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インドネシアで起きた100万人大虐殺の真相に迫るドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』が公開中だ。事件の被害者に取材するのではなく、加害者に自らの行為を演技で「再現」させることにより、人間の闇と大量殺人の狂気をあぶり出す本作品。インドネシアの歴史を振り返りながら、虐殺が起きた背景を振り返る。この作品を監督したジョシュア・オッペンハイマーは、「現代社会は巨大な暴力の上に成り立っている」と語る。
ジョシュア・オッペンハイマー │ JOSHUA OPPENHEIMER
1974年、米テキサス州生まれ。米ハーヴァード大、英ロンドン大に学ぶ。政治的暴力と想像力の関係性を探るため、10年以上にわたり民兵や暗殺部隊、犠牲者たちを取材。監督作品は『THE GLOBALIZATION TAPES』(03年)など多数。英芸術・人権研究評議会ジェノサイド・アンド・ジャンル・プロジェクト上級研究員。『アクト・オブ・キリング』はベルリン国際映画祭で2賞を獲得するなど世界の映画祭を席巻。ドキュメンタリー映画の名匠で今回製作総指揮を務めたヴェルナー・ヘルツォーク監督も「映画史上類を見ない作品」と絶賛している。
インドネシアの複雑な歴史
「わたしは当初、虐殺を生き抜いた人たちと記録映画を作り始めた。彼らはいまも加害者を恐れながら、同じ地域で一緒に生活している。それが衝撃だった」
1965年9月30日深夜のインドネシア。スカルノ初代大統領派の陸軍左派がクーデター未遂を起こした。それを、後に大統領となるスハルト少将(当時)が鎮圧。「事件の黒幕は共産党」と断定され、インドネシア全土で同党支持者とされた人々、華僑ら100万人以上が殺害された。その後30余年にわたるスハルト独裁体制のもと、事件に触れることはタブーになり、加害者は訴追されていない。
2000年代初め、オッペンハイマー監督は人権団体の要請を受け、虐殺生存者たちの話を聞いていた。しかし撮影は軍の妨害によって中断せざるをえなくなった。
そこでオッペンハイマーは、あるアイデアを思いつく。加害者、つまり殺人の実行部隊となった地元のギャングたちに「あなたが行った虐殺を演じてくれませんか」と提案したのだ。するとスマトラ島メダン市で「1000人以上は殺した」と豪語する殺人部隊リーダーのアンワル・コンゴらが、喜々として大虐殺の方法を「演じ」始めた。狂気の沙汰と思うのが、多くの人の感想だろう。しかし、虐殺をした側がいまでも政権を握る社会では、いまでもその行為が肯定されているのだ。
さらに驚くべきは、彼らがとても協力的なことだ。監督が「あなたたちの過去の行為を映画にしましょう」と提案すると、自ら出演者を仕切り、衣装やメークを考え、演出にも進んでアイデアを出す。「これこそ歴史だ」。大虐殺に加担したにもかかわらず、まさに“英雄気取り”のふるまい。しかし彼らはなぜ、迷いもなく殺人を続けられたのか? 監督はこう分析する。
「人を殺す場合、対象と距離をどの程度を置けるかが鍵になる。あなたがもし『誰かを殺せ』と言われたら、心の中でブレーキがかかるかもしれない。しかし問題はどこで誰を殺すかではなく、いかに殺人という行為から距離を取れるかなのだ」
それはアンワルにも確認された。殺人の方法について彼は、「最初は殴り殺していたが、血が出すぎて面倒になる。だから針金を使うことにした」と説明。実際の虐殺現場を訪れ、被害者役の俳優の首に針金を巻き、笑顔で「こうやって締め上げるんだ」と話している。
「アンワルは映画が大好きで、自分のヒーローであるエルヴィス・プレスリーに感情移入し、明るく踊りながら殺していた。つまり彼にとって『アクト・オブ・キリング』は、殺人という行為そのものであると同時に、演じることで殺人と距離を取る作業になっていたわけだ」
加害者たちとの共同作業は、虐殺の記憶をたどるだけでなく、人が人を殺す原因を探る旅にもなった。ドイツ、カンボジア、ルワンダ。世界各地で大虐殺は起き、いまも絶える気配はない。なぜなのか。真相がいまも解明されないインドネシアのケースを、監督は「むしろ一般的な例だ」と語る。
「現代社会は巨大な暴力の上に築かれている。虐殺後も加害者が権力を握り続けるケースは多い。政治家は暴力で物事を集約したり、権力の座に居座る。それが法則化している。今回描いたことはその法則に合致し、加害者は裁かれずに罪を逃れた。加害者が自慢気に語る多くのシーンはその法則を表している」
一方、「9月30日事件」の背景には、米国など西側諸国の関与も指摘されている。事件はスカルノ大統領失脚、スハルト大統領誕生のきっかけになり、以後インドネシアでは30年以上にわたる独裁体制に。大虐殺を隠ぺいするスハルト政権を西側は支援し続けた。冷戦時代に「反共」は都合のいいスローガンだった。
「政権を支持してきた日本などの国々に関係する問題だ。大虐殺は冷戦の産物だったのではないか。南の豊かな土地を支配するため、日本を含む先進国は政権を支援した。安い賃金と資源が魅力だった。自らの行為を正当化するため、反共の旗印を掲げたのだ」
映画の終盤、アンワルは被害者の気持ちを想像し、罪に向き合うことになる。「殺された1000人分の恐怖」を感じることで、心理的・肉体的に変化が表れる。「人間の闇」が垣間見える瞬間は、観る者を戦慄させる。
「人が自分の見たくないものを、見ないようにするためにどうするか。うそを1枚ずつはがし、苦しさと痛みを発掘した。本物の自分と和解するためには、つらい真実と向き合わなければならないと思う」
『アクト・オブ・キリング』
(2012年、デンマーク・ノルウェー・英国)
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
2014年4月12日(土)より、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。
(C)Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012
http://wired.jp/2014/04/19/act-of-killing/
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スカルノ大統領は影響力を増しつつあった国軍とのバランスを取る上から、共産党に接近しその勢力拡大に協力していた。1965年9月30日に国軍の一部がクーデターに決起した。このクーデターは結局失敗に終わるが、国軍の主要な指導者達が暗殺され、最高司令官が不在となったため、一時的に陸軍最高位に立つこととなった戦略予備軍司令官スハルト少将がスカルノから、事件後の「治安秩序回復」に必要な全ての権限を委譲された。このことが後のスカルノ失脚に繋がることとなる。
スカルノから治安秩序回復の全権委任を得たスハルトの主導のもと、虐殺は約半年間に渡ってインドネシア全土で行なわれた。虐殺の直接の実行者は「共産主義者狩り」に動員された青年団、イスラーム団体、ならず者集団であった。この事件によって当時東南アジア最大だったインドネシア共産党は壊滅させられ、半年後にスカルノは失脚する。
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