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中越関係はまさに一触即発!? アメリカの存在感が低下した東アジアはますます不穏な状態に
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39284
2014年05月19日(月) 近藤 大介 北京のランダム・ウォーカー 現代ビジネス
ベトナムで反中デモ
「われわれはベトナムを愛する!」
「いまから東部海域に向かおう!」
若者たちが、右腕を振り上げながら練り歩く。
ベトナムの反中国運動が、西沙諸島の領有権問題からエスカレートしている。5月15日には、ベトナムの中国・台湾系企業で働く中国人従業員6人が殺害されたことが明らかになった。
ベトナムから送られてくる映像を見ていると、若者の企業荒らし、雄叫び、工場に上がる炎・・・。どこかで目にした風景ではないか。
そうだ。2年前の秋に、中国全土で日系企業が被害に遭った時の光景だ。あの時も、日本が実効支配している尖閣諸島を国有化するという島嶼部の領土問題が原因だった。今回も、中国が実効支配している西沙諸島の海域で石油の掘削作業を始めたことにベトナムが抗議したものだ。
まさに因果応報、歴史は繰り返すものだ。2年前は、中国にある日本の所有物が、これでもかというほど壊されたものの、日本人が殺害されることはなかった。その意味では、今回のベトナム人の中国に対する「怨念」は凄まじいものがある。
■堪忍袋の緒が切れて事態は一触即発
そもそもベトナムの歴史を振り返っても、「北の大国」中国との戦争の歴史である。ベトナムの漢字表記「越南」は、古代の浙江省に栄えた越国が、呉越戦争を経て南に落ちのびたことが由来だと言われる。その後、ベトナムは2000年以上にわたって、中国の支配と独立に揺れた。その点は、朝鮮半島の歴史と似ている。漢字文化でありながら、漢字を捨ててしまったところも共通項だ。
いまの中国は、建国から3ヵ月後の1950年1月にベトナムと国交を結んだ。「ベトナム独立の父」ホーチミン首相の時代は、毛沢東率いる中国との蜜月関係が続き、ベトナム戦争も、中国が北ベトナムをバックアップして勝利した。このあたりの歴史も、朝鮮戦争で中国の支援を受けた北朝鮮と似ている。
そしてベトナム戦争で勝利してから4年後の1979年、ベトナムが中国の友好国カンボジアの紛争に介入したことで、ケ小平の怒りを買い、中越戦争となった。1984年には再び大規模な国境紛争が起こった。1988年には、南沙諸島で中越衝突が起こっている(赤爪礁海戦)。いずれの戦いも、大量の軍を投入した中国側の勝利に終わったため、ベトナム側の恨みは大きい。
さらに今回の争点である、南シナ海に浮かぶ多数の珊瑚礁の小島・西沙諸島(パラセル諸島)の歴史も複雑だ。もともとは無人島で、ベトナムを植民地支配したフランスが管理していた。1954年に第一次インドシナ戦争が終結し、フランスが撤退。ベトナム共和国(南ベトナム)が西半分を、中国が1956年以降、東半分を実効支配した。
それが、ベトナム戦争中の1974年1月に、中国とベトナムで西沙諸島の戦いが起こり、中国が西沙諸島全体を実効支配するに至った。1988年、中国が西沙諸島最大の永興島(2.1km)に、2600mの滑走路を建設。2007年11月には中国が、西沙、中沙、南沙を管轄する三沙市を海南省に制定し、支配を強めていった。
2014年5月2日からは、中国海洋石油総公司(CNOOC)が海底資源探査を実施し始めた。
そのため、領有権を主張するベトナム側の堪忍袋の緒が切れて、5月7日、中国海警局の艦船とベトナム沿岸警備隊の艦船が衝突した。この衝突でベトナム側が6人負傷。ベトナム沿岸警備隊がビデオを公開し、中国側が衝突する映像が流れたため、ベトナムで大規模な反中運動が展開されたというわけだ。
現在、西沙諸島では中国側の艦艇60隻と、ベトナム側の艦艇35隻が睨み合っていると報じられている。どちらの軍も増派が見込まれ、ますます一触即発になってきた。
中国船とベトナム船が衝突した瞬間
■中国はいまや最大の貿易相手国だが
以前、ベトナムへ行って多くの人々を取材して分かったのだが、彼らは極めて勤勉で、強烈な自負心を持っている。私はベトナム副首相が述べた次の言葉が忘れられない。
「われわれは独立を求めてフランスと戦争し、日本軍に抵抗するため戦争し、ベトナム戦争でアメリカと戦争し、その後、中国とも戦争した。過去100年のベトナム史は、戦争に次ぐ戦争の歴史なのだ。4大国と戦争したわれわれは、いまや世界のどの国をも恐れていない」
実際、ベトナムへ行くと分かるのだが、彼らの反中感情たるや凄まじい。日系企業を視察した時、目のクリクリしたアオザイ姿の女の子に、中国の話を聞いたとたん、憎悪の瞳に変わってたじろいでしまった。同じ社会主義国なのにと思うが、両国の歴史を見ると、毛沢東とホーチミンの蜜月時代が、むしろ例外だったと見るべきだろう。
中国とベトナムの関係が復活したのは、1991年にベトナム共産党のドメイ総書記が訪中し、江沢民総書記と握手を交わしてからである。1992年11月に李鵬首相がベトナムを訪問し、以後は毎年のように両国の首脳が往来した。ちなみに習近平主席も、副主席時代の2011年12月20日から22日まで、ベトナムを訪問している。
その結果、いまやベトナムにとって、中国は最大の貿易相手国である。2013年の両国の貿易総額は500億2,100万ドルに達し、前年比22%アップした。内訳は、中国からベトナムが236億ドルで、ベトナムから中国が264億ドルである。
特に多いのがベトナム米の対中輸出と、中国企業のベトナム進出だ。中国企業のベトナムでの投資総額は205億9,000万ドルに達し、前年比38.7%増である。2009年8月には、北京に社団法人中越貿易促進会も発足させている。
■間の悪さが際立った中国外交
だが今回、中国にとって非常に間が悪いことがあった。それは第一に、大使不在問題である。駐ベトナムの中国大使は、次期日本大使の噂も上る孔鉉佑大使で、ハノイの外交界では名物大使として知られていた。だが孔大使は4月で任期切れとなり、そそくさと帰任した。
具体的には、孔大使がハノイの大宇ホテルで盛大な離任パーティを開いたのは、4月10日の晩だ。その前日には、ベトナム戦争で殉死した94人の中国人烈士が眠る中国烈士陵に参拝を行っている。この二つが、大使としての最後の行事だ。
その後、後任の洪小勇大使がハノイに到着したのは、5月11日の晩である。つまりその間、約1ヵ月の「外交の空白期間」を生んでしまったのである。
洪小勇大使の初仕事は、ハノイの中国大使館のHPに、次のような警告文をアップすることだった。
〈 ベトナムの中国系企業と従業員の人身と財産の安全注意を促す
最近、ベトナムの反中国勢力がデモ活動を活発化させていて、ホーチミン市では、中国系企業の破壊事件が起こった。大使館としては、各企業に安全防犯活動を促し、不必要な外出は控えるよう求める。もしも突発事件が起こった場合には、中国大使館に連絡すること。電話番号は・・・ 〉
翌々日にはこの警告文が「バージョンアップ」され、ホーチミン市だけでなく7都市の名前が「危険な町」に加えられた。
また、洪新大使が、習近平主席からの信任状の副本をベトナム外務省に提出したのは、5月14日のことだ。中国は「外交の空白」によって関係を悪化させてしまい、その結果、亀裂が最高潮に高まった時点で国家元首の信任状を渡す。このような「間の悪さ」は、明らかに中国外交の失点である。
間が悪かった2人目は、李克強首相である。
李克強首相は、昨年10月にベトナムを訪問した。中国経済の司令塔である李克強首相にとって、南の国境を接する台頭著しいベトナムは、ぜひとも取り込んでおきたいパートナーである。
10月13日には、李首相はベトナムのユエンプヨン首相と首脳会談を行い、二人揃って記者会見した。その際、李首相は次のように述べている。
「私は今回、ベトナムとの確固とした友好関係を築くためにハノイを訪れた。今日この中越首脳会談において、両国の提携は新段階に入ったことを宣言する。中越海上共同開発交渉業務グループ、インフラ整備提携業務グループ、中越金融提携業務グループだ。この3頭の竜が両国関係を牽引していく。北部の海岸地域も、両国で大規模に開発していく」
これは勝手な想像だが、李克強首相は、ベトナム船に衝突していく中国当局の強硬路線を、苦々しく見ていることだろう。
さらに間の悪いのが、習近平主席だ。習主席は、今年11月に北京で行うAPEC(アジア太平洋経済協力会議)と共に、5月20日と21日に上海で行う国際会議「亜信」である。この聞き慣れない国際会議は、日本語では「アジア相互協力信頼醸成会議」と訳している。英語名はCICAだ。
5月15日には、中国外交部の程国平副部長が、CICAの記者会見を開き、次のように述べた。
「『亜信』は、1992年にカザフスタンのナジャルバエフ大統領が提唱して始まった、アジアの安全保障問題を話し合う場で、現在24ヵ国、13のオブザーバーを抱えている。今回の上海大会は第4回総会で、習近平主席が主催する。参加者は、46の国と国際組織の幹部で、ロシアのプーチン大統領を始めとする11人の国家元首、2人の政府首脳、10人の国際組織トップが含まれる。
今回の会議のスローガンは、『アジアの対話を強化し、信頼と提携を進め、共に平和を築き、安定と提携の新たなアジアを築く』。20日晩には、習近平夫妻主催の歓迎パーティと文芸鑑賞会を開催する。大会は『上海宣言』を発表する予定だ」
習近平主席は、このようなアジアの平和の祭典を準備していたというのに、世界に映る中国の姿は、ベトナム船への強引な衝突と、ベトナム中で巻き起こる反中デモなのである。
この間の悪さを隠すため、中国政府は新華社通信以外の中国メディアに、ベトナムのデモを報じることを禁じてしまった。
■「太平洋の西側を中国に任せてはおけない」
ところで、平和の国際会議「亜信」の最中に中越危機という事態は、2月に、ロシアでソチ五輪の最中にウクライナ危機が起こったのと似ている。
ちなみに、プーチン大統領をこの上なく敬愛している習近平主席は、『プーチン文集 2012 - 2014』を、外交部傘下の世界知識出版社から出版させた。5月13日には、ジェニソフ駐中ロシア大使を招いて盛大な出版パーティを開いている。この本の序文は王毅外相が執筆し、プーチンの偉業は中国がいかに学ぶことが多いかを説いている。
習近平主席は上海で、今年2回目のプーチン大統領との中ロ首脳会談を開き、天然ガスや戦闘機の新規購入を発表すると観測されている。さらに中ロ合同軍事演習を行うのだという。ますます「平和の祭典」の主旨から遠くなる。
ついでにもう一つ、中国の間の悪い外交を開陳しよう。今回のベトナム船への衝突を重視したアメリカは、国務省報道官が中国を名指しで非難した。これによって、米中間に緊張が走った。
ところがそんな中、5月13日から、房峰輝総参謀長を団長とする中国人民解放軍の代表団が、アメリカを訪問しているのである。同日、房総参謀長らはカリフォルニア州サンディエゴで、空母「ロナルド・レーガン」と駆逐艦「カロラート」に乗船した。
14日にはアメリカ軍事アカデミーを訪問し、15日にはペンタゴンで、デンプシー米軍統合参謀本部議長と、米中軍事会談を行った。
会談後の共同記者会見は、米中軍トップの応酬となった。
房峰輝「中国の領海内での正当な作業(石油採掘探査)を、ベトナムが不当に妨害しただけの話だ。中国は当然、作業を継続する。アメリカには、客観的な態度を取るよう望む。そうでないと良好な中米関係を阻害することになる」
デンプシー「中国が軍を派遣して紛争を解決しようとすることは、挑発的なやり方であり、地域のリスクを高める危険な行為だ」
習近平主席は、「太平洋の東西を米中で二分する」という、アメリカとの「新たな大国関係」を目指している。今回、房峰輝総参謀長らをアメリカに派遣したのも、その「大国軍事交流」の一貫である。
だが、両トップは会見で互いに目線を合わせることすらなく、かえって米中の齟齬を見せつける会見となってしまった。アメリカが今回、中国をあえて非難したのは、「太平洋の西側を中国に任せてはおけない」という意思表明にも受け取れる。
■パキスタンのようにいかない東アジア諸国
どうにも気分が収まらない習近平主席は、5月14日、人民大会堂でパキスタンのブハリ下院議長と会見した。中国とパキスタンは、両国の蜜月関係を「全天候型の関係」と呼んでいる。晴れの日から雨の日まで、いつでも蜜月関係というわけだ。習近平主席は、次のようにぼやいた。
「中国とパキスタンの関係は、国と国との関係の理想型だ。パキスタンが常に、中国の核心的利益と重大な関心事項に対して、中国を支持してくれることに感謝する。両国の国民も、本当に信頼関係で結ばれている。両国で、シルクロード経済地帯と21世紀の海上シルクロードを建設しようではないか」
周辺諸国が、「模範国」のパキスタンのようにいかないところが、習近平主席の悩めるところである。
ところで、ベトナム並みに中国に対して対抗意識を見せているのが、日本の安倍晋三首相である。5月15日夕刻、安倍首相が記者会見を開き、集団的自衛権を認める憲法解釈の変更を宣言した。
30分余りに及んだ記者会見で、安倍首相は「北朝鮮の脅威」を述べたが、「中国」という国名はあえて挙げなかった。だが、安倍首相がしきりに説明に使っていたパネルでは、明らかに中国大陸と思しき「国家」を脅威対象例に見立てていた。また、西沙諸島の中越紛争について記者から質問が出ると、険しい顔つきで「現状の変更は認めない」と述べたのだった。
かくして、アメリカの存在感が低下した東アジアは、ますます不穏な状態になってきた。
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