http://www.asyura2.com/14/asia15/msg/327.html
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タイ:プラユット陸軍司令官…忠実な王党派
2014年5月23日(金)毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140524k0000m030097000c.html
22日にクーデターを決行したプラユット陸軍司令官(60)は陸軍の精鋭部隊、王妃親衛隊出身で、王室の中でも特に王妃に近いとされる。親衛隊OBらで作る軍内部の最有力派閥「東の虎」グループの中心人物として力を振るってきた。
忠実な王党派で、かつてテレビ番組に出演した大学教授が王室に批判的な発言をした際は「王制がいやならタイから出て行け」と不快感をあらわにした。
東北部ナコンラチャシマ県出身。直情径行な性格とされ、記者の質問にぶっきらぼうな口調で答えることも多い。だが「本来は温厚」(地元メディア)との見方も。2010年10月に陸軍副司令官から、事実上のタイ軍トップの座に就いた。
11年7月の総選挙の際は、タクシン派の優勢が伝えられる中で「国民は正しい選択をすべきだ」などと、選挙介入とも受け取られる発言をした。しかし、翌月インラック政権が誕生すると「軌道修正」。インラック前首相と比較的良好な関係を築いた。このため、反政府デモ隊を率いるステープ元副首相から批判されることもあった。
一気に全権掌握に踏み切ったことについて、浅見靖仁・一橋大大学院教授(東南アジア研究)は「混乱が続いて何もできないとなれば軍の威信に関わる。(プミポン国王は86歳となり)王室の後継問題が迫る中で、混乱を早く収めるために荒療治に出た側面もあるのでは」と話した。【小泉大士】
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実権握ったプラユット司令官、デモ鎮圧のエリート
2014.5.23 産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140523/asi14052320060008-n1.htm
【シンガポール=吉村英輝】クーデターでタイの実権を握ったプラユット司令官(60)は、国王が統帥する同国軍の実質的なトップだ。バンコクに司令部を置き、過去のクーデターにも関与してきた第1軍管区で経歴を重ねたエリートで、2006年の前回クーデターでは主導者のソンティ陸軍司令官を補佐した。
10年のタクシン派によるデモの強制排除では鎮圧を指揮し、90人以上の死者を出した。当時の首相が民主党のアピシット党首、副首相が反政府デモ隊を率いるステープ元副首相だ。
反タクシン政権下で10年、陸軍司令官に昇格。だが、11年にタクシン元首相の妹のインラック氏が首相になると、同氏と良好な関係を築き、今回の政変でも中立を掲げた。
普段は口調が丁寧で物腰が柔らかいが、記者から再三クーデターの質問を受けると、「二度とその質問はするな」と語気を強めるなど、短気な側面も見せる。
今年9月に定年退官を控えているが、国王に忠誠を誓う立場から、暫定政権を軌道に乗せるまで陸軍司令官の座にとどまるとの観測も出ている。
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【タイのクーデター】陸軍総司令官はなぜ決断したのか
Reuters 2014.5.23
http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/22/thailand_n_5377046.html
[バンコク 22日 ロイター] - タイのプラユット陸軍総司令官は22日、対立する政府派・反政府派の指導者らをバンコク市内の陸軍施設に集め、半年にわたって続いている政治混乱の収束を目指した。
しかし、会議開始から約1時間後、プラユット氏の我慢は限界に達した。
会議に立ち会った関係者によると、プラユット氏は出席者に向かって「この国に平和をもたらす方法が見つからず、誰も引き下がろうとしない。それなら、私が権力を握ることを宣言したい」と、落ち着いた様子で話したという。
「全員、静かに座っているように」。これがプラユット氏が発した言葉だった。
タイのクーデターが成功するのは1932年に立憲君主制に移行して以来、12度目。プラユット氏がクーデターを決断した背景には、対立する双方が態度を変える兆候がなかったことにある。
会議に出席した関係者2人は、インラック政権の幹部らが辞任しない意向を示したと説明。インラック前首相は2週間前に憲法裁判所の判決で失職したが、閣僚らは暫定政府として政権運営を担っていた。
関係者は「つまり、誰もが何にも同意しなかった」と会議が不調に終わったと語る。
事態が急変したのは、反政府派指導者のステープ元副首相がプラユット氏と話をさせてほしいと申し出、そこに政府派の指導者Jatuporn Prompan氏を招いた時だった。会議参加者らはその場の会話の内容については分からないとしているが、プラユット氏にとってはそこが我慢の限界になったようだ。
「その後、事態は急展開した」。会議に出席した政府派の指導者の1人は、こう振り返る。プラユット氏が会場を後にすると、兵士が会議場に入ってきたという。
その後、プラユット氏がテレビでクーデターを宣言したが、会議場の陸軍施設では兵士らがステープ氏を取り囲み、同氏を車で連れ出した。施設の外にいたメディアは、この様子で何か異変が起きたことを初めて知った。
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