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朴槿恵「反日大統領」の深い孤独
相談相手は「デスノート」と呼ばれる手帳だけ。今日も「槿恵ビーム」で周囲を威圧する――
加藤 達也(産経新聞ソウル支局長)
文芸春秋 2014年4月号
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/994
韓国・朴槿恵(パク・クネ)政権が成立して一年が経過したが、反日政策が止まらない。
年が明けても、フランスのアングレーム国際漫画祭に虚偽の事実に基づく慰安婦作品を出展したり、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを阻止する外交活動を展開したり、いぜんとして「反日」花盛りだ。
最近、日本の知人から「朴大統領とは、そもそもどのような人物なのか」と質問されることが多くなった。
疑問に思うのは、「就任してから日本の首相とただの一度もまともに話そうとしないのはなぜか」「国際社会に向け告げ口外交を繰り返すのはなぜか」「日韓関係を今後、どうしようとしているのか」といったところだろう。
だが、その疑問の答えを朴大統領自身から聞こうと耳をそばだてても「正しい歴史認識」を求める以外に日本について語らない。大統領に“右へならえ”の側近高官らの言動からも、大統領の胸中は見えてこない。
朴大統領の国家指導者としてのキャラクターを決定付けているキーワードの一つは、「孤独」である。
今年一月六日、大統領府(青瓦台)で就任後国内初となる記者会見が開かれた。私はそのとき、大統領就任後では初めて朴氏を間近に見た。
就任後、国内での会見が開かれないことに、韓国メディアからは「側近だけでなく、国民の代表であるメディアとも意思疎通が不十分で、庶民の気持ちが分からない」という意味で、「不通(プルトン)大統領」というニックネームまで付けられた。
たしかに、歴代大統領の就任後の記者会見の開催状況を比べると、朴大統領の“引きこもり”ぶりが際立つ。
朴大統領の場合、国内の初会見は就任からなんと三百十六日、約十カ月が経過していた。前々任の盧武鉉大統領の初会見は就任十八日後、前任の李明博大統領は四十九日後である。朴大統領が初会見を開くまでの期間(三百十六日)に、盧元大統領は十一回の記者会見を開いていた。朴大統領が、いかにメディア嫌いで内向的な傾向が強いかが分かる。
側近たちを視線で「威圧」
この新年の記者会見で、朴大統領に韓国メディアがこんな質問をしている。
「大統領は日々の業務終了後、公邸でなにをされていますか。報告書を読むという国民が知っていること以外のことを、お教えください」
これに対し朴大統領は、こう答えた。
「実際に報告書を読む時間が最も長いです。私にとっては、国民が苦しむ様々な問題が解決され、国民が喜ぶこと以上の楽しみはないのです」
それだけでは面白味に欠けると思ったのか、二匹の犬を飼っている話を披露した。
「犬と一緒に(執務室から)出てきて、記者の皆さんに挨拶する時間も持てばいいのだろうな、と考えます」
だが最後は結局、「国民の生きにくい部分が解決される以外に、私の疲れが除かれることはありません」と優等生の回答に終始した。
韓国では、新年を旧暦で祝う。今年は一月三十日から二月一日までの三日間が旧正月の公休日で、企業や官公庁では、続く日曜をあわせて四連休だった。この時期、韓国人の多くが故郷へ帰って、親族や家族と過ごすのが一般的である。
二月二日生まれの朴大統領は、連休最終日は六十二歳を迎える誕生日でもあった。だが、メディア報道によると、朴大統領は四連休を外出することもなく、家族や親戚、友人と過ごすこともなく、一人青瓦台で過ごしたという。
会見終了後、朴大統領は、きっちりとセットされた髪型で少々猫背気味に、狭い歩幅でゆっくりとした歩調を保ちつつ移動しながら、記者の前で立ち止まっては次々に握手と短いあいさつを交わしていった。
朴大統領を間近に見るのは、大統領選挙前にソウル外信記者クラブで開かれた会見以来だった。改めて間近にすると、こんなにも小柄で肩幅が狭い女性だったのかと思った。
握手した手はしなやかで温かかった。マイクとスピーカーを通さずに聴いた肉声は低音で落ち着きを感じさせる。顔の色つやも年齢の割に若々しく、化粧の乗りもいい。“張り詰めた圧迫感”を受けるものの、「姫」と言われるだけの気品も感じる。強硬な反日姿勢を続ける頑なさは、この人物のどこから来るのだろうかという思いが膨らんだ。
つづく
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