義者」とのレッテルを貼られたモディ氏は渡米を認められていなかった。
伏線は2月13日にあった。米国の駐印大使は代々モディ氏との接触を禁じられてきたが、ナンシー・パウエル大使がグジャラートを訪問。モディ氏は大きなバラの花束を差し出すサプライズで彼女を歓迎した。
旧宗主国・英国のキャメロン首相も16日、早期の訪英を要請。一時は厄介者扱いされていた人物がいまや各国で引っ張りだこだ。大国意識に目覚め国際社会で新たな役割を模索するインドを戦略的に取り込むことが各国の重要な外交課題となっている事情がある。
米ヘリテージ財団のリサ・カーティス氏は「テロ対策や開かれた自由な海路の確保、台頭する中国への対応など、米とインドは似通った戦略目標を共有している」と指摘。「宗教的な分断主義者にはならないと言うモディ氏にチャンスを与えるべきだ」と語る。
「モディ政権の最優先課題は経済の再建。外交も国益につながる経済が軸となる」とインド人民党(BJP)の関係者は言う。中東イスラム諸国との関係強化が戦略的に重要となるなか「単なるヒンズー・ナショナリストでは外交はできない」(佐藤隆広・神戸大学教授)とみられる。
一方で警戒もくすぶる。隣国のイスラム国家パキスタンはBJP政権のヒンズー主義傾斜を特に不安視している。
モディ氏は2月、中国との領土問題を抱える北東部アルナチャル・プラデシュ州で「中国は領土拡張主義的な政策を止めるべきだ」と演説。インドとの友好な関係の継続を当然視していた中国を驚かせた。
新興国の代弁者
4月に北京で開かれた印中戦略対話で中国の劉振民外務次官は「だれが権力の座につこうと協力は続く」と述べたが、発言には懸念がにじんだ。
戦後の国際秩序のなかでインドは「内向きの国」とみられることが多かった。1947年の独立以来、同国の外交は東西両陣営と距離を置く「非同盟主義」が軸。冷戦時代は中国と対立する一方でソ連と親密な関係を築いたが、ソ連が崩壊すると「全方位外交」を掲げた。
しかし、2000年代に入り「BRICS」の一角として台頭し、新興国グループの代弁者として自己主張を強めると、欧米先進国と対立する場面も増えた。
モディ氏も大国にふさわしい存在感を発揮していない現状に不満があるとされる。
「新政権はより強硬な外交路線を敷くだろう」とデリー大のアショク・アチャルナ教授は予測する。モディ外交の方向性はなお見えず、国際社会には期待と警戒が入り交じっている。
(ニューデリー=岩城聡)
[日経新聞5月21日朝刊P.6]
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