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「南スーダンに取材に入っていた。現地でPKOに加わる自衛隊の指揮官からある深刻な話を伺った:三浦英之氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/14066.html
2014/5/3 晴耕雨読
https://twitter.com/miura_hideyuki
南スーダンに取材に入っていた。
集団的自衛権に関する取材だったが、現地でPKOに加わる自衛隊の指揮官からある深刻な話を伺った。
今年1月、宿営地近くで銃撃戦が起きた。
その際、彼は全隊員に武器と銃弾を携行させ、万一の場合に備え、「命を守るために撃て」と命令を下していたというのだ 質問に答えたのは井川賢一・派遣隊長。
当時、南スーダンではクーデター未遂が発生し、民族紛争に発展して、事実上の内戦状態に陥っていた。
日本のPKO派遣は「非戦闘地域」が前提条件。
正当防衛以外には武器使用ができない。
その中で指揮官は何を考えたのか。
インタビュー形式で紹介したい
▼昨年12月半ば、宿営地のある首都ジュバで大規模な戦闘が起きました
▽ 与えられた任務を予定通りできるだろうかと考えました。
漠然と(PKO施設の)外には出られないだろうなと。
予想以上の戦闘状態。
まさか民族が分かれて(戦闘を)やるということまでは想定していなかった
▼国連のPKO施設に避難民が押し寄せてきた
▽自衛隊の宿営地近くにPKO施設の西門があるのですが、12月16日朝、その前に人が集まり、昼過ぎにもう耐えきれないと門を開放しました。
避難民が雪崩のように入ってきたが、自衛隊の宿営地に入ってこようとした避難民はいませんでした
▼戦闘のかなり近くにいたのではないですか
▽ええ。
だから、指揮官として、色々な状況を想定しました。
政府軍と反政府勢力との戦闘に巻き込まれるのではないか、その場合はどう対応すべきか。
真剣に考えました
▼武器を使わなければ生命を守れない、現実にはそういう状況があるのではないでしょうか
▽(かなり考え込んで)あると思います
▼その際、様々なオプション(選択肢)を考えるのですよね
▽ (さらに考え込んで)考えます……。
実はですね……、これはまだどなたにも話していないのですが、今年1月5日、勤務中にこの(宿営地の)近くで銃撃戦がありました
▽中部ボルはすでに反政府勢力に占拠され、その勢力が南下してくるとの情報があった。
さらにその日の作戦会議で「ジュバの西側約200`にいる反政府勢力がジュバに向かって前進中」「南方からも反政府勢力が北上している」との報告があった。
その日の夕方、近くで銃撃戦が始まったのです
▼その時の印象は
▽「とうとう始まったか」と。
戦闘に巻き込まれた場合、政府軍と反政府勢力が宿営地の土塁に上がって互いに撃ち合う可能性があった。
政府軍からすれば避難民は敵。
虐殺が始まる可能性もあった。
政府軍から追われた避難民が自衛隊の宿営地内に流入してくることも想定しました
▼インドの派遣部隊は似たような状況に遭い、PKO要員が死亡している
▽そうですね、時期は違うが、アコボで避難民が押し寄せてきた際、流れ弾に当たってインド兵が死亡しています。
私としては万が一の場合、隊員を死なせるわけにはいかない、だから……
▽最低限の自衛だけはさせる必要があると考え、全隊員に武器と弾薬を携行させました。
だが、我々は任務遂行型の武器使用ができない。
避難民を守るために撃てとは命じられない。
よって隊員には「各自あるいは部隊の判断で、正当防衛や緊急避難に該当する場合には命を守るために撃て」と命じたんです
▼かなり厳しい判断でしたね
▽ええ。
もし私の見通し通りになっていた場合は、あるいは撃っていたかもしれません。
そこはわからりません。
ただ、この時の武器使用は、正当防衛ないし緊急避難の武器使用命令であり、それしか出せなかった
▼正当防衛や緊急避難だけ(の武器使用)で本当に守れるのでしょうか
▽ 例えば目の前で避難民が殺されても、それが正当防衛や緊急避難に該当しなければ我々は撃てない。
我々は国内法に基づいて行動します。
正当防衛や緊急避難に該当する場合には撃つという、厳しい判断にならざるを得ないのです
▼その後、戦闘はどうなったのですか
▽約2時間後、国連から情報が入り、先ほどの銃撃戦は政府軍からの脱走兵がPKO施設に逃げ込もうとした際、互いに撃ち合ったものだとわかりました。
よって、隊員を通常任務に復帰させました
▼昨年12月以来、主な任務が施設内の人道支援になっている。ご苦労は
▽我々は当初、国造り支援のためインフラ整備の目的で派遣された。
12月の戦闘を受けて南スーダンは後退した。
今は国造りを支援するために避難民を支援している。
大きな観点では、任務は変わっていないと考えています
インタビューはここで終わり。
私は南スーダンに1人で行き、一人で井川隊長と向き合った。
これだけのことを新聞記者に語るのだから、隊長は相当の勇気とリスクを覚悟したと思う。
当時、射撃許可はおろか、銃撃戦の事実も明らかにされていなかった。
立派な人物だと思う。
勇気ある人だと思う。
記事の執筆には数週間かかった。
隊長は世の中に何を伝えたかったのか。
私の考えつくことのできた結論はただ一つ。
現場の空気だ。
40度を超えるアフリカで必死に働く、自衛隊員たちの思いだ。
今、日本では「集団的自衛権だ」「積極的平和主義だ」と空中戦が続く。
でも実際に行動を求められるのは自衛隊だ。
彼らが今、現場でどのような現実に直面し、何を考えているのか。
我々はソファに座って、薄型テレビに映された映像だけを見て、わかったような気になっていないか真実や事実はいつだって手の届きにくいところにある。
心からの声はいつも雑音にかき消されてしまう。
それでも何かを伝えようと壁を乗り越えてくる人がいる。
彼はたぶん何より隊員を守りたかったのだ。
そして今も、混乱の地でただそれだけを考えている
私は震災翌日に被災地に入り、1年間現場で暮らした。
だから、あの日の自衛隊員の姿を知っている。
津波でぺしゃんこになった車の下に潜り込み、泥だらけになって少女の遺体を抱きかかえて出てきた
集団的自衛権の議論は、日本の未来の「姿」を大きく変える。
「積極的平和主義」とうい耳障りのいい言葉は、現実を見えにくくする。
自衛隊が他国に赴き、殺し、殺される。
そのリスクをどこまで甘受するのか。
言葉はストレートな方がいい。
一人の現場隊長が語った、飾り気のない言葉のように。
今回私が執筆した一連の記事です。
お時間があれば、ご一読を。
参考になれば幸いです(終わり) http://t.asahi.com/ej6h http://t.asahi.com/ej6m
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